世界はまだ僕達の名前を知らない
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開眼の章
08th
拷問
連れていかれた先は家だった。
そう、家だ。この閉鎖的な空間に、家が建っている。何故建てたのか。何故こんな所に建てたのだろうか。
そんな疑問を解決する機会も無く、トイレ男はその一室に放り込まれた。
「……どうする……?」
「……まずは……脅すか……」
家の中にはトイレ男を連れてきた下僕の他にも彼と同じ格好をした複数の人物達が居た。中に居た下僕2とそんなに会話をした下僕1はあろう事かトイレ男の手からトイレを奪い取り、両手首を縄で縛って天井に吊るした。背中がかなり痛む姿勢である。下僕2と下僕3がそれぞれトイレ男の両足首にロープを括り付け、それを離れた所に固定した。トイレ男の股が開かれる。これでトイレ男は抵抗ができなくなった。
「……組織の……情報を……吐け……」
一体何に使うつもりなのか、棍棒を持ってトイレ男と相対する下僕1がそう言う。
「……………………」
状況が読めない。組織なんて言われてもトイレ男は全く知らないし、そもそも彼らはトイレ男に何をやろうとしているのか。訊きたい事があるなら、わざわざこんな事をする必要は無いのでは?
「……やはり……簡単には……言わないか……」
考えている間に、下僕1がそんな事を言った。
「……我々は……愛の……使徒……無用な……愛の……無い……拷問は……避けたい……」
「……まずは……愛の……ある……拷問から……始める……べきでは……ないか……」
「……そもそも……我々に……拷問の……知識は……無い……」
何やらコソコソと会話する下僕1〜3。
やがて結論が纏まったらしく、下僕1は再びトイレ男の方を向いて、
「……言わなければ……爪を……剥ぐ……」
「…………!?」
剥ぐの!? 爪を!?!?
トイレ男は困った。トイレ男は何も知らない。だから何も言えない。できないのだ。なのに彼らはやらなければ爪を剥ぐという。トイレ男はトイレから引き離されたのと今のこの背中が痛む姿勢だけでもかなりの苦痛を感じているというのに、更なる痛みを与えようというのか。
ノー! やめてー!! と首をブンブン振るトイレ男だったが、下僕2が何やら台を持ってきて、下僕3がその上にたった。そしてトイレ男の手指を握る。
「……嫌なら……言え……」
「!! !!!! !」
「……そうか……やれ……」
下僕1の最終通告に涙目になりながら首を振るトイレ男だったが、願いは叶わなかった。
ぺりっ、とトイレ男の爪の一つが剥がされた。
「〜〜!! !!!!」
痛い。指先がとても痛い。悶絶し体を揺らすが、拘束が解けたりする事は無く寧ろ背中を痛ませるだけだった。
「……言わないと……また……爪を……剥ぐぞ……」
「! !!」
トイレ男はぶんぶんと頷いた。何も知らないが、言わないとまた痛くなってしまう。出任せでもいいから何か言わなければ。
「……なら……言え……」
「…………っ!」
トイレ男は咄嗟に考えた嘘を言おうとした。が、言えなかった。脳裏に暗い道を独りで逃げ惑う光景がフラッシュバックする。
突然顔を蒼くしたトイレ男に、下僕1は不可解そうに、
「……なんだ……やっぱり……言わないのか……もう……いい……やれ……」
「ッ!!」
二枚目の爪をやられた。
「……言う……気に……なったか……」
「…………っ」
トイレ男はもう一度嘘を言おうとした。が、先程と同じ現象が起こって発音を妨げられる。
「……やれ……」
「ッッ!!」
三枚目。
「……一枚ずつ……やっても……キリが……無さそうだ……一気に……二枚……行け……」
「ッァッッ!!」
あまりの痛さに、遂に声が出た。
「……喋れない……訳では……なさそうだ……いいか……次……言わなければ……残りの……五枚を……一思いに……剥ぐ……」
「……ァッ! ァァッ!!」
心臓が痛い。
「……やれ……」
下僕1のその合図で、下僕3がトイレ男の 無事な指に手をかける。
下僕3は一人なので、同時に複数の爪を剥ぐなんて芸当はできない。一思いにとは言っても実際には一つずつだ。一つずつ、間断なく爪を剥いでいく。慣れてきたのか、剥ぐ速度はそれなりで、断続的に子気味よく送られてくる刺激にトイレ男は脳を苛まれる。
全て剥がされた時、トイレ男は全身を弛緩させていた。表情は虚ろで、口は半開きだ。脇は汗でびっしょりと濡れていて、股間は汗ではない液体をポタポタと垂らしている。
下僕1〜3は再び集まって、
「……やり……すぎた……か……」
「……だが……情報は……吐かない……」
「……寧ろ……足りないのでは……ないか……」
「……だが……既に……あの……状態だ……朦朧と……していて……碌に……ものを……言えるかも……怪しい……」
「……だが……フィリア様の……望みを……達するには……まだ……拷問するしか……あるまい……」
「……………………」
トイレ男はそれを耳で受け取りながらも、脳では処理していなかった。
腕を液体が伝っていく感覚がする。血だろう。血は順調に腕を下っていき、服を染める。たまに服の中を伝って胴体に付着したりそのまま床に落ちたりする。生暖かい液体の上に落ちた血は薄く広がるが、赤色が見えなくなる事は無い。
どうして。一体どうして、自分がこんな目に遭わなければいけないのか。トイレ男はただ、暗い道を彷徨っていただけである。なのに何故、あんな奴に捕まって、こんな仕打ちを受けなければならないのか。否、そんな理由は無い。こんな事をされる謂れは無い。なのに、現にトイレ男はされている。おかしい。そうはわかれど、どうできる筈も無い。どういう訳か喋れない以上、それを彼らに伝える手段も無いのだから。
「……よし……次は……指を……潰そう……」
トイレ男はその理不尽に怒らなかった。怒った所でどうしようもないからである。運命に対する怒りなど何も生みはしない。トイレ男は、トイレ男をこんな目に遭わせた運命に、助けてくださいと縋る事しかできないのである。
「……おい……次は……指を……潰す……」
気が付けばまた下僕1が目の前に居た。トイレ男はそれをチラリと見て、諦めたように、首を振った。
片手に何か冷たく硬い物が添えられたかと思ったら、そこに手を挟む形で別の物を打ち付けられた。
これまでとは比較にならないほどの激痛だった。まるで諦念と無力感に支配されるトイレ男に怒りでもって立てと言うような痛覚は、しかしトイレ男のそれらをますます深くさせる事しかできない。
「……ダメか……」
「……次は……どうする……」
「……胴を……殴るか……」
「……骨を……折るか……」
「……刃物で……刺すか……」
どうして。そんな事はどうでもいい。どうでもいいから、もう気にしたりしないから、誰でもいいから助けてください。
トイレ男はそれだけを願っていた。
すると、部屋のドアがガチャリと空いた。
「どう? どのぐらい訊き出せた?」
入ってきたのはフィリアであった。
「……フィリア様……」
「……誠に……申し訳……ない……事に……何……一つ……訊き……出せません……」
「……爪を……剥いでも……指を……潰しても……何も……言わず……」
「そう……なら、仕方ないわね。もうそろそろ行くから、準備を始めて頂戴」
「「「……はっ……」」」
下僕達は部屋を出て、トイレ男とフィリアだけが残った。
「どう? 痛い? 苦しい?」
「……………………」
言わなくてもわかるだろうと、トイレ男は何も反応しなかった。
「そう……あらあら、あの子達ったらこんな乱暴にやっちゃって。丁寧な拷問の仕方も教えておかないといけないわね」
フィリアは下僕3が使っていた台に登り、トイレ男のぐちゃぐちゃになった指を慈しむように撫でた。触られると痛みが増すのだが、そんな事はお構いなしらしい。
「ちょっと私達は出かけてくるのだけど、その間このまま放っておくのも残酷よね」
フィリアは台を降りて、トイレ男の正面に来た。そして下からその顔を覗き込むようにして、
「だから、助けてあげる」
「…………?」
その言葉に、初めてトイレ男ははっきりとフィリアの方を見た。
見られたフィリアは、まるで慈悲深い女神のように微笑む。
「セッちゃん、お願い」
痛みが、消えた。
⸺何もかも、消えた。
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