金木犀の許嫁
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第七十二話 また来る時までその七
「後は二重三重の監視が付きましても」
「それでもですね」
「終わっていました」
「滅ぼすことはない」
「何の力もないのなら」
豊臣家にというのだ。
「滅ぼすことがあるのか、そもそも滅ぼすつもりなら」
「それならですか」
「戦なぞせずにです」
「行えましたね」
「家康さんは関ケ原の前まで大坂城にいました」
他ならぬこの城にというのだ。
「三万の兵を置き諸大名をそれぞれの国に帰らせて」
「本当に露骨ですね」
夜空はここまで聞いて目を丸くさせた。
「家康さんは」
「左様ですね」
「そこまでしてですね」
「あの人は大坂が欲しく大坂城もです」
「我がものにせんとしていたんですね」
「ですからお城の隅から隅までもご存知だったでしょう」
「あの、でしたら」
夜空は幸雄にそれならと話した。
「伊賀の人達を送り込んで」
「秀頼さんの暗殺もですね」
「出来ましたね」
「ほぼ確実に」
幸雄もまさにと答えた。
「そしてです」
「秀頼さんがいなくなれば」
「もうです」
それこそというのだ。
「豊臣家は秀頼さんだけだったので」
「秀吉さんがいなくなったので」
「元々人の少ないお家でした」
そうだったというのだ。
「弟の秀長さんが死んで」
「秀次さんも殺して」
「他の人も養子に出したりしましたし養子さんを迎えていても」
秀吉は実子に恵まれなかったので結構な数の養子を迎えている、そうして何とか家を保とうとしていたのかも知れない。
「それでもです」
「実のお子さんは秀頼さんだけで」
「あの人も噂はありますが」
実は秀吉の子ではないとだ、実の父親は重臣であり淀殿の乳母の子であった大野治長ではないのかと当時から言われていたらしい。
「しかしです」
「それでもですね」
「実の子という関係だったので」
「それで、ですね」
「あの人に何かあれば」
その時はというのだ。
「豊臣家は終わりでした」
「秀頼さんに何かあれば」
「そうなればです」
秀頼が死に豊臣家が断絶すればだ。
「まさに何の苦労もなく」
「豊臣家は滅んでいましたね」
「秀頼さんのお食事にこっそりです」
「毒でも入れたら」
「伊賀者を用いて」
「家康さんが呼んだ」
「終わりでした、しかもです」
幸雄はさらに話した。
「当時小さな子が急死するなぞです」
「普通でしたね」
「暗殺を囁かれましても」
「それで通りますね」
「急死したと」
「病気で」
「そうなりましたので」
このこともあってというのだ。
「家康さんが豊臣家を滅ぼすつもりなら」
「簡単でした」
「戦うことなく」
「出来ました」
そうだったというのだ。
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