俺様勇者と武闘家日記
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第3部
オリビアの岬〜海賊の家
オリビアの岬
「あれがオリビアさんが亡くなったって言われてる岬なんですか?」
「はい。私たちの間では『呪われた岬』として、なるべくあそこには近づかないようにしてますね」
遥か遠くの陸地の端にそそり立つ崖が見えてきて、甲板にいた私は思わずヒックスさんに尋ねた。ヒックスさんいわく、あの崖こそがオリビアさんが身投げしたと言われる岬だそうだ。
アッサラームに戻った際、ドリスさんから得た情報をヒックスさんに伝えたところ、その場所は船乗りの間でも有名な心霊スポットだったらしい。オリビアさんの名前こそ世間に広まることはなかったが、ここの岬から飛び降りた女性の話は残っており、しかもその女性の霊によって近づく船に不幸が襲いかかるという噂もあるらしい。
そんないわくつきの場所に連れてってもらうのは少し心苦しいが、彼らにお願いしてその岬に船で向かうことにしたのだ。
「どうします? あの崖のところまで船を寄せますか?」
「はい。お願いします」
実のところ、岬に行ってどうするのかは考えてなかった。もうすでに亡くなってる人にエリックさんからの伝言とペンダントを渡すのは不可能なのではないか。けれど、実際に行ってみれば何かわかるかもしれない。そんな安易な理由で、私は皆を巻き込んでいた。
「おい。岬とやらは見つかったのか?」
船室からやってきたユウリに声をかけられ、私はどきりとしながら振り返った。
「あ、うん。あそこがそうなんだって」
ぎこちない口調で目的地を指さしながら答える。するとユウリに続いて皆もやってきた。
ガクン!!
すると突然船が大きく傾いだ。辺りを見回すと風は穏やかで、強風で煽られたわけでもない。例の目的地はもう目と鼻の先に近づいていたが、どういうわけか一向に先に進まないでいた。
「おいヒックス、どういうことだ。何で船が進まない?」
「わかりません。何かが当たったわけでもないですが……」
すると、操舵室から航海士のラスマンさんが緊迫した面持ちでやって来た。
「船長!! 空を見てください! 嵐が来ます!!」
見上げると、今まで雲一つなかった空が突如黒い雲に覆われている。今にも嵐が来そうな悪天候は、あまりにも不自然に思えた。
「ややややっぱり岬の幽霊だ……! おれたちの船を沈めに来たんですよ!」
近くにいた別の船員が声を震わせながら叫んだのを皮切りに、他の船員も口々に騒ぎ始めた。
「こら、何を騒いでる!! 海の男がそのくらいで取り乱すんじゃない!!」
ヒックスさんが檄を飛ばすが、一度不安にかられた人間を正気に戻すのは困難だ。現に数人の船員が持ち場から離れ、騒ぎ出している。
「待て、ヒックス。無理に呼びかけても逆効果だ。持ち場を離れた船員のところには、俺達が向かう」
「し、しかし……」
すると、どこからともなく女の人の歌声が聞こえてきた。船上にいる女性は船員含めて私とシーラだけなので、それ以外の誰かが歌っていることになる。
「何!? この歌!!」
悲しげに、それでいて儚げに歌うその歌声は、潮騒の中でも随分とはっきり聞こえてくる。船上にいる誰もが聞こえるその声量は、到底人が出せるようなものではなかった。
「一体どうなってんだよ!!」
常に警戒を怠らないナギも、この怪奇現象に戸惑いを隠しきれないでいる。かく言う私も船員たちの怯えようを間近に見て、本当に幽霊の仕業なのかもしれないと、恐々と辺りを見回すので精一杯であった。
「うあああ、もうだめだ!!」
そんな中、操舵手のウォルトさんが恐怖に耐えかねて逃げ出してしまった。それをきっかけに、一人、二人と船員たちがどんどん持ち場を離れていく。
「皆、抜けた奴らの持ち場に回れ!!」
ユウリが大声で私たちに向かって命令した。正直私もここから逃げ出したかったが、シーラですら緩みかかった帆を張るためにマスト下でロープを引っ張ろうとしている。しっかりしなくちゃと、私は頬を叩いて気持ちを引き締めた。
シーラとルークは風で撓んだ帆を張り直し、ナギはラスマンさんと一緒に見張り台に登り、『鷹の目』を使って周囲を巡らせている。ヒックスさんは逃げ出したウォルトさんの代わりに操舵室に向かっていった。そして私とユウリは、なかなか進まない船を動かすために、他の船員さんたちと一緒に櫂を漕ぐことにした。
それでも歌声はなおも続いている。恋人に会いたいのに、会えない。絶望を抱きつつも、私はここでずっと彼に会うのを待ち侘びている。そんな内容の歌詞だった。けれど聞いているうちに、彼女の悲痛な思いと自分を重ねてしまう。それは他の皆も同じで、いつしか私の前で櫂を漕ぐ船員が鼻をすすり始めた。
「ううっ、なんて辛い歌なんだ……。おれも死のう……」
すると、櫂を漕いでいた船員の一人が泣きながら櫂を離し、そのまま海に飛び込もうとしたではないか。
「うわあっ!! 待ってください!! 落ちちゃいますよ!!」
私は慌てて彼を引き止める。けれどその目は虚ろで、悲しみに満ちていた。
――皆がおかしくなってるのは、この歌のせい!?
「すみません、オレが悪かったです!! だからもうぶったりしないでください!!」
「あの人にあんなふうに言われたら、もう死ぬしかない……」
「もう、辛いです……。おれたちを解放してください……」
すでに何人かの船員が歌を聞いて心を病んでしまったのか錯乱状態になり、さらには海に身を投げようとする人まで出てきてしまった。
すると、ルークと一緒に帆を張っていたシーラがこちらに向かって叫んだ。
「ユウリちゃん!! るーたんも変になっちゃった!」
「放っておけ! 船を進めるのが先だ!」
シーラの叫びに、ユウリは苛立ちを隠すこともなく言い返す。けれど、さっきの船員みたいにルークまでもが船から飛び降りそうになったら大変だ。
振り返ると、ルークはシーラの隣でロープから手を離して一人うずくまっていた。
「私、ちょっと向こうに行ってくる!!」
シーラ一人ではロープを支えきれない。慌てた私はユウリにそう言い残すと、急いで二人の元へと向かった。
「ミオがいない……。ミオのいない世界なんて考えられない……。いっそ死にたい……」
「ルーク! しっかりして!」
シーラの隣でロープを引っ張りながら、私は俯いてぶつぶつと呟くルークに向かって叫んだ。私の声に跳ねるように頭を上げたルークは、私の顔を見るなり涙を流して喜んだ。
「ああ、ミオ!! よかった、君に会えて!!」
「うわああっ、急に抱きつかないで!」
「きゃああっ!?」
ルークに押し倒されそうになった私は、隣に居たシーラにぶつかり、彼女を巻き込み三人とも倒れてしまった。
「あっ、ロープが!!」
その際、シーラが持っていたロープが離れ、帆は風に煽られ船が後退していく。次第に波は高くなり、雨も降り始めた。
「あれ? 僕は一体……」
倒れた衝撃で正気に戻ったのか、ルークが体を起こす。そして私とシーラを下敷きにしていることに気づいて立つと、慌てて二人を引っ張り上げる。
「ごっ、ごめん二人とも!! 一体何があったの!?」
事情を把握できていないルークの問いに、一番下にいたシーラが這い上がりながら答えた。
「るーたん、覚えてないの? さっき『ミオちんのいない世界は考えられない』とか、『もう死にたい〜』とか言って抱きついてきたんだよ?」
「え……! この僕がそんな事を言うなんて……、嘘だ……」
「大丈夫だから! 気にしちゃ駄目だよルーク!!」
せっかく元に戻ったのにまたネガティブになりそうだったので、私は慌ててルークを宥める。
そうこうしている間にも、船はどんどん岬から遠ざかっていく。船員たちも怖がっている場合ではないと気づき、ようやく我に返る。
「まずいです、ユウリさん!! このままでは船が押し戻されます!」
「くそっ! 何なんだ一体……」
依然として風が吹き荒れる中、ユウリが黒い空を見上げながら歯噛みする。それにしても、岬に近づくだけでなぜこんなことが起きるのだろう。まさかオリビアさんの霊が、私たちがここを通るのを拒もうとしているのか――。
その時私は気づいた。この歌を歌っているのが、オリビアさんだということに。
私の愛する恋人——つまりエリックさんに二度と会えないと悟り、その寂しさに耐えられず、自らも命を落とした。けれど死んでも魂は現世にとどまり続け、エリックさんと会えないでいる。そんな悲痛な叫びが歌詞となって、今もなお聞こえる彼女の歌声を通じてひしひしと伝わってくる。
だったら――!!
一か八か、私は無くさずにずっと首から提げていたエリックさんのペンダントを外した。
「ミオ!?」
「ミオちん、危ないよ!!」
ルークとシーラの制止する声が聞こえるが、ペンダントを握りしめた私は迷わず船の舳先へと走り出した。
「オリビアさん!! 私たちはエリックさんから伝言を頼まれました!」
オリビアさんに届けたい。私はありったけの声量で彼女に向けて叫んだ。一瞬だが、風が穏やかになった気がした。
「『どんな姿でも僕はずっと君を愛しているよ』って、エリックさんは言ってました!! あとこのペンダントも渡してほしいと頼まれました!!」
私は船縁にもたれると、そのまま手にしていたペンダントを海に投げた。自分でもどうしてそうしたのかわからない。けど、オリビアさんに気づいてもらうには、こうするしかないと思ったのだ。
ポチャン、と小さな水音を立てて、ペンダントは海の底に沈んでいった。ペンダントを海に投げたのは失敗だったかな、などと後悔の波が押し寄せてきたときだった。
「あ、雨が……」
誰かがつぶやいた声に、空を見上げる。しとしとと降っていた雨は止み、厚く覆われていた雲は薄曇りへと変わっていく。
いつの間にか、歌声も聞こえなくなっていた。雲の隙間からあふれる光のカーテンが海面を照らし、キラキラと輝いている。次第にそのカーテンの光から、ぼんやりと人影のようなものが映し出された。
「なんだあれは……?」
先に気づいたユウリが、茫然としたまま空を眺める。彼だけでなく、この船上にいた全員が同じ気持ちだった。
光の中から現れたのは、長い黒髪の若い女性だった。すると、ペンダントが沈んだ方向からも光が差し込み、もう一つ人影が現れた。
あの姿はエリックさんだ。そしてエリックさんとオリビアさんらしき女性が向かい合うように近づくと、お互い目の前にいる恋人の姿を確かめた。
《ああ、エリック!! 私の愛する人!! この時を待っていたわ!! 》
《ああ、ようやく会えたね、オリビア。もう君を離さないよ!! 》
二人は抱き合い、くるくると踊り出す。先ほどまでオリビアさんの心情を表していたかのような天候は、いつのまにか穏やかな空気に変わり、地上に降り注ぐ光のカーテンは、二人を心から祝福しているように輝いていた。
《これで僕らは二人で天国に行ける。――皆さん、ありがとうございました》
そう言うとエリックさんは私たちに会釈をすると、寄り添うオリビアさんとともに天へと旅立っていった。
空には、いつの間にか雲一つなく晴れ渡っていた。さっきまで押し戻されそうになっていた船は、追い風を受けてゆっくりと前に進んでいる。
「な、なんだったんですか、今のは……」
ヒックスさんが唖然としながら呟いた。他の船員たちも、まるで夢でも見ていたかのようにきょとんとしている。歌声も止み、ネガティブな思考をする人もすっかりいなくなった。
「やったね、ミオちん!!」
興奮したシーラが私に抱きついてきた。私も、無事にエリックさんがオリビアさんと一緒に天国に行けたのを見て、感無量になっていた。
「ミオちんが二人の魂を救ったんだよ!! すごいよ!!」
私があの二人の魂を救った……? よくわからないけど、二人が幸せそうに旅立ったのなら、結果オーライだ。
「本当にすごいよ、ミオ。それにしても、よくペンダントを海に投げようと思ったね?」
「えーと……、無我夢中で何も考えてなかったんだけど、とにかくオリビアさんに気付いてほしくて、勢い余って投げちゃった」
今考えると、なんて無謀なことをしたんだろう。もしこれでオリビアさんに私の声が届いてなかったら、オリビアさんにエリックさんの想いを伝えることが出来なかったかもしれない。
「でも結果的に二人は天に召されたんだ。ミオのやったことは正しかったんだよ」
「ありがとうルーク。……そうだったらいいな」
その時、いつの間にかユウリが私の元へとやってきた。
「お前にしては、よくやったな」
「あ、うん、へへ……」
突然ユウリに話しかけられたからか、動揺して上手く返事を返すことができず、せっかく褒められたのに不器用な笑みを浮かべることしか出来なかった。
騒然とした船の上は、すっかりいつも通りの日常に戻っていた。持ち場を離れていた船員たちがヒックスさんにどやされて戻ってきたからだ。
「あれ? そう言えばナギは?」
確か代わりに見張り台の方に行ったような気がするが、ほとんど音沙汰がない。船で最も高いマストにある見張り台を見上げると、オリビアさんたちの件に全く動じず水平線をじっと見ているナギと、隣にはラスマンさんの姿があった。
「ナギ—!! もう大丈夫だから、降りてもいいんだよー!」
大声でナギを呼ぶと、ナギは見張り台から身を乗り出した。
「知ってるよ! お前のおかげで嵐が止んだんだろ!! それよりも皆、あそこ見てくれよ!!」
私たちはナギが指さす方向を振り向いた。とはいえ鷹の目を使うナギとは違い、こっちは肉眼なので水平線しか見えない。
「おいバカザル!! あそこになにかあるのか!?」
ユウリが尋ねると、たまりかねたナギが見張り台からするすると降りてきた。
「あそこに島があるんだけどさ、そこにぽつんと祠みたいのが建ってんだよ。なんか怪しくねえ?」
「祠だと?」
なんでこんなところに祠があるのだろう。ナギの言葉に、皆が首を傾げる。
「わかった。今からそこに向かおう。バカザル、ヒックスにその祠の位置を伝えておけ」
「りょーかい!」
ユウリの指示にナギはすぐさまヒックスさんのところに向かった。その姿を見届けたユウリは、今度はルークの方に視線を移す。
「おい。お前の親父が流刑された場所は、『祠』の牢獄だったよな?」
「ああ、そうだけど……、あ!!」
「もしかしたらそこにお前の親父……サイモンがいるかもしれない。サマンオサで見た地図も、確かこの辺りだったはずだ」
『!!』
——サイモン。かつて魔王を倒すため仲間とともに旅に出た勇者であり、英雄。そして、ルークのお父さんでもある。けれど無実の罪により、『祠の牢獄』という場所に連れていかれ、捕らわれの身となってしまった。その人が、もしかしたらあの祠にいるかもしれない。
「父さん……」
何年かぶりの再会を前に、ルークは今何を思っているのだろう。
ナギの話を聞いたヒックスさんの指示で、船は水平線の向こうにある祠へと向かうことにしたのだった——。
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