ムゲン回廊の魔少女・限定版
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第二章第一節 強襲 月魄のゲラルディーネ(star overhead)
見滝原に戻ったほむらたち三人は、早早に魔女の結界に引きずり込まれていた。驚くことに誰ひとりとして魔女の接近に気づかなかったのだ。その結界は周りを丘に囲まれ、だだっ広い窪地があるだけ。三人はその中心にぽつんと立たされていた。出入り口がない。完全に閉じこめられていた。丘陵に遮られ向こう側がわからない構造。こんな結界は初めてだ。
「おそらく、この結界の主を倒さなければ脱出できないのだろう。ソウルジェムは感知できなかった。あきらかに私を始末するために送り込まれた『特別な魔女』だ。奴らはついに実力行使に出たか」
ソウルジェムのレーダーで感知できない、さしずめ「ステルス能力、あるいはジャミング能力を持った魔女」とでも呼ぶべきか。
いまほむらは、ふたりの魔法少女を護衛に連れており、カナメからこのように紹介された。
「ほむら、貴女に最高のボディーガードをつけよう。このふたりこそが私が知る全魔法少女のなかで、最高の護衛役となってくれるはずだ」
ひとりめはヴェラ=ルーシー。十六歳。体格にめぐまれカナメより背が高い。赤毛でぼさぼさのショートヘアとタンクトップの下にさらしを巻いて、穴のあいた上下のジーンズという出で立ちだ。体のラインさえ見えなければ少年のようだった。あとで聞いた話だが、ずっとノーブラで、さすがにそれを見かねたカナメがさらしをわたしたそうだ。
「彼女は私の仲間の中でも、もっとも高い戦闘力を持つ強力な魔法少女だ。そして彼女の能力は、」
「待ちな。説明するより実演する方がはやいぜ」
ヴェラはそう云ってニヤリと笑う。
「ふっ、そうだな。ほむら、彼女を殺してくれ」
ほむらはふたりを交互に見つめる。双方とも本気の目をしていた。
「本当にいいのね」
ほむらは変身し拳銃を抜き、ヴェラの頭部と心臓に弾丸を撃ち込む。標的は破裂し破片が飛び散ったが、四散したものはヴェラではなく立て看板であった。ヴェラ=ルーシーの能力は「代わり身」。まるで忍者のようだとほむらは思った。
「その気になれば人間とも代わり身可能だ。だから『身代わり』とも呼べる」
(はっ、そうか)
このひと言でほむらは全てを理解した。この少女はカナメに『ほむらの代わりに死ね』と命じられたのだ。この能力は、相当のエネルギーを消耗するらしい。ソウルジェムは闇色に染まりヴェラは穢れを取り除いていた。
「ありがとう。とても心強いわ。ヴェラ=ルーシー」
ほむらは複雑な面持ちで握手するのが精一杯だった。対照的にヴェラは迷いのない少年のような笑顔でほむらの手を握る。
ふたりめは夏千慧。十歳。インキュベーターの死骸を持ってきたあの少女だ。水色のミニチャイナを着て髪は左の前髪をわずかに残し、髪全体を右側に束ねている。ほぼオールバックで額がよく見えた。
「彼女は武術も魔法少女としての経歴も浅いため、戦闘力は高くない。だが捜索と索敵、危険予知にすぐれた能力を有している。また千里眼を持ち、姿の見えない魔女や罠を発見することで私たちは何度も救われた。必ずや貴女の役に立つだろう」
そう紹介されたせいだろうか。少女が自分を見つめる目はやけに煌めいて見えた。実際チェンフイはほむらに対しすでに強い尊敬の念を抱いていた。
「ありがとう助かるわ。よろしくお願い、チェンフイ」
「よろしくお願いします。ほむらリーダー」
「ほむらでいいわ」
ふたりは互いに握手を交わす。
「では、ほむらさん」チェンフイは一気に話し出した。「わたしはカナメさんと初めて会ったとき、この人はなんて強さだろう、こんなすごい人がいたのかとびっくりしました。そして彼女と旅に出る決心をしたんです。彼女は最高の強さとリーダシップを持ったこの世で最高の魔法少女だと、わたしは信じて疑いませんでした。でもカナメさんはこう言ったんです。『私は全世界の頂点に立つ、真のリーダーと呼ぶに相応しい魔法少女を求め、世界中を旅している。必ずどこかにいるはずだ。たとえ一生かけてでも必ず見つけだしてみせる』と。わたしには信じられませんでした。カナメさんは最高の魔法少女だった。そんな、最高の魔法少女以上の魔法少女が存在するなんて。もしいるのならいったいどんな魔法少女なんだろう。わたしには想像もつきませんでした。でもその人はついに現れた。本当に現れた。そしてわたしたちに約束してくれた。
『全ての魔女を討ち、悪魔たちをこの星から追放する』と。
わたしは涙が止まりませんでした。感激のあまり大声で泣いてしまいました。あのときの感動は、一生わすれません」
「ありがとう。あなたの期待に応えるため、全力を尽くすわ」
自分は、すでに他人に影響を与える存在になっている。今後彼女のような魔法少女が増えるのだ。ほむらは自分の責任がどんどん重く膨らんでいくのを感じていた。
(だがこれは誰かがやらねば、背負わねばならぬことなのだ)
そんなチェンフイだったが、見滝原についたばかりのとき初めて見た日本の家屋やビル群の珍しさに目を奪われ、落ち尽きなく周りをきょろきょろ見回すまだ幼さの残る少女だった。
ほむらたちは直ちに変身し戦闘態勢に入る。
ヴェラのソウルジェムは、ガーネットのような柘榴色をした鉤十字形となり背中に現れる。フィットネススーツのように全身を覆う黒いインナーの上に、所所白いラインが入った蠍を思わせる赤い甲殻のような甲冑で身を包む。甲冑の各部からはスパイクが飛び出し、武器は蠍のレリーフが刻まれた柄の長い大型の鉄槌を手にしていた。完全な近接格闘型の魔法少女だ。
チェンフイのソウルジェムは、タンザナイトのような瑠璃色をし、角の丸い逆三角形となり額に現れる。チャイナ服とピーターパンに出てくる妖精のような衣服との、折衷ともいえる水色の衣装で三角の帽子をかぶる。腕と脚が黒いタイツでおおわれ白いシューズと手袋をしていた。どこにあるかわからないポケットから暗器のように三本ずつナイフを取り出し両手に持つ。このナイフは近接戦だけでなく飛び道具としても使え、投擲後は柄が展開、安定翼となり目標に命中すると爆発する。彼女は中近両距離の戦闘に対応できる魔法少女だった。
結界の中では灰色の雪が降りはじめすぐに積もり始めた。魔法で作られたであろうその雪は、冷たさを感じないうえに体に触れても溶けることがなかった。天井は真っ暗な天球だ。ただひとつを除いては。暗黒の空にはたったひとつ星があった。むろん本当の星ではない。天球にただひとつだけ輝いているそれは、この結界内の唯一の灯りで夜空に輝く金色の星に見えた。
ほむらたちはこの結界の作りにどんな意味があるのだろうかと考えていた。不思議なことに北極星のように輝くその星の方角が出口ではないかという気がしてくるのだ。だがそう思わせるためのトラップであると考えた方が自然だ。それほどまでその星は、この闇の中でなにか希望と力を与えてくれる、そんな不思議な光を放ちまたたき輝いていた。
この結界に一番驚いたのはチェンフイだった。
(まさか数キロ先も見えるわたしが気づかなかったなんて)「はっ、あっちです」
チェンフイは空を指さす。その方向に羽ばたく灰色の鳥が見えた。だがそれはみるみる巨大な影となり、灰色の鱗で覆われた大型の竜とわかる。結界の主「月魄の魔女」だ。ヴェラはその魔女を一目見て訝しがった。
(ん、似てるな。前にオレたちが倒したあの魔女に。でもそんなことが、)
「足下です!」
ほむらは刻を止めようとしたが雪面より飛び出した無数の銀鎖が絡みつき、ほむらの自由をうばう。
(しまった。これでは)
地に体を縛りつけられ身動きできない。こんな状態で刻を止めてもエネルギーを浪費するだけだ。だがそれはいままでのこと。いまのほむらには手足以外に自由にできるものがあった。腰と胸元のリボンを自由に動かし、さらに伸縮自在に操ることができる。過去に何度か巴マミのリボンに拘束された経験から自分にもできないだろうかと、見滝原に戻ってくる前に試したばかりだった。特に腰のリボンは力が強く片方で三百六十キロ以上の物体を持ち上げることもできた。ということは自分の足は自重を含め左右を合わせれば七百キロ以上に耐えられる。胸元の方も予備弾倉や手榴弾くらいはぶら下げることができた。
それにしてもなぜいままでリボンに気づかなかったのだろう。すぐにそれは髪のせいだと気づいた。髪が絡まることを無意識に避けていたのだ。自分は戦士として目覚めたあのとき、髪をほどくのではなく切るべきだった。ほむらは仲間に腰のリボンを絡め、刻を止める。だが魔女は停止せずそのまま急降下で襲いかかってきた。
「そんなはずが。私の盾は確かに時間を止めている」
「なんで。あの魔女ほむらさんと接触してないのに」
「なんだと。あいつ止まった時間の中で動けるのかよ」
ヴェラはこんな状態で身代わりをすれば返って危険だと判断し、ほむらをかばうように魔女に立ち向う。チェンフイがナイフを構えたのでほむらは刻を再動しリボンをほどく。チェンフイが投げたナイフは魔女に命中したが効果がない。雪面に降り立った巨大な魔女は長い尾を振り回しほむらたちに襲いかかった。ヴェラは腰を落とし重心を低く身構え魔女の攻撃を全身で受け、衝撃で流血する。その瞬間に生じた轟音と振動と衝撃から、その激しさはほむらにも充分に伝わってきた。
(すごい。なんというパワーとタフネスさを持つ魔法少女か)
ヴェラは口元に流れた血を舐め、不敵な笑みを浮かべる。
(いまのは利いたぜ)「チェン、さっさとほむらの鎖をほどけ」
「云われなくてもやってるわよ」
チェンフイの助けで両手が使えるようになったほむらは大口径拳銃を取り出す。すべての鎖を撃ちぬきようやく自由になった。
ヴェラが反撃しようと鉄槌をふりかぶると、その巨体に似合わず魔女は身軽に飛び退く。いったん距離をおいたかと思うと今度は竜の鱗が大量の刃となり襲いかかってきた。高速で飛来する灰色の鱗刃。それを盾で防ぐためほむらは前に出ようとする。だがヴェラは自ら刃に向かっていった。
「おぉおおおおおお!」
ヴェラは巨大な鉄槌を竹竿のように振り回しすべての鱗刃をはじき落とす。無数の火花が煌めき甲高い音がこだまする。それはわずか数秒のできごとであった。あまりの速さにほむらはヴェラの動きがまるで見えなかった。
(なんて驚異的なスピードと動体視力。さすがはカナメが選んだ魔法少女)
だが時間を操る魔法少女であるほむらは一度目にしたものは脳内で自由に再生出来、ヴェラの動きを観察できた。早送りとスロー再生、一時停止も可能だった。
(やっぱり似てる。あの魔女に。だがあのGSはいまカナメが持っているはずだ)
鎖を警戒し空中戦ができるほむらとチェンフイは宙に飛ぶ。飛べないヴェラは鎖に捕まらないよう常に動き回るようにしていた。ほむらはすかさず上空で銃器を持ち替える。まず六連装式グレネードランチャーを二挺取り出し腰のリボンで保持。さらに一挺を両手で構えた。これで十八連射できる。最初に三連射。だが魔女は身軽に回避。その隙をねらいヴェラは攻撃をするもそれすら当たらない。ふたりはその連携を数度試みたが空をつかむばかりだった。
「速い。あの巨体からは想像もできない素早さ。こんな魔女は初めて見る」
ほむらは見滝原以外の魔女と戦うのは初めてだった。
「オレの鉄槌を見切るとはやるじぇねえか」〈チェン、GSの位置はわかったか〉
テレパシー会話をするヴェラとチェンフイ。
〈まだ。でも変よ。あの魔女普通と違う。わたしのスキャンでもはっきりしない〉
〈もしやと思うが、ジャミングってやつか〉
〈そうかもしれない。わたしたちを知り尽くして送りこまれた魔女なら〉
〈へっ、オレたちの十八番を封じたつもりか〉
GSとはグリーフシードのことかとほむらは思う。だがグリーフシードの位置を知ってどうするのか。それにジャミングだと。そして普通と違うとはどういう意味だろうか。ふたりのテレパシーによる会話をひろいながら、ほむらは自分の能力を封じられたことにもどかしさを感じていた。
(いまの私は、ふたりの足手まといだ)
こんな日がいつか来るのではと思ったことはある。自分を生み出したのは奴らだ。この能力の仕組みを当然わかっている。ならば封じることも出来るはずだ。
(考えろほむら。今の自分に何ができる。いままでにない発想で新たな戦術を見つけよ。「全世界から仲間を集める」という答えを見つけたように。私はいつもそうやって、試みを探しながら戦い続けてきたのだから)
だがそのときほむらの脳裏に浮かんだものは、実に奇妙な想いだった。
〈あの魔女はどんな魔法少女だったのかしら〉
(まさかお前。いや、ほむらがそれを知っているはずがない)〈なんだ突然だな。なんでそんなことを気にする。使い魔が成長したものかもしれないだろう〉
ほむらは魔女の正体を知ったばかりのころ、何度かそう思ったことはある。だが戦士として目覚めた後のほむらにはどうでもよいことだった。それなのになぜ、いま頃そんなことを思い始めたのか。
(そこにヒントがあるのか。私の直感が、戦士の本能が、この状況を乗り切る答えを教えようとしているのか)
自分にとって魔女とはなにか。
(魔女は私の敵。人間を襲うもの。魔女さえいなければまどかが魔法少女になる理由はない。「全ての魔女は私が倒す」。そう私は誓った。だから戦い続けてきた)
だが魔女は加害者ではなく『被害者』だとしたら。美樹さやかのように。
(私は魔女に対し哀れみ、同情、憐憫の思いを抱きはじめている?)
ほむらは予想外に生じた己の気持ちがとても奇妙なものに思えた。
(魔女は倒すものではなく、「救うもの」だというのか)
ほむらは、はっきりそう悟った。もし今の相手が「人魚の魔女」、すなわち魔女に堕ちた美樹さやかであったならそう思うだろう。
「私たち魔法少女は魔女を倒すためではなく、魔女を救うために戦うべきだ!」
まるでその言葉に応えるように魔女が咆吼する。しかしほむらの耳には「助けて!」という叫びに聞こえた。実に不思議な感覚だった。これまで魔物や怪物の声に聞こえたものが、いまは悲痛な叫び声に聞こえてくる。いや、届いてくるのだった。
ほむらの言葉にヴェラとチェンフイは一瞬とまどった。
〈わたしもそう思います。魔女も元はわたしたちと同じ魔法少女だったのだから〉
〈やれやれ、なにを云い出すかと思えば〉ヴェラはおもしろそうにニヤリと笑う。〈でも気に入ったぜ。おかげでオレの闘志がダンゼン燃えてきた。さすがほむら。それでこそオレたちのリーダーだ〉(さてと、あの魔女が仮にあの魔女だとすれば、弱点も同じかもな。だが今回は特別な魔女。そのままのわけがないと思うが。まぁ試してみるか)
ほむらは時間停止に頼っていたため、いままでワルプルギスの夜を除き、長期戦というものをした経験がほぼない。時間遡行を繰り返すことで毎回同じ魔女と戦ってきた。それゆえ自分の戦い方は完全にパターン化していたことに気づいた。
(あの魔女に弱点はないのか)
そう思ったときヴェラが大きくリードする。
〈前に出すぎよ。もどりなさい〉
ふたたび鱗刃が襲いかかりヴェラはまたしてもはたき落とす。あきれることに何度となくそれをさらに繰り返していた。
「なんて無謀な戦い方を。いやちがう。あの魔女、鱗の数が減ってきている」
その証拠に放出される鱗刃がだんだん小さく、そして少なくなってきた。
(彼女は消耗戦を狙っていた。魔女とてその力は無限ではないということか)
(予想外に予想通りだったな。ちょっと怪しいが)〈これで打ち止めだ。気をつけろほむら。今度は近接戦でくるぞ〉
ヴェラが後退しながら叫ぶ。ヴェラの思惑通り魔女は飛翔しほむらを狙ってきた。鱗が無い分身軽になったらしい。先ほどよりも速いと感じる。それを追ってヴェラがジャンプするが、魔女は長い尾でヴェラをはたき落とす。ヴェラはそのまま深い雪原に埋もれてしまった。
〈しまった。どっちが上だ。雪の中じゃわかんねえ。チェン、誘導してくれ〉
〈待って、今状況確認するから〉
〈急げ。ほむらがやられる〉
ほむらは、グレネードランチャーを掃射するが当たらない。
(そうだ、鱗という装甲がなくなったということはライフル弾が利くのではないか。試してみる)
待避行動をとりながらほむらは軽機関銃を取り出す。だが構える前に魔女は口から散弾銃のような榴弾を吐いた。ほむらは反射的に意識を盾に集中する。すると紫玉色に輝くエネルギーの防御フィールドが広範囲に展開しすべての榴弾を弾きかえす。ほむらも後方のチェンフイも無傷だった。
「すごい。なんて強力な力。さすがほむらさん」
ヴェラが雪の中から抜け出したのはほむらがフィールドを展開した瞬間で身代わりは間に合わなかった。
(ふぅ。やばかったぜ。オレとしたことが熱くなりすぎた。あの魔女のせいだな)
ヴェラの能力「身代わり」は入れ替わる対象をまず選ばなければならない。そのため今回は間に合わなかった。そしてほむらのこの新たな能力に一番驚いたのは、ほむら自身だった。
(私にこんな力があったとは。だがなぜいま目覚めた)
考えるのはあとだ。次に魔女が大爪で襲いかかってくるのが見えた。ほむらはぎりぎりまで引きつけ回避しながら一斉掃射。ライフル弾はほむらの予想通り魔女の皮膚を容易に貫き大ダメージをあたえた。魔女が苦痛の叫び声をあげながら待避し始める。すかさずほむらはロケット砲を取り出し発射する。
ロケット弾は命中し魔女は煙を噴きながら雪原に落ちた。
(ははっ。あいつまるで歩くウエポン・コンテナだな。だがあんな強力な防御力をもつ魔法少女は初めて見たぜ。さすがカナメに選ばれたってことか)
ほむらは銃器を再び軽機関銃に持ち替え魔女を追う。魔女はやられた振りをして反撃を狙っているかもしれない。慎重に警戒しながら雪面に近づく。だが魔女は忽然と消えてしまった。しかも結界の出口はみつからないままだ。
「どういうことだ。魔女はどこに消えた」
「どうなってるの。わたしが魔女を見失うなんて」
間もなくしてチェンフイは次なる影を感じとった。
「あっちからなにかが。いや、人影が近づいてきます」
〈ふふふ、初めまして暁美ほむら。わたしはゲラルディーネ=モーントシュタイン=ハインベルク。さっそくだけど貴女の命、ちょうだいするわ〉
銀色の仮面で目元を隠した少女がテレパシーを送りながら歩み寄ってきた。刃が三日月形をした柄の長い槍のような武器を手にしている。それは槍というより薙刀と呼んだ方が合っているかもしれない。右手の甲に三つの三日月が背中合わせに組み合わさった形をした銀色のタトゥーがある。腰まである長い銀色の髪で、各部がフリルで飾られた黒と灰色の服を着ていた。腰には大きな黒いリボンがついている。なんだか自分の衣装に似ているとほむらは感じた。
(魔法少女か。ならば)
ほむらたちは雪面に降り立つ。少女に説得を試みるため機関銃を逆手に持ち敵意がないことを示す。きっとあの映像を見たかインキュベーターに吹き込まれたのだろう。すぐには信じてもらえないかもしれない。だがまずは試してみるべきだ。
〈ねえ、雪ってとても美しいと思わない。わたし雪が好きなの。だって雪ってどんな醜いものでも、包み隠してしまうのだから〉
「あなたと戦う前に話したいことがあるわ。聞いてもらえるかしら」
〈貴女、雪に興味がないの。さっきはそれで、死にかけたのに。ふふふ〉
ほむらたちはその言葉に驚愕した。さっきの戦いを最初から見ていたのか。たしかにさっきの鎖は雪面に隠れて気づかなかった。あれは魔女の仕掛けたものだと思っていたが、まさか。
〈貴女が思ったとおりよ。あの鎖はわたしが仕掛けたの〉
(この少女は、魔女の結界を利用して襲いかかってきたというのか)
ほむらはかつてない恐ろしさを肌身に感じた。こんな魔法少女が送り込まれてくるとは。さっきの魔女といい、この少女といい、自分たちの想像を超える出来事が続いている。
少女は薙刀を天に向ける。すると丘陵からひとりでに転がりだした雪玉が巨大な氷塊となり、地鳴りをあげて八方より襲いかかってきた。
(さらにこの雪を利用するとは)「待って。私は話し合いたいことがあるの」
〈話し合いならあとでゆっくりしてあげるわ。あなたの死体とね〉
少女は空中へと待避。だめだ。彼女はなにも聞こうとしない。
〈仕方ない。いったん時間を止めて待避する〉
ほむらはリボンを仲間に絡ませ刻を止める。
〈ふふふ、残念ね。もう手遅れよ〉
少女は停止しない。それどころか氷塊も止まらず襲いかかってくる。
(なんてこと。そんなことが)
〈なんだ。あいつも動けるのか。ほむら、いま時間は止まっているんだよな〉
またしても時間停止が無効化されている。ほむらは冷静に空に向けて機関銃を試射。はたして弾丸は宙に停止した。なぜだ。自分の盾は確かに正常に作動し、流れる砂を堰き止めている。このままリボンでつながったままでは互いの行動に支障がでる。ほむらは刻を再動しリボンをほどいた。
氷塊へ投げたチェンフイのナイフは爆発。しかし氷塊は爆風をそよ風のように受け流し猛スピードで襲ってくる。ほむらは機関銃で応戦。氷塊は想像以上に硬く二十発ほど当ててようやく破壊できた。そうしているうちに氷解はどんどん増えていく。
(くっ、ライフルでは威力が足りない)
氷塊は地鳴りの様子から相当な質量があるように思われた。ほむらが機関銃の代わりの武器を取り出そうとしたそのとき、ヴェラは目の前に迫った氷塊へ単身で突撃。まるでバットでボールを打ち返すようにかるがると打ち砕きはじめ、豪快な破壊音が結界内に響き渡る。やはりすごいパワーだ。そして速い。八方から襲ってくる氷塊をひとつも打ちもらすことがない。近いものから順番に見抜く正確な目と観察力を持ち、その動きに一部の無駄もない。ほむらは改めてヴェラの持つ高い戦闘力と技量の高さに感心した。
しかしヴェラはこの手応えを訝しんでいた。
(妙だ。簡単すぎる。なにかあるな)
ほむらはその間に対戦車擲弾を取り出す。そして上空から俯瞰するチェンフイの助力を得て中遠距離の氷塊をねらう。発射後すぐに装填済みの擲弾をとりだし氷塊を各個に撃破していく。ついに氷塊はすべて打ち砕かれたように見えた。
〈上です〉
最後のひとつが降ってきた。まだ距離があると判断したほむらはロケット砲を構えた。
「避けろほむら!」
ほむらはその場から宙に飛び退く。飛べないヴェラはチェンフイに肩を担がれる。氷塊が地に衝突した瞬間、衝撃波が襲った。衝突の威力が異常に高く結界全体に激震が広がる。さっきまでいた場所が完全に陥没していた。おそらく何倍もの質量があったに違いない。もしあの場にいれば無事ではすまなかっただろう。ほむらたちは安全な場所にいったん降り立つ。
「やはりな。この最後のやつを落とすために、わざと砕きやすくしていたな」
宙から降りてきた少女は歩み寄りながら拍手をする。
〈お見事ねヴェラ=ルーシー。まあこんなものが通じるなんて思ってはいなかったけど〉
ヴェラの名前まで知っている。インキュベーターに送り出されたものか。ほむらがそう思った直後少女は襲いかかってきた。目にもとまらぬ速さで少女は距離を詰め、薙刀は最短の軌道を描きほむらのソウルジェムを狙う。しかしその寸前ヴェラの鉄槌が薙刀をはじき返していた。その電光のような一撃からまばゆい火花が散り甲高い衝突音が結界内の大気を震わせる。
(こいつはすげえぜ)ヴェラはその威力に興奮した。(オレの自慢の鉄槌を真っ正面から受けてはじくたあな。しかもこっちの手がびりびりしてらあ)
はじかれた少女はひらりと華麗な動作で地に降りる。
(なんて速さ)チェンフイは驚愕した。(わたしが気づいたときにはもう斬りかかっていた。ヴェラがいなければほむらさんはやられていた。しかもパワーでヴェラと互角に戦えるなんて。こんな強力な魔法少女、見たことないわ)
いまの攻撃をほむらは冷静にスロー再生で観察をする。
(あの少女は単に身体能力が高いだけではない。気配を一切感じさせない動き。カナメに似た感覚がした。つまり武術家として相当な修練を積んだ魔法少女。それに私が時間を操ることを知って対策をとってきた。情報源はインキュベーターに違いないがいったいどうやって。さっきは鎖でつながれていたためあの魔女は自分とつながっていたと思っていた。だが鎖を仕掛けたのはあの少女。何か判らないものであの魔女と彼女と私はつながっているのだ。それはなんだ。むっ、私のジェムに貼りついているこれは?)
ほむらは雪に隠れてソウルジェムに付着していた異物に初めて気づいた。大きさ十二ミリ程度で銀色のメタルチップのようなものがほむらのソウルジェムに張りついている。それは少女のタトゥーと同じ三つの三日月が背中合わせに組み合わさった形をしていた。
〈あら、ようやく気づいたのね。無理にはがそうとすれば、ジェムが破損するわよ〉
〈そうか。先ほどの雪と鎖は、これを私のジェムに貼り付けるためのフェイク。そしてこのチップのようなものであなたとあの魔女は私とワイヤレスでつながり、停止した時間のなかでも動けるという仕組みか〉
〈爆弾を仕掛けることもできたのよ。その気になればね。でもそれじゃつまらないじゃない。せっかく全力で戦い甲斐のある相手だというのに。命と命のやりとり。この世にこれ以上わくわくする、愉しめるゲームはないもの。ねっそうでしょ〉
(この少女は生死をかけた戦いを本気で、愉しんでいる)
〈もう話してもいいでしょう。わたしは貴女たちの本当の目的と全ての能力、そしてインキュベーターの正体も目的も知っている〉
ほむらたちに衝撃が走る。ついにもっとも恐れていた敵が現れた。悪魔が送りこんだ刺客。自分たちの能力を知り尽くし対策をしてきた強敵。そんな相手と、はたしてどう戦うべきか。
〈あの魔法少女、まるで自分と戦うために生まれてきたようだ。いやちがう。魔法少女じゃない。チェンフイ、彼女のソウルジェムはどこ〉
〈見つかりません。さっきから全身をくまなく探しているんですが、正面にも背中にもどこにも、ソウルジェムがないんです〉
〈オレも気づいた。ジェムの固有波動をまったく感じない。魔法少女じゃねえな〉
〈やはりそうか。いまはっきりしていること。一つめは、私たちの能力を知り尽くした奴らの刺客、完全な敵ということ。もう一つは、ソウルジェムを持たない、つまり魔法少女ではないため弱点が不明ということ〉
〈魔法少女じゃねえってことは、特殊な力を持った人形、というところか〉
〈そんな。特殊な力を持った人形だなんて。それに人形は自分を人形だって自覚しないじゃない。じゃあ、あの少女の力の源はいったいなんなのよ〉
〈そのとおり。わたしは魔法少女ではないわ。ではわたしは何者かしら。ふふふ〉
テレパシー通話をひろった少女は会話に割り込んできた。魔女でも魔法少女でもない、強力な力を持った謎の刺客。ほむらたちは悪魔が自分たちの予想を超える戦術を新たに生みだし、完璧な対策を用意し仕掛けてきた事実に戦慄を覚えた。いままさに全ての魔法少女たちに対し、有史以来初めて魔女以外の新たな敵が出現したのだ。
(いままで誰も想像しなかった新たな戦いが始まろうとしている。強力な力と謎の力を持った特別な少女。恐らくまどかもそうなのだろう。そして奴らはもっとほかにも、このような少女を用意しているのかもしれない)
魔法少女の弱点はコアでありリモート・コントロール・デバイスであるソウルジェム。だが人形にソウルジェムはない。現在のところ人形のコアと呼べるものや弱点は不明。そして説得することも不可能。
人形。考えてみれば魔法少女も人形か。ソウルジェムというリモコンによって操作される操り人形という点では。
「なるほど。刺客としてはこれ以上のものはない。こちらは三人。相手は一人。だがこちらの能力を充分に知り尽くしている。そのうえで一人でも勝てると奴らは計算し送り込んできた。ほかにどんな力を秘めているのか。時間を止めて調べることができない以上、正攻法で戦うしかない」
少女はほむらの銃撃を警戒し左右にサイドステップを繰り返しながら再び襲いかかってくる。不規則で極めて予測困難な動き。チェンフイは左右に三本ずつナイフを持ち投擲したがかすりもしない。やはりよく修練された動きだった。
〈オレが先行する。ほむら、お前は後方支援に徹しろ。あいつの標的はお前だ〉
〈了解。頼んだわ〉
ほむらは武器を持ち替えサブマシンガン二挺を腰のリボンで保持し自動小銃一挺を手にする。サブマシンガンならリボンでも射撃が可能だ。
「イィッヤッフゥゥ。日本にきて早早、こんな化け物がお相手なんてサイコーの気分だ。オレの漢女魂に火がついたぜ」
〈あらあら。化け物なんて、ひどいわね〉
「はははっ。オレがいままで何百もの魔女をぶっ潰してきた、超凶暴女だってことを知らねえわけねえよな。その凶暴女と戦えるようなやつが化け物呼ばわりされて傷ついちゃうわってか。ジョークにもならねえよ」
ヴェラも少女に呼吸を合わせるかのようにサイドステップを始める。やはり不規則で予測困難な動きだ。彼女も相当なものだということがわかる。だがヴェラはほむらを守るという役割がある分、立場は不利。自分が彼女をバックアップしなければいけない。
〈チェンフイ、あなたは彼女をスキャン。情報収集に徹して〉
〈了解〉
ヴェラは先行する。ほむらは飛翔し空中から小銃とサブマシンガンで援護射撃を行う。チェンフイもさらに上空へと上昇、指示通り情報収集に集中する。ほむらの集中砲火に怯むことなく距離を詰め少女はヴェラと激突。互いの武器が衝突するたび火花が散った。その後ふたりは平行移動しながら互いの手の内を探りつつ、雪原を猛スピードで疾走する。
(あの少女の動きが速すぎる。自動小銃とサブマシンガンでは捕らえきれない)
ほむらは少女がヴェラと離れた瞬間を狙おうとしたが、距離が空いても少女はすぐにヴェラに詰めよってしまう。さらにヴェラが回り込もうとしてもそれを察し、容易にはこちらに背中を向けない。こんな状況で発砲すればヴェラに被弾しかねない。やはりこちらの戦力を熟知したうえで最適な戦術を選んでいる。
〈ゲラルディーネだったな。まずオレを消耗させる気か。穢れを溜めるために〉
〈そのとおりよ。ほむらを先に攻撃してもあなたが身代わりになる。さっきの攻撃はあなたの能力と力量を測るため。そしてあなたは身代わりを使うとエネルギーを大量に消耗する。ならば穢れをため込ませてから身代わりさせればいい。それであなたは魔女に堕ちる〉
〈やはりか。それにしてもぺらぺらよくしゃべる女だぜ。テレパシーはそばにいるもの全員に筒抜けだってのによ〉
〈かまわないわ。わたしはあなたたちの全てを知り尽くしているんだもの〉
〈ソウルジェムがないお前の、力の源はなんだ〉
〈残念ね。それは云えないわ〉
〈じゃあ魔女の結界を利用できるお前は、なにものだ〉
〈答える義理はないわ〉
少女はより執拗に攻撃を繰り返し、激しい衝撃音が何度も響く。
(ちぃ、速い。そして重い。あまたの魔女を葬ってきたオレの鉄槌が悲鳴をあげてるぜ)〈まだかチェン。こいつの正体は。体のどこかにGSのようなものはないのか〉
〈見つからない。さっきと同じでスキャンできないみたい。普段ならもうわかっているはずなのに。なにかヴェールのようなものが覆ってぼやけた感じがする〉
(まさかあの少女は、)
ほむらは驚くべき恐怖の結論にたどりついた。
(ヴェラの推論が正しければ彼女の正体は「少女の姿をした魔女」だというのか)
やつらはそんなものまで生み出したのか。だがその推論が正しければソウルジェムがないあの少女がこれほど強力な力をもっていることが説明できる。
少女は次次と襲い来るヴェラの攻撃を蝶のようにひらりとかわす。その流れるような動きはまるでこころ愉しげに舞を踊っているようにすら見えた。少女が空振りをしても槍の切っ先はヴェラに向けられ隙がない。さらに相手の力を利用し槍を反転。石突きで攻撃の隙に反撃を繰り出すという離れ技まで行っていた。その巧みな攻撃にヴェラは致命傷は避けながらも全身を切り刻まれ血まみれとなった。通常の魔女とは比べものにならないほど動きが速い。だが身体が小さい分直撃させれば魔女より倒しやすいだろうか。だが「お菓子の魔女」の例もありうる。問題は刻を止めるという自分の力が封じられたいま、どうその動きを捕らえるかだ。しかし少女はだんだんヴェラに力押しされ後退し始めた。
〈さすがヴェラ、そのまま一気に押し切っちゃえ〉
だがチェンフイの思惑とは逆にヴェラは冷徹に観察していた。
(おかしい。なんでこいつ急に下がりはじめた。もしや、)
その直後、突然少女は蹴り上げる。シューズの裏から出現した半月の刃がヴェラを襲い、さらに間髪入れずかかと落としで斬りおろす。ヴェラは直感的に致命傷をかわしたが両目を斬られてしまった。
(もらった)
三日月の凶刃がヴェラの首を襲う。だがその一閃は鉄槌で弾かれた。ヴェラの目はつぶれたままだ。
〈まさか。どうやって見切った〉
〈教えてやろうか。オレには目が四つあるのさ〉
〈どういうこと。そうか、シャ=チェンフイの能力か〉
戦いを俯瞰しているチェンフイはその映像をヴェラにテレパシーで転送し互いにリンクしていた。
〈おかげで自分の目よりはっきり見えるぜ〉
ヴェラが反撃に転じる。あたかも軍事衛星と交信しながら目標を捕らえる正確無比な戦闘マシーンのように攻めたてる。魔法少女とは能力の連携でこんな戦い方もできるのか。ほむらとゲラルディーネはふたりの力に目をみはった。
(あの子たちにこんな力があったなんて。インキュベーターの情報にはなかった。先ほどのほむらの防御フィールドにしても、この子たち、侮れない)
「ドラドラドラドラ、ドラアァア!」
ヴェラのラッシュは勢いを増していく。
(なんて正確な攻撃。そしてだんだん速く、強力になっていく。彼女のパワーはわたしが聞いていた能力値をはるかに超え、どんどん上昇している)
少女はヴェラの底力に圧倒され今度は本当に押し返され始めた。
(おのれ、負けるものか)
少女が次なる能力を発揮しようとした瞬間。
(ううぅ……)
突然異常な苦痛と硬直によるけいれんを感じ宙へ飛び退いた。ヴェラを援護するため、すかさずほむらは自動小銃とサブマシンガンを一斉掃射する。もし少女が万全であれば薙刀の先をわずかに動かすだけで弾丸を弾くことができた。だがけいれんのため自由が利かず全身に銃弾を浴び悲鳴を上げる。
「ごほっ」
少女は肺を撃ち抜かれ喀血する。雪原は液体を吸い込まないため、少女の足下に満月のような血だまりが拡がっていく。人形にも人間と同じ赤い血が流れていた。
〈ゲラルディーネ。いったん引くんだ。キミの調整は不完全だ〉
インキュベーターのテレパシーが聞こえてきた。
(うう、くっ……仕方ない)
その直後に結界が歪む。気がつけば、ほむらたちは見滝原の町に戻っていた。ゲラルディーネは結界ごと逃走したようだ。
結界内で少女は負傷による苦痛と断続的に襲ってくるけいれんに苦悶していた。
(わたしは、人間ではない。わたしは、もう、人間ではない……)
〈ゲラルディーネ、キミは本気で戦わなかったね〉
〈そんなことはない。わたしは全力をだした。この苦痛さえなければ。調整が不完全といったのはあなたじゃない〉
〈キミは深層意識下ではまだボクの命令を拒否している〉
〈そんな……〉
〈それがリジェクション(拒否反応)としてハードウェア(身体)に現れているんだ。ボクが不完全といったのはキミの身体ではなくキミのソフトウェア(ココロ)の方だ〉
〈ちがう。そんなことはない〉
〈キミにはほむら抹殺のため詰め込めるだけのあらゆる能力を与えた。だが先ほどの戦いではその一部しか使わなかった。もうすこしキミの精神をデバッグせねばならないようだ〉
〈なにをする気。いや、やめて〉
けっして誰にも届くことのない悲鳴がこだまする。悪魔は少女の心をゆっくりと切り刻みつつ、解体を行い始めた。
TVチャットを通じ、海の向こうでほむらの報告を受けたカナメは激昂していた。モバイル端末のモニターごしでもカナメの目がみるみる怒りの色に変わっていく様が、ほむらたちにはっきり見て取れた。彼女がここまで怒りを顕わにするのをほむらは初めて見る。それどころかチェンフイにすら初めて見せる姿だった。一方両目が完治したヴェラは「やはり」という目で見つめていた。
「知っているのね」
「ああ」
「彼女は何者なの。魔法少女とも魔女とも云いがたい存在だった」
「彼女の本当の名は、ルイーズ=ナオミ。かつて私の先輩魔法少女、だった」
「だった、というのは」
「彼女は死んだ。正確には魔女に堕ちた。私の目の前で」
「その後はどうしたの」
「私たちが倒し、そのグリーフシードは奴らに見つからないよう地に深く埋めた。奴らに渡しても再利用されるだけだからな」
(なに。GSは手元にないのか。じゃあ、あの魔女は本当の、)
ヴェラはそのことをカナメに報告しなかった。いま言ってはカナメを動揺させる。言わない方がいい。カナメに余計な負担をかけたくはない。あいつはいま大事な作戦を指揮している最中だ。
(だがそれも時間の問題。いずれ気づくな。ちぃ、奴らめ。やっかいな魔女をぶつけてきたもんだ。次こそは必ずぶっ倒す。カナメのためにも)
「ゲラルディーネはその彼女をコピーした人形、とでも呼ぶべき存在なのかしら」
インキュベーターは魔法少女を生み出す際その少女の情報を記憶から遺伝子レベルにいたるまですべて収集し、奴らのDB(データベース)に保存しているはずだ。その情報を元にそっくりな人形を生み出すことなど造作もないことだろう。
「そうかもしれない。私たちが知らない新しい世代の人形、なのかもしれない。ほむら、貴女を護衛するために追加で魔法少女たちを見滝原に送る予定だったが、どうやらこんな人数では足りないようだ。調査と分析能力に長けた魔法少女たちも同行させよう」
「ありがとう貴重な人員を割いてくれて。私は見滝原でなさねばなぬことがある。それを済ませたあと私も直ちに作戦に加わるわ」
「わかっている。まず貴女のやるべきことを済ませてくれ」
「ありがとう。その言葉にあまえさせてもらうわ。以上、報告を終了する」
通信が切れる。
「悪魔どもめぇ、この期におよんで彼女まで利用するつもりかッ!」
カナメの腹の底からわきおこった激情の怒声が室内に響きわたった。武術を志す者にとって感情に流されるなどタブーであり、未熟な証拠だと祖父に教わってきた。真剣勝負の世界において心を乱し己を見失ったものは、死あるのみだからだ。それを普段から心得ていたからこそ、自分はあまたの戦場で生き残ってきた。だが奴らは自分のもっとも神聖なるものを穢した。コピーされた人形とはいえ大切な人を駒にしたのだ。少女は「必ずやつらを討ち滅ぼしてくれる」と固く誓いをたて、悪魔の所業に対する激しい怒りを烈火のごとく燃やしていた。
ほむらが気になっていた謎はさらに深まることになった。時間を操る魔法少女であるほむらは時計がなくても正確に時間を計ることができた。町の外で二日間過ごして戻ってくると見滝原の町でも二日間が経過していた。だが日付は、やはり一カ月以上もずれたままだ。ということは、この町の中にいようと町の外に出ようと約一カ月経てば予定通りワルプルギスの夜は襲来するということだ。そしてもうひとつ奇妙なことがあった。ほむらの感覚ではさらに数分だけ時間が進んでいる。その数分とはほむらがソウル市で刻を止めていた時間にぴたりと一致していた。見滝原の町だけが完全に外の世界と隔離されている。それなのに見滝原の人びとは自分たちが狂った時間のなかで生きているということを誰一人自覚していない。町の外から入ってくるニュースと情報も時間がずれて入ってきていた。ひとつだけ例外を除いて。それは悪魔が作ったまどかの映像だ。それだけがリアルタイムで見滝原の町でも見ることができた。実に不可解だったが、いまのほむらにその謎を解くヒントは見つからなかった。
ほむらたちはふたたび移動をはじめる。佐倉杏子の教会へと。まずは彼女を仲間にする。それが、ほむらがどうしてもしなければならないことの一つだった。
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