ムゲン回廊の魔少女・限定版
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第一章第二節 灰色の匣と黄金色の絶望(I think I can)
杏子の死を確認したあと、ほむらは病室のベッドで目覚める。いつもの時間遡行直後の状態だ。だが今回は自分で遡行をした記憶はない。それなのにまた繰り返したのか。いや繰り返させられたのか。
(まだ終わっていない。なぜ)
自分の願いを思い出す。
『鹿目さんとの出会いをやり直したい
彼女に守られるわたしじゃなくて
彼女を守るわたしになりたい』
では守るべきものを失ったいま、自分の願いはどうなるのか。出会いをやり直すとは、どういう結果を意味するのか。まったくわからなくなった。まどかを守るという目的と約束という希望を失ったいま、何のために生きて戦っていけばいいのか。
(白い病室が、世界が、なにもかもが、色のない灰色に見える)
何も打開策を思いつかないまま数日が経ち退院。登校日を迎える。世界は相変わらず灰色のままだった。あらゆる存在が虚構で自分とは無関係な存在に見えた。いや実際この世界は歪んだ意思によって作り直された虚構なのだ。学校に行ってもさやかとマミはいたが、まどかは始めから存在していない。それどころか鹿目家そのものが存在していなかった。
(存在しないものをどうやって守れというのか。これでは契約不履行ではないか。マミとさやかと杏子と自分。あれだけの弾薬と火力を以てしてもしても仕留められなかったワルプルギスの夜に四人だけではとうてい勝てない)
今回さやかはすでに魔法少女になっており翌日から姿が見えなくなった。志筑仁美に聞くと、紅い髪の不良のような少女とつきあいはじめてから様子がおかしくなったという。家にも戻っていないらしい。それが何を意味しているのかほむらには容易に想像できた。さやかはもう自分とは関係ない。自分が彼女のためになにをやっても無駄なことだ。新米でたいした戦力にならない魔法少女がひとり増えても状況は何も変わらない。むしろさやかは失恋し魔女に堕ちる可能性が高い。それならいっそのこと人形だとわかっている上条恭介を消すべきか。いやそんなことをしてもさやかは絶望し魔女に堕ちるだけだろう。マミを仲間にしても真実を知ったときに取り乱し造反される恐れがある。杏子は受け入れるかも知れないが、どうやって説明するべきか。誰かを実際に魔女にしない限り信じてくれないだろう。ひとりでも多くの魔法少女が必要だがワルプルギスの夜はひとりやふたりの仲間が増えたところで勝てる相手ではない。
(まどかを失い私はついに、ほんとうに孤独の身となった)
世界から隔離されたような気持ちを感じることは初めてではない。ほむらは魔法少女になる以前、気弱なころを思い出していた。
あのころは自分への自信のなさと人から傷つけられる事への恐怖から他人を避けていた。そのせいで特に仲間や友達に囲まれて幸福そうな人間ほど別世界の存在に見えた。あのときは「自分にできること、他人より優れていることは何一つない。きっとこの先もずっとこのまま不治の病とこの脆弱な心を引きずりながら生きていくだけ。自分の存在に意義なんてない」そんなことばかりを考えていた。もしかすると自分は大人になる前に心臓か心のどちらかがつぶれて死んでしまうかもしれない。そう本気で思っていた。
(だがあのときはまだ「いつかどこかで何かが変わるかもしれない」という根拠のない望みも心の片隅に抱いていた)
入院生活を続け寝たきりだったあのころ自分は本が好きだった。デジタル書籍が当たり前になったこの時代に無機質なモニターに映る文字よりも実際に手に取ることができる本のぬくもりが好きだった。新品よりも、古本や図書館の本が好きだった。図書館から借りた本には、小さな子どもが描いたとおぼしき落書きを見つけたことがあり、そんなものを見つけたとき何ともいえない幸運な出会いを覚えるその瞬間が、ほむらは好きだった。古本ならば「この本の前の持ち主は、どんな人だったのだろうか」図書館の本ならば「いままでこの本はどんな人が借りていき、そのときその人は何を感じたのだろうか」という思いを自由気ままにめぐらせていた。
(私はそんなことを勝手に想像するぐらいしか、愉しみのない少女だった)
しかし自分と歳の近い子どもたちはどんどん大きくなっていく。好きなことや新しいことに挑戦し大人へと未来へと向かい変わっていく。それなのに、自分だけが変わることができない。自分だけが時代に取り残されていく。変わりたい。でも変われない。何に対しても受け身でしかない存在。人形のような自分。そうして自己の存在を呪っていた。だがそんなころと比べても世界がここまで色あせて見えたことはなかった。
そのころ出会った本で印象的だったのは太宰治の『人間失格』だった。こんなにも臆病な人間は自分ひとりではないのだと知り、なんだかこの本を書いた人は自分に向けて書いてくれたのだと、そんなふうに感じられ救われた気がした。
(考えてみれば不思議なことだ。同じ境遇を体験、共感すること。それだけのことでこころが救われたのだから)
そんな誰ひとり友だちと呼べるものがいなかった自分。そんな自分に、初めて勇気とやさしさと、人の強さの美しさを教えてくれた少女、まどか。だがそのまどかは自分を陥れるための人形で、もうこの世のどこにも存在しないのだ。
(そのたった一つの支えを完全に失ったいま、私はこれからどうすればいいのか)
いまだかつてここまで強い絶望感に打ちのめされたことはない。何度も絶望しかけたことがあっても、まどかとの約束を交わしてからはそれを心の支えにして戦ってきた。「すべての魔女は私が倒す」そう誓った。そのためにありとあらゆる武器兵器の知識と扱いを身につけた。戦争が何度もできるほどの武器弾薬を手当たり次第集めたが、それでもワルプルギスの夜にはまったく歯が立たなかった。あれ以上の火力となるともはや核兵器をもちいる以外に手段は考えられない。だがそんなことをすれば、見滝原の町そのものを滅ぼすことになる。それでは自分が『魔女』になってしまう。もはや一切の対策も攻略方法も思いつかなかった。
放課後ほむらは当てもなく夕方の街をさまよい歩き始めた。この世界は何度も破壊と再生を繰り返されたもの。目の前を歩いている人びとは何度も死んで再生させられたということか。この人たちは自分が死んだことすら気づいていないのだ。奴らは人の命とやさしさと純粋さをもてあそび利用する、悪魔。まさしく悪魔だ。ここは悪魔が作った虚構の世界。すべてが作りものの、仕組まれた世界。そしてそれを知っているのは世界で、自分ただひとり。
孤独は恐れるに値しない。『もう誰にも頼らない』そう誓ったあの日、自分は覚悟を決めた。いまにして思えば誰ひとりとして自分の話を信じてくれなかったことが納得できる。すべてはじめから奴らの手の平の上で踊らされていたのだ。そして全ての元凶は自分の願い。浅はかな己の望みから生み出したもの。自分はなぜあんなことを願ってしまったのか。それすらも計算されたうえで奴らは自分をはめたのだろうか。
(なんて、奴らは強大なの)
ワルプルギスの夜ですら倒せなかったというのに。あれを生み出した奴らはおそらくそれ以上の力を持っているにちがいない。
(私ひとりでは、奴らに勝てない)
いつのまにか丘に続く坂道を上っていた。気が沈みすぎて前に進む力もわいてこない。ふと足を止めると灰色の図書館の前に立っていた。こんなところに図書館が前からあっただろうか。
ほむらは図書館に入っていく。とくに理由があったわけではない。図書館の端末でなんとなく検索したのはやはり太宰の『人間失格』だった。だが貸し出し中のアイコンが点灯している。デジタルの情報ならばモバイル端末にダウンロードしていつでも借りることができたが、やはり実態のある本で読みたかった。
(実態。そう、いまの私はもう実態ではないのだ。いま指輪としてはめているソウルジェム。これが私。この指輪が私の実態)
そのときモニターに「こちらの書籍を借りられた方はこちらも借りています」と表示。太宰の「走れメロス」がリストにあった。これは国語の授業で読んだことがある。初めて読んだとき、人を信じることと友情の美しさに感動したことを覚えている。だがいまは。
(私は、メロスに、裏切られた)
こちらも貸し出し中。おもわずため息がもれる。それ以外にリストの中で『パンドラの匣』とあった。これも太宰の作品だ。
――神より決して開けてはならないといわれた匣を、好奇心に駆られた人間の女パンドラが開けたとき、様様な禍いが世界中に飛び出し、最後に希望だけが残った――
パンドラの匣の話は誰でも知っている。だがその物語に込められた真意はよくわからない。なぜ禍いが振りまかれたあとに希望だけが残るのか。世界中が禍いに満ちた状態でどんな希望が残るというのか。ほむらはしばらく考えた。
(もしやこういう意味ではないのか。本当に尊い希望を手に入れるためには様様な禍いを乗り越えなければならない。絶望と破滅の中に自ら身を投じねばならない。たった一つの望みを手に入れるために。真の希望とは、絶望から生まれる。そういう意味なのか)
では先に願いという望みを叶えた魔法少女に残されたものは、終わることのない魔女との血塗られた戦いと、悪魔に利用され魂を喰いものにされ魔女に堕ちるという禍いだけか。
(だが私の願いはまだ叶っていない。この見滝原の町はまるで、禍いが閉じこめられたパンドラの匣。希望を見つけ出さない限り永劫にさまよい続けるガラスの溝。出口なき、無限回廊)
『パンドラの匣』を選択し受付の前で待つこと数分。電光掲示板にほむらの受付ナンバーが表示され貸し出し準備ができたことを告げる。完全自動化された図書館では貸し出しカウンターの前にいるだけで書籍ボックスがレールに乗って運ばれてきた。
ほむらは読書室へ移動し席に座り読み始める。しばらく読むとある箇所で目がとまった。
――それはもう大昔からきまっているのだ。人間には絶望という事はあり得ない。人間は、しばしば希望にあざむかれるが、しかし、また『絶望』という観念にも同様にあざむかれる事がある。正直に言う事にしよう。人間は不幸のどん底につき落され、ころげ廻りながらも、いつかしら一縷の希望の糸を手さぐりで捜し当てているものだ――
まさしく自分が体験し考えていたことがそこに書かれていた。
(私にはまだできることがあるのか。希望が絶望に塗り替えられたならば絶望を希望に塗り替えることもできるのか)
今回の時間遡行は自分の意思ではない。奴らの手によるものだ。奴らがまだ自分を利用しようとしているのは明白だが何を企んでいるかまではわからない。
(私は何度も時間遡行を繰り返すことで、まどかに因果の糸が絡まり続け強大な力が集っていたことを知った。それに「奴らが破壊と再生を繰り返していた」と私は考えたが、太陽系すべての星を操ってまで毎回破壊と再生を繰り返すなど、やはりナンセンスではないか。奴らにもコストパフォーマンスがあるはずだ。そんな釣り合いのとれないことをするだろうか)
あのときショックで混乱していたほむらの頭脳はいま冷静になり、はっきりと思考に集中し筋道の通った論理的な状況分析ができるようになっていた。
(すでに奴らの正体と目的を知った私をさらに利用する。ということは、私には、私たち魔法少女には、自分たちが知らない秘密がまだ、あるのではないだろうか。まだ自分には探すべきもの、やるべきものがあるのだ。それを必ず見つけ出してみせる)
確信できる理由や根拠はない。だがほむらにとってそれは問題ではなかった。
(私のなかの戦士としての闘志が、直感が、魂が、私に呼びかけている。そんな気がする。
『武器を取れ。戦えほむら。戦場がお前を待っている』と)
ほむらは再び打倒ワルプルギスの夜への対策を探し始めた。圧倒的な戦力がいる。現代兵器では歯が立たない。やはり魔法少女の力が必要だ。だが見滝原だけでは人数が足りない。もっとたくさんの、それも桁違いの数の魔法少女の力が必要だ。だがどうすれば集めることができるだろうか。
(そうだ、魔法少女は世界中にいる。全世界から仲間を集め、戦うべきだ!)
だがどうやってコンタクトを取るのか。それに多くの魔法少女たちはインキュベーターの正体と自分たちの身に起きている真実を知らない。問題はどうやってそれを伝えるかだ。いままでの経緯からしてすぐには信じてくれまい。
(それでもわずかでも自分と同じ、奴らが悪魔であることを知っているものたちはきっといるはず。そのものたちだけを選んで接触できれば。しかしそれこそ)「ますます条件が厳しくなるわね」
そういいながらもほむらは微笑を浮かべていた。なぜなら条件が厳しいということは奴らにとっても「そんなことを考えて実行に起こす人間がいるなど想像もできない」ということではないか。逆に、逆だからこそ、今までになかった新たな発想と打開策があるのではないか。そう考え答えを、希望の糸を探し出すことをあきらめずに考え続けた。図書館の中を歩き始める。なにかヒントになるものはないだろうか。大量の本。大量の情報とそれを管理する情報システム。大量の情報を探す端末。大量の人が利用するもの。大量の人が目にするもの。
やがてひらめきが生じた。
「そうか、この方法なら、」
そのときであった。窓から差し込む夕陽にほむらは目を奪われる。丘の上にある図書館からは沈む夕陽を地平のぎりぎりまで見ることができた。空は茜色から瑠璃色へ。雲は白から暗い鉛色へと移り変わっていく。ほむらは我を忘れその情景に感動し言葉を失った。この町は悪魔の作った虚構かもしれない。だが大自然の姿はそんな事実とは関係なく天と地を黄金色に染めあげ煌めいていた。
成人男子の両手ほどある黒いアゲハチョウが冬の空を飛んでいる。その前方をほむらは歩いていた。ほむらは図書館の隣にある展望台の階段を上っていく。夕陽はほとんど沈み冷たく乾いた北風はより強く勢いを増し周囲は冷えた空気に包まれはじめていた。吹き付ける冷たい風に長い髪をなびかせながら、ほむらは己が胸に熱いもが生じるのを感じていた。新たな戦いに対し芽生え始めた勇気と闘志と戦士の本能。その情熱を胸に抱き、独り西の空を見つめていた。
「孤独に戦い続けることを断念し、仲間に頼るということは没落と呼べるかもしれない。私は総てを失った。私は、たかがまどかを失っただけだ。私に失うものはもう何もない。失うことを怖れるものはもう、何もない。それでも今の私には、勇気と力を与えてくれるものがある。あの夕陽。大いなる大自然の姿。そして先人が遺してくれた力を宿した言葉。旧い本に記された、命と魂と魔力を持つ言葉がある。私は誓う。ワルプルギスの夜を必ず倒し、そしてあの悪魔たちに勝利してみせると」(見ているがいい悪魔ども。私が、この暁美ほむらが、お前たちにとって最大の天敵となる様を。私が、お前たち自らが生み出した、最悪の魔法少女となってくれよう。どんなことがあっても必ず全世界から魔法少女を集めてみせる。私を待っている魔法少女たちが世界中にいるはずだ。彼女たちと手を結び奴らと戦い続けること)「それが私の新しい希望と願い。そして、戦士として戦う理由だ」
ほむらはそう言い残しアゲハチョウに気づかないまま展望台を去った。その姿は、歩一歩あゆむごとに強さを増す向かい風に、逆らい旅する孤高のさすらい人のように力強く、たくましかった。
『もう誰にも頼らない』。己への誓いを反故にしてほむらは仲間を集める行動を起こし始める。
『Connect Minds』という世界最大級のSNSがあった。この管理を手がける運営組織は韓国にありトップの名をパク=チョリンといった。ソウル市に住む彼は本日の仕事を終え自分の寝室に入る。いつも通りの風景。ドアにロックをかける。再びベッドの方を振り向いたとき彼は幽霊を見た気分になった。見知らぬ少女がいつのまにか自分のベッドに腰掛けている。ついさきほどまで誰もいなかった。そしてこの部屋のロックは限られたものにしか開けることができないはずだ。
「こんばんは。パク=チョリンさん。夜分遅く無礼を承知でおじゃましました」
少女は微笑を浮かべて話しかけてきた。それが魔法で同時通訳されたものであることにチョリンが気づくはずもない。少女は色白で整った顔つきをしているだけにいっそう不気味に映った。ほむらは赤い縁のめがねをかけ紫色のヘアバンドで髪を両側へ三つ編みに結んでいる。チョリンは深呼吸をして動揺した心を一旦静めながら冷静になって考える。何重ものセキュリティが張り巡らされたこの屋敷に難なくと侵入したこの少女はいったい何者か。
「こんばんはお嬢さん。どうやって入った。僕にどんなご用で」
「私はあなたと契約をしに参りました。侵入方法は説明できません」
「契約とはビジネスかね。それならアポイントをとってくれないか」
「私は、あなたの一番の願いをかなえに来ました。その願いをかなえましょう。その代わり、私の要望に応えてください」
この少女は何を言っているのだ。自分の一番の願いだと。
「この厳重なセキュリティを、こうも簡単にくぐり抜けた君は、マフィアや裏社会の人間か。僕の気に入らない相手や商売敵を消してくれる、ということか」
「それはあなたの一番の願いではないでしょう。あなたの一番の願いは、娘さんの病を治すことのはず」
「娘を治すには、最先端医療を以てしても不可能と言われた。そんな言葉で僕をだまそうとしても、無駄だ」
「現代医療を以て治すとはいっていないわ。私には私だけにできる方法がある。それで治療が可能なの。私の要望に応えてくれると約束してくれるのなら、すぐに治療をすることができるわ。ご返答はいかがです、ミスター・チョリン?」
「君は何者か。どこの組織のものだ」
「私は魔女よ。名前は、ヴェスタ。組織のことはいえないわ」
魔女だと。どんなはったりか。だがただのペテン師なら、ここにいることをどうやって説明する。しかし魔女といえば悪魔の使いだ。そんな相手との契約とはまるで『ファウスト』だ。
「いいだろう。娘を治してくれ。もし本当にそれが真実なら、君の言うことを何でも聞こう。魂をよこせといっても、よろこんで差しだそうじゃないか」
「それでは契約成立ね。朝になったら娘さんは治っています。明日の昼に、もう一度おじゃまするわ」
そういって少女は目の前から消えた。やはり幽霊だったのか。だがベッドにはわずかな体温が残っていた。
翌朝チョリンの娘はベッドから飛び起き元気に走り回っていた。あの少女が話したことは本当だった。
「パパ、わたしこんなにいっぱい走っているのに、ぜんぜん苦しくないよ」
「ソンファ。ほんとうに、ほんとうにもう苦しくないのかい」
信じがたい出来事に涙しながらチョリンは天に祈った。
「おお、神よ。この奇跡に感謝いたします」
その日の正午ちょうど、ほむらはパク邸の正面玄関から来訪した。
「待っていたよヴェスタ。正直まだ夢を見ているようだが、君は本当に娘を治してくれた。感謝の言葉もない。ほらソンファ、このお姉さんが、お前の病気を治してくれたんだよ」
「ありがとうお姉さん。わたしの大好きなこれをあげる」
そういって少女は白濁色の温かい飲み物を差し出した。
「わたしの大好きな玄米ジュース」
玄米のジュースとは初めて聞く。見た目は韓国酒のマッコリに似ている気がするが子どもが飲むものなら酒ではないのだろう。ひとくち飲んでみた。
「おいしい」
「ほんとう。よかった」
そういって少女は嬉しそうに微笑んだ。その笑顔にほむらも思わず微笑み返した。本来利用するための行為だったのだが自分の行いは一応人の役に立ったらしいと思えてきた。そういえばおいしいなどと言う言葉を口にしたのはいつ以来だろうか。そんなことをふと思った。
「ヴェスタ、こんどは僕の番だ。君の要望をさっそく聞こう」
「ありがとうチョリンさん。それでは私の願いを聞いてください」
その日の内に「Connect Minds」へほむらはメッセージを投稿する。そのメッセージはチョリンらの計らいによって「世界で今一番注目されているメッセージ」として世界中の言語に翻訳され大大的に喧伝拡散された。
貴女の『ソウルジェム』を私に貸してください。
慈愛、嘆き、怒り、哀しみ、気高さ、清らかさ、そして願い。
様様な色色と輝きを宿す、ソウルジェムの持ち主たちへ。
私はソウルジェムとその輝きを奪い取るものたちを、赦さない。
その美しさを踏みにじるものから、純粋な想いを、護りたい。
そう切に願うものです。
どうか貴女のソウルジェムとその想いを、私に貸してください。
投稿者-ヴェスタ
これでいい。これで魔法少女だけに伝わり、かつ奴らの正体を知っているものだけへ通じるはず。あとはコンタクトを待つだけだ。
「ヴェスタ、ソウルジェムとはそれほど美しい宝石なのかね」
「ええ。この世で最も美しく、かつこの世で最も尊い宝石なの」
チョリンの問いに、ほむらは顔に憂色をたたえて答えた。
翌朝ほむらはまだソウル市内にいた。日本にもどることはすぐできる。この国で少しでも仲間を増やしたいという気持ちもあった。さらにここで驚くことが起きていた。ほむらは初めて見滝原の外に出たが、見滝原から一歩出た外の世界はほむらが契約し魔法少女になった当日になっていた。つまりワルプルギスの夜が襲来した翌日だ。このことから導かれる答えは何か。奴らはなんのためにこんなことをしたのか。
雪深く積もる公園のベンチに腰かけながら新たに生じた謎と今後の行動を考えていたとき、ほむらに近づく少女の影があった。魔法少女だ。わかる。手をポケットに入れているためソウルジェムの指輪は確認できないが、自分にはわかる。少女からは魔法少女となったものがもつ特有の雰囲気と空気が漂っていた。それにしても早い。メッセージを公開してからまだ一日しか経っていない。
「初めまして。お会いできてうれしいわ。貴女がヴェスタね」
やさしさに満ちた笑顔を浮かべ少女は日本語で語りかけてきた。
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