故郷は大空にあり
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第三章 忘れられないもの
第四話 海の真ん中で
「へへっ、着いてくんなよ?バックブラストでぶっ飛ばされる」
「ロケットランチャーじゃないんだから。」
「じゃあね」
艤装を取り付け、滑走路まで移動した。
ああは言ったものの、何か身体に不安が残った。
遠くからヒナが見ていてくれる。
最後に手を振って、スロットルを振り絞った。
機体が海風を切り裂き、甲板の先から滑るように跳び上がる。エンジンの咆哮が背中を押し、眼下に鎮守府の輪郭が小さく遠ざかっていく。
「ツバキです。離艦完了、現在上昇中。」
通信が返ってくる。「こちら鎮守府、通信確認。任務コードα-17、哨戒宙域への到達を確認次第、次報を送る。」
了解、と短く返し、私は高度を取った。雲を抜け、陽光に機体が照らされる。
上空には薄い薄い雲、眼下には広がる深い青の海。ヒナの顔が一瞬浮かび、ツバキは無意識に唇を引き結んだ。
(心配すんなよ。ちゃんと帰るって)
小さく息を吐き、姿勢を立て直す。
航路の中間地点、巡航高度を維持してレーダーに目を配る。まだ反応はない。だが、目に見えない緊張が空気を刺していた。
そして、それは突然にやってきた。
「敵機反応。方位302、速度速い……こっちに向かってる。」
反転、戦闘態勢へ移行。スロットルを限界まで開き、機体は鋭く音を立てて旋回した。
ミサイルロックの警報音が鳴り即座にフレアを展開。
「こっちも挨拶してやるよ……!」
ミサイルをかわしながら機関砲の射角に敵機を捉える。一閃。爆炎と共に一機を撃墜。
だが、敵の数は多い。回避機動を重ね、無線で報告を試みる。
「こちらツバキ、交戦中。敵機複数。撤退を視野に行動中。応答を――」
しかし、通信は雑音に変わった。電子妨害か。孤立無援。彼女は噛み締めた唇を緩めず、旋回と加速を繰り返す。
(まだやれる。まだ……!)
ミサイルをかわし、空中に描いた白い弧がすぐに次の敵の照準線になる。ツバキは息を殺して回避を続けた。
汗がヘルメットの内側を伝う。息が荒い。
「ちっ……もう一機か!」
アフターバーナーを噴かし、敵機の機首を切り裂くようにすれ違う。その瞬間、彼女の目はレーダーに映った後方の点に気づいた。
──三機目。
「おいおい、どこから湧いた……!」
彼女は横滑りしながら一気に高度を落とす。ミサイル警報が鳴り響く。フレアを撒く、だがタイミングが一拍遅れた。
――ドンッ。
衝撃音と共に、足、尾翼に激しい振動が走る。機体の制御が瞬間的にふらつく。
「ッ、尾翼か……!」
油圧系統が警告を発した。片方のエレベーターが沈黙している。機体の操作が重くなる。警告灯が次々に赤く染まっていく。
それでも、ツバキは顔をしかめながら機体を立て直す。まだ、やれる。まだ墜ちるには早い。帰らなくちゃいけない顔がある。
(ヒナ……あの子、まだ知らないんだ)
自分たちが飛ぶことの重さも。空を生きることの不確かさも。
(私が戻らなきゃ、誰が教えるのよ……)
しかし、敵は容赦がない。二発目のミサイルが、ツバキの左翼に命中した。
「くッ!!」
視界が一瞬、白く弾けた。機体の操作が効かない。機体は急速にバランスを失い、海面へ向けて落下を始める。
「ここまでか……!」
ツバキはシステムの緊急着水モードを作動させる。自動的に燃料は遮断され、爆発の危険が減少し、
ホッとしたところで、燃料供給を絶たれたエンジンが停止する。緊急信号も発信された。
だが、果たしてこの通信が届いているのかツバキには分からない。
目の前に広がるのは、果てのない群青の海。白波が幾筋も走り、風が吠えていた。
(ヒナ……今ごろ、鎮守府で何してんだろ)
(整備しながら鼻歌でも歌ってんのかな)
落下する間、彼女の脳裏には、あのマイペースな後輩の姿が何度も何度も浮かんだ。
衝撃と共に海面に接触したのは、まるで瞬きのような一瞬だった。叩きつけるような波が艤装を壊す。
海水が怒濤のように押しよせた。
彼女は、意識が途切れそうになるのを感じながら、片手で非常脱出レバーを探る。
「ここで、終われるかっての……!」
気合と共にレバーを引いた瞬間、艤装はロック解除され、自己破壊。
海が彼女を飲み込んだ。
冷たい。
それが最初の感覚だった。
意識は戻ったのか、あるいは戻りきっていないのか。重い体をなんとか浮かべようと、ツバキは脱出装備のフロートを作動させる。
が、それでも身体は沈みかけていた。
「ちょっと……まだ、寝るには早いってば……」
ヘルメットが外れかけていた。潮が髪にまとわりつき、血の味が口に広がる。
遠く、どこかの空で、彼女の信号を探しているレーダーがあるのだろうか。あるいは、誰も気づいていないのかもしれない。
もう、通信機も反応しない。声をあげようにも、声帯は塩水で焼けていた。
(ヒナ……)
また浮かんでくる。彼女の顔。小さな背中。ドライバーを手に笑っていた表情。
あの子の中で、私は生きてくれるだろうか。誰かに語ってくれるだろうか。
──そう願ったとき、視界がゆっくりと霞んでいった。
最後に見えたのは、どこまでも高い雲と、沈んでゆく赤い夕陽。
「これが…この世の…終わりか」
その後、捜索は行われた。
機体の破片の一部と、通信記録の断片は発見されたが、ツバキの行方は杳として知れなかった。
海はすべてを呑み込んだ。
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