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金木犀の許嫁

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第六十五話 お寺の食事その九

「今お話している人なんて」
「救えないですね」
「僕天理教の人ともお付き合いあってね」
「その人がお世話になった」
「いい教えだと思うよ」
 天理教のそれもというのだ。
「神道もね、いい人達もね」
「多いですね」
「いい人ばかりともね」
 その様にもというのだ。
「言えるよ、けれどあそこで駄目なら」
「仏教でもですか」
「少なくとも僕は無理で」
 そうであってというのだ。
「お父さんお母さんもね」
「そう言われていますか」
「天理教で他の宗教がどうとか言ったそうだけれど」
 他宗教を引き合いに出して批判したというのだ、批判そして言いがかりをつける際によくある手段だと言える。
「どの宗教でもね」
「救われないですね」
「そんな人ってね」
 豊はさらに言った。
「どの宗教でもね」
「そんなこと言いますね」
「もう感謝しないで」
 それでというのだ。
「文句ばかりで反省もしないで」
「努力もしないで」
「そんなのだからね」
「他の宗教でもですね」
「もう何処行ってもね」
 それこそというのだ。
「救われないよ」
「そうした人ですね」
「本当にどんな宗教や哲学でも」
 豊はまたこう言った。
「そしてどんな人でもね」
「救えない人はいますね」
「あまりにも酷過ぎてね、中にはね」
「中には?」
「そもそも最初からね」
 その時点でというのだ。
「全く信仰もない」
「無神論者ですね」
「そんな人もいるしね」
「そうした人確かにいますね」
「うん、そうした人はね」
 無神論者はというのだ。
「最初からね」
「お寺に近寄らないですね」
「そうするしね」
 無神論者なら当然のことだ、神仏を信じないのだから。
「もうね」
「救われないですね」
「それでもまともな人なら」
「いいですね」
「けれどそんなこと言って」
 そうであってというのだ。
「日本の皇室は反対で」
「あっ、北朝鮮はいい」
 すぐにだ、白華ははっとして応えた。
「あそこは」
「あそこの世襲の独裁はね」
「そんな人いますね」
「自衛隊も反対で」
「あそこの軍隊はいい」
「そんなおかしな人もね」
「いますね」
「無神論者でね」
 そうであってというのだ。 
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