コントラクト・ガーディアン─Over the World─
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第一部 皇都編
第二十八章―邂逅の果て―#9
「急に呼び出して、悪かったな」
「いえ。何かご用と聴きましたが」
レド様の視線を受け、私は口を開いた。
「実は…、バレスのことなんです」
私は、ヴァルトさんとハルドに、バレスを仲間に引き入れたいことを打ち明ける。だけど、その前に、ヴァルトさんたちの気持ちを────特に、セレナさんがどう思うかを確かめたいということも。
「それで、バレスのことを聴かせて欲しいんです。どんな人物だったのか────セレナさんに対して、どんな態度だったのかを」
「解りました。ただ───ワシは長いこと伯爵領を出ていて、お嬢が12歳の頃に戻った次第でして。ディルカリド伯爵家が取り潰されるまでの4年間しか、バレスとは関わったことがないのです」
「え───そうなのですか?」
てっきり、セレナさんが幼い頃から傍にいるんだと思っていた。
「お話しした通り、ワシは主家に不信感を抱いておりましたから。
先代までは何とか仕えたものの、先代に輪をかけて傲慢な当代に我慢の限界が来て────出奔したというわけです」
そうだったんだ。じゃあ、その間は冒険者でもしていたのかな────と考えが過ったとき、ふと閃くものがあった。
「もしかして、ヴァルトさん、家を出ている間は冒険者をしていました?」
「ええ、まあ」
「……“破壊魔のヴァル”とか呼ばれていませんでしたか?」
「……ええ、まあ」
ヴァルトさんは、決まり悪い表情で応える。
「ヴァルトは冒険者をしていたのか。二つ名がついているということは────有名だったのか?」
「そうですね。魔物討伐での実力もさることながら…、“異様な闘い好き”としても有名でした。強い相手と見れば手合わせを申し込み、勝敗がどうであろうと、その膂力で相手の武具を破壊してしまう────私はそう聞いています」
出会ったら逃げろ────とも。
「そんなことしてたのか、ジジィ…」
ハルドは知らなかったようで、呆れを含んだ声で呟いた。
「ぅ、いや、あの頃は溜まりに溜まった鬱憤を晴らしたくてだな…」
やたら私と手合わせしたがったのは、その頃の名残だったのか…。
「それが、どうして戻る気になったんだ?」
しどろもどろに言い訳しているヴァルトさんに、レド様が訊ねる。
「おふくろが───母がいよいよ危ないと…、最期くらい会ってやってくれと連絡をもらいまして」
「えっ」
ヴァルトさんの答えに、ハルドが思わずといった風に声を上げた。レド様が問うような視線を向けると、ハルドは慌てて口を開いた。
「申し訳ございません。その…、知らなかったものですから」
「あ───もしかして、お前、ウルドの戯言を信じてたのか?ワシが遺産目当てに、おふくろの死を嗅ぎつけて帰って来たとかいう…」
ヴァルトさんの言葉に、ハルドは気まずそうに眉を下げる。
「いや、遺産目当て───というのは、もう信じてなかったけど…」
ヴァルトさんは苦笑して続ける。
「ワシに戻るよう連絡をくれたのは、おふくろの面倒を見てくれていた───お前の母親だ」
「えっ、そうなのか?」
「そもそも遺産も何も、おふくろは金銭を一切持たされていなかったし───装身具の類も、兄貴が家を継ぐときに、嫁であるお前の祖母に譲り渡していたからな。おふくろの私物なんざ服しかない」
「そうだったのか…」
ハルドは力なく呟く。
「お前の母さんはな────姑が倒れて、大姑どころか姑まで一人で面倒見ることになって…、相手が小柄な女とはいえ、かなり大変だったろうに────その大姑…、おふくろの気持ちまで慮ってくれてな。冒険者ギルドに依頼してまで知らせてくれたんだ。本当に────感謝している」
ハルドのお母さんは、ディルカリド伯爵家が取り潰される3年前に亡くなったと聞いている。ということは────ヴァルトさんのお母さんを看取って、それほど経たないうちに亡くなってしまったのか。
二人もの要介護者を一人で面倒見ていたなんて────ヴァルトさんの言う通り、大変だっただろうな。
前世の世界とは違い、この世界には“老人福祉施設”や“介護福祉士”に相当するものは存在していない。だから、老後は家族に面倒を見てもらう他なかった。
こうして考えてみると────結婚することも子供を生すことも、できなければ死活問題だ。健康なまま、ぽっくり逝ければいいが、そうでなければ悲惨なことになる。
貴族や大商人ならば、やりようはあるだろう。だけど、平民はどうしようもない。この世界では結婚するのは当然で────将来のためにしなくてはならないのだ。
エデルが子孫を残すつもりはないと知ったとき、つい前世の感覚で捉えてしまったけれど────結構、深刻な問題かもしれない。
エデルは老後どうするつもりなのかな。ちゃんと考慮しているのならいいのだけど…。
「……確かに大変そうだった」
ハルドは当時のことを思い出しているのか、ぽつりと零した。
「兄貴もウルドも手伝ってもくれなかったが、お前だけは手伝ってくれたと聴いているぞ」
「別に…、ちょっと言われたことをやっただけで、手伝ったというほどじゃ…」
「それでも、傍にいなかったワシよりはやってくれたんだ。ありがとうな───ハルド」
そう言って、ヴァルトさんはハルドの頭を乱暴に混ぜ返す。
「ちょ、やめろよ、ジジィ」
嫌そうな口調とは裏腹に、ハルドはどこか嬉しそうだ。この場にセレナさんがいないのが、残念だな。
「…っと、申し訳ありません」
主の前だと思い出したのだろう。ヴァルトさんがハルドの頭から手を離し、慌てた様子で姿勢を正す。ハルドは大雑把に手櫛で髪を整えてから、同じように姿勢を正した。
レド様は別に咎めることなく、口元に笑みを刷く。
「いや───気にするな。それで…、母親に逢うために帰ったのを機に、セレナの護衛を務めることになったというわけか?」
「はい。本当は、おふくろを見送ったら、また出て行くつもりだったんですが────庭の隅で泣いているお嬢を見つけてしまいまして」
「放っておけなくなったんだな?」
「まあ…、そういうわけです」
そう応えて苦笑いを浮かべたヴァルトさんは、何だか照れているようにも見えた。その様子はちょっと微笑ましくはあるが、それよりも────今、ヴァルトさん、聞き捨てならないことを言ってなかった…?
「セレナさんが庭の隅で泣いてた────というのは…?」
思わず声が低くなる。訊ねると、ヴァルトさんの眼が据わった。
「根気よく聞き出したところによると────魔術の訓練で、別に発動できなかったわけでもないのに、父親や兄弟たちから、ボロクソに言われた挙句────『目障りだから調練場から出て行け、落ち零れ』と…、兄に吐き捨てられたのだそうです」
「………最低ですね」
その場に居合わせていたら、跳び蹴りでも食らわせてやったのに…。
「……そういうのが、日常茶飯事だったのか?」
レド様のお声も、心なしか低い。
「そうですね。ワシがお嬢の護衛となってからは、一日一回は父親か兄弟の誰かしらに罵倒されていました」
「────ヴァルトが戻ってくる前からそうです」
意を決したように、表情を強張らせたハルドが硬い声音で口を挟んだ。
ハルドは、セレナさんに直接何かしたわけではないものの、やはり罪悪感があるらしく────伯爵邸でのことを思い起こすのは辛いみたいだ。
「セレナ様が魔術の訓練を始めてから───だった、と思います。ずっと…、そんな感じでした」
「……手を上げられるようなことは?」
レド様の問いに、ヴァルトさんはちょっと考え込んだ後に答える。
「ワシが知る限りではありませんでした。あいつらは、そこまではお嬢に関心がありませんでしたから。魔術の訓練や廊下で出くわしたときなど、顔を合わせれば罵る────そんな感じです。
日常生活において他の兄弟よりも待遇は悪かったですが、それは────命じられたからではなく、侍女やメイドが勝手にやっていただけだったようです」
「オレが知る限りでも…、暴力などはなかったです。お館様とゲレト様が、セレナ様に積極的に関わらなかったというのは、オレも同感です。
ただ────バレス様とデレド様については、セレナ様に関心がなかったというのは…、違うと思います」
私たちの先を促す視線を受けて、ハルドは自分の考えを言葉にする。
「バレス様とデレド様が、セレナ様と廊下でよく出くわしていたのは、偶然ではなく────セレナ様が通るのを見計らって、わざわざ出向いていたからです」
「えっ、あれ偶然じゃなかったのか?」
「勿論、偶然もあったけど────半分以上は、会いに行ってたんだ。自習していて集中力が切れて退屈になると、どちらかがセレナ様を揶揄いに行こうって言い出して────廊下や庭で待ち伏せてた」
「つまり───セレナを罵るために出向いていた、と?」
「……オレも、当時はそう思っていました。そこまでするほど、セレナ様のことがお嫌いなんだと。だけど、バレス様に再会して────話を聴いて…、もしかしたら、そうではなかったのかもしれないと思ったんです。
あの頃のことを改めて思い返してみると────バレス様とデレド様は、お館様ともゲレト様とも交流はありませんでした。どちらも、セレナ様に対するように罵るようなことはなかったものの────バレス様とデレド様には、目線を向けることすら稀で、ある意味セレナ様よりも蔑ろにされていました。
奥方様も疾うに亡くなられていて…、付き合いのある年の近い貴族令息もおらず────バレス様とデレド様は同じ家庭教師に習っていたために一緒にいることは多かったけれど、そりが合わないのか話も続かなくて、仲がいいというわけではありませんでした。
オレはデレド様の侍従になることが決まっていたので、侍従の修行の合間にデレド様のお傍にいましたが────デレド様は身分に拘る方だったので、不要な会話は一切することはありませんでした。会話の内容はどうあれ────お二人が交流していると言えたのは、セレナ様だけだったんです。
だから…、あれは────ただ単に…、セレナ様に構って欲しかっただけだったのではないかと思います」
そこで言葉を切って、ハルドは改めてレド様と私に眼を向ける。
「バレス様とデレド様の誹謗が、セレナ様を深く傷つけ────セレナ様がご自分を卑下する一因となってしまったのは事実です。いくら同情すべき点があったのだとしても────お二人がしたことは、してはいけないことだったと解っています。
でも────それでも…、もし、バレス様と共に過ごすことをセレナ様が許せるのであれば────オレは…、バレス様にも生きる機会を────オレのようにやり直す機会を与えてあげて欲しいです」
ハルドは、私たちを真っ直ぐ見て────そう言った。
「ヴァルトはどうだ?」
「……バレスは────お嬢に対して罪悪感を持っているようで、謝罪したがっている節がありました。だけど、ワシが睨みを利かせて、させなかったんです。
バレスが謝罪したなら、お嬢はきっと許してしまうでしょう。そして────あの状態のバレスを放っておけずに、面倒を見ようとするに決まっている。お嬢を傷つけた奴なんかのために、謝罪の言葉一つでお嬢が苦労を背負い込むなど以ての外だ」
吐き捨てるようにそう語ってから、ヴァルトさんはその昂った感情を逃がすように一息ついた。
「だが────リゼラ様が、バレスの手足を再生してくださるというのなら…、お嬢がいらぬ苦労を負うこともない。
このままバレスを見捨てることになれば、おそらく、お嬢はわだかまりを抱えて生きていくことになると思います。ですから、お嬢の為にも────ワシからも、どうかバレスに生きる機会を与えてくださるようお願い申し上げます」
ヴァルトさんが、深々と頭を下げる。
「二人の主張は解った。それでは…、セレナ本人が何を望むか訊くことにしよう。────ラムル、セレナを呼んできてくれ」
「かしこまりました」
◇◇◇
「旦那様、セレナをお連れしました」
「失礼します…」
ラムルに連れられて、侍女服姿のセレナさんが応接室へと入って来る。
ヴァルトとハルドを目に入れ、呼ばれた理由が自分の弟のことだと察したのだろう。セレナさんはどこか不安そうに眉尻を下げる。
「悪いな、忙しいところ呼びつけて」
「いえ…」
「話とは、お前の弟───バレスのことだ。単刀直入に言う。俺は、バレスの失われた手足を再生して────配下に加えたいと考えている」
レド様の言葉に、セレナさんは眼を見開く。そして────すぐに顔を綻ばせた。
「っありがとうございます、殿下…!」
感極まった様子でお礼を述べるセレナさんは、本当に喜んでいるように見える。
心からそう思えているのならいい。だけど、バレスへの同情が大き過ぎて、自分の感情が押し込められているだけだったら心配だ。
「セレナさん────バレスが承諾してくれて、レド様の配下になったとしたら…、食事や鍛練などで何度も顔を合わせて、言葉だって交わすことになります。本当に────大丈夫ですか?」
私が思わずそう問いかけると、セレナさんは眼を細めて一層笑顔を深めた。
「ありがとうございます…、リゼラさん」
セレナさんは嬉しそうにお礼を言って、私の問いに答える。
「リゼラさんは────私が…、あの子と顔を合わせるたびに過去のことを思い出して嫌な思いをするのではないかと、心配してくださっているのですよね?
確かに、少し前の私だったら…、きっと、地下遺跡であの子を連れ帰った時点で─────意識が戻ったあの子と対面することを考えただけで、生家でのことが過って…、今回はどんなことを言われるのだろうと憂鬱になっていたと思います。
私は────幼い頃からずっと、父と兄のことを、本人たちが言うように偉大な存在なのだと信じ込んでいました。だからこそ、私は…、自分がそんな父と兄に蔑まれるような存在であることを恥じていたんです。
ですが────地下遺跡で再会して…、あの人が───父が偉大な存在などではないことに気づきました。父と兄が偉大な存在だなんて、ディルカリド伯爵家の───あの狭い世界での幻想でしかなかったのだ、と。そう気づいたら────父や兄に言われた言葉など、根拠のない戯言だと思えるようになりました。
私は…、父と兄の罵詈雑言などではなく────リゼラさんや…、ヴァルトとハルドが言ってくれた言葉を信じて、精一杯できることをやろうと────そう心に決めています。だから────もう…、大丈夫です。
もし、バレスに罵られるようなことがあっても、私は落ち零れではないと言い返してやります。
だけど────バレスは、きっと私を罵るようなことはしないと思います。あの子は、誰かと比べてみて私が劣っていると判断していたわけではなく、父と兄の言動に倣っていただけのようで────世間を垣間見た今、魔力量で優劣をつける父の考え方は偏ったものだと、ちゃんと解っているみたいですから。
だから────どうか心配しないでください、リゼラさん」
セレナさんは、憂いなど微塵も感じさせない澄んだ声音でそう告げた。
私は、ディルカリド伯爵家で植え付けられたセレナさんの劣等感がいつか消えるように────言葉を重ねていこうと考えていた。
でも────セレナさんは、自分で克服することができたみたいだ。
春の日差しを思わせる晴れやかな────セレナさんの笑顔に嬉しさが込み上げ、私は笑みを返した。
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