コントラクト・ガーディアン─Over the World─
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第一部 皇都編
第二十八章―邂逅の果て―#8
セレナさんの弟バレスが、レド様と私に会いたがっている────ラムルからそう聴かされたのは、用事を一つ済ませて、昼食を摂りにお邸に戻ったときだった。
バレスが目覚めて、すでに三日が経過している。こちらとしても、そろそろ話を聴かせてもらいたいと思っていた。
「解った。────リゼ、午後の予定はどうなっている?」
「どうしても外せないという用事はありません」
「そうか。では────バレスが大丈夫なようなら、今日の午後はバレスとの面会に充てる」
「解りました」
「かしこまりました」
◇◇◇
「お呼び立てしてしまい、申し訳ございません」
午後────昼食を済ませた後、バレスに宛がわれている使用人用部屋に赴くと、第一声にそう詫びられた。
手足がなく起き上がることが難しいので、ベッドに仰向けになった状態で、バレスは顎を引いて心持ち頭を下げる。伯爵令息だっただけあって、貴人に対する礼儀はわきまえているようだ。
地下遺跡で目にしたときは、髪色は褪せ、肌も見るからに潤いがなかったが────古代魔術帝国仕様のベッドで療養したからか、栗色の髪は艶やかさを取り戻し、頬は多少こけているものの肌も張りがある。
明らかに状態が良くなっていることに、少しほっとしてしまった。
「僕は───バレスと申します」
「ルガレド=セス・オ・レーウェンエルダだ」
「リゼラ=アン・ファルリエムです」
この場にいるのは、呼び出した本人であるバレス、レド様と私、いつものように姿をくらませたジグとレナス、それにラムルだ。
セレナさん、ヴァルトさん、ハルドはいない。バレスが、セレナさんたちがいないところで話したいと望んだからだ。
「それで────俺たちに話とは?」
「まずは、お礼を言わせてください。父のあの悍ましい愚行を止めてくださって、本当にありがとうございます」
「……いや」
レド様は、バレスの言動を意外に思ったようで眼を僅かに見開いて────首を横に振る。
バレスの言葉は、私にとっても意外だった。
セレナさんもヴァルトさんも、過去の話ではバレスの名を出すことはなかったけれど────二人の言葉の端々から、バレスもセレナさんに辛く当たっていたのだと推察していた。
先程の第一声はともかく、ディルカリド伯爵の復讐を止めたことを、まさか感謝されるとは思っていなかった。
ディルカリド伯爵家の没落に始まって────市井での慣れない暮らし、果ては実父による酷い仕打ちなど、この3年の間に様々な経験を経て、心境も変化せざるを得なかったのだろう。
バレスは、セレナさんより2歳下の17歳だと聴いている。ディルカリド伯爵の次男で───セレナさんにとっては、二人のうちの上の弟だ。
ノヴァの調査結果によると、バレスはディルカリド伯爵家を出奔してしばらくは、持ち出した魔術陣を利用して冒険者をしていたらしい。
しかし、すぐにその傲慢さから孤立して────世情を教えてくれる者もいなかったために、魔術陣をひけらかした結果、魔術陣だけに留まらず身包み剥がされて、路頭に迷う破目になった。
そして───おそらく、貧民街で残飯を漁るような生活をしていたところを、ハルドの祖父───ドルトらしき人物に捕らえられたとのことだった。
セレナさんに似た中性的な顔立ちだったにも関わらず、娼館や悪徳商人などに売り飛ばされることがなかったのは、果たして幸いだったのか────
「ヴァルトやハルド、それに姉上───セレナから、事情は聴きました。あの地下遺跡のことや、ディルカリド伯爵家に伝わる“秘術”のこと────僕が知る限り、すべてをお話しします」
バレスはそこで言葉を切って────その群青色の双眸に何か強い決意を秘め、レド様と私を改めて見上げる。
「その代わりに、お願いがあります」
「何だ?」
「すべてをお話しする代わりに────話し終えたそのときには…、どうか僕を殺していただけませんか」
言われたその内容に────レド様も私も、息を呑み込む。
「……どういうことだ?」
「僕は────見ての通り、四肢を失くしております。それでなくとも日々の糧を得ることは難しかったのに────これでは食い扶持を稼ぐどころか…、誰かに頼らずには生活することもままならない。もう────泥水を啜って、誰かが棄てたゴミ屑を漁る生活すらできない…。
惨めに這いずり回った挙句、野垂れ死ぬことは目に見えているのに────生きながらえたって仕方がないでしょう?ですから────そうなる前に、一思いに殺して欲しいのです」
バレスは、レド様の問いに淡々と答える。【心眼】で視てみるも、嘘を吐いてる様子はない。ということは、彼は本気でそう願っている────
「貴方は────本当に…、死にたいのですか?」
思わず口にして、馬鹿なことを訊いたとすぐに後悔する。バレスは、くしゃり、と表情を歪めた。
「だって────しょうがないじゃないか…。こんな────こんな状態で…、どうやって生きていけばいいんだよ?食事も排泄も────身体を動かすことすら、自分一人ではできないんだぞ?生きていくために金を稼がなきゃいけないのに────こんな身体でどうしろっていうんだ…!!」
最後の方は、ほとんど叫びに近かった。
昂った感情が溢れ出たかのように、バレスの目尻から涙が零れ落ちた。涙は止まることなく溢れ、髪の付け根や耳を濡らす。
「そんなの…、死にたくなんかない────生きていたいに決まってる…!!だけど────だけど、どうしようもないじゃないか…っ」
バレスは、悲痛な声で絶望を吐露する。
「……姉であるセレナさんに頼ろうとは思わないんですか?」
「姉上に?はは…、そんなこと────できるわけがない。幼い頃からずっと、魔力が僕たちよりも少ないことを散々バカにしてきて────八つ当たりで酷い言葉を言い放ったことだってあった。家が取り潰しになったときも、姉上にすべて押し付けて────姉上が酷い目に遭うかもしれないと解っていて、僕は逃げた。
それなのに…、面倒を見て欲しいなんて────そんな厚顔無恥なこと、お願いできるわけないじゃないか。姉上だって、僕の世話なんてしたくないに決まっている…。
それでも…、姉上はお人好しだから────お願いすれば、内心は嫌だと思っていても、引き受けてくれるかもしれない。でも、きっと────そんなことヴァルトが許さない。ヴァルトは、姉上をとても大事にしているから……」
最後に加えた言葉の語尾は、微かに震えていた。その声音に滲む感情は────おそらく、羨望だ。
ディルカリド伯爵家が取り潰されたとき、バレスは14歳で────将来的には兄に続いて魔術師となる予定だったらしいが、見習いとなる年齢にはまだ達していなかった。だから、当然、社交界にも出ていない。
幼い頃に母親を亡くしているために、同年代の貴族子女との交流を図るお茶会などに出席した経験もなかったと聴いている。
この国には前世にあった“学校”に相当するものはないから、親が配慮しない限り、見習いとなってからか社交でしか友人を得る機会はない。
よって────バレスが交流があったのは、親兄弟と親戚、そして家人だけだったはずだ。
地下遺跡での言動、手足を斬り落とすという残虐な所業から鑑みて────ディルカリド伯爵は、セレナさんに限らず、長男であるゲレト以外の自分の子供たちに情すら持っていなかったように感じる。
もしかしたら────生活面でセレナさんより優遇されていたとしても、頼ったり案じてくれる存在はいなかったのかもしれない。
バレスは、未だ零れ続ける涙で顔や髪、枕を濡らしながら───鼻水が垂れそうになって、ずずっ、と鼻を啜った。そして、勢いよく啜ったせいで鼻水が喉まで流れ込んだらしく、烈しく咽た。
目の前に横たわるこの少年は、涙を拭うことも鼻をかむことも自分ではできないのだと────誰かにやってもらわねば何もできないのだと、改めて実感させられる。死を望まざるを得ない────その気持ちも。
私は、ベッドに近寄ってバレスの上半身を抱き起こすと、【除去】で鼻水と涙を取り除いた。未知の魔術に驚いたのか、バレスは眼を見開いて息を呑む。
「ごめんなさい…、無神経なことを訊きました」
バレスの昂った感情を鎮めるべく、私は表情を緩めて、できるだけ優しい声音で続ける。
「貴方の希望していることは解りました。まだ本調子ではないようですし、お話はまた後日に聴かせてもらいます」
バレスを再び寝かせて、開けていたダウンケットを首元まで掛け直す。
「今日のところは、ゆっくり休んでください」
「ぁ…」
バレスは声を漏らしたものの、まだ冷静になりきれていないのだろう────言葉が思い浮かばないみたいで、すぐに口を噤んだ。
私は踵を返して、レド様の傍らへと戻る。
私たちは言葉を交わすことなく、誰からともなく連れ立って扉へと向かった。
◇◇◇
使用人部屋を出た私たちは、そのまま応接室へと入る。
拠点スペースに収めてあるあのお邸の応接室とは違い、ここには、ソファセットとローテーブルしか家具は置いていない。そのため、部屋の広さとしては狭いはずだが、そこまで窮屈な感じはしない。
ソファに座るなり、私は口火を切った。
「勝手に話を切り上げてしまい、申し訳ありません───レド様」
「いや…、リゼが話を切り上げた理由は見当がついている。相談したいことがあるんだろう?」
「はい」
「リゼは────バレスを仲間に引き入れたいのだな?」
「はい。バレスは、セレナさんの弟だけあって、魔力量は人並み外れています。仲間にすることができれば、かなりの戦力となってくれるはずです」
あのスタンピード殲滅戦で、黒いオーガが魔獣を取り込もうとしたとき────どうしても結果を見届けなければいけない気がした。
いつもなら、敵が何か仕掛ける素振りを見せた段階で、それを阻止すべく動いている。
だけど、あのときは────何故か、そうしてはいけないように感じたのだ。
おそらく────私たちは、あの【魔導巨兵】という存在を知っておかなければならなかった。それに、あれを生み出した“エルフ”という存在も。
きっと、これから相まみえることになる────そんな予感がする。
杞憂かもしれなくても、できるだけ戦力を補強しておきたい。
「神聖術なら────私なら…、バレスの失った手足を再生することができます」
バレスは、死にたいわけではないと────生きていたいと吐露した。私が手足を取り戻してあげたら、恩に着て、力を貸してくれる確率が高い。
「ただ…」
「セレナとヴァルト、ハルドがどう思うか───だな?」
「はい…」
【心眼】で視た限りでは、バレスの心根は濁ってはいなかった。
それに、自分がセレナさんに酷い仕打ちをしたのだと、きちんと自覚しているみたいだった。これからは、セレナさんを邪険にすることはないように思える。
けれど、私は以前のバレスを───バレスがセレナさんにどんな風に接していたかを知らない。バレスが、セレナさんに言い放ったという酷い言葉がどんなものかも聴いていない。
もしかしたら、罵声を浴びせただけでなく、他にも仕出かしている可能性もある。
少しでも、セレナさんがバレスと顔を合わせることに苦痛を感じるのなら────いくら改心していようと、殺すことになろうと…、バレスを仲間にするつもりはない。
まあ、その前に、レド様がお許しくださるかどうかだ。セレナさんが大丈夫だとしても、レド様の意向が大事だ。
「レド様は、バレスを仲間にすることをどう思われますか?」
「実を言うと、俺もバレスを仲間に引き入れることを考えていた。今は一人でも多く信頼できる仲間が欲しい、が…」
「何か懸念でも?」
「……リゼ、さっきのは意図してのことか?」
「さっきの、とは?」
「……やはり、無自覚か」
レド様は、深い溜息と共に呟いた。あの無神経な質問のことかな。だとしても────無自覚って何が?
もしかして、私、バレスが泣いて本心を吐露せざるを得ないよう、無意識に威圧でもしてた?
「いや───何でもない。とにかく、セレナたちに話を聴いてみることにしよう」
「…そうですね」
「それでは、呼んでまいります」
そう言って出て行こうとしたラムルを、私は慌てて呼び止める。
「待ってください、ラムル。呼ぶのは、ヴァルトさんとハルドだけにしてくれますか」
「セレナは呼ばなくてよろしいのですか?」
「セレナさんに訊く前に、まずはヴァルトさんとハルドから話を聴いておきたいのです。ただ訊ねるだけでは、セレナさんは自分の気持ちを押し殺してしまいかねませんから」
「それも、そうだな。ラムル────ヴァルトとハルドだけ、呼んできてくれ」
「かしこまりました」
ラムルは今度こそ、扉を潜って出て行った。
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