世界はまだ僕達の名前を知らない
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仲間の章
06th
待ちに待った昼食
その後、近くに居た衛兵に帰ると行ってから建物を出た。
「あぁそうだ、私の家と、当面の勤め先を教えておこう。えーと、ジステア通りの……」
「……………………(メモる)」
巨女がそんな事を言うので、忘れない様に紙に書いておく。
「実は私は定職に就いていなくて、力の要る仕事を転々としているんだ。稼ぎ所が変わったらなるべく教えるが、行っても私がもう居なかったら家のドアに紙を挟んでおいてくれ」
「……………………(頷く)」
【僕の家と勤務先です】
トイレ男も自分の家と勤務先を地図に描き渡しておいた。
「あぁ、ありがとう。じゃあ、また明後日」
「……………………(会釈)」
巨女の今の働き先はトイレ男の働く青果店とは反対方向なので、踵を返す彼女を見送る。
「……………………」
それからトイレ男は自分の腹を意識する。
丁度、最後に物を食べて一日だ。腹が減った。普段の昼食代に加え、食べ損ねた昨日の夕食と今日の朝食の分の予算を使えるので、もうそれはそれはいっぱい食べてやろうと思うトイレ男である。
いつも利用している、屋台が集まっている区画へ向かう。既に昼時を過ぎた所為か屋台に並ぶ人は疎らだが、まだ稼げると思っているのか屋台はその殆どが出た侭だった。
そして彼らが稼げると思っている原因は広場の中央部に有るらしかった。何やら人集りが出来ており、中央に誰かが居る様である。
「……………………」
誰だろう? そう疑問に思い、背伸びをして覗いてみた。
そこに居たのは一人の黒女だった。
「アーニちゃんこれ食べるー?」
「! 食べるわ!」
「ねぇねぇこれは?」
「何それ美味しそう頂くわ」
「こ、これとかどうかなっ!?」
「さっき食べたから要らない」
「え!?」
その黒女は餌付けされていた。辺りにゴミが散乱し、口を汚しながら両手に串を持つ彼女を見ているととても気が抜けるのであった。
「アーニちゃん家族は?」
「お父様が一人、お姉様が一人、愚弟が四人、よく判らない人が一人ね」
「お父様にお姉様だって! 結構良いトコの子なんじゃない?」
「よく判らない人って誰よ」
「あれ? お母さんは……あ」
「ちょっとアンタそれは言っちゃ駄目でしょ!」
「アーニちゃんが悲しんだらどうすんのよ!」
「え、あ、そんな積もりじゃ……」
「大丈夫よ、元々居ないから気にしてないわ」
「キャーアーニちゃんったら健気ー!!」
人集りの主成分は若い女性で、一部声は小さいが男性も混じっている様だ。
というか彼女は何をしているんだ。
「……………………」
紙に自分の名前を書いて、それを掲げる。
周囲の人から際限無く食事の貢物を受ける黒女だったが、その紙を見付けると、
「あら、お迎えが来たみたい。残念ながら今日はここまでね」
「えー」
「次はいつ来るの? 明日? 明日? 明日だよね??」
「つつつっ次は僕のも食べて欲しいなっ」
人々は別れを惜しむ言葉を黒女に投げ掛ける。
そして去り際にそのお迎えとやらの顔を見ようとして、
「「「……………………」」」
トイレを抱える男を視界に入れてしまい、嫌な物を見たとでも言いた気な顔でそそくさと帰ってしまうのであった。
「……………………」
もう慣れたので別に物申したいとも思わないトイレ男であった。
「お待たせ。行くわよ」
【お待たせじゃねぇしまだ行かねぇし何してたんだよ】
書いてる間に黒女が先々行ってしまっていたので、慌てて追い駆け肩を掴む。
「何よまだ何か有るの?」
【俺がまだ食ってねぇ】
「え、じゃあさっきまでどこ居たの?」
【衛兵の詰所に入るトコまで一緒に居ただろうが】
「あ、そういえばそうだったわね。そこで何か食べなかったの?」
【食ってねぇから言ってんだろ】
黒女を引き止め、広場にズルズルと戻す。
が、人集りが消えもう稼ぎ時は終わったと判断したのか、屋台は次々と閉まりつつあった。
「!!」
待って! という様にトイレ男は一つの屋台に駆け込む。
「うわっ驚いた……トイレの兄ちゃんか」
偶然だが、そこは昨日利用した屋台であった。
「……………………」
【これで買えるだけ全部】
トイレ男はポケットから有りったけの金を出し、屋台の主に渡した。
「あいよ……と言いたいトコだが、もうそんなに残ってねぇんだ。残ってんのはこれが二つ、これが三つだけだよ」
「……………………」
甘い肉串が二本、辛い肉串が三本。
とても足りなかった。
「他の屋台ならまだ残ってるかも知んねぇが……」
「……………………」
トイレ男は周囲を見渡した。
他の屋台は既に店閉まいしており、今から売ってくれそうな屋台は無かった。
【取り敢えずください】
「あいよ」
取り敢えず無いよりはマシなので、甘い肉串二本と辛い肉串三本を買う。
それを乱暴に食い、串をゴミ箱に捨てると、トイレ男は閉まった屋台に向かう。今からでも売ってもらえる可能性に賭けたのだ。が、
「残念ながら、丁度売り切っちまったんだよな」
「売れ残りはもう食っちまった」
「やらん。これは俺の晩飯だ」
と、どこも売ってくれなかった。
「……………………」
トイレ男は黒女を見た。
沢山食べた所為で眠くなったのか目を擦っている。満足気にゲップ……ではないが息を吐いていた。
【お前はどれぐらい食べたんだ?】
「ん? んー、普段の昼食の倍は食べたかしら」
「……………………」
【太るぞ】
「大丈夫よ」
悔し紛れに嫌味を言ったが、軽く流されてしまった。
流石にこれ以上食べ物を探すのは、昼休憩の残り時間的にマズい。トイレ男は衛兵の詰所で何か貰えばよかったとゲンナリしながら、青果店に戻るのであった。
◊◊◊
そしてエネルギーが足りない侭働く事暫し。
黒女が転けて果物を潰してしまったり、黒女が転けて果物を地面にばら撒いてしまったり、黒女が転けて棚を凹ましたりしたが、無事に業務は終了した。
女店主は黒女の失敗を笑って赦していたが、いつか弁償代を請求されないか怖いトイレ男であった。
「……………………」
【で、お前はいつ帰るんだ? まさか俺の家に泊まるとか言わないよな】
「言わないわよ、何期待してんの? アンタが家に入るの見届けたら帰るわよ」
ちゃんと帰るらしい。監視役というから家の中でまで監視してくるのかと危惧していたが、そうでもないようだ。
そうそう、義務貢献処分となったトイレ男だったが、元の衛兵からの監視も従来通り続く様だ。さっき監視役の潰れ鼻を確認した。
帰りに八百屋や肉屋へ寄り、今夜こそたらふく食べるんだと爆買いするトイレ男であったが、
「そんなに食べ切れるの?」
「……………………」
買い過ぎてしまったのであった。
【何とかする】
「具体的には?」
【保存の効く料理にする】
「手伝ってあげようか?」
【作るのを手伝うんじゃなくて、食うのを手伝う積もりだろ。お前には一片たりとも遣らんぞ】
トイレ男は黒女が昼に人々に貢がせて大量に食べていた事を憶えていた。その様を見せ付けられたトイレ男は黒女にちょっとした憎悪を抱いていた。
「ケチー」
【どうせジエクラの奴に食わせてもらうんだろ。本気で太るぞ】
「太っても痩せればいいのよ」
その痩せるのが難しいから人々は太らない様にするのですが?
そう書いても無駄な気がしたので止めたトイレ男であった。
【というか、昼なんで人が集まってたのか聴いてないぞ】
「私の可愛さにノックアウトされただけよ」
【お前そんなに可愛いか?】
「貴方にとっては知らないけど、人々にとってはそうみたいね」
トイレ男はどうしても脳内で『黒女』と『可愛い』が結び付かなかったが、それは彼女の正体を知っているからであろう。彼女の正体はとても可愛いなんて物ではない。
「あ、そろそろね。やっと帰れる」
【もう帰ってもいいんだぞ?】
「お父様に言われたのよ。ほら書く暇有ったら歩く歩く」
黒女に急かされ、家の前まで走らされるトイレ男。詰所に入る時は目を離してたけどそれはいいんですか? と思ったトイレ男であったが、まぁいいのだろうと思う事にした。
「じゃ、また明日。今日と同じぐらいの時間に来るから」
勝手にドアを開け、中にトイレ男を押し込みながら一方的に告げる黒女。さっきまでその様子は無かったが、急に早く帰りたくなったらしい。子供らしい気分の変わり様だ。
「……………………」
そう、子供らしい。
あんなにも恐ろしいのに、あんなにも子供らしい。昼間、口を汚しながら物を頬張っていた様子は完全に只の子供だった。
「……………………」
トイレ男は生じたモヤモヤを切り捨て、夕食を作り始める。
そして腹が一杯になるまで食べると、残りを明日の朝に食べる事にして、布団に潜ったのであった。
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