世界はまだ僕達の名前を知らない
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
決意の章
04th
襲撃
まるでドアが蹴破られたかの様な派手な音がした。
その音に夕食(の余り)を貰っていたトイレ男がバッと顔を上げる。
「!?」
【来ました】
驚いている様子の右衛兵にそう書いて見せ、トイレ男は食卓代わりにしていた己の太腿からお盆を退かしてから、椅子代わりにしていたベットから降りた。スクッとトイレを抱えて立ち上がる。
「待ってどこ行くの?」
「……………………」
書く暇が惜しい。こういう時喋れないのは不便だ。自分をこんなにした白女への恨みが積もる。
小走りに部屋のドアへ向かったトイレ男だったが、彼が手を掛ける前にドアは開いた。独りでに⸺ではなく、入ってきた前衛兵が開けたのだ。
「っ……」
『どうしてそんな所に居る』、と判っているだろうに問う様な目で睨まれ、トイレ男は怯んだ。
彼はトイレ男から右衛兵に視線を向け、
「アルトー、お前は向かわなくていい。ツァーヴァス氏が暴れそうになったら止めてくれ」
「りょ、了解」
今一状況の把握が覚束無い右衛兵であったが、前衛兵の言葉に取り敢えず敬礼を返した。
前衛兵はトイレ男に視線を返す。
「ツァーヴァス氏」
「ッ……!!」
何を言われるか判っていたトイレ男は首を横に、結構強く振った。そこまで長くはない髪が振り回される。
「そちらはここで大人しくしていて欲しい」
しかし前衛兵はそんな事お構い無しにそう告げた。
「っ!!」
「その気持ちは解るが、そちらに何ができる? 戦えるのか? その便器でも敵に叩き付けるのか?」
「……………………」
それでも尚の事反抗するトイレ男であったが、足手纏いと言われてしまえば反論はできなかった。俯き、すごすごとベッドに戻る。
「アルトー、万が一が有れば彼を逃がしてやってくれ」
「了解」
前衛兵はそれだけを右衛兵に言うと、ドアを閉めて一階へ向かった。
「……………………」
一階からは今も戦闘音が響いていた。
夕食(の余り)の残りに手を付ける気にもなれず、腹立たし気にトイレを撫で時間を過ごす。流石に何が起こったのか判ったのだろう、右衛兵は床を見詰めていた。
「……………………」
「……………………」
重苦しい時間が流れる。
軈て戦闘音が収まった。勝ったのだろうか? 負けたのだろうか? ……ここに一人も衛兵が来ない事から、トイレ男はそれを何と無く察し、それを意識の奥底に封じ込めた。代わりに込み上げてくるのは後悔だ。
馬鹿か俺は。阿呆だ俺は。何という間抜け。何という恥晒し。何故衛兵達に少し警戒をさせただけで満足した? もっと本格的に備えさせなければならなかったろうに。多少の備えで奴らに勝てる有ろう筈も無い、多少の備えは無いに等しいのだから。いや、無いよりはマシだ。マシだが、それこそ多少レベルでだ。右衛兵がやられていない、その程度でしかマシではない。他の多くの衛兵は床に倒れているだろう。前々回は殺された様子は無かったが、それでも酷い目に遭ったのは間違い無い。序でに言えば今回もそうである、敵は殺しをしないという保証は無い。襲撃時間は前回前々回より遅く、詰まりこれまでと完全に一緒である保証は無いのだ。右衛兵一人がその難を逃れた事など、トイレ男の後悔を収めるには足らなかった。
「…………行こうか」
右衛兵がそう言った。トイレ男は頷かずに立ち上がった。
部屋には窓があったが、ここは二階で跳び降りるのは現実的ではない。怪我を負うし、何より敵に存在がバレてしまう(未だに敵が一人も来ず、また捜し回っている様な足音もしない為敵はトイレ男達の存在を知らないと推測できる)。トイレ男と右衛兵は裏口から逃げる事にした。
右衛兵曰く、裏口は非常時の逃走用通路であり、壁と同化して外からは判らない様になっている。裏口は一階に有り、その真上の床はこれまた他の床と同化して判り辛いが抜ける様になっており、近くに有る網梯子を使えば階段を通らずに裏口に行けるという寸法だ。
先ず、右衛兵が慎重にドアを開けた。その間、トイレ男はベッドの下に隠れておく。最悪のパターンとしてここで右衛兵が敵に見付かった場合に、トイレ男までもが道連れになるのを防ぐ為だ。右衛兵は周囲を見渡し、敵が居ない事を確認すると手振りで合図をした。それをベッドの下から見たトイレ男は音を立てない様に這い出て、右衛兵と共に部屋を出る。右衛兵が慎重にドアを閉めた。
右衛兵の案内で廊下を進む。右衛兵が進行方向を、トイレ男が後方を警戒する。曲がり角に着くと、ひっそりと顔を覗かせて敵の有無を確認した。
「…………」
「……………………」
二つ目の曲がり角だった。
右側を覗いた右衛兵がトイレ男の肩を叩いた。特に合図等は決めて居なかったが、言いたい事は判る⸺敵影アリ、だろう。
追加で右衛兵は右側を指差す様なジェスチャーをした。進む方向は右側。更に両手の指を交えて✕⸺迂回ルート、無し。
トイレ男は絶望した。しかし右衛兵は諦めていない様だった。掌を下に向け、手を何回か上下⸺待て。敵が去るまで待つという事だろう。
その右衛兵の頭が横にブレたかと思えば、彼は床に倒れ伏した。
「!!」
トイレ男は反射的に、トイレで殴り掛かった。
静かにそっと右衛兵を殴って気絶させた奴は黒い服を着ていた。体格からして男。黒男はもう一人居ると思ってなかったのか或いはトイレ男の反射神経がとても良かったのか或いは黒男がこんな所に有る筈の無いトイレに呆気に取られたのか、敵は驚いて硬直した。
しかしそれでも腕でトイレを防いでみせた。
「ッ!」
トイレ男は蹴りをかました。
バランスが崩れ、トイレ男は背中側に倒れる。その勢いすらも素人なりに利用して、黒男の脛を蹴った。黒男は避けられなかった。しかし後退するだけで、転倒はしない。
「かっ」
背中を床に打ち付けたトイレ男は空気の塊を吐いた。
黒男がトイレ男に躙り寄る。多少とはいえダメージを与えた事で警戒しているのだろう。トイレ男はジリジリと下がりつつ起き上がる。トイレで殴り付ける準備をした。
が、それは無駄だった。
黒男が倒れる右衛兵の近くに来た瞬間、気絶していたと思われた彼が起き上がり黒男に掴み掛ったのだ。
「!」
「なぁっ!?」
これは完全に予想外だったのだろう、黒男が驚きの声を上げる。
「右、突き当たり!」
さっきは意識の外からの攻撃であった為対抗できなかったが、今回は逆に意識の外から攻撃を仕掛けられた。そのお陰か黒男は苦戦気味だ。トイレ男は右衛兵の言った事に従い、格闘する二人を避ける様にして通路を右に曲がる。
突き当たりまで走り、そこの床を強く踏んだ。床が抜け落ち、転け掛けたトイレ男はしかし壁に額を打つけるに留まった。痛む間も惜しんで網梯子を捜し⸺駄目だ、黒男が持ち直してきている。網梯子を見付け出し設置する時間は無い。トイレ男は穴に飛び込んだ。
ジン、と足が痛む。それでも目の前のドアを押した。取り残してきた右衛兵が気掛かりだった。恐らく、あの様子だと彼は……考えない事にした。
裏口のドアが開いた。
⸺そこには、恐怖が居た。
ページ上へ戻る