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世界はまだ僕達の名前を知らない

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決意の章
02nd
  巨女





「…………ゔぇ、ヴェンの兄貴ぃっ!?」

 余りにも突然過ぎる出来事に小男は放心するが、我に返ると声を上げて大男が居た地点に向かって走り出した。

 一方、大男を踏み潰した何か⸺塊は()()に砂埃を舞わせつつも()()()()()()()()()()、最後に()()()()()()()()()()()()()()()()

「ッ……」

 絶対に()だと思っていた何かが()であった事に驚きを隠せない小男。思わず駆け寄る足を止めてしまう。

「⸺あーはっはっはっはっはっはっはっはっはっ、あーはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ」

 しかも声質からして女である。信じ難い巨体を持つ女だ。仮称として『巨女』を用いよう。

「そこまでだ、悪党。そこの男を解放しろ」

「ッ……」

 ギロリ、とこちらを振り向いた巨女に睨まれて、小男は心臓が一度大きく拍動したのを最後に止まってしまったかの様に感じた。

 巨女は、それ程までの威圧感を放っていた。デカいし当たり前か。

「どうした?」

「あ、あ、いや、解った! 解った解った解った解った解った!! この男は解放する!! もう手出しはしない!!!!」

「宜しい」

 両腕を突き出して手首を回し、首を振り捲る小男に巨女は一先ず満足した様であった。

「こ、この男は解放するから……あ、いや、もう誰にも手出しはしないから、もう俺達に手出しはしないでくれ!」

 小男は途中を訂正しつつ、そう巨女にこの場は見逃してもらう様頼む。

「本当か?」

「ほ、本当だ!」

「本当に?」

「あぁ、本当だ!!」

「本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当に本当?」

「勿論、本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当の本当に本当だ!!!!」

「……ならば、いい」

 小男の必死な様子を見て、これなら当分悪事は働かないだろうと納得したのか、巨女は頷いた。

「ほぅっ……」

 小男は安心し過ぎて小便をチビってしまった。

「じゃっ、じゃじゃじゃっ、俺はこの辺でぇ!!!!」

 小男は気絶している大男を置いて、巨女の横を一心不乱に駆け抜けていった。

「? 仲間じゃなかったのか?」

 巨女はあっさりと大男を置いて逃げた小男が消えた方向を見ながら首を傾げた。自分の圧がそれ程までに強いのだという事を理解していないらしい。

「まぁいいか……おい! そこの君!! 大丈夫か?」

「……………………」

 悪を撃退した巨女は大男をその辺に寝かし、未だ倒れた侭のトイレ男に走り寄る。一方のトイレ男の方は、漸く恐怖から解放されつつあった。

「大丈夫か!? 大丈夫なら返事しろ!!」

「……………………(首を横に振る)」

「大丈夫じゃないだと!? 畜生アイツら何やりやがったんだ! 今診療所に運んでやるからな!!!!」

 トイレ男としては『返事できません』という意味で首を振ったのだが、どうやら巨女には誤解されてしまった様だ。

 必死で首を振り「え!? 大丈夫じゃないのに診療所には行かない!?!? え、行く!?!? どっちなんだはっきりしろ!!!!!!!!」と巨女を混乱させつつも、どうにか誤解を解く事に成功した。

「そうか……お前、喋れないのか……」

「……………………(頷く)」

 立ち上がったトイレ男と相対する巨女は「お前も苦労しているな……」と同情の目を向ける。

「紙とペンは? 文字は書けないのか?」

「……………………(首を横に振る)」

「そうか、書けないのか……」

「……………………(『さぁ?』という様に肩を竦める)」

「? どっちなんだ?」

「……………………(『どっちだろうねぇ』という風に首を傾げる)」

「?? ???? ……?」

 巨女とのコミュニケーションは困難を窮めた……というより、巨女はトイレ男の言いたい事が余りよく判らなかった。

「あーっ、わっかんねぇイライラするぅ。取り敢えずこれに何か書いてみろ」

「……………………(首肯)」

 巨女は地面に置かれた侭になっていた鞄を拾い上げ、そこから取り出した紙切れとペンを渡す。それを受け取ったトイレ男は先ずは文字が書けるかどうかを確認した。

 幸いにして、文字は書けた。

【トイレ】

「…………、……………………、…………………………………………。…………? ????」

 巨女は只管(ひたすら)に困惑した。

【便器 トイレット 便所 綺麗 美しい 文字は書けます】

「……お、おう、そうか…………」

 ここで巨女は漸くトイレ男の抱えているトイレに意識を向けた。どこかに輸送中なのかと思っていたが、後生大事そうに抱えている風を見るにそうでもなさそうだ。なら何だこれ?

 取り敢えず、巨女は気にしない事にした。巨女はそれを言い出してしまうとじゃあ自分は何なんだと言われる事を知っていた。自他共に認める筋肉達磨、それが彼女だ。

「じゃ、じゃぁ意思疎通もできる様になった事だし自己紹介でもしよう。私の名前はリーフィア、リーフィア・モーヴ・エー。君は?」

【記憶が無いので答えられません】

「記憶無いの!?」

 巨女の驚愕にトイレ男はコクコクと頷く。自分に関する諸々は失われた記憶の彼方だから、自己紹介で話せる事は男であるという事ぐらいの物だった。そして、それぐらいは巨女も見た目から察している筈だ。

「う、う、うーむ……うーん…………?」

 巨女は頭を抱え、結構本気でこの男をどうするか考え始めた。チンピラに襲われる青年を一人助けて解決、と思っていたのにその青年が発語不能&記憶喪失という厄ネタを抱えていたので彼女の脳の処理限界を超えてしまったのだ。

「うーむ……」

【どうかしまたか?】

「よし決めた。お前はもう衛兵に預けよう」

 巨女は苦悩の末、他者への丸投げを決めた。

【えいへい?】

「衛兵っつうのは、まぁ泥棒とかチンピラとか、そういう奴らを捕まえる奴らだ。その一環で迷子になった子供を保護したりもしているから、まぁお前も酷く扱われるという事は無いだろう」

 一応迷子だし、と巨女は付け足す。

【悪い奴らを取り締まる……リーフィアさんみたいな?】

「私は衛兵じゃないよ。衛兵は集団の決まりに縛られてアクティブに動けないが、私は個人だ。個人だから動き回れる。詰まり衛兵を超越した存在⸺それが私」

【?】

 ともあれ、巨女の案内で衛兵の詰所へ行く事になった。

 二人は先ず路地裏からの脱出を目指す。

「そういえば何であんな所に居たんだ?」

【トイレにキスするのに丁度好い場所を探していたんです】

「…………、トイレにキス?」

【はい】

「……キスってアレだよな? 唇と唇がチュッチュするアレ」

【唇と陶器ですが、はい】

 巨女は今直ぐにこの男を放り出したくなっなが、グッと堪えた。偉い。

 二人が出た大通りはトイレ男には見憶えの無い場所だった。トイレ男は物珍しそうに辺りをキョロキョロ見回し、そんな彼(小脇にトイレを抱えている)の様子に周囲は視線を寄せた。何だアイツ。

「つ、詰所はここから直ぐだ」

【ありがとうございます】

「いや。この程度は何でもない、いつもの事だからな」

【いつもこんな事してるんですか?】

「そうだな。毎日の様にこんな事してる」

【どう 大変ですね】

「? そうでもないぞ? 見ての通り私は強いから」

 トイレ男は『どうしてそんな事を』と問おうとしたが、止めた。これは明らかに彼女の中に理由が有っての行動である。そして、その理由は無闇に訊き出されるべき物ではないと思ったのだ。高尚な物なのである。軽々しく触れてはいけない。

「あ、着いた。ここだ」

 巨女が足を止める。彼女が指差す先には、周囲の家よりも一際大きな建物が有った。 
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