ハッピークローバー
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第百六十一話 文化祭の最後はその十一
「流石に今はね」
「いないのね」
「そうよ、文明化されて食べものもあって」
「それならなのね」
「人食い人種なんてね」
そう呼ばれる者達はというのだ。
「いないわよ」
「それは偏見ね」
「アマゾンにいる人達へのね」
「そうよね、というかね」
一華は言った。
「人食い人種とか首狩り族なんてね」
「偏見そのものでしょ」
「今は違うし風習とかでね」
それでというのだ。
「やってる部族もあったし」
「偏見は持たないことね」
「そうしてもらいたいわ」
「アマゾンにいる人達についても」
「そう、かなり危ないところなのは事実で」
「そこに暮らしている人達がいても」
「未開とか野蛮とかいう偏見はね」
それがそのまま人食い人種や首狩り族といった偏見になるというのだ、こうした考えは昔は漫画でもよく見られた。
「なくなって欲しいわ」
「ロビンソン=クルーソーでもあったわね」
「あれそのままブラジルだからね」
「舞台はね」
「アマゾンの入り口の島でね」
「あそこが舞台でね」
「まあ当時はね」
作品が書かれた時代はというのだ。
「そうした偏見が普通だったけれどね」
「実際当時そうだったかわからないわね」
「ええ、それで今はね」
「ないわね」
「ないわよ」
ブラジルの娘は絶対にと答えた。
「流石に」
「そうよね」
「それで殆どのブラジル人はアマゾンにはいないから」
「他の場所で暮らしてるわね」
「私だってそうだしね」
自分もというのだ。
「だからね」
「偏見は持って欲しくないのね」
「そこで暮らしている人達にもね」
「同じ人間だしね」
一華もこう返した。
「結局は」
「そう、同じ人間よ」
「何処でいてもね」
「あとね」
「あと?」
「ブラジルって日系人の人多いでしょ」
「ああ、そうよね」
一華はこの話にも頷いた。
「ブラジルはね」
「南米全体でもね」
「アルゼンチンとかペルーでもよね」
「日系人からね」
その彼等からというのだ。
「日本文化も伝わってるわよ」
「南米全体で」
「そうよ、私の実家の近くにも日系人の人いるから」
「どんな人?」
「普通に銀行で働いてる人よ」
「銀行員なの」
「真面目な人でね」
そうであってというのだ。
「紳士よ」
「いい人なのね」
「三世で生まれもブラジルだけれど」
それでもというのだ。
ページ上へ戻る