ドリトル先生の長崎での出会い
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第十一幕その四
「これは」
「蝶々さんのことで」
ジップも言います。
「何かあるのかな」
「僕達はそれに触れているのかな」
「そうなのかな」
オシツオサレツも思いました。
「やっぱり」
「気付かないうちにね」
「蝶々さんの悲劇が今度はハッピーエンドになる?」
ホワイティはふと考えました。
「そうなったらいいけれどね」
「そうだね、若しかしたらね」
先生は皆に応えて言いました。
「僕達は蝶々さんのお話が反省と後悔から抜け出して」
「幸せなものになる」
「今度はそうなる」
「その物語に触れたのかしら」
「知らないうちに」
「そうかも知れないね、けれどね」
それでもと言う先生でした。
「若しあのお話がやりなおされてね」
「幸せなものになるならね」
「やっぱりいいわよね」
「そうなるな」
「そう思うよ。悲劇は繰り返されずに」
そうであってというのです。
「またお話がはじまるなら」
「今度はね」
「ハッピーエンドであって欲しいわね」
「反省や後悔から抜け出して」
「それからね」
「反省や後悔が贖罪になっても」
先生は生麩が入ったお吸いものをすすってから言いました。
「そうしたものが活かされて」
「そうしてだよね」
「今度はハッピーエンドになればいいのよね」
「ずっとそうしたものに苛まれてるんじゃなくて」
「幸せになればいいね」
「日本では輪廻転生の考えがあるね」
先生はこの考えのお話もしました。
「そうだね」
「仏教の考えね」
「元々はインドの考えで」
「日本にもあって」
「実際にあるんだよね」
「そう、魂はね」
仏教の世界ひいては日本ではです。
「不滅でね」
「何度も生まれ変わる」
「例え死んでも」
「そうなるね」
「だからね」
それでというのです。
「蝶々さんもね」
「生まれ変わってるね」
「そうなっているわね」
「あの人も」
「そしてキリスト教の世界では生まれ変わりは基本ないけれど」
それでもというのです。
「信じている人がいるね」
「アメリカのパットン将軍だね」
「あの人は転生を信じていたね」
「ご自身はハンニバルの生まれ変わりだって言ってたね」
「ピュルス大王の生まれ変わりとも」
「信仰はその人の信じる世界に行くから」
死んだ時はというのです。
「中尉が生まれ変わりを信じていたら」
「それならね」
「あの人も生まれ変わってるね」
「そうなってるね」
「その筈だよ、僕も最近はね」
先生ご自身もというのです。
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