ドリトル先生の長崎での出会い
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第八幕その八
「宗教だってね」
「人それぞれの考えでね」
「信念があってね」
「それを尊重することが大事だね」
「他の宗教も」
「キリスト教が一番偉いって勘違いしたから」
だからだというのです。
「十字軍や異端審問が起こってね」
「他の宗派も認めなくなって」
「同じキリスト教の中でも」
「そうもなってね」
「それでだね」
「沢山の恐ろしいことが起こったわね」
「そうだよ、そしてね」
先生はさらにお話しました。
「他の考えを認めないならナチスやソ連だよ」
「同じだよね」
「ああした国々とね」
「自分達以外は認めないで大勢の人達を殺した」
「ああした国々と同じだね」
「ユダヤ人やロマニや資本家や地主の人達でもね」
ナチスやソ連が攻撃した人達もというのです。
「同じ人間だね」
「そうだね」
「その人間を攻撃してね」
「多くの命を奪った」
「あの人達と同じだね」
「ああした人達になりたくないなら」
ナチスやソ連の様なというのです。
「絶対にだよ」
「偏見を持ったらいけないね」
「そしてない様にしないと駄目だね」
「これからは」
「そうだね」
「そうだよ」
まさにというのです。
「本当にね」
「そうだよ、何があってもね」
それでもというのです。
「偏見を持たない様にすることだよ」
「全くだね」
「自分自身は」
「そして世の中から少しでもなくす」
「そうしないと駄目だね」
「蝶々さんはその偏見でね」
人種と宗教のそちらでというのです。
「自害したからね」
「差別は駄目だよ」
「偏見を持ったらね」
「それが大変なことになるから」
「気を付けないとね」
「僕も思うよ、命は同じなんだよ」
そうだというのです。
「そして考えもね」
「そうだね」
「蝶々さんからそのことも教えてもらったね」
「この長崎で」
「そうだね」
「そうなったよ、僕もね」
こう皆にお話しました。
「そして二度とね」
「蝶々さんみたいな人は出て欲しくないね」
「偏見の犠牲者は」
「そうだね」
「そう思うよ」
こう言うのでした、そしてです。
先生はその日はホテルでじっくりと休みました、そして次の日も長崎の街をフィールドワークしました。その中で。
先生はまた中華街に行ってそこで長崎ちゃんぽんを食べましたがにこりと笑ってこんなことを言いました。
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