| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第2章 高校2年生
  ホタルに願いを込めて…… ②

 ――そして、いよいよ七月二十日。今日から夏休みが始まる。

「じゃあさやかちゃん、わたしたちもう行くから。部活頑張ってね☆」

 愛美は横浜駅まで、珠莉と一緒に行くことになっている。

「うん、頑張るよ。どこまで進めるか分かんないけどね。……あ、愛美の恋の進展具合も教えてよ」

「……もう! さやかちゃんシュミ悪いよぉ。――分かった。ちゃんと教えるよ」

 女の子同士の友情なんて、こんなものじゃないだろうか。からかわれても、やっぱり親友には恋バナを聞いてほしいものなのだ。

「ところで愛美さん。荷物はそれだけですの?」

 珠莉は愛美の荷物がスーツケースとスポーツバッグ、それぞれ一つずつしかないことに首を傾げた。
 一年前にはこの他に、段ボール箱三つ分の荷物がドッサリあったというのに。

「うん。大きな荷物は先に送っといたの。去年より一箱少ないけどね」

 千藤農園にお世話になるのも、今年で二度目。先に荷物が届けば、向こうもあとは愛美本人の到着を待てばいいだけ、ということだ。

「そうでしたの? じゃあ、そろそろ参りましょうか」

「うん。――さやかちゃん、行ってきま~す!」

「行ってら~~! 二人とも、気をつけて。楽しんどいで!」

「「は~い☆」」

 ――愛美と珠莉の二人は、まず地下鉄で新横浜駅まで出た。
 その車内で、愛美は多分初めて珠莉と二人、ゆっくり話す機会に恵まれた。

「そういえば、初めて会った時から思ってたけど。珠莉ちゃんって肌白いよねー」

「まぁね。私、今まで話したことありませんでしたけど、実はモデルになりたいと思ってますの。そのためにスタイル維持だけじゃなく、美白にも気を遣ってますのよ」

 愛美は彼女の夢を始めて聞いた。でも、スラリと背が高く、スタイルもいい珠莉らしい夢だと思う。

「へえー、そうだったんだ。珠莉ちゃんならなれるよ、きっと。でも、グアムに行ったら焼けちゃうんじゃない?」

「ええ、そうなのよ。私がグアムとか南国に行きたくないのは、それも理由の一つなの。あれだけ日差しが強いと、日焼け止めなんていくらあっても足りないもの」

「そうだよね……。でも、今回行きたくない理由はそれだけじゃないもんね?」

「ええ。治樹さんも東京にお住まいだってお聞きしてるし、東京にいれば街でバッタリ会うこともあるかもしれないでしょう? でも……、海外に行ってしまったら、帰国するまでは絶望的だわ……」

「うん……」 

 愛美は純也さんの連絡先を知っているから、たとえ会えなくても電話で声を聴いたり、メッセージのやり取りもできる。だからあまり「淋しい」とは思わないけれど。
 珠莉は治樹さんの連絡先すらまだ知らない。妹であるさやかに訊く、という手もあったけれど、それでは彼の方が珠莉の連絡先を知らないし、たとえ身内であっても第三者を巻き込むのは珠莉も気が退()けるのだろう。

「珠莉ちゃん、そんなに落ち込まないで。早めに日本に帰ってこられたら、治樹さんに会うチャンスもあるかもしれないから。ねっ?」

「……そうですわね。落ち込んでいても、何も始まりませんわね」

 愛美の一言で、暗かった珠莉の表情は見る見るうちに明るさを取り戻していく。

「ところで、お肌が白いっていえば愛美さん、あなたもじゃなくて?」

「うん、そうなの。わたし、小さい頃から全然焼けなくて。元々そういう体質なのかなぁ? 去年夏も、外でいっぱい農作業とか手伝ってたのに日焼けしなかったんだよ。わたしはこんがり小麦色に日焼けする子たちが羨ましくて仕方なかったなぁ」

「まぁ、そうね。長野はあまり日差しが強い地域でもないし、あなたがお育ちになった山梨もそうでしょう? 育った環境にもよるんじゃないかしらね」

「なるほど……、そうかも」

 愛美は納得した。もし生まれ育ったのが沖縄(おきなわ)みたいな南国だったり、ビルの照り返しの強い都会だったら、もっと日焼けしやすい体質になっていたかもしれない。

「でもね、愛美さん。私たちくらいの年齢になると、あまり日焼けはしない方がよくてよ。シミやそばかすの原因になりますもの」

「そうだよね。実はわたしも、去年おんなじこと考えてたんだ」

 年頃の女の子にとって――特に恋するオトメにとっては、日焼けはお肌の大敵なのだ。愛美だって珠莉だって、好きな人のためにもキレイなお肌を保ちたいのは同じ。

 ――二人がそんな会話をしている間に、「次は新横浜」という車内アナウンスが聞こえてきた。

「――あ、次だね。珠莉ちゃん、降りよう」


   * * * *


 ――JR新横浜駅で成田空港に向かう珠莉と別れ、愛美は去年と同じように新幹線の車上の人になっていた。
 去年はサンドイッチで昼食を済ませたけれど、今年はお財布の中身に余裕があるため、乗り換えのために降りた東京駅でちょっと高い駅弁を買って北陸新幹線の車内で食べた。

 その車内で、愛美は純也さんに、スマホから一通のメッセージを送信した。


『わたしは今、新幹線で長野の千藤農園に向かってます。
 純也さんはいつごろ来られそうですか? 連絡お待ちしてます☆』 


   * * * *


 ――JR長野駅の前には、一年前と同じように千藤農園の主人(名前は善三(ぜんぞう)さんという)が車で迎えに来てくれていた。もちろん、助手席には多恵さんも乗っている。

「こんにちは! 今年もお世話になります」

「愛美ちゃん、こんにちは。待ってたわよ」

「よく来てくれたねぇ。もう荷物は届いてるから、天野君に部屋まで運んでもらってあるよ。――さ、乗りなさい」

「ありがとうございます。じゃあ、おジャマしまーす」

 礼儀正しく挨拶をした愛美を、善三さんはニコニコしながら白いライトバンの後部座席に乗せてくれた。

「――あ、多恵さん。いいお知らせです。純也さん、今年の夏はこちらに来られるそうですよ」

「あら、坊っちゃんが? でも、ウチには連絡なかったわよ。ねえ、お父さん?」

 驚いた多恵さんは、首を傾げて夫である善三さんを見た。

「ああ、電話はなかったねぇ。愛美ちゃんはどうして知ってるんだい?」

「実はわたし、五月から純也さんと個人的に連絡取り合えるようになったんです。で、わたしが先月かな、お電話した時にそうおっしゃってたんで」

「そうなの? 知らなかったわ。でも、あの坊っちゃんが女の子と個人的に連絡を取るようになるなんて……。愛美ちゃんは、よっぽど坊っちゃんに気に入られてるのね。――で、坊っちゃんのご到着はいつごろになるの?」

「あ……、それはまだ分かんないです。お忙しいのか、その後連絡がなくて。さっき、わたしからもメッセージ送ってみたんで、そのうち折り返しがあると思います」

 純也さんが、愛美からの連絡を無視するはずがない。連絡がないのは、本当に多忙だったからだろう。
 愛美はスポーツバッグのポケットからスマホを取り出した。メッセージアプリを開いてみると、新幹線の車内から送ったメッセージはちゃんと既読になっている。

(純也さん、ちゃんと見てくれたんだ……。よかった) 

 彼はきっと、今日も仕事に追われているんだろう。社長は社長で、それなりに忙しいものだ。
 それでも、愛美からのメッセージにはちゃんと目を通してくれている。愛美はそれだけで嬉しかった。


****

『拝啓、あしながおじさん。

 長野の千藤農園に着いて、十日が過ぎました。
 わたしは今年も農作業のお手伝いにお料理に学校の宿題に、それから公募用の原稿執筆にと忙しい夏休みを過ごしてます。そのおかげで、毎晩クタクタになってベッドに入っちゃうので、おじさまに手紙を書く時間もなくて。
 多恵さんは最近手作りパンにこってるらしくて、わたしも毎日、佳織さんと一緒にお手伝いしてます。生地をこねたり、多恵さんが買ったばかりのホームベーカリーでパンがふっくら焼けるのを、お茶を飲みながら待ったり。すごく楽しいです☆ そして、焼きたてのパンはすごく美味しいです! おじさまにも食べて頂きたい。きっと喜んで下さると思います。
 純也さんからは、まだ連絡がありません。わたしが送ったメッセージは見て下さったみたいなんですけど……。きっと忙しくて、返信する暇もないんだろうな。
 短編小説は、プロットのできた四作のうち三作はもう書き上げてあって、もう一作もあと少しで書き上がります。純也さんがこちらにいらっしゃったら、さっそく読んでもらうつもりです。それまでに原稿が上がるのか、純也さんが先に来られるのか。わたしはドキドキしてます。
 〝ドキドキ〟といえば……。わたし、この夏に純也さんに告白しようと思ってます。純也さんの方も、わたしのことを気に入って下さってるみたいだし。それよりも、この想いを抱えたままじゃわたし自身がおかしくなっちゃいそうで。だから結果なんて考えないで、自分の気持ちをそのまま彼に伝えます。
 おじさまも、わたしの恋を見守ってて下さいますよね? ではまた。

      七月三十日       愛美        』

****



「――愛美ちゃん! 佳織ちゃんと一緒にパン作り手伝ってー!」

「はーい! 多恵さん、今行きまーす!」

 夏休みが始まって三週間余り。
 この日の午後も、愛美はキッチンで多恵さんのパン作りのお手伝い。最初はド素人丸出しだった生地のこね方も、だいぶ板についてきた。今では愛美も、この時間が楽しみになっている。

「……あ、そうだ。スマホは持って行っといたほうがいいかな」

 純也さんから、そろそろ連絡がくるかもしれない。愛美はスマホを自前のチェックのエプロンのポケットに入れて、キッチンへ下りていった。

「――わぁ! 愛美ちゃん、生地こねるのうまくなったね。あたしなんか、そうなるまでにあと一ヶ月はかかりそうだよ」

 佳織さんが粉まみれになってパン生地を相手に悪戦苦闘しながら、愛美の手つきを惚れ惚れと眺めて言った。

「そうですか? まあ、元々お料理も好きだったし、楽しいと上達もしますよ」

 手作りパンの経験はないし、もちろんパン屋さんで働いたこともないけれど。この後美味しいパンが食べられると思えば、こんなの苦労でも何でもない。

「――さ、こね方はこれくらいでいいでしょう。冷蔵庫で三十分くらい発酵させましょうね。二人とも、手を洗って」

「「はい」」

 愛美が先に手を洗わせてもらい、タオルで手を拭いていると……。

 ♪ ♪ ♪ …… 
 
 愛美のエプロンのポケットで、スマホが着信を告げる。五秒以上鳴っているので、電話の着信らしい。

「――あ、純也さんからです。もしもし? 愛美です」

『愛美ちゃん? 純也だけど、今大丈夫かな?』

「はい、大丈夫です。今、キッチンで多恵さんと佳織さんと三人で、パン作りしてるんです」

『パン作り?』

 純也さんがオウム返しにした。どうして多恵さんが急にそんな趣味にはしったのか、多分頭の中にクエスチョンマークを飛ばしているんだろう。

「はい。去年の冬くらいからハマってるらしいですよ。そのためにわざわざホームベーカリーまで買っちゃったって」

『……そうなんだ。善三さんも大変だな』

 電話の向こうで、純也さんが苦笑いしている。
 ホームベーカリーは決して安い買いものではないので、ねだられた善三さんに男同士の身として同情しているらしい。

「そうですね。――あ、多恵さんとお話しますか?」

『うん、代わってもらえるかな?』

「はーい。ちょっと待って。スピーカーにしますね」

 愛美は笑って答えながら、スマホの通話画面のスピーカーボタンをタップして、作業台の上に置いた。これで、手を放していて(ハンズフリーで)も話ができる。

「坊っちゃん、多恵です。お元気そうで安心いたしました」

『うん、元気だよ。そっちは楽しそうだね。僕も混ぜてほしいくらいだ。東京はすっかり猛暑でね。ホント参ってるよ』

「愛美ですけど。純也さん、こっちにはいつごろ来られそうですか? 夏休みの初日にメッセージ送ったのに、既読スルーされちゃってるから」

 愛美はちょっと口を尖らせて彼に訊ねた。まだ付き合ってもいないのに(と、愛美本人は思っている)、これじゃ彼氏に知らん顔されている彼女みたいだ。

『あー、ゴメン! 仕事に忙殺されてて、ついうっかり返信するの忘れてたんだ。明日から休暇を取ったから、明日の……そうだな、午後にはそっちに着くと思う。ドライブがてら、車で行くから』

「分かりました。坊っちゃん、こちらではゆっくりおできになるんですか?」とは、多恵さんの言葉。

『さあ、どうだろう? それはそっちに着き次第かな。でも、愛美ちゃんもいるならすぐに東京に帰っちゃうのはもったいないな』

 つまり、純也さんはできるだけ長い時間を愛美と一緒に過ごしたいということだろうか。

「……そんな、もったいないお言葉です。じゃあ明日、お待ちしてますね。失礼しまーす」

 愛美は通話終了のボタンを押した後も、ドキドキしていた。

(明日、純也さんがこの家に来る……) 


   * * * *


 パン作りが終わってから、千藤家は愛美も含めて総動員で家の大掃除をして、翌日の何時ごろに純也さんが来ても大丈夫な状態になった。

 そして翌日の午後二時ごろ。準備万端整った千藤家の前に、一台の車が停まった。国産のシルバーの(エス)(アール)(ブイ)車。
 その運転席から颯爽(さっそう)と降りてきたのは――。

「やあ、愛美ちゃん!」

「純也さん! いらっしゃい!」

 笑顔で片手を挙げた大好きな男性(ひと)を、玄関先で待っていた愛美も満面の笑みで迎えた。

 純也さんは大きなスーツケースと、これまた重そうなボストンバッグを持っている。愛美の荷物ほどではないにしても、男性にしては荷物が多い気がするけれど……。 

「愛美ちゃん、悪いんだけど車のトランク開けてもらっていいかな? 今ロックを外すから」

「えっ? ……ああ、はい」

 愛美は戸惑いながらも、彼のお願いを聞いた。

(……もしかして、まだ荷物が?)

 愛美がトランクを開けると、そこには信じられないものが積まれていた。

「これって……、バイク?」

「そうだよ。もう一台の僕の愛車。――愛美ちゃん、ありがとう。あと降ろすのは自分でやるから」

 純也さんが車から降ろしたのは、ライトグリーンの中型のオフロードバイク。
 愛美はバイクのことはまったく分からないけれど、純也さんの話では二五〇cc(シーシー)サイズらしい。

「これで、愛美ちゃんを後ろに乗せて山道とか走れたら楽しいだろうな……と思って積んできたんだ。……あ、ちなみに僕、大型二輪の免許持ってるから」

「へえ……、スゴいですね。なんかカッコいいなぁ」

 愛美はそう言いながら、頬を染めた。思わず、バイクの後部座席で彼の背中にしがみついている自分の姿を想像してしまったのだ。

「――あらあら! 純也坊っちゃん、いらっしゃいまし! まあまあ、こんなにご立派になられて……」

 そこへ、多恵さんも飛んできた。家の中で家事でもしていたのか、エプロンを着けたままだ。

「多恵さんも、元気そうだね。急な頼みをしてすまないね。僕の部屋は空いてるかな?」

「はい、もちろんでございます! いつ坊っちゃんがいらっしゃってもいいように、ずっとそのままにしてございますよ。さあさ、坊っちゃん! お上がり下さいまし!」

 多恵さんはもみ手しながら、純也さんを家の中へと促した。

「……どうでもいいけど。多恵さん、僕のことを『坊っちゃん』って呼ぶの、いい加減やめてくれないかな? もう三十なんだけど」

 純也さんは困惑気味に、多恵さんに物申していた。
 いくら相手が元家政婦さんでも、アラサーの男性が「坊っちゃん」呼ばわりされるのは恥ずかしいんだろう。

「何をおっしゃいます! 私と夫にとっては、坊っちゃんはいつまでも坊っちゃんのままですよ。ええ、私はやめませんよ! いくら坊っちゃんのお願いでも」

「……ダメだこりゃ」

 やめるどころか、多恵さんの「坊っちゃん」呼びは余計にひどくなっている。もう意地なのかもしれない。

「多恵さんはきっと、いくつになっても純也さんが可愛くて仕方ないんですね。ほら、お子さんいらっしゃらないでしょ? だから純也さんのこと、自分の息子さんみたいに思ってるんですよ」

「はあ。そんなモンかね」

 愛美の意見に、純也さんは困ったように肩をすくめてみせた。
 善三さんと多恵さんの夫婦に子供がいないことは、愛美も去年の夏休みに聞いていた。それも、本人から聞くのは忍びなくて、佳織さんから聞き出したのだ。――多恵さんは昔、病気によって子供ができない体になってしまったんだ、と。
 だから余計に、昔自分がお世話をしていた、我が子くらいの年頃の純也さんのことを今でも息子のように思っているんだろう。

「純也さん、暑かったでしょ? お部屋に上がる前に、ダイニングで冷たいものでもどうですか? っていっても麦茶しかないですけど」

「悪いね、愛美ちゃん。ありがとう。じゃあもらおうかな」

「はい!」

 ――愛美はキッチンへ行くと、お客様用のグラスによく冷えた麦茶を()ぎ、「どうぞ」と言ってダイニングの椅子に座っている純也さんの前にそっと置いた。

「ありがとう。いただくよ」

「坊っちゃん、よかったらお菓子でも召し上がります? 確か戸棚に、頂きもののお饅頭が――」

 彼がお茶を飲み始めた途端、またもや多恵さんがもみ手しながら純也さんにすり寄ってきた。
 すかさず、純也さんが眉をひそめる。

「多恵さん、まだ家事の途中じゃないのかい? 僕に構わなくていいから、自分の仕事に戻りなさい」

「……あっ、そうでした! 私、まだ洗濯ものを干してる最中でしたわ! 失礼しました!」

 多恵さんはやっと自分のやりかけの仕事を思い出し、慌てて物干し場へ走っていった。

「まったく! 多恵さんは僕の世話を焼きたくて仕方ないんだな。もう子供じゃないのに」

「ふふふっ。とか言って純也さん、全然迷惑そうじゃないですよ」

 ブツブツ文句を言いながらも嬉しそうな純也さんの向かいに座り、愛美もつられて笑った。
 何だかんだ言っても、多恵さんにあれこれと世話を焼かれるのはイヤではないらしい。

「ん、まぁね。僕の母親は――珠莉の祖母ってことだけど、自分で進んで子育てするような人じゃなかったから、僕の世話はシッターの女性か家政婦だった多恵さんに押し付けてたんだ。だから僕にとっても、多恵さんは実の母親以上に〝お母さん〟なんだよ」

「……なんか信じられない、お金持ちって。自分がお腹痛めて産んだ子なのに、自分では育てようとしないなんて。子供に対する愛情ないのかなぁ」

「愛美ちゃん……」

 愛美は純也さんの話に、自分自身のこと以上に胸を痛めた。
 愛美の両親みたいに、我が子の成長を最後まで見届けられなかった親もいる。でも両親は、確かに最後まで愛美のことを愛してくれていたと思う。
 そして愛美も、両親のいない自分の境遇を「不幸だ」と思ったことはない。亡くなった両親と同じくらい、施設の園長や先生たちに愛情を注いでもらっていたから。

「愛美ちゃん……、君が怒ることないよ。僕は別に、母のこと恨んじゃいないし、もう大人だから気にしてもいない。『ああ、そういう人なんだ』って思ってるだけでね。ただ、多恵さんには申し訳ないと思ってるから、できるだけ彼女の思い通りにしてあげたいんだよ」

「純也さん……」

「でも、愛美ちゃんは僕の代わりに怒ってくれたんだよね? ありがとう」

「いえ、そんな。お礼を言われるようなことは何も!」

 愛美はただ、純也さんの境遇にちょっと同情的になっていただけだ。自分は同情されるのがキライなくせに――。

(わたしって勝手だな)

 でも、純也さんはさすが大人だなと思う。子育てをほとんど放棄していたような自分の母親を恨まず、「そういう人なんだ」と達観しているなんて。

「ううん、愛美ちゃんは優しいね。今まで僕が出会った女性の中には、そんな風に怒ってくれた人はいなかったから。一人もね」

「そうなんですか……」

 その女性たちにとって大事だったのは、純也さんが〝辺唐院家の御曹司〟という事実だけで、彼がどんな境遇で育てられてきたのか、どんな気持ちでいたのかはどうでもよかったんだろう。

「――さて、この話題は終わり。そろそろ部屋に行くよ。そうだ、愛美ちゃん」

 膝をパンッと叩いて立ち上がった純也さんは、荷物を取り上げると愛美に呼びかけた。

「はい?」

「明日、僕に付き合ってもらえるかな? 久しぶりに(けい)(りゅう)釣りに行きたいんだ。よかったら、君もやってみる?」

「えっ? はいっ! ……あ、でもわたし、釣りなんかやったことないですけど」

 愛美が育った〈わかば園〉は山の中だし、釣りに行った経験もない。はっきり言ってド素人だ。そんなド素人が、簡単に釣りなんてできるものなんだろうか?

「心配ご無用。僕が教えてあげるし、〝ビギナーズラック〟って言葉もあるからね」

 彼はおどけながら、愛美の心配を払拭(ふっしょく)してしまった。

「じゃあ……、お願いします!」

「うん。じゃ、上に行こうか」

 ――愛美は純也さんと一緒に、二階へ。彼の部屋は、なんと愛美の部屋のすぐお隣りだった!

「ここが純也さんのお部屋……」

 そこは、愛美が使わせてもらっている部屋とはだいぶ違う空間だった。
 シンプルなクローゼットとベッド、そして机と椅子があるだけ。照明器具も他の家具もシンプルで、本当に、眠るか仕事をするかだけの部屋という感じだ。

「うん。殺風景な部屋だろ? 特に、ここ数年はあまり来てなかったから、あんまり荷物は置いてないんだ」

 そう答えながら純也さんは荷物を下ろし、机の上にノートパソコンを置いて電源に繋いだ。

「それ……、お仕事用のパソコンですか? でも今休暇中なんじゃ……」

「そうなんだけどねぇ。どうしても急がなきゃいけない案件だけは、こっちにメールで送ってもらうことにしたんだ。社長って大変だよ」

「そうなんですか。じゃあ、あんまりわたしとは遊べないですね」

 愛美はガックリと肩を落とした。彼が休暇でここに来ているなら、一緒に過ごせる時間もたっぷりあると思ったのに……。
 
(でも、お仕事があるなら仕方ないか。ここに来てくれただけで、わたしは嬉しいもん)

「そんなことはないよ。仕事は夜になってから片付けるし。遊べる時は思いっきり遊ぶ。オンとオフの切り換えがきっちりできることも、一流の経営者の条件なんだから」

「えっ?」

「それに、愛美ちゃんは何か僕に相談したいことがあるって言ってたろ? それもちゃんと聞いてあげるよ」

「はい。……ちゃんと覚えて下さってたんですね」

 愛美は胸の中がじんわり温かくなるのを感じた。一ヶ月も前に、電話で話した内容なんてもう忘れられていると思っていたのだ。

「もちろんだよ。僕は、一度した約束は絶対に忘れないからね」

「ありがとうございます! ――でもあの件は、あの後もうほとんど解決しちゃってて……」

「それでもいいから、とにかく話してごらんよ」

「はい……。でも長くなりそうだから、別の日にゆっくり聞いてもらいます」

「分かった」

 純也さんの返事を聞いた愛美は、「ところで」と彼の大きなスーツケースの中身(ファスナーは開けてあるのだ)を眺めながら言った。

「釣りの道具って、コレですか?」

「そうだよ。愛美ちゃんの分もあるから」

 スーツケースの中には洋服などが入っているのかと思いきや、中に入っているのは釣りに使う竿(〝タックル〟というらしい)やルアーのボックスなどだった。
 他にも色々、キャンプ用具などのアウトドア関係のものが詰め込まれている。

「釣りって、生きた虫をエサに使うんじゃないんですね。もしそうだったら、わたしどうしようかと思ってました」

「さすがに初心者の、それも女の子にいきなりそれはかわいそうだからね。明日教えるのはルアーフィッシングだよ。この時期は、イワナが釣れるはずなんだ」

「イワナかぁ。あれって塩焼きにしたら美味しいんですよね」

 実は愛美も、実際にイワナの塩焼きを食べたことがない。これは本から得た雑学である。

「そうそう! 特に釣りたては新鮮でね」

「わぁ、楽しみ! じゃあ、明日は早起きして、多恵さんと佳織さんと一緒にお弁当作りますね」

 釣りの話で盛り上がる中、愛美はあることに気がついた。

「そういえば、服とかはどこに入ってるんですか?」

 スーツケースの中には、それらしいものはほとんど入っていない(釣り用のウェアや長靴などは別として)。

「ああ、普段の服はそっちのボストンバッグの中。男の旅行用の荷物なんてそんなモンだよ」

「へぇー……」

 確かに、服や洗面用具などの〝普通の〟旅行用の荷物は少ない。けれどその代わり、彼の場合は他の荷物の方が多いともいえる。

「片付けは自分でやっとくから、愛美ちゃんは下で多恵さんたちの手伝いをしておいで」

 はい、と頷いて、愛美は一階のキッチンへ下りていく。そろそろパン作りの準備を始める頃だからだった。


   * * * *


 ――そして翌日。少し曇っているけれど、それほど暑くなく、釣りにはもってこいのお天気になった。

 愛美は純也さんと一緒に、車で千藤農園から少し離れた渓流まで、約束通りルアーフィッシングに来た。
 多少濡れてもいいように、二人ともフィッシングウェアに身を包み、ゴム長靴を履いての完全防備。……ただし、夏場にこの格好はちょっと蒸し暑い。

「――愛美ちゃん、かかってるよ! ゆっくりリールを巻きながら、タックルをちょっとずつ引き上げて」

「はいっ! ……こうですか?」

「そうそう。ゆっくりね。慌てたら逃げられるから、落ち着いて」

「はい」

 ルアーフィッシングというのは、コツをつかむまでが難しい。ルアーを本物のエサのように動かさないと、魚がかかってくれない。
 生きたエサを使う代わりに、こういう技術が必要になるのだ。

「――あっ、釣れた! 釣れましたぁ! やった!」

 それでも、愛美はそのコツをつかむのがわりと早かった。釣りを始めて一時間で、早々にイワナを一匹ゲットしたのだ。

「おお、スゴいな愛美ちゃん! こりゃ結構大きいぞ」

 まさに〝ビギナーズラック〟。愛美自身も、まさかいきなりこんな大物がかかるなんて思ってもみなかった。
 愛美は釣れたばかりのイワナを、水を張ったバケツにそっと放した。

「――あ、愛美ちゃん、こっちもかかった。……うわぁ、二匹も! サイズはちょっと小さいけど」

 純也さんは、さすが上級者だ。一度の仕掛けで同時に二匹釣るという荒業(あらわざ)をやってのけた。

「純也さん、スゴ~い! ――あ、わたしのもまたかかった!」

 今日は釣りの吉日なのか、二人とも入れ食い状態でジャンジャン釣れる。
 あまりにも小さいサイズの魚はすぐに川に放し、あとのイワナは昼食として美味しく頂くことにした。

「調理は僕に任せてよ。アウトドアは好きだし、家でも自炊してるからね」

 純也さんは手早く火をおこし、魚焼き用の網を用意してくれた。

「ここはやっぱり、シンプルに塩焼きかな」

 純也さんはそう言うと、リュックから取り出した小さなタッパーに入れてきた塩を一つまみ、網に並べた魚に振りかける。

「――あ、そうだ。お弁当作ってきたんですよ。おにぎりと玉子焼きと、夏野菜のピクルス」

 愛美も、提げてきた保温バッグから二人分のお弁当箱を取り出した。何だかちょっとしたピクニックみたいだ。

「おっ、うまそうだね! イワナもそろそろいい感じに焼けてきたよ」

 純也さんが焼けたイワナをお弁当箱に乗せてくれて、二人は豪華なランチタイム。

「焼きたてでまだ熱いから、ヤケドに気をつけてね」

「はい、いただきます☆ ……あっ、()ふっ!」

「ほら見ろ。だから言ったのに」

 案の定、熱々の焼き魚を頬張ってハフハフ言っている愛美を見て、純也さんは楽しそうに笑った。

「じゃあ、僕も頂こうかな。……ん! 美味い!」

 釣りたてのイワナは、純也さんがキチンとハラワタの処理をしてから焼いてくれた。魚のハラワタの苦みが苦手な愛美も、そのおかげで美味しく食べることができた。
 初めて食べたイワナの塩焼きは身にほどよく脂が乗っていて、焼くとふっくらして美味しい。純也さんが言った通り、シンプルな味付けが一番素材の味を引き立たせている。

「この玉子焼きも美味しいね。多恵さんの味だ」

「……それ作ったの、わたしです」

「ええっ!? ……いや、多恵さんの味そのまんまだよ。驚いたな」

 純也さんは愛美の料理の腕――というか再現度の高さに舌を巻いた。

「そんなに驚かなくても……。でも何より、こんなに空気の美味しい場所で食べられることが、一番のごちそうですよねー」

 昼食を平らげた愛美は、その場で伸びをした。
 
「うん、そうかもしれないな。何年ぶりだろう、こんなにのんびりできたの」

 純也さんはしみじみと言う。
 彼は普段、東京という大都会で時間に追われた生活を送っている。経営者には経営者なりの忙しさというものがあるんだろう。

「――あ、そういえば。去年の夏、わたし屋根裏部屋で、純也さんが子供の頃に好きだった本を見つけたんです」

 四月に寮に遊びに来てくれた時にも、五月に原宿へ行った時にも、純也さんに屋根裏部屋の話はしていなかったと、愛美は思い出した。

「えっ、屋根裏部屋? ――あそこ、まだあったんだ。もうとっくに物置と化してると思ってたよ」

「いえ、多恵さんがそのまんまにして下さってますよ。でね、その本をわたしも気に入っちゃって。そしたら多恵さんが、『愛美ちゃんにあげる』って。……ジャ~ン♪」

 愛美は自分のリュックの中からその冒険小説の本を取り出して、例の書き込みがある見開きを純也さんに見せた。

「うわ……。愛美ちゃん、見せなくていいって! なんか恥ずかしいから!」

「そうですかぁ? でもわたしにとっては、コレも純也さんの大事な成長の記録です。純也さんにもこんな時代があったんだなーって思ったら、楽しくて」

 黒歴史を暴露されたようで、慌てふためく純也さん。でも、愛美が楽しそうに話すので、彼女の笑顔を見るといとおしそうに目を細める。

「……まぁいいっか。――その本、面白いだろ? 愛美ちゃんも気に入ってくれてよかった。僕が読書好きになった原点だからね」

「はい。何回読んでも飽きないです。わたしもこんな小説が書けるようになりたいな。……あ」

「……ん?」

「わたし、文芸誌の公募に挑戦することにしたんです。で、短編を四作書いたんですけど、どれを応募しようか迷ってて……。純也さん、読んで感想を聞かせて下さいませんか? それを参考にして、応募作品を決めたいんで」

「いいけど、僕はけっこう辛口だよ?」

 ――なるほど、珠莉の言っていたことは正しいようだ。やっぱり純也さんの批評は厳しいようである。

「……分かってます。でも、できる限りお手柔らかにお願いしたいな……と」

「了解。できる限り……ね」

 純也さんはニッコリ笑った。けれど、ちょっと怖い。

(どうか全滅だけはまぬがれますように……!)

 一応、自分の文才は信じている愛美だけれど、ここは祈るしかなかった。書き手が「面白い」と思う作品と、読み手が「面白い」と感じる作品が必ずしも同じとは限らないのだ。

「――あ、そうだ。ホタルはいつ見に行く?」

「えっ、ホタル?」

 愛美は戸惑った。彼との電話でもメッセージのやり取りでも、一度もその話題には触れたことがなかったのに。強いて言うなら、春に彼と寮の部屋でお茶会をした時、「好きな人と見たい」と言ったくらいだった。
 〝あしながおじさん〟への手紙には、確かに「純也さんとホタルが見たい」と書いたことがあったけれど。どうしてそのことを、彼が知っているんだろう……?

「あー……、えっと。……田中さん! そうだ、田中さんから聞いたんだよ! 愛美ちゃんが僕とホタルを見たがってるってね」

「ああ、おじさまから聞いたんですね。なるほど。そういうことならぜひ一緒に見に行きたいです」

「じゃあ見に行こう。えーっと、今夜の天気は……」

 純也さんがスマホで天気予報を検索し始めたので、愛美もそれに(なら)った。

「――そのスマホカバー、使ってくれてるんだね」

 純也さんは愛美のスマホを見て、嬉しそうに言った。

「はい。あの日からずっと使ってます。だってコレは、純也さんが初めてわたしにプレゼントしてくれたものだから」

「そっか。大事に使ってくれてて嬉しいよ。――あ、今夜は曇りか。明日の夜は……」

 再び天気予報をチェックし始めた純也さんに、愛美が答える。

「明日の夜は晴れるみたいですね」

「よし! じゃあ明日の夜、ホタルを見に行こうか」

「はいっ! 楽しみです!」

 ――明日の夜、ついに念願が叶う! 愛美は心が躍り、そして――決意した。

(決めた! わたし、明日の夜、純也さんに告白する! ホタルの力を借りて……)

 今まで一年以上、ずっと彼に伝えられなかった想い。でも、ホタルに背中を押してもらえたなら、言えそうな気がした。


   * * * *


 ――翌日。この日は朝からよく晴れていて、暗くなってからもそのいいお天気は続いていた。

「わあ! キレイな星空……。ここから手を伸ばしたらつかめそう」

 ホタルが見られるという川辺まで歩いていく途中、愛美は満天の星空に歓声をあげた。
 一年前にもこの土地で同じように星空を眺めたけれど、今年の夏は好きな人と一緒。だからキレイな星もより光り輝いて見える。

「ホントだね。僕もこんなにキレイな星空、久しぶりに見たな」

 純也さんも頷く。
 東京ではこんなにキレイな星空は見えないだろうし、仕事に忙殺されていたら星空を見上げる心のゆとりもないのかもしれない。

 ――そして、愛美はこの時、ちょっとしたオシャレをしていた。

(純也さん、気づいてくれるかな……?)

 原宿の古着店を回って買った、ブルーのギンガムチェックのマキシ丈ワンピースに白い薄手のカーディガン。――愛美は小柄なので、サイズが合うものがなかなか見つからなくて苦労したのだ。
 足元はこれまた古着店で見つけた、ブルーのサンダル。少しヒールが高いので、若干歩きにくい。でも身長が高い純也さんに釣り合うように、どうしても履きたかった。

「――あれ? 愛美ちゃん、その服って原宿で買ってたヤツだよね?」

(やった! 純也さん、気づいてくれた!)

 愛美は天にも昇るような気持ちになったけれど、それをあえて顔には出さずにはにかんで頷く。

「はい。気づいてました? ……どうですか?」

「可愛いよ。よく似合ってる。愛美ちゃんは自分に似合う服がよく分かってるんだな。いつ見てもセンスいいよね」

「え……。そんなことないと思いますけど」

 愛美は謙遜した。「センスがいい」なんて言われたのは初めてだ。
 ただ自分の好きな色や、この低い身長に合う服を選んだら、たまたま似合うだけなのだ。

「そういう控えめなところも可愛いんだよなぁ、愛美ちゃんは」

「…………」

 愛美はリアクションに困った。純也さんは時々、真顔でこんなキザなことを言ってのけるのだ。しかも、それが全然イヤミにならないのだ。

「…………。もうそろそろ着くかな」

「……そうですね」

 なんとなく純也さんの方が気まずくなったと感じたのか、彼は取ってつけたようにごまかした。

 それから一分くらい歩くと、街灯ひとつない暗い川辺に人だかりができている。

「わぁ、スゴい人……」

「うん。愛美ちゃん、はぐれないように手を繋いでおこうか」

「……はい」

 愛美はそっと頷き、彼が差し伸べてくれた手を取った。その手の大きさ、温もりがすごく力強く感じる。

「キレイ……! 純也さん、ホタルってこんなにキレイなんですね……」

 あちらこちらで、黄色くて淡い光がすぅーっと飛び交っていて、明かりのないこのエリアを(はかな)げに照らしている。

「知ってる? ホタルって、亡くなった人の(たましい)が生まれ変わったものだって言われてるんだ」

「はい。何かの本で読んだことがある気がします」

 だからホタルの寿命は短くて、その命は儚いのかもしれない。

「もしかしたらこの中に、君の亡くなった両親もいるかもしれないね」

「純也さん……。うん、そうかもしれませんね」

 今からここで純也さん(好きな人)に想いを伝えようとしている我が子の背中を押すために、彼らはここにいるはずだ。

(……告白するなら今だ! 今なら言えるかもしれない)

 そして、彼の優しさに心動かされた愛美は、繋いだ手に少し力を込めた。

「……? 愛美ちゃん?」

「――純也さん、わたし……。あなたのことが好きです。出会った時から、初めて話をしたあの時からずっと」

 途中で一度ためらって、それでも最後まで言葉を(つむ)いだ。
 初めての告白だし、ちゃんと伝えられたかどうかは分からない。ちゃんとした告白になっているかどうかも分からない。でも、今の彼女に言える精一杯の気持ちを言葉にした。
 
「純也さん……?」

 彼の顔を直視できずに(というか、ヒールを履いているとはいえ四十センチ近くもある身長差のせいで見えないのだ)告白したけれど、彼からの返事が早く聞きたくて、愛美はもう一度呼びかけてみる。

「僕も好きだよ、愛美ちゃん」

「…………えっ?」

 彼の表情が見えない。聞き間違いかと思い、愛美は訊き返す。

「好きなんだ。君と初めて言葉を交わしたあの時から……多分ね」

 すると純也さんは、今度は愛美の目をまっすぐ見てはっきり言った。「好きだ」と。

「ホントに?」

「ホントだよ。僕がこんなことでウソつける男かどうか、愛美ちゃんも知ってるだろ?」

「それは……知ってますけど。だってわたし、十三歳も年下で、まだ未成年ですよ? それに、姪の珠莉ちゃんの友達で――」

「それでもいい。好きなんだ。だから、僕と付き合ってほしい」

 愛美はまだ信じられなくて、純也さんが断りそうな理屈を引っぱり出してみたけれど、それでも彼は引かなくて。
 でも、愛美に断る理由なんてひとつもない。彼が自分の想いを受け止めてくれたんだから、今度は愛美の番だ。

「はい……! こちらこそ、よろしくお願いします!」

 恋が実った喜びで胸がいっぱいになって、愛美は泣き笑いの表情で返事をしたのだった。

「よろしく。――じゃあ、そろそろ帰ろうか」

「はいっ!」

 こうして晴れて恋人同士になれた愛美と純也さんは、来た時と同じように手を繋いで千藤家への道を引き返していった。

「帰ったらさっそく、小説読ませてもらおうかな」

「……は~い。あんまり厳しいこと言わないで下さいね? わたしヘコんじゃうから」

「はいはい、分かってますよー」

 という楽し気な会話をしながら、愛美は心の中で天国の両親に語りかけた。

(お父さん、お母さん、見てる? わたし今、好きな人とお付き合いできることになったんだよ!)

 きっと見てくれていただろう。あの場所で飛び交うホタルに生まれ変わって――。  
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧