冥王来訪
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第三部 1979年
戦争の陰翳
国際諜報団 その2
前書き
今回も短めです
1970年代のソ連は、人口2億人弱だが、戦車341両と装甲兵員輸送戦闘車232両からなる戦車師団を50個ほどもつ強大な軍事国家だった。。
その他に巨大な航空戦力と海軍戦力と大量の核兵器を持ち、宇宙開発に莫大な資金を投下していた。
優秀な人材は、軍事関連か、KGBに採用されるのが常だった。
兵士の食費だけでも莫大、生産物は兵器や軍事関連優先だった。
経済体制も、採算性を無視し、予算も湯水のごとく使い放題だった。
ただし、この頃になると既に高度精密電子産業では、ソ連は西側に完全に水をあけられていた。
ICBMはおろか、通常戦で米国が率いるNATOと実際にぶつかっても勝てないと考えられていた。
その為、ソ連はKGBが主体となって、テロ作戦を実行していたことは以前話したとおりである。
GRUもまた、非正規戦闘に注目し、早い段階から超能力者の選別を行っていた。
ソ連政府は、早い段階から超能力者に目を付けていたが、KGBは彼らの存在に懐疑的だった。
KGBは、最高検察庁と共に超能力者を取り締まった。
特に検察は、機関紙である「法と証拠」の誌上で詐欺と認定し、精神病院に収容したり、実刑判決を出すほどだった。
だが、国連を通じた米国からの依頼で、超能力者を活用する計画が持ち出されたときには飛びついた。
国連よりオルタネイティヴ3計画の予算として、1968年から500万ドルの支援を受けていた。
これは当時の国連予算の20分の一であり、1967年のソ連の歳入の0.4パーセントにも匹敵するものだった。
(参考までに言えば、1967年のソ連の国家歳入は1102億ルーブル、国家歳出は1100億ルーブル。
1961年から1981年まで、1ルーブル=1ドルの固定ルートだった)
尚且つ、ソ連は継続戦争やコンゴ動乱を理由に分担金の支払いを止めている状態でのことだった。
巨額の開発資金の多くは、ソ連の諜報活動の資金に編入され、残った僅かな資金の身がESP発現体の開発に使われた。
その為、ESP兵士の多くはソ連各地から徴募した超能力者や霊能力者を結婚させて、生ませた子供が基本になっていた。
自然妊娠では、ESP能力の発現が悪いという事で、LSDやMDLAなどの向精神薬を用いる方法も多用されていた。
ソ連科学アカデミーでは、人工子宮の実用化には成功していたが、肝心の電子部品がなかった。
ソ連のエレクトロニクスは1960年代前半で止まっていたからである。
そこで彼らは諜報活動を通じて、防諜体制の弱い日本から電子部品を輸入することとしたのだ。
ここまでの話を見て、読者諸賢はソ連の宇宙開発に疑問が生じているであろう。
ソ連は何故、BETA戦争で国力を減退した状態であるのに宇宙開発を続けたのかと。
理由は実に明快である。
米国の覇権主義に対抗するには、覇権主義で応じるという態度を、ソ連が取っていたからだ。
ソ連は、1940年代前半に米国内で核爆弾の研究が開始すると同時にスパイを送り込んだ。
内部にいる工作員を通じて、技術提供を受けたソ連は、核技術の実験装置とノウハウを手に入れた。
結果として、ソ連は1948年に核分裂に成功し、1949年に核実験を完了した。
その際、ソ連は、核弾頭とその運搬手段である戦略爆撃機の数が米国に比して劣っていた。
重爆撃機の数とその質はソ連時代を通じて、終ぞ米国に追いつけなかった。
その為、フルシチョフ政権下のソ連は、大陸間弾道弾の開発を最優先課題とした。
ロケット学者であるセルゲイ・コロリョフに全権を渡して、新型ロケットの開発を進めた。
しかし、軍艦建造費や戦車等の軍事予算を削って、ロケット開発に入れ込むフルシチョフは1956年の第20回党大会で軍部の批判を浴びることとなった。
フルシチョフは、翌年に中央幹部会で罷免決議をされるも、そこからまき直し、反対派を一掃した。
足場を固めたフルシチョフは、改めてコロリョフに新型ロケットの開発を命じた。
そしてコロリョフは、最新鋭のR7ロケット開発を進めた。
だが、R7ロケットのノーズコーンの耐熱不足という技術的な問題で、ICBM開発で行き詰ってしまった。
もしこのロケットが成功しなければ、自分を推薦してくれたフルシチョフともども失脚しかねない。
そう考えたコロリョフは、R7ロケットをICBMではなく人工衛星打ち上げロケットとして発表した。
1957年当時、国際地球観測年に合わせて世界各国で様々な行事が行われた。
米国はこの機会に乗じて地球観測衛星を打ち上げる予定であったが、失敗する。
その年の10月4日に、ソ連は突如として人工衛星の打ち上げを発表した。
衛星の名前はスプートニク1号で、その事実は全世界に衝撃を与えた。
後の世に言うスプートニクショックとは、このソ連の人工衛星打ち上げの事であった。
ソ連当局はさほど大事件と考えていなかったが、西側の狼狽ぶりを見て、考えを改めた。
翌11月7日の革命記念日に、ライカと名付けたメス犬を載せ、宇宙に送り出した。
ライカは打ち上げの途中で高温に晒されて死亡してしまい、実験は失敗した。
だが生命体を宇宙に送り込むという実験は、全世界に衝撃を与え、その後の宇宙開発の方針を決めてしまう事となった。
このように、ソ連の宇宙開発は核ミサイルが未完成という事実をごまかすための弥縫策であった。
だが西側の反響を見て、ソフトパワーとして使えると認識したフルシチョフによって、宇宙開発は重要視されることとなったのだ。
ソ連は米国とは違い、宇宙開発専門の部局がなく、戦略ロケット軍の管轄下だった。
それは国際共産主義運動の連絡網構築と軍事支援を行っていた観点から、宇宙開発を軍事作戦と認識していた為であった。
人工衛星は高高度偵察機に代わるものであり、衛星による有人飛行は是非とも行わなければならないものだった。
そんな中行われた、1961年のガガーリンの有人飛行の影響力はすさまじかった。
西側のみならず、世界を震撼させたハンガリー動乱の負の記憶を払しょくさせた。
これらの結果は共産主義の優位であると喧伝し、ソ連は膨大な国費を弄しても宇宙開発を進めることとなったのだ。
KGB本部では、毎週定例の幹部会議が行われていた。
スースロフに辞任を迫った検事総長と参謀総長の行動を見て、新たな対外工作をする提案が幹部たちより出されていた。
「同志長官、我が国が月面で敗北したことは、おそらく数日のうちに露見しましょう。
その情報を伝え聞いた時、アメリカ野郎と、日本野郎がどう反応するかです。
木原が動くのは間違いありません。
問題は、木原の事件の調査を、どう妨害するかです」
KGB長官は、黙って幹部の発言を聞いていた。
顔には満足そうな笑みを浮かべ、静かに相槌を打つ横で、幹部たちが思い思いのことを言う。
「木原に、アルファ部隊の精鋭を差し向けましょう」
「いや、近しくしている者を攫って、木原にゼオライマーの秘密を明かすように脅すのです」
「日本野郎を動揺させるために、過激派を使嗾して、都市部で連続爆破事件を起こしたい」
「私は、モザンビーク政府に工作員を送り込み、南アフリカに軍事侵攻をさせ、米国の関心をそらすべきだと思う」
幹部たちの言葉を遮ったのは、モスクワの東洋学研究所の職員の男だった。
東洋学研究所は、その名前とは違って、アジア方面でのKGB工作員の養成所である。
全教員・職員がKGB将校で、生徒の75パーセントがKGB工作員という場所だった。
「フハハハハ」
男は大げさな笑いをして、周囲の関心を集める。
幹部たちは一斉に憤懣を湛え、その60がらみの男の方を向く。
「そんな事では、日本野郎の木原に勝つことは出来ぬわ!」
一斉に幹部たちは立ち上がり、腰に手をあてた。
「人の事を笑うのですから、何か良い考えがおありでしょうね」
「もちろん」
男は軽い笑みを浮かべながら、応じた。
「人間という物は、肉体的に厳しい状態に置かれるよりも、精神的に痛めつける方が答えるものよ」
幹部の一人が詰め寄ると、真剣な表情で尋ねた。
「早くお話しください、その戦略とやらを!」
東洋学研究所の男は鼻で笑った後、概要を語り始めた。
「まず訪日中のハイネマンを言葉巧みに誘惑し、ソ連の戦術機開発計画に参加させる。
人類のためなどと言って、我らの協力者に仕立て上げる。
ハイネマンは、日本貴族の篁とその妻、ミラ・ブリッジスと昵懇の仲だ……
そういう人物がソ連の工作員だった……その事実は木原に衝撃を与える」
東洋学研究所の男は、第二次大戦中から対日工作の現場で働いていた古参だった。
ウラジオストクの国立極東総合大学東洋学部の在学中にKGB第1総局にスカウトされ、モスクワの東洋学研究所の外部生になった。
「人間関係の弱い木原が、信頼する人物に裏切られてみろ!
その事でノイローゼになって、ろくにゼオライマーも動かせまい。
そうすれば、諜報機関も惰弱で、核戦力もない国の世論など簡単に動かせる」
KGB長官は、男の提案を受け入れた。
「その線で行きたまえ」
後書き
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