冥王来訪
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第三部 1979年
戦争の陰翳
隠密作戦 その1
前書き
スパイ退治、その1
「福井県沖の排他的経済水域に、ソ連の船!」
マサキは、鎧衣が持って来た航空写真を見て、声を上げた。
それをマサキの肩越しに、美久がのぞき込む。
鎧衣の持ち込んだ資料の中には、米軍の偵察機でとらえた写真が複数あった。
そこには、日本近海を遊弋するソ連海軍の軍艦2隻が写っていた。
「船影から類推するに、キンダ型巡洋艦……」
鎧衣は写真の説明を続けた。
美久はうなずきながら、答えた。
「確か、ソ連太平洋艦隊所属の最新型ミサイル巡洋艦です」
鎧衣は、美久の言を補足した。
「恐らく、近くに潜水艦でもいるのだろう」
マサキは、瞬時に敵の狙いを理解した。
ハイネマンの事を潜水艦に乗せて、ソ連へ誘拐する。
スパイ事件とは言え、即座に海軍が動くとは考えにくい。
こう言う事件の場合は、普通は沿岸警備隊が先に動く。
しかも原子力潜水艦にミサイル巡洋艦では、日本政府も手出しできないだろう。
なぜなら短距離の核ミサイルなどを撃ち込まれたときには、もうお手上げだからだ。
この時代の日本の地対空ミサイルは、確かナイキミサイルだ。
湾岸戦争で活躍したパトリオットミサイルでさえ、40パーセント前後だ。
日本政府は、その事を考えて及び腰になるはず。
何としても、日本国内に居るうちに事件を解決させねばなるまい。
こうなったら、事件を引き起こした人物を徹底的に抹殺するしかない。
中途半端な結果では、連中は報復してくるのは見えている。
マサキは不安な気持ちを押し隠すように、タバコを取り出した。
その瞬間、何者かが火のついたダンヒルのライターをマサキの前に差し出す。
慌てて振り返ると、御剣雷電だった。
「み、御剣……」
「余計なことに構う事はない……
穂積を潰しなさい」
御剣の口からそうきいて聞いて、マサキは驚いた。
穂積は、九條の娘婿、つまり義理の息子だからである。
「だが、九條は五摂家だろう……」
「私には、五摂家よりも大事なものがある」
一瞬、誰の面も悽愴に変ったが、静かにただ見守り合う目であった。
御剣の言を聞いたときに、ここに居る全員もまた御剣と同じ覚悟になっていた。
御剣は、床から布で包まれた棒状のものを拾い上げると、テーブルの上に置いた。
濃紺の包みを取ると、朱塗りの鞘に納められた打刀が現れた。
それは御剣家に代々伝わる宝剣・皆琉神威であった。
「これから大津にある九條亭に乗り込む。
おそらくそこにハイネマンがいて、穂積もいる」
「作戦時間は……」
マサキはM16A1小銃の点検をしながら、御剣に訊ねた。
「90分以内」
御剣は机の上に置いた九條亭の見取り図を前に話す。
彼の目の前には、7人の人員がいた。
すなわち紅蓮醍三郎、神野志虞摩、鎧衣、彩峰、美久、マサキである。
「作戦遂行中は、敵に感づかれないために一切電灯の使用は控えろ。
だが万が一のために、米軍のL字型ライトを持っていけ」
「全員がですか」
神野が尋ねてくる。
「一応狙撃手だけは、米軍のマグライトを使う。
ただし、頭上に樹木のある場所だけだ。
他の要員は、腰のベルトにライトを固定させよう」
マグライトは、1979年に米国で発売されたばかりの新商品の懐中電灯だった。
アルミ削り出しのこのライトは、従来の懐中電灯より若干重かったが、非常に堅牢な為、米国の法執行機関で愛用された。
また早い時期から日本にも個人輸入され、1980年代初頭には5000円と高価であっても1ダース単位で売れたという。
後に日本は、マグライトが世界で2番目に公式販売された場所でもあった。
「了解しました」
短く返事があった。
腰の位置に光源を固定するのは、足元を照らすためである。
そして安全上の配慮として、少しでも発見を遅らせる為でもあった。
「屋敷に着いたら」
鎧衣が先をうながした。
「弓矢の人間が門番を倒す。
そのまま彼らが周囲の警戒を続ける」
「彼らに、ほかの武器は」
「米軍のM79擲弾発射機を使う。
建物の内部では使えないからな」
M79擲弾発射機は、高温多湿というベトナムの過酷な環境下でも確実に作動する実績を持っている。
M16小銃に装着するM203擲弾発射機が一般化するまで、米軍全般で広く愛用された。
「残る5名で、屋敷の中にいる人間を片っ端から斬るか、突け。
発砲が必要になったら、迷うことなく打つように」
美久を含めて、全員が何かしらの刀剣類を帯びていた。
刀が不得手なマサキは、M16小銃の先にM7銃剣を、美久はM1ガーランドにM1905銃剣を付けていた。
京都市内から大津市まで、車で25分ほどで着く距離だった。
2台のバイクを先頭にして、79年型の黒のセドリックが、深夜の県道143号線を爆走していく。
セドリックはこのモデルを最後に、フェンダーミラーを廃止する。
なので、製造から40年近くたった現在では300万円ほどで取引されるほど高騰してる車種となっている。
九条の屋敷が見える位置に来ると、車が停止した。
前後左右のドアが開き、4人が降り立つ。
2台のバイクも間もなく止まって、降り立った運転手はそれぞれ背負っていた小銃を構える。
音を立てないことを最優先に、ゆっくりと屋敷のほうへ向かった。
大津市にある九條の別邸では、3人の男が話し合っていた。
ソ連スパイの穂積と、貿易商の大野、GRU少佐のアターエフである。
なぜ彼らが五摂家の九條の別邸にいるかというと、穂積が九条の親族だったからである。
九條と側室の間に生まれた娘を、穂積が正妻として迎え入れていたからだ。
「おそらくハイネマンを連れ出した件は米国にも漏れるでしょう。
ですが手を打っておきました」
「ほう、どんな手だね」
「福井にある越前海岸の洋上45キロの地点にソ連の原子力潜水艦を待機させています。
小型の高速艇に乗せて、浮上した潜水艦にランデブーし、ハイネマンを引き渡します」
領海等に関する用語として、了解、接続水域、排他的経済水域、公海の言葉がある。
まず、領海は、低潮線から12海里(約22km)の線までの海域で、沿岸国の主権は、領海に及ぶ。
次に、接続海域は領海の外側にあって、24海里(約44km)の線までの海域である。
沿岸国が、自国の領土又は領海内における通関、財政、出入国管理又は防疫に関する法令の違反の防止及び処罰を行うことが認められた水域である。
3つ目に、排他的経済水域は、領海の基線からその外側200海里(約370km)の線までの海域並びにその海底及びその下の事を指す。
排他的経済水域においては、沿岸国に天然資源の探査、開発、保存、海洋の科学的調査に関する管轄権が認められている。
最後に公海は、全ての国家に開放されていて、あらゆる自由が享受されている場所である。
「それで」
「そのまま潜水艦で、ナホトカか、北鮮の清津港に入港するつもりです。
如何に米軍の人工衛星が上空から見張っていても、接続海域を超えれば、手出しは出来ますまい」
自信満々に話すアターエフに、穂積は一抹の不安を感じた。
日本国内には、安保条約に基づいて、大小さまざまな米軍基地があるからだ。
米軍基地の他に、国家安全保障省の通信傍受施設もある。
恐らく乱数表を用いた暗号電文も、解読されているだろう。
「米軍が黙って見ているかね……」
一方のアターエフは安心しきっていた。
在日米軍の中には、多くのKGBやGRUの協力者が潜り込んでいたからだ。
彼等からの通報で、米軍の動きは逐一察知で来ていたのだ。
だから今回の作戦も、米軍は行動を起こさないと予想で来ていた。
「接続水域の外側に、ミサイル巡洋艦を待機させてます。
手を出す馬鹿はいないでしょう」
「警備艇が接近したら……」
穂積はそう言うなり、表情を曇らせた。
だがアターエフは皮肉な微笑を浮かべて、穂積の懸念を軽く一蹴してしまう。
「万が一に備えて、北鮮の元山空軍基地から、mig-21を飛ばす予定です。
向こうの大首領の許可はとっております」
「後は木原だけですか」
深い憂慮を浮かべながら、穂積が漏らす。
それまで黙っていた大野が口を開いた。
「これだけの事をしても奴が動き出さんのは、五摂家の後ろ盾に怖気づいたんでしょう」
「そういう男だったら、苦労はないんですけどね……」
アターエフは言葉を切ると、口つきタバコの「カズベック」に火をつけた。
煙草嫌いで知られる大野は顔をゆがめて、いかにも臭そうに紫煙を手であおいだ。
その瞬間、部屋のドアが突如として開け放たれた。
「わ、若旦那、は、早く離れのほうへ」
「どうした」
慌てて入ってきた警備員の方を向くなり、穂積は尋ねた。
「門番が全員殺されて、監視カメラも全部壊されています」
続けて、別な警備員が穂積たちに注意を促す。
「まさかとは思いますが、とにかく離れの方に移ってください」
穂積の顔色は、その途端、驚愕の色を浮かべる。
御剣と彩峰が正面から乗り込んでいる最中、鎧衣とマサキ、美久は屋敷の中に潜り込んだ。
マサキは暗闇の中から、殺気を感じた。
「何だ、お前は!」
目の前には坊主頭をした小柄の男がいた。
でっぷりと太った腹に、細い手足は、まるで株に棒を指したような不格好な姿だった。
ここで騒がれては不味い。
そう考えたマサキは、板張りの廊下をすり足で距離を詰めていく。
大野はズボンの中から60センチほどの刃渡りの大脇差を取り出した。
やくざ映画に出てくる長ドスのように椋木の鞘で覆われていた。
刃先を向けて来る直前、マサキは切り合いは不利と見て、安全装置を解除した。
ほぼ同時にM16の槓杆を引き、引き金を絞る。
しかし、それを察知したのか、大野は近くにあった障子を盾に避けた。
――しまった、一発目を外したか――
マサキは内心焦った。
取り外した障子を盾にした大野は、一転して攻勢に出る。
長脇差が一閃し、鋭い音で空気を切る。
牽制の意味での攻撃だったが、十分だった。
マサキは距離を置きながら、冷静に大野の動きを見る。
脇差を右手だけで振るっているので、左側ががら空きだ。
ここで大野を揶揄って、冷静さを失わせよう。
上手いタイミングを見て、銃剣で左胸の心臓を突けばいい。
「おまえは大野だな」
「なんだ」
マサキは、不敵な意図のもとに、大野の顔が見える辺まで近づいた。
「お前のような奴は、宦官と呼ぶのがふさわしい」
大野は怪訝な顔をする。
「宦官?」
「ソ連の様な悪の帝国に媚びを売り、小遣い稼ぎをするような奴は、機能無しの男女だろ。
確固たる信念を持たぬ男である貴様は、目先の利益しか考えない宦官以外に考えられるか」
宦官とは、古代支那や中近東の王朝に見られた皇帝の身辺の世話をする後宮仕えの男である。
男女の過ちを防ぐため、男性機能を去勢させた男にあらざる男であった。
その代わり、国を傾ける様な富と権力を築くことに異常な執念を注いでいた存在であった。
大野は、たちどころに憤怒した。
彼は肥満が原因で、男性機能が十分に発揮できなくなっていた。
それ以来、被虐思考に走り、ソ連から提供されたESPに変質的な行為をして、自分を慰めていた男だった。
マサキの一言は、大野の尊厳を破壊したと言っても過言ではなかった。
「くそ、てめえ、ぶっ殺してやる」
大野は発狂したような声を上げた。
すっかり人相の変わり果てた顔が紅潮し、すさまじい表情になる。
「やはりお前は不能だったのか」
マサキは口元をゆがめ、凄味のある表情で大野を見る。
「畜生ッ……うう」
大野はどうにもならず、呻くばかり。
脇差を振って、大立ち回りをするも、銃剣を付けたM16小銃を持つマサキの前では、リーチの差から不利だった。
「気が変わった。
お前には生きて売国奴として、惨めな姿を晒して、死刑になってもらう方がいい」
そういうとマサキは、M16小銃を持ち換えて、銃の台尻を棍棒の様に足めがけて振り下ろした。
膝に当たると、鈍い音と共に何かが割れるような音がした。
大野は刀を取り落とすと同時に、絶叫が轟く。
さらにもうひと振りをして、片方の足に台尻を振り下ろす。
大野は、両足を砕かれた激痛で、気を失った。
マサキは、伸びきった男の事を細引きで柱に縛り付けた後、その場を後にした。
後書き
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