コントラクト・ガーディアン─Over the World─
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第一部 皇都編
第二十五章―過去との決別―#12
レナスが黒刀を携えて────未だ【防御壁】に留められている魔獣に向かって奔り出す。
念のため【快癒】を施したので、レナスの魔力は全快状態だ。【魔力循環】による身体能力強化も最大限に効力を発揮できる。
あと一歩で【防御壁】に届くというところで、レナスは上半身を一層低くして、左手で握り込んだ黒刀の柄に右手を添えた。
レナスが、その漆黒の鞘を払いながら、最後の一歩を踏み込んだ瞬間を狙って────私は、【防御壁】を消す。
レナスの刀は、鞘や柄と同じく刀身まで漆黒で───まるで“影”のようだ。まだ事態を呑み込めていない魔獣に、レナスは黒刀を走らせる。
刃はあっけなく魔獣に届くかに見えたが────そう簡単には運ばない。レナスの刀は、【聖剣】によって、あっさりと弾かれた。
そのまま後退したレナスと入れ違いに、私は魔獣の許へと奔り込む。
まずは、聖剣である【誓約の剣】を取り寄せ、片手で振り抜いて───横凪ぎに斬りつける。だが、【聖剣】に防がれた。
以前【解析】した際、この【誓約の剣】は『斬れないものはない』と記されていたが───案の定、【聖剣】は斬ることはできないようだ。
そして───相手の【聖剣】も、私の【聖剣】を斬ることはできないらしい。
まさに────“矛盾”だ。
【月虹】のように腐食した様子もない。
続けて───【誓約の剣】を抜身の【聖剣ver.9】に替えて振り下ろしたが、相手の【聖剣】に受け止められ、結果は同じだった。
【聖剣】で以て【聖剣】を制するのは───やはり無理だということだ。
魔獣の【聖剣】に弾かれた勢いを利用して後ろに大きく退いた私は、手の中の【聖剣】を【認識章】のアイテムボックスへと送る。
私の【聖剣】はどちらも、【防衛】は施していない。自動的に修復するとなってはいるけど、万が一損傷するようなことがあった場合、修復するまでの間隙が命取りになりかねない。
どうせ相手の【聖剣】を損傷させることができないのなら───【夜天七星】で戦った方がいいだろう。
私を追って繰り出された魔獣の剣を、レナスが黒刀でいなした。レナスに剣の軌道を逸らされて体勢が崩れた魔獣に、私は魔術を放つ。
「【疾風刃】!」
私が放った風の刃は、またもや───いつの間にか張り直されていた【結界】に阻まれた。
しかし、レナスが下がっていた刀を即座に返して、下段から斬り上げるのが目に入り、私は再び魔術を発動させる。
「【疾風刃】!」
レナスの黒刀が【結界】を斬り裂くと同時に生まれた風刃が、無防備となった魔獣に向かっていったが───【聖剣】によって弾かれて届くことはなかった。
これは────非常に厄介な状態だ。
魔術にしろ物理にしろ、魔獣に攻撃を入れるには【結界】と【聖剣】の両方をどうにかしなければならない。
特に厄介なのは【聖剣】だ。魔獣の巨体に合わせた幅広の両手剣のため、最小限の動きで広範囲をカバーできてしまう。
私は取り寄せた弓矢で、魔獣と剣戟を交わすレナスを援護しながら───何かいい方法はないか、考えを回らせる。
レナスに【聖剣】を引き受けてもらい、私が【結界】を崩して、さらに攻撃を入れるしかないが────問題は、レナスが魔獣を押さえ続けるのが難しいことだ。
競り合う様子を見る限り───レナスの刀術の技量が、魔獣の剣術の技量を上回っているように思える。
だけど、魔獣と剣の巨体さがその技量の差を補って───しばらく競り合っていると、次第にレナスが押されてくる。
これでは────【結界】を崩しても、結局、先程と同様に【聖剣】で防がれることになる。
魔獣に向かって矢を番え放ちつつ、他に使える手札がないか考え続ける。
【聖騎士の正装】が頭を過るも───あれは魔素が満ちている環境でなければ使えないと、すぐに打ち消す。
先程まで予備炉を含め【魔素炉】を最大限稼働していたため、辺りを漂う魔素は僅かしかない。
自分の魔力でその性能を引き出すこともできるが、かなりの魔力を要するので悪手になりかねない。
魔力の残量はまだ枯渇するほどではないものの───大分、消費してしまっている。魔術を撃つにしても、物理攻撃をするにしても、魔力は必要だ。
レナスと私の役割を替えてみることも考えたけれど────レナスは、あまり魔術が得意ではないため、発動速度はそれほど速くない。
【聖剣】を抑えられたとしても、【結界】を張り直されたら意味がない。
レナスの固有能力【絶禍】は、広範囲に及ぶ魔術を防ぐというものだから、今の状況では使いようがない。
レナスが行使できる神聖術【覚醒】は、身体能力を強化する【身体強化】の上位互換のような術で、こちらはすでに行使している。
ただ、魔力も相応に使うから───常時ではなく、必要に応じて発動させているみたいだ。
よって────どちらもこの状況を打開できるようなものでない。
こうなると────やはり、【聖剣】をどうにかするしかない。
これまで得た情報を、もう一度思い出してみる。
まず───魔獣の持つ【聖剣】は、魂魄を剣身に纏うことで【聖剣】のスペックを装っている。
そして───あの【聖剣】と競り合うと、剣身が黒く腐食することが判っている。黒く変色して崩れ落ちる────これは、魔素に侵されたときの特徴だ。
固定魔法【結界】を行使できることから───魔獣の前世はエルフだったと考えられる。
アルデルファルムは───エルフの魂魄には、魔素が融合していると言っていた。それなら───魔素ならば、浄化できるはずだ。
纏った魂魄を浄化して───ほんの一瞬でも【聖剣】でなくなれば、あの剣を破壊することができるかもしれない。
≪レナス、折を見て後退して!【聖剣】が纏う魂魄を浄化するから───魂魄が消えたら、剣を破壊して!≫
≪御意!≫
私は【心眼】を発動させると同時に、弓矢を抜身の【ツイノミツルギ】に替えて───レナスが後ろに跳び退いた瞬間、床を蹴る。
擦れ違いざま、レナスを追撃しようと突き出された【聖剣】を、両手の【ツイノミツルギ】で絡めとるようにして押さえ込む。
【ツイノミツルギ】は位階としては【神剣】であるものの、浄化はできても物質を斬ることはできない───が、【聖剣】に折られてしまうこともなかった。
そのまま【身体強化】を発動して魔獣の膂力を押さえながら───【ツイノミツルギ】に魔力を流す。
すると、【ツイノミツルギ】の刃が触れている箇所の揺らめきが、まるで風に煽られた炎のように、すうっと消えた。
魂魄ごと浄化できることを確信した私は、一気に浄化すべく、固有能力をも発動させる。
「【浄化】!」
私の魔力が眩い光となって、魔獣の持つ【聖剣】の剣身を包んだ。炎のように揺らめいていた魂魄が、煙のように溶けていく。
それに伴って、大量の魔力が抜け───身体が重くなる。固有魔力が残り少なくなっているのだろう。
でも───今、倒れるわけにはいかない。奥歯を噛み締めて耐える。
幸い、固有魔力が枯渇してしまう前に、剣に纏わりついていた魂魄がすべて消え────私は叫んだ。
「レナス!」
魔獣の魂魄が消失したわけじゃない。再び魂魄が補充されないうちに、早く剣を破壊しなければならない。
私から見て左側面に奔り込んだレナスが、【聖剣】のガードの下───剣の付け根を狙って、黒刀を抜き放つ。
この剣が、【聖剣】ではなくなっても、剣身に聖銀と聖結晶が使われていることには変わりなく、ただの剣では傷つけることすらできない。
だけど、破壊できるはずだ。その漆黒の【霊刀】────“冥”ならば。
ピキ───と微かな音が響き、鏡のように曇りのない聖銀の剣身に漆黒の刃が食い込む。【覚醒】によって高められた腕力で、レナスが【冥】を振り抜いた。
枯れた“椿”がその花冠を落とすように、切り離された剣身があっけなく落ちて────耳障りな音を大きく立てながら、床に転がる。
私はこの機を逃さず、【ツイノミツルギ】を短剣に替えた。手にしたそれを投擲すると、すかさず魔術を発動させる。
「【疾風刃】!」
魔獣は剣の柄を棄て───掌を前に突き出す。
私が放った短剣が、【結界】を斬り裂いた。しかし、続いて向かった風刃は、新たな【結界】に弾かれる。魔獣が【結界】を破られることを予測して、内側にもう一つ【結界】を張ったのだ。
間髪入れずに、レナスが黒刀でそれに斬りかかった。
レナスに合わせ、私はもう一度魔術を放とうとしたが────発動するには、魔力が足りない。
「っく、こんなときに…!」
固有魔力が尽きなければ、自動的には共有魔力に切り替わらない。
魔獣は───私が作ってしまった隙を逃さず、目の前にいるレナスに向かって腕を振るう。
【結界】を斬ったばかりで、刀を振り下ろした状態のレナスは───それをまともに食らい、吹き飛ばされた。
「レナス…!」
レナスに一瞬気を取られたものの───魔獣の殺気を感じて意識を戻す。
「ノルン!共有魔力に切り替えて!」
───はい、主リゼラ!───
ノルンの返信が響き、ほとんど空だった魔力が満たされる。だが───すでに魔獣は距離を詰め、眼前で私を潰すべく腕を振り被っていた。
「っ!」
「リゼラ様…っ!」
レナスの叫び声が聞こえたが────私には、レナスが無事だったことに安堵する余裕もない。
まずい────そんな言葉が過った、そのとき。魔獣が、振り下ろすはずだった拳を開いて突き出したかと思うと───後方から純白の矢が飛来して、魔獣の築いた【結界】を撃ち砕いた。
それが誰の仕業かなど考えるまでもない。あれは────【フェイルノート】の矢だ。
私は振り返らず、魔獣に向けて唱える。
「【重力操作】!」
魔術式が現れて魔獣を捕え────魔獣は、膝をついて首を垂れた。
私は、どうしてか、それが当然であるかのように───【夜天七星】ではなく、【誓約の剣】を呼び寄せる。
そして───魔獣の首を目掛けて、その白き聖剣を───レド様よりいただいた大事な刀を振り抜いた。
※※※
ペギルは、突如、痛みに襲われ───目を覚ました。
その痛みがどこから来るのか辿れば───うつ伏せに倒れたペギルの背中に何かがのしかかっている。
のしかかる何かを確かめようとして、ペギルは、自分の身体が動かないことに気づいた。それでも、何とか首を捻って、のしかかるものを確かめる。
目に入ったのは────冷めた眼で自分を見下ろすヒグスだった。
「な───っおまえ、何してんだよ…!」
どうやらペギルは、胴を縄で縛られている上、ヒグスに足蹴にされているらしいが───どうして、そんな状況になっているのかが解らない。
意識を失う前を思い返してみても───いつものように、墓地の奥で時間を潰していたことしか覚えていない。
「おいっ、ほどけよっ!おまえっ、このオレにこんなことしてタダですむと思うなよっ!」
言いながら、ペギルは拘束を解こうと暴れたが───ヒグスの足に押さえつけられた身体は、頭と足先が揺れただけだった。
「黙れ────クズが」
いつもとは違う、地を這うような低い───唸るような声音で、ヒグスは言い捨てる。同時に、ペギルを踏みつける足に、一層力を入れた。
内臓が圧迫されて、その苦しさに───ペギルは、短く悲鳴を漏らす。
「ぐぁ…!」
ペギルはヒグスに文句を言おうとして───ヒグスのその酷薄としか表しようのない眼差しに、ひゅっと息を呑み込んだ。
ヒグスが腰に提げた片手剣を抜く。
(何だ、この状況────これじゃ、まるで────)
自分が、ヒグスに処刑でもされるかのようだ。
「ぉ、おい────冗談はやめろよ…」
ペギルは、どうにか笑って茶化そうとしたものの───笑顔は引き攣り、声は震えて、失敗に終わった。
見下ろすヒグスの眼差しは、変わらない。
ヒグスは自分を殺す気だ────ペギルはそう悟る。
「な、なぁ、オレたちは同志じゃないか…。ヘアナのためにも、一緒にジェミナを────っが!」
ペギルは、ヒグスを何とか思い止まらせようと口を開いたが────ヒグスに思いきり踏み潰され、増した痛みに思わず声を上げた。
「黙れ!ヘアナのためだと…!?よくも、ぬけぬけと言えるな…!」
ヒグスは憎しみに顔を歪ませて、強い口調で吐き捨てる。
「おまえ────俺が何も知らないと思っているんだろう?おまえが…、ヘアナに────俺の妹にしたことを」
ヒグスの妹───ヘアナは、ジェミナ付きの侍女だった女だ。そして、ペギルが利用するだけ利用して、捨てた女でもあった。
騎士として才覚がなく出世の見込みがなかったペギルは、ジェミナの目に留まればいい思いができると考え────ジェミナとの縁を得るためだけに、ヘアナに近づいた。
ヒグスに似て垢抜けず───男慣れしていなかったヘアナを、手玉に取るのは、ペギルにとっては造作もなかった。
ヘアナには、ペギルとの関係を誰にも知らせないよう、強く言い含めてあったのに────まさか、ヒグスが知っていたとは思わなかった。
だが───今のこの状況がヘアナの件が原因だと判ったペギルは、逆に希望を持った。これで、ヒグスを言い包められる───と。
「ちがうんだ、おまえは誤解をしている!オレは、ヘアナを愛していたんだ!ヘアナと別れたくなかったけど、ジェミナに脅されてしょうがなく」
「俺は───おまえがしたことを知っていると言ったはずだ。おまえが…、邪魔になったヘアナを始末するために、ジェミナを嗾けたことも───目の前で辱められているヘアナを助けようともせず────ジェミナと一緒に嘲笑っていたことも」
凍てついた声音でそう告げるヒグスには、先程のような激情は見当たらない。もう───ペギルが何を言おうとも、ヒグスは聞くつもりなどないのだ。
ペギルは───ヒグスのことを、自分より顔が劣っているだけでなく、妹の仇を取りたいと言いながらも何も知らないバカな男だ───と、そう思っていた。それなのに───そう侮っていた男に、今、ペギルは殺されそうになっている。
何も知らないのは────知らなかったのは、ペギルの方だった。
(そんな────オレは…、ここで死ぬのか?このオレが、こんなところで…?────い、いやだ…!)
「こ、こんなところで───おまえの私怨なんかでオレを殺したら、閣下が黙っていないぞ…!」
それは苦し紛れだったが────言ってから、ペギルは自分の言ったことが正しいような気がして、勢いを得る。
ジェスレムとファミラを魔獣に殺させたのに───自分の死体が見つかれば、ガラマゼラ伯爵にとっては都合が悪いはずだ。
「きっと閣下に────」
「残念だったな。その閣下のご命令だ────おまえをここで殺せ、と」
「は?───閣下が…、なんで、オレを…?」
「ジェスレムとその親衛騎士が殺された現場で、ジェミナに恨みを持つおまえの死体が発見される。当然───ジェミナへの怨恨を持つ者の関与が疑われることになる。ジェミナに恨みを持つ───ルガレド皇子の関与が」
ヒグスは、何でもないことのように淡々と続ける。
「閣下は───ルガレド皇子諸共、“双剣のリゼラ”を始末するおつもりだ。おまえの死体が見つかった上で、ルガレド皇子の関与をほのめかせば───後は、義憤に駆られた皇妃一派がルガレド皇子の仕業だと、勝手にでっちあげてくれるというわけだ」
「そ、んな────」
一縷の望みを砕かれて愕然とするペギルに───ヒグスは一切の慈悲を見せることなく、告げる。
「だから────潔く死ね」
「ひ───いやだっ、やめろっ、やめてくれっ、オレは───オレは、まだ死にたくない…っ!!」
恐怖のあまり、涙が溢れる。ペギルは、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながらも───どうにか逃がれようとして、あらん限りの力で暴れる。
その拍子に、尿が漏れて股間に生温かいものが広がったが、そんなことには構っていられなかった。
暴れ続けるペギルは、胴体への圧迫感が消えたことに気づかなかった。
不意に、強い力で反転させられて───ペギルは、ようやく暴れるのを止めた。仰向けとなったペギルの視界に、後ろ手に腕を拘束されて跪くヒグスの姿が入る。
何が起こったのか解らず、視線を回らせると────ヒグスを捕えている人物とは別の男が、ヒグスとペギルを睥睨していた。
その男は、さほど大柄ではないが威圧感があり────向けられた敵意に、ペギルは震え上がる。
ペギルは、この男を知っていた。
騎士として伺候する者───あるいは伺候したことのある者なら、知らない者はいないはずだ。
“剣聖”として名高く、若くして騎士の最高峰まで昇り詰めた───虧月騎士団団長、ダズロ=アン・イルノラドだ。現イルノラド公爵でもある。
そして────先日見えた“双剣のリゼラ”の父親だ。
「リゼラを────始末するつもり、だと…?」
イルノラド公爵の怒気を孕んだ声音に────ペギルは、ヒグスに剣を向けられたときよりも、臓腑が冷えた気がした。
恐怖で、喉がひりつく。
「その話────詳しく聴かせてもらおうか」
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