コントラクト・ガーディアン─Over the World─
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第一部 皇都編
第二十五章―過去との決別―#11
ディンド卿を始めとする仲間たちに後を任せ────私は、ジグを伴って、レド様の許へと急いでいた。
転移してしまわないのは、さほど距離が離れていないということもあるが、状況が解らない中に飛び込むのは危険だと考えたからだ。
【把握】で二人の動きを確認すると、レナスは何者かと交戦しているらしい。
気になるのは────レド様は一点に留まり、それに参戦していないことだ。レド様に何かあったのではないかと────胸騒ぎは烈しくなるばかりだった。
ディルカリド伯爵たちが拠点としていた区画は、“格納庫”のセクションにある。格納庫というからには、ここで魔導機構などの整備や改修が行われていたのだろうが───現在は何もない広いだけの空間だ。
幾つかに区分けされており、隣の区画にレド様たちはいる。
区切られた個所まで辿り着くと、ジグが困惑気味に口を開いた。
「ルガレド様は、この壁の向こうにおられるんですよね?扉は何処に?」
「この壁自体が扉なの」
私はジグの疑問に答えながら、隣の区画とを隔てるその壁に右手を翳した。私の掌を中心に、魔術式が花開くように展開する。
すると───音もなく壁が割れて左右に開かれた。
まず、目に入ったのは────身の丈3mはあるオーガの魔獣と交戦するレナスの姿だった。あろうことか、魔獣はその巨体に見合った大剣を両手で持ち、振り回している。
対するレナスが、私が創った対魔獣用武器である太刀ではなく、両手それぞれに持つ2本の短剣で応戦していることに疑問を覚えたが────不意に目に飛び込んだ光景のせいで、そんな疑問は頭から吹き飛んでしまった。
レナスと魔獣が戦っている場所より手前の位置に、倒れ伏している人がいた。
その人は────漆黒のコートを身に纏い、背に両手剣を背負っている。それから、聖銀のような銀髪に巻かれた黒い眼帯のベルトが見えた。
あれは────あれは…、レド様だ。
「リゼラ様───自分がレナスの援護に向かいます。リゼラ様はルガレド様をお願いします」
冷静を装ったジグの声で我に返る。
「ぁ───わ、かった。レナスをお願い」
動揺している場合じゃない。冷静にならなければ────そう思うものの、耳の奥で心臓の音が警鐘のように鳴り響き、手が痙攣しているように小刻みに震えるのを止められなかった。
私は動揺をどうにか押し込めて────ジグと共に奔り出す。
「レド様…!」
レド様の許に駆け寄り、跪く。
顔を覗き込むと───レド様は、眉を寄せ、額に脂汗を浮かべてはいたが───息はしている。
レド様が生きていることに安堵した、次の瞬間────私は、自分の魔力が足元に向かって流れていくのを感じ取った。
魔力はそのまま足元の床に呑み込まれていき────私を起点に巨大な魔術式が瞬く間に広がって、レナスの許へと向かっていたジグを捕らえる。
魔術式から発せられた強い光が私の中に入り込み、耳鳴りと頭痛に襲われたが───それは、すぐに止んだ。
何が起こったのか解らないまま、顔を上げると───前方に膝をつき蹲るジグが見えた。
「ジグ…!」
すぐさま【心眼】を発動させると、ジグを捕えた魔術を視る。
その結果に────私は息を呑んだ。
【記憶想起】
強制的に前世の記憶を甦らせる魔術式。【潜在記憶】に眠る知識を活用するために創られたが、行使すると魂魄を損傷することが実験段階で判明し、【禁術】に指定されて実用化は断念された。後世、この魂魄の損傷が【忘却障害】を引き起こすという事実が、この魔術の被験者の魂魄保持者たちによる自己申告で明らかになった。
「強制的に前世の記憶を甦らせる…?」
苦悶の表情を浮かべて、私の足元で倒れているレド様を見遣る。
まさか───まさか…、レド様は───この魔術で、前世の記憶を───あの凄惨な末路を思い出してしまったというの…?
「そんな────嘘でしょう…?」
“神託”は前世の生業を調べる魔術ではないか────自分でそう述べておきながら、こういった魔術が存在する可能性に、どうして思い至らなかったのか。
前世の生業をただ調べるだけでは────活用しなければ、意味はないというのに。
思い返せば、ヒントは十分あった。バナドル王が制定したという、【参拝義務】。そして────“デノンの騎士”の成り立ち。
どちらも、参拝あるいは神託のために教会に国民を呼び寄せ───有能な者をそこで見極め、身分関係なく雇用して、かなりの短期間で国力あるいは武力を向上させている。
ただ前世の生業を調べるだけでは、そんなこと成せるわけがない。
それに────イルノラド公爵夫人レミラが、授かった“神託”が『一女』だったために、生家で冷遇されていたという事実。
あの人の生家バララニ伯爵家は───確か、皇王デノンに才能を見出された平民が興した貴族家だったはずだ。
始祖が、“神託”によって重用されたという事実があったからこそ────前世の知識や経験を思い出したことにより、まるで“神託”で告げられた才能を持っていたかのように思われていたからこそ────バララニ伯爵家は、あれほど“神託”に重きを置いていたのだろう。
イルノラド公爵夫人の両親が、実の娘を虐げるくらい異常なほど、“神託”を信じ込んでいたことを────もっと疑問に思うべきだった。
このことに思い当たっていれば────思い当たらなくても、おじ様に注進することを優先せずに、昨日のうちに【最適化】を済ませておけば────
そんな後悔に呑み込まれそうになったとき────固いものが床を抉る音が響くと同時に、足元が小さく揺れた。
反射的に視線を向けて────私は、レナスが魔獣と交戦中であることを思い出す。
レナスの援護に向かうはずだったジグは、魔術に囚われて動けない。レナスは、今────巨大化した魔獣と一人で戦っている。
前世の記憶が甦ったであろうレド様のお傍についていたい。ついてはいたいけど────レナスを失うわけにはいかない。
「…っ」
私は、もう一度、レド様に目を遣ってから────振り切るように視線を上げた。
ジグは蹲って、未だに頭を押さえている。強制的に魔術を中断することに不安を覚えた私は、ジグはそのままに────【転移】で、レド様だけを【管制室】へと移動させる。
「ノルン───レド様をお願い。それから、レナスと私の【魔力炉】を繋げて」
───解りました、主リゼラ───
気絶しているレド様が現れたせいか、ノルンの声音は少し動揺しているように感じられた。
レド様を安全な所に送ったことで、ほんの少しだけ安心する。
ジグの周囲に【結界】を施すと────私は、レナスと共に戦うべく、駆け出した。
◇◇◇
「────っ聖剣…?!」
レナスの許へ向かいながら、【心眼】をもう一度発動させた私は、魔獣の持つ剣が【聖剣】であることに、思わず驚きの声を漏らした。
だけど───それなら、剣が魔獣の巨体に見合う大きさであることも納得できる。私の【聖剣】が刀へと変貌したように、あの剣も魔獣に合わせて大きさが変化したのだろう。
剣身が炎のように揺らめいて見えるのは、魂魄を纏っているかららしいが───その性能は私の【聖剣】と変わらないようだ。
とはいうものの───【聖剣】の性能は、まだ検証できていない。
こんなにすぐ、希少であるはずの【聖剣】と遭遇するなどと考えてもみなかったのだ。ましてや────競り合うことになるなど。
加えて───気になる点が一つ。魔獣の動きが巨体の割に素早いだけでなく、いやに理知的に思えることだ。
ディルカリド伯爵が造り上げた魔獣がいくら理性を失わず、知能が少し上がっているようだとはいえ───それでも、魔物から大きく逸脱するほどではなかった。
だが、レナスと対峙している魔獣には、今までになく知性が感じられた。
とにかく───レナスと合流しなければ。
見る限り、ケガはなさそうだけど────両手に持つ2本の短剣だけで戦っているレナスは、魔獣が繰り出す剣の切っ先を僅かに逸らすのが精一杯で、防戦一方となっている。
一旦、レナスを魔獣と引き離して、仕切り直す。そう決め────私は、奔りながら魔術を発動させた。
「【疾風刃】!」
風となった光の奔流が、魔獣の首元目掛けて向かっていく。魔術は、魔獣に届く直前で────見えない壁に弾かれた。
【聖剣】で防がれるか、後退すると考えていた私は、一瞬、虚を衝かれる。
あれは────【結界】?
視れば───魔獣の前面に、編み込まれた魔力が壁のように立ちはだかっている。間違いない。これは────エルフの固定魔法だ。
まさか────この魔獣が張ったの?
ジグを捕えている───記憶を強制的に甦らせる魔術の存在が頭を過る。
魔獣の魔力量は人間などより遥かに多い。あの魔術を発動させることは可能なはずだ。位置的にも、あの魔術式を通過してきた可能性は高い。
でも、それなら────この魔獣の前世はエルフだったということ…?
そこまで考えて、私は思考を切り替える。
つまり、この魔獣は───魔獣にしては高い知性だけでなく、エルフとしての経験、技能を持ち合わせているものと考えられる────今は、その情報さえあればいい。
私は、短剣を2本取り寄せ───まず、1本を魔獣の顔面付近に向かって投げつけた。そして、一拍置いて、もう1本を投擲する。
初めに放った霊剣である短剣が、【結界】を斬り裂く。【結界】は瞬く間に解け、無防備となった魔獣に2本目の短剣が襲う。
短剣とはいえ霊剣を危険だと判断したのか────魔獣は【聖剣】でそれを弾いた。
魔獣の気が逸れたその一瞬を見逃さず、レナスが後退する。
「【重力操作】!」
レナスが離れた瞬間を狙って、魔術を発動させる。
魔獣が重力に囚われ膝をついたのも束の間────魔獣は、その膂力で以て重力に逆らい、足元の魔術式に【聖剣】を突き立てた。
「リゼラ様!」
「レナス、私の後ろに下がって!」
自由になった魔獣が、その巨体で迫り来る。
「【防御壁】!」
私は咄嗟に、【聖騎士】となって与えられた特殊能力で防壁を張った。魔獣は見えない壁に阻まれ、こちらには近づけない。
突如現れた壁が気に障ったのか────魔獣は乱暴に【聖剣】を叩きつけるが、私の予想通り、魔術のようには砕けない。
【聖剣】と共に与えられた特殊能力だ。【聖剣】をも防ぐのではないかと思ったのだが────その読みは当たったみたいだ。
ただ、この能力は魔力を相当使う。そう長くは行使していられない。
「レナス、遅くなってごめんなさい。ケガはない?」
「いえ、来てくださってありがとうございます────リゼラ様」
目元を緩め、レナスは首を横に振った。
そんなレナスに、私は微かな違和感を覚える。別に劇的に変わったところがあるわけではない。いつもと変わらないようで────でも、何かが違うような気がした。
レナスが、不意に【遠隔管理】を発動させた。取り寄せたのは───私が創った対魔獣用武器である太刀だ。
月銀の刀身に聖結晶の刃を施した【魔剣】────“月虹”。
「申し訳ありません、リゼラ様。【聖剣】と競り合った折、いただいた“太刀”を損傷させてしまいました」
レナスが太刀を鞘から少しだけ引き抜くと、接触したと思われる個所が腐食して黒ずんでいた。それで、短剣で戦っていたんだ。
だけど、ふと疑問が湧く。折れたわけではなく────腐食?
「レナス、さっきは短剣で戦っていたよね。短剣に損傷は?」
「いえ、ありません」
【聖剣】と競り合ったにも関わらず、短剣には損傷がない?
レナスの短剣は、星銀製の【魔剣】だ。【月虹】に比べたら、質のグレードは低い。それなのに────何故?
「もしかして─────【防衛】のせい…?」
【月虹】は、魔力の刃を放つ───あるいは魔力を刀身に纏わせるために、【防衛】は施していない。
「【防衛】は、【聖剣】の攻撃をも防げる────ということ…?」
「いえ、それは違うと思います。オレの【防衛】では、あの【聖剣】の攻撃は防ぐことができませんでした。おそらく、リゼラ様が施す【防衛】だから防げるのではないか───と」
レナスの推論を突き詰めたいところだけど───今は、私が【防衛】を施した武具が【聖剣】と競り合えるという事実が知れただけで十分だ。
それよりも───魔物としての本能なのか、怒り狂ったように【防御壁】を【聖剣】で斬りつける魔獣の存在を、どうにかするのが先だ。
「つきましては────リゼラ様。この“太刀”を修復して、【防衛】を施していただけないでしょうか」
レナスのお願いに、私は眼を瞬かせる。
【防衛】を施したら、魔力を纏わせることも放つこともできなくなる。
そうしたら────ただの太刀でしかない。太刀を扱えるわけではないレナスには、魔獣への対抗手段にならない。
「そんなことをするよりも、剣を取り寄せた方が────」
言いかけて、気づく。レナスは、先程から【月虹】を“太刀”と表現している。以前は、“剣”と言っていたのに────
レナスに感じた微かな違和感を思い出す。
レド様と共にいたレナスが、あの魔術から逃れられたはずがない。多分、レナスにはあるのだ───私が与えた対魔獣用武器とは、別の───“太刀”に関する記憶が。
「レナス───貴方は…、“太刀”を───いえ、“刀術”を扱えるのね?」
「はい。おそらくは────貴女と同じ流派のものを」
それは…、すなわち────レナスと私は、前世、同じ世界を生きていたということになる。
その事実に、思考を持って行かれそうになるのを───ぐっと堪える。詳しい話は、すべてを終えてからだ。
「レナス、そのまま“太刀”を持っていて」
私は、レナスと太刀を一緒に包むようにして、【最適化】を施す。
この方が───【創造】で創り替えるより、レナスの求める刀が出来上がるはずだ。
私の身体から相当量の魔力が抜けて───【最適化】の眩い光が、レナスを包んだ。
光が収まったとき───レナスの手には、柄も鍔も鞘も、夜闇そのままのような───漆黒の太刀が握られていた。
私は、続けて【防衛】を発動させる。
レナスは、手の中の漆黒の太刀を───自分の為だけに創られた刀を、暫し見つめてから───顔を上げて微笑む。
「ありがとうございます────リゼラ様」
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