コントラクト・ガーディアン─Over the World─
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第一部 皇都編
第二十二章―明かされる因縁―#8
※※※
「護国を司る我ら騎士に───皇王陛下ならともかく…、一貴族を迎えに赴け───と?」
ダズロ=アン・イルノラドは、湧き上がる怒りをどうにか抑えつけながら、オークのようにブクブクと肥え万人に嫌悪感をもたらしそうな───防衛大臣とは名ばかりでそんな才覚など持たない男、ビゲラブナ伯爵を睨んだ。いや、オークの方が、まだ可愛げがあるかもしれない。
ビゲラブナ伯爵は───以前、伯爵である自分が、公爵であるダズロに命令できることが楽しくて仕方がないと宣っていたらしいが────それが事実であることを証明するかのように、ニタニタと見るに堪えない醜悪な笑みを、その脂ぎった顔に浮かべている。
「おや、不服かね?従うべき大臣である私に対して────何だ、その顔は。この皇国を支え───尽力してくれている貴族に敬意を表し、礼儀を以て皇都に安全にお連れする。誇り高き騎士として、当然のことだと思わんか?」
機敏な動きなど到底できそうにない、そのでっぷりと出た腹を揺らし───ビゲラブナ伯爵は、ゲフゲフと耳障りな声を立てて笑う。
(何が───この皇国を支え、尽力している、だ。国に貢献するどころか、食い潰しているだけの無能な輩が…!)
ビゲラブナ伯爵が、ダズロたち騎士に迎えに行けと言ってるのは───ベイラリオ侯爵家傘下の貴族ばかりだ。
辞令式に参加するために、上京する貴族を護衛してこい────と命じているのだ。
「どの貴族も、領地に立派な騎士団をお持ちのはずだ。我らの助力など、必要ないはずでは?」
嫌味を籠めて返したダズロに、ビゲラブナ伯爵は、ダズロが屈辱を覚えているのだと受け取ったようで、ますます調子に乗って醜悪な笑みを深めた。
「何を言っているのだ。彼の騎士たちは、この国の主要な地を護ることに尽力しているのだぞ。君らのように、領地を護ることもせず、楽をしてふんぞり返っているような輩とは違うのだ。こんなときくらい、役に立ったらどうだ?」
ビゲラブナ伯爵の言いがかりに近い────というか、言いがかりでしかない言葉に、ダズロは、腸の煮えくる思いを必死に噛み殺した。ここで、怒りを見せれば、この下種を喜ばせるだけだ。
ビゲラブナ伯爵が迎えに行けと言っている貴族たちは、この国でも経済的に主要な都市や国境地帯を領地としている者ばかりだ。
ベイラリオ侯爵家の権力で領主として収まったものの、領地を繁栄させるような才覚などないだけでなく、自分の私腹を肥えさせることしか頭にないので───数年前まで大都市として賑わっていたそれらの主要都市は、いずれも衰退の一途を辿っている。
年々、奴らが有する騎士団や領軍も質が落ちており、領地を護ることもままならない。
こんな状況で、未だ国として体裁を保っていられるのは、このレーウェンエルダ皇国が大国だからに過ぎない。
だが、それも────いつまで保つか。
その役に立たない騎士団や領軍を抱える無能な領主どもが、自分たちで何とかしようという努力もしないまま、やれ国境に敵が現れただの、領地に魔獣が現れたなどと、この下種に訴え出るたびに───ダズロ率いる“虧月騎士団”と、ダズロと意志を同じくする騎士が率いる“偃月騎士団”が駆り出されているのだ。
ビゲラブナ伯爵の言う“魔物や魔獣など相手にすべきではない誇り高き騎士”とは、ベイラリオ侯爵家の息のかかった者が統べる“彎月騎士団”だけのようで────駆り出されるのは、いつだって虧月騎士団と偃月騎士団のみだ。
それでも───すべての貴族領の援護要請を受けているのなら、まだいい。
この下種は、ベイラリオ侯爵家門や傘下の貴族からしか、援護要請を受け付けない。
現在、護国を司るはずの三つの騎士団は、この下種のせいで、ベイラリオ侯爵家の私兵に成り下がってしまっていた。
しかも、虧月騎士団や偃月騎士団の成したことは、すべて彎月騎士団と無能な領主どもの功績となっていて────その上、この下種は、虧月騎士団と偃月騎士団はまるで何もしていないかのように、『皇都でふんぞり返って何もしない烏合の衆』だと言い触れ回っているのだ。
「お言葉だが、何もせず楽をしてふんぞり返っているのは、貴殿と彎月騎士団だけでは?我々虧月騎士団と偃月騎士団は、“エリアエイナ地帯”を護るために、今も大半の騎士と兵士たちを駐在させたままだ」
ダズロたち騎士団上層部と騎士の一部だけが、辞令式のために皇都に一時的に戻って来たに過ぎない。
ビゲラブナ伯爵のような下種には、正論が一番堪えると見え───怒りに血の気が上ったのか、その醜い顔を真っ赤にしたかと思うと、さらに醜く顔を歪ませた。
「大臣である私に、口答えするな!お前らに断る権利などない!犬のように黙って従えばいいんだ!とにかく、この方たちを迎えに行け!いいな!」
唾を汚く飛ばしながら、そう言い捨てると───ビゲラブナ伯爵は、ダズロの返答など待たず、補佐官をそのままに護衛だけ引き連れて、足音も荒く自分の執務室を出て行った。
ダズロの無礼に気分を害されたなどと言い訳をして、その後の執務を投げ出すつもりなのだろう。元より、常日頃から、きちんと執務を行っているとは到底思えないが。
まあ、だが、出て行ってくれたのは良かった。あれ以上、会話を交わしていたら、さすがに殴り掛かってしまっていたかもしれない。
ダズロは、共に呼び出されていた、ダズロの同期の騎士であり、気の置けない友人でもある───“偃月騎士団”を統べるウォレム=アン・ガラマゼラに目配せすると、ビゲラブナ伯爵の派手さばかりが目立つ悪趣味な執務室を後にした。
「久しぶりだな、ウォレム」
騎士団の詰め所に設えられた自分の執務室に戻ると、ダズロはついて来たウォレムに応接スペースのソファを勧め、そう切り出した。
ダズロの側近で補佐官でもあるセロムが、すかさずお茶を淹れに、その場を離れる。
「ああ。一月半振りくらいか」
ダズロはこの皇都に昨日戻って来たばかり───ウォレムに至ってはつい先程着いたばかりのようだ。
ウォレムは体格が良く、そこらの若い騎士などよりも余程体力があるが、その厳つく角ばった顔には、やはり移動疲れが色濃く出ていた。
「お互い、気苦労ばかりが続く。今度は、バカどもの護衛と来たもんだ。あいつらなどより、よっぽど護衛したい───まともな貴族たちは自分の騎士を伴って上京するというのにな」
「そうだな」
ダズロは心底から嫌そうに────帰り際、ビゲラブナ伯爵の補佐官に渡された“護衛すべき愛国の徒である貴族”とやらのリストに、眼を遣る。
ダズロの本心としては、大事な部下をそんな連中に関わらせるなど冗談ではなく───皇都に来る途中、野盗にでも魔獣にでも勝手に襲われてしまえと思わないでもなかったが、命じられてしまったからには従わないわけにはいかない。
従わなかったら、それを理由に更迭される恐れがあるからだ。
お茶を淹れて来たセロムを交え、ダズロとウォレムの共に皇都に戻って来た部隊を、リストに記載されている貴族たちに割り当てていった。
割り当てをし終えて────ダズロとウォレムの交わす会話は、お互いの近況に話題が移った。
「…ファミラ嬢の様子はどうだ?」
「……昨日、邸に帰ったら───ファミラが“ガドマ共和国から取り寄せた逸品のカップ”を壊したとかで、苦情と共に皇宮から届いたらしい───弁償を求める旨の文書を見せられた」
ダズロは、沈痛な面持ちで、ウォレムに報告する。昨日の───その文書を見せられた際の妻であるレミラの言動を思い出し、ダズロの表情はさらに陰る。
レミラは、ファミラがジェスレム皇子の反感を買ったとは信じたくないようで────憤懣やるかたないという風情で、久しぶりに戻ったダズロを労うこともなく、その文書をダズロに突きつけ、怒りを湛えた声音で言い募った。
「これは、リゼラの仕業に違いないですわ!」
「……は?」
突きつけられた文書を読んでいたダズロは、レミラが何を言っているのか理解できなかった。
「ファミラが───あの子が、こんなことをするはずがありません!絶対に、リゼラの仕業ですわ!アレが、自分で仕出かしたことを、ファミラのせいにしたに違いないですわ!」
「何を言っている?これは───ジェスレム皇子の皇子邸で起こったことで、ファミラが壊したのはジェミナ皇妃の私物だぞ?リゼラは、ルガレド皇子の皇子邸で暮らしていて、携わる機会などない。リゼラが関係しているはずがないだろう?」
「それなら───リゼラが忍び込んで、ファミラを貶めるために仕出かしたに違いありませんわ」
「ジェスレム皇子の邸は、ベイラリオ侯爵家が厳戒態勢を敷いている。入り込むのは容易ではないし────そもそも、リゼラが何故そこまでする必要がある?」
「決まっていますわ!アレは無能ですもの。昔から有能なファミラを妬んでいましたし───自分は零落れた皇子の親衛騎士にしかなれなかったのに、ファミラが次期皇王であるジェスレム皇子の親衛騎士になったのを羨んでいるんですわ」
再び皇都を離れる前に、ダズロがあんなに言い聞かせたはずなのに───レミラは、そんなことなど忘れてしまったかのように、持論にしがみつく。
「レミラ───言ったはずだ。リゼラが、ファミラを妬むなどありえない。リゼラの実力は、ファミラなど足元にも及ばないんだ。すでに冒険者として成功しているし、ジェスレム皇子の親衛騎士となることなど羨むはずがない。大体、お前もファミラも、リゼラとは会っていないのに、どうして妬んでいるなどと判るんだ」
「それは───判りますわ。あの契約の儀の朝だって、妬ましそうに、わたくしたちを見ていたではありませんか」
「お前には、あれが────妬まし気に見えたのか…」
ダズロには───あのときのリゼラは、これから向かう場に相応しくないレミラとファミラの派手な格好を目にして、心底から呆れていただけのように見えた。
ダズロでさえ、あの朝、準備を終えた二人を目に入れた瞬間、眩暈を覚えたほどだったから、リゼラが呆れたとしてもおかしくなかった。
(人間は自分を通してしか物事を測れないというのは、本当だな────)
あの後、ダズロがどんなに言葉を尽くしても、レミラはリゼラの仕業だと言って譲らなかった。
どうしようもなく気疲れを感じたのは───『リゼラがファミラを妬んでいる』という見解を、レミラは苦し紛れに言っているのではなく、本気でそう信じ込んでいることだった。
レミラはこの10年間、リゼラに一度も会っていないと報告を受けている。
それなのに、頑なにそう信じているのは、おそらく、リゼラに自分を重ねているからなのだろう。すなわち────妹を羨んでいた自分に。
そう───レミラは、冷遇された過去を克服などしてはいなかった。
調べた結果───当時、社交界で囁かれていた『生家で虐げられているレミラが、その逆境を糧にマナーと教養を磨き上げた』という噂は、噂でしかなかった。
レミラの妹と反目していた令嬢が、ただレミラの妹を貶めるためだけにレミラを持ち上げ、噂を作り上げただけだった。
レミラの妹は、伯爵である両親に甘やかされて育ち、伯爵令嬢とは思えないほど無知で無教養だったらしい。
レミラは、言葉遣いを習っていなかったせいもあって口数も少なく、簡素なドレスを着せられていたため───無教養で派手なドレスと装身具に身を包んだ妹と比べられることによって、相対的に良く捉えられ、噂通りに見えてしまっただけのようだった。
レミラの妹と反目していたその令嬢が、それなりの権力を持つ貴族家の息女だったことも大きいようだ。
使用人のような生活を余儀なくされていたレミラが、マナーと教養を磨き上げたという事実は見当たらなかった。
言葉遣いやマナーに関しては、ダズロの父が存命のうちに公爵家で学ばせたとのことだ。
ダズロの父は、レミラの胆力を買ったのではなく────単に、レミラの置かれている状況に同情しただけだと、父の元側近で今は隠居しているセロムの実父から、つい先日教えられた。
そういうことは、事前に夫となる自分にも教えておいて欲しかったとは思うが────もっとレミラときちんと接していれば感じ取れたことだろうし、忙しいとはいえ交流を持とうとしなかった自分が悪いのだということも解っていた。
正直、レミラのことは、どう接すればよいのか───この先どうすればよいのか────ダズロには見当もつかない。
加えて───ファミラのこともある。
「まだ辞令が下されていないうちから、これだ。辞令が下され───ジェスレム皇子が世間と関わることになったときのことを考えると、気が重い…」
不幸中の幸いだったのは、ファミラが同じような性質であるはずのジェスレム皇子から反感を買ったことだ。
ファミラがジェスレム皇子を増長させるかもしれない────と恐れていたが、意外にも上手く抑止となってくれるかもしれないと、一瞬、浅はかな希望的観測が過ってしまった。
そんなに上手くいくはずがない────とダズロは思い直す。
「ファミラは、ジェスレム皇子から反感を買ってしまったようだ。おそらく────ジェスレム皇子に気に入られようと…、何か仕出かす可能性が高い」
ファミラのこれまでの言動から推測する限り、そうなる可能性の方が高い。
「そうか…」
「すまんな、ウォレム。これから、迷惑をかけることになるかもしれない」
ファミラの行動によっては、イルノラド公爵家は零落を免れない。
ビゲラブナ伯爵は───ベイラリオ侯爵家は、嬉々としてダズロを今の地位から引き摺り下ろし、自分たちに都合のいい輩をその後釜に据えるだろう。
そうなれば────すべての負担がウォレムにかかることになる。
「そう気に病むな、ダズロ。その件に関しては────大丈夫だろう」
「…何か妙案でもあるのか?」
思わず伏せていた目線を上げ、ダズロはウォレムに訊ねたが────ウォレムは薄く笑うばかりで、ダズロの問いには答えてはくれなかった。
「まあ、今は───ただ、自分のやるべきことをやろうや」
ページ上へ戻る