コントラクト・ガーディアン─Over the World─
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第一部 皇都編
第十七章―密やかに存在するもの―#5
薄暗い森の小道を、レド様と手を繋いで歩く。
この森は木々が密集していて、生い茂った葉が分厚く空を覆い、まるでトンネルの中を歩いているような感覚になる。
ところどころに偶然できた小さな天窓のような隙間から、木漏れ日が細い───柔らかな光の柱となって降り注ぐ。
今日は、レド様の休息のために、レド様と一緒に行くことを約束していた───ネロと出逢った“精霊獣の棲む森”へと皆で来ている。
ネロの故郷なので、一緒に行かないかと誘ったら───ネロには、サンルームで寝ている方がいいと、断られてしまった。
「リゼの言った通りだな。薄暗い中に木漏れ日が差し込んで───地面も柔らかくて…。あのサンルームへと続く廊下を歩いているようだ」
「ふふ、でしょう?」
「ただ、鳥の鳴き声はしないな…」
「ええ、ここは精霊獣が棲んでいるからか、魔物は勿論、鳥獣の類すらいないようなんですよね」
「そうなのか」
しばらく小道を歩いていると、前方に光が見えてきた。光に向かって進み、小道の終わりまでくると、唐突に前方が開けた。
目の前には────眩しいほどの日の光と、光にさざめく湖があった。
湖はレド様のお邸よりも遥かに大きく、近寄ると水底まで覗けるくらい水は澄んでいるのに、少し離れると青のような緑のような────そう、アーシャの双眸みたいな色合いに映る。
「うわあ…、キレイ…!」
ラムルとカデアと共に少し後ろを歩いていたアーシャが、声を上げた。
「これは────すごいな…。これが、湖というものなのか…」
レド様はそう呟いて────眼を細めて、湖に見入った。
「レド様、あちらまで行って、湖の傍で寛ぎませんか?」
私は、湖にせり出した小さな半島となっている場所を指す。
「そうだな。行こうか」
「ちょっと、ここで待っていてくださいね」
目的の場所に近づいたところで、私は皆に留まるように促した。
一人で進み出ると、私は小さな半島に、異次元にあるらしい拠点専用スペースから、ガゼボを取り寄せた。
ガゼボは───よくある白い石造りの柱と屋根からなる様式で、十畳ほどの広さがある。高床なので、前面に階段を設けてある。
前面の入り口を残して、造り付けのベンチで囲ってあり、真ん中には同じ石材のテーブルも造り付けた。
自動的に、常時【結界】が展開するようにしてあるので、セキュリティーも万全だ。
「リゼ…、これは?」
「今日のために創ってみたんです。皆で寛ぎたいなと思って」
皆でこの湖に来ることが決まったとき、嬉しくて────はりきって創り上げた。
あれ?何だか、皆が奇妙な表情になって────押し黙ってしまった…。
もしかして────張り切り過ぎた…?
「…リゼラ様、一体いつこんなものを?」
「というか…、何処で創っていたんですか?」
ジグとレナスが、狐に摘まれたような───呆然としたような態で訊く。
「ええと…、就寝前に少し…。自分の部屋で創りました…」
何でしょう、この雰囲気…。
何か────親に隠れてこっそりゲームをしてしまい、白状させられている子供の気分…。
「…ジグとレナスも知らなかったのか」
「知っていたら、止めてます」
「何か創っているのは知っていましたが、まさか、こんなものとは…」
ジグとレナスは、レド様と私の護衛を常時してくれているけど、応接間と厨房、ダイニングルームとサンルーム以外は室内が覗けないので、音や声を聴いているのみらしい。
私がよく【換装】を使用していると判ったのは、口に出して発動していたからのようだ。それを知って打ちのめされたのは、いい思い出だ…。
「しかし…、こんな大きなものを、よく部屋の中で創れたな」
レド様が、ちょっと呆れたように言う。
「その…、ベッドを【異次元収納庫】に収納して、部屋の真ん中で創ったんです」
正直、面倒だったので、専用の工房が欲しくなってしまった。
エルフの隠れ里で手に入れたログハウスも、作業できる場所がないから、まだ手付かずだし。
時間を見て、どうにかしたい。
それにしても、何故、皆こんな雰囲気なんだろう?喜んでくれると思ったんだけどな…。
「あの…、これ、創ってはいけなかったですか…?」
私の声が不安そうだったからか────そう訊くと、皆は、はっとしたような表情になって慌て出した。
「いや、そういうわけではない。ただ、リゼが無理をしているのではないかと思って────」
「そうです、最近、リゼラ様は忙しそうでしたし────」
「リゼラ様が我々のことを思って創ってくださったのに、悪いわけがありません。自分は────嬉しいと思っております」
「あっ、ジグ、てめぇ、またそうやって────」
「本当に油断も隙もない奴だな…!」
あれ、またいつものじゃれ合いが始まってしまった。
「リゼラ様、申し訳ございません。このようなものを創っていた様子がなかったから、皆、ただ驚いていただけなのです。私どものためにありがとうございます、リゼラ様」
ラムルは、兄弟のようにじゃれ合い始めた三人に構うことなく、私に向かって頭を下げる。
「ラムルの言う通りです。こんな素敵なものを創ってくださって────本当にありがとうございます、リゼラ様」
「こんな素敵なものをありがとう、リゼ姉さん」
ラムルに続いて、カデアとアーシャもそう言ってくれた。三人とも、気を使って言っているわけではなさそうだったので、安堵した。
「さあ、あの三人は放っておいて、リゼラ様が創ってくださったガゼボで寛ぎましょう」
いいのかな、と思いつつ────カデアに促され、ガゼボの階段に足をかけた。
じゃれ合いを止め、慌ててガゼボに駆け上がってきたレド様たちを交えて、皆でガゼボのベンチに座る。
座る位置でまた一悶着あったけど、結局、ガゼボの背面───湖側のベンチにレド様と私が並んで座り、レド様とは反対隣にアーシャが座って───ジグとレナス、ラムルとカデアで、それぞれ二人ずつ両脇のベンチに座ることになった。
「昼食には、まだ早いですね。お茶でも飲みましょうか」
私が提案すると、レド様を始めとした皆が───また、あの奇妙な表情になった。
「まさか…、リゼ────お茶の用意もしてきてくれたのか…?」
「え?あ、はい。昼食はカデアが用意してくれるとのことでしたから、それならお菓子でも、と思って」
「それは───いつ作ったんだ?」
「朝食やお弁当を作るときに、少しずつ作り置きしていたんです」
「そんなの作っていたか…?」
「ええと、レド様が来られる前に、仕込みと焼くのと工程を分けて、少しずつ作っていたんです」
晴れて厨房入りをカデアに許されたレド様は、私が朝食を作る日は、また手伝ってくださるようになった。
だけど、レド様はどうも低血圧らしく、あのベッドを以てしても寝起きはすぐに動けないようで、厨房に来るのは私より遅れがちなのだ。
「いけなかったですか…?」
「…いや────ただ、俺も一緒に作りたかったと思っただけだ。用意してくれてありがとう、リゼ」
レド様はそう言って────にっこり笑う。他の皆もにっこり笑う。
何だか妙な雰囲気に首を傾げつつ、私はアイテムボックスから、淹れたての紅茶が入ったポットと人数分のマグカップ、それに作り置きしておいたお菓子を取り寄せた。
◇◇◇
アイスボックスクッキーや貝型のマドレーヌを摘まみつつ、その美しい景色を堪能する。
どこからか風が吹き込んでいるらしく、湖には波が立ち、陽光を映す水面が一層煌めいて本当に綺麗だ。
湖から立ち上る冷気が風に載って、ひんやりと頬を撫でていくのも気持ちがいい。
眼を細めて湖を眺めていると、ふと対岸に───森の木立を背にして佇んでいる狼が目に入った。
白炎様のような、光を撥ね返す純白の長毛を靡かせ、雄々しく佇むその姿はただの獣には見えなかった。
おそらく、あれは────精霊獣だ。
だけど、何故あんなところにいるのだろう。精霊獣は森の奥深くに隠れ棲み、人前には決して姿を見せることはないと、ネロは言っていたのに。
「リゼ、どうした?」
レド様に声を掛けられたが────私は白狼から目を離せなかった。
私の視線を追って、レド様も白狼に気づいたようだった。
「あれは…?ただの獣ではないようだが───魔物ではないよな?」
「ええ。おそらく、精霊獣ではないかと」
対岸までかなりの距離があったが、それでも、白狼が、レド様と私をじっと見ているのが判った。
不意に───白狼が動いた。
湖に前足を踏み出す。しかし、前足は沈むことなく水面に乗り上げた。
四肢全部乗り上げると、白狼は、前方に───こちらに向かって、歩み始める。
「こちらに────来るつもりか?」
「…そのようです」
レド様も私も、腰を浮かせた。
他の皆も事態に気づいたようで、緊張が漲るのを肌で感じた。
「ガゼボを収納します。皆、外に出てください」
相手は魔物ではなく、精霊獣だ。戦闘になるとは思えないが、万が一ということもある。
私は、全員がガゼボから出たことを確認すると、ガゼボを拠点専用スペースへと移動させた。
「アーシャ、念のため、装備を替えて」
「うん!」
アーシャは腕時計を使って、侍女服から冒険者の装備へと替える。
私たちが注視する中、湖を横切ってこちらに辿り着いた白狼は、岸辺へと上がってきた。
皆が警戒して、並び立つレド様と私の前に出ようとしたが───レド様が押し止める。
「いい。───大丈夫だ」
【心眼】で見る限り、やはりこの白狼は精霊獣で────その魂魄はこの湖の水面のような輝きを纏っていて、敵意も見当たらない。きっと───レド様も神眼でそれを確かめたのだろう。
白狼は、レド様と私の前まで歩み寄ると────その首を垂れた。
<<<神竜の御子と神子姫とお見受けする>>>
直後、【案内】とも白炎様とも違う、深く脳に染み渡るような───不可思議な声が響く。
ネロは普通にしゃべるので、少し驚いてしまった。そういえば───ネロは私の魔力をあげるまで、話せなかったと思い出す。
「何故、俺たちの前に現れた?」
<<<神竜の御子と神子姫。どうか…、我らを助けていただきたい>>>
「助ける?───どういうことだ?」
レド様が、訝し気に返す。白狼は下げていた頭を上げ、レド様と私を───ネロとそっくりなその琥珀色の眼で見る。
<<<我らが長と、契約を交わしていただきたい>>>
「…お前たちの長と?」
精霊獣の長────以前、ネロに聞いたことがある。
精霊獣は色々な種類がいて、森の中で共生しているけれど、その数多いる精霊獣を統べる存在がいるのだ───と。
<<<我らが長は、魔獣化の危機に瀕している。それを防ぐために───神竜の御子、神子姫───どちらでもよい、我らが長を、どちらかの使い魔にしていただきたいのだ>>>
「…精霊獣も魔獣化をするのか?それに───使い魔となることで、魔獣化を防げる、と?」
それについてもネロに聞いたことがあったが、白狼に話してもらった方がいいだろうと、私は口を噤む。
<<<聖獣も精霊獣も魔物も、本質は変わらぬ。ただ、器の大きさが違うだけなのだ。取り込む魔素が器を超えれば、魔獣化をするのは皆同じだ。それは、魔力を体内に持つ存在の宿命と言っていい。だが────何故か、人間だけは違う。魔獣化することはない>>>
確かに、そこが不思議な点だ。植物ですら、魔素を過剰に摂取すると、黒ずんで壊死してしまうのに。
私が筆記具として利用している“墨果”────あれだって、そういう種なのでなく、果実が魔素に侵されることによって出来るらしい。
<<<何故なのかは解らぬが、人間と繋がることによって───人間の魔力を取り込むことによって、魔素に侵されることを防げるようなのだ。だから、頼む。どうか、我らが長を救ってはくれまいか>>>
白狼の懇願に、レド様は溜息を吐いた。
「せっかくの休息だったのに────すまない、リゼ」
「レド様が謝ることではありませんよ」
私が笑って首を横に振ると、レド様は口元を緩めたが────すぐに表情を引き締め、再び白狼に向き直った。
「使い魔にするかどうかはともかく、お前たちの長というのに会ってみよう。案内してくれ」
白狼は、レド様の言葉に首肯するように───感謝を示すように、また首を垂れた。
「…さすが、リゼラ様だ」
「やっぱり、引き寄せたな」
うるさいですよ、ジグ、レナス。
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