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星々の世界に生まれて~銀河英雄伝説異伝~

作者:椎根津彦
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激闘編
  第九十五話 下準備 Ⅱ

宇宙暦796年3月20日13:00
フォルゲン宙域、自由惑星同盟、自由惑星同盟軍、第十三艦隊、第一空戦隊第三中隊、
イワン・コーネフ

 「全くだ、なんでこの俺がこんな事せにゃならんのだ」
「そうぼやくな、ポフランさんよ」
「長距離偵察なんて単座戦闘艇(スパルタニアン)乗りの仕事じゃないぜ。そうは思わんか、コーネフさんよ」
「一応こいつだって戦闘艇(スパルタニアン)だろう?」
「複座で、武装も下ろしてるのにか?強行偵察用なんて言ってるが、名前だけじゃねえか」
「専任のパイロットが風邪で寝込んでるんだ、仕方ないだろう」
長距離強行偵察用の戦闘艇は武装の代わりに高精度の光学カメラ、索敵センサーを搭載している。偵察任務も日をまたぐ長時間になる事もある為に、パイロットスーツも戦闘任務とは別の専用の物を使用する。複座なのはそれぞれ操縦任務と偵察任務に専念させる為だ。
「ふん、本当に風邪なのか?コールドウェルの奴。そもそもだ、擬装商船を色んな所に派遣してるんだから、俺達が偵察しなくたっていいんじゃないのか」
「おいおい、彼等が同盟軍に通報したら、擬装商船が同盟軍と関係があるってバレるじゃないか」
俺がそう言うと、ポフランは後ろを向く事なく言葉を続けた。
「とっくにバレてるんじゃないのか?あからさま過ぎるんだよな。よくやるよ、ウチの司令官殿も」
「アッテンボロー司令官が実施しているんじゃないぞ、元々始めたのはウィンチェスター副司令長官だ」
「よく知っているな」
「お前さんと違って真面目に話を聞いているんでな……おや…センサーに感あり。ポフラン、頭を三十度ほど右に振ってくれ」
「了解」


18:00
フォルゲン宙域、自由惑星同盟軍、第十三艦隊旗艦トリグラフ、
ダスティ・アッテンボロー

 「強行偵察の単座艇は収容したんだな?」
「はい。戦闘艇格納庫から収容完了と報告がありました」
参ったな。敵が出てこないと思ったから此処まで出張ったんだが…。
「参謀長、敵の規模は」
「およそ六千隻、報告にあった通りです。帝国艦隊との距離、約四十光秒」
「よし。全艦砲撃戦用意」


19:00
バーラト星系、ハイネセン、ハイネセンポリス郊外、自由惑星同盟軍、統合作戦本部ビル、宇宙艦隊副司令長官執務室、
ヤマト・ウィンチェスター

 「ご苦労様でした、キャゼルヌ少将。助かりました」
「お前さんならこれくらいの仕事、片手間で出来たろうに…失礼しました、副司令長官」
「いいですよ、普段通りで」
捕虜交換事務局。宇宙艦隊副司令長官執務室でもあるこの部屋は、今はそう呼ばれていた。何の飾り気もないネーミング、いや、飾り気なんかいらないんだけど、事務局の仕事は意外と大変だった。亡命希望者と帰国希望者それぞれの捕虜の選別、輸送艦の手配、亡命希望者のハイネセンへの移送準備、帰国希望者の集結場所の選定とその移送準備。亡命希望者へのID発行の準備。国防委員会、人的資源委員会そして法秩序委員会との調整会議…キャゼさんはそう言うけど、とても片手間で出来る仕事じゃない。宇宙艦隊はビュコック長官に任せると言ったけども何もしない訳にもいかないし、自分の艦隊の事だってある。それでアムリッツァからキャゼさんに来て貰ったんだ。
「後は実施を待つだけだな…それで、全権代表と捕虜交換の実施場所は決まったのか?今日の会議はその為の物だったんだろう?」
「それがまだなんですよ…普通こういった事は一番最初に決める物だと思うんですがね」
「お前さんはどう思ってるんだ?」
「フェザーンで行うのが一番だと思います。フェザーンを通じて交渉しているのにフェザーンで捕虜交換をやらないのでは、黒狐が怒りますよ。それに、何か起きてもフェザーンのせいに出来ますからね」
「なるほどな。帝国側はどうなんだ?」
「バグダッシュによると向こうも誰が代表になるか決まってないそうです。予想はしていましたが大貴族の横槍が酷い様で」
「おいおい…此処までやってご破算になるという事はないだろうな」
「相手が居る事ですからね、何とも」
帝国の実力者がラインハルトなら、ほほう…とか何とか言って乗って来ただろうけどな…どうも調子が狂うと言うか何と言うか…。
「閣下、ビュコック司令長官がすぐに来てくれとの事です」
鳴った内線をミリアムちゃんが受ける。どうやら急ぎの様らしい。
「少将、よければ一緒にどうぞ」
「いいのか?」
「構いませんよ、さあ行きましょう」

 ビュコック司令長官の執務室に行くと、長官の他にチュン総参謀長、ヤン提督が居る。長官はキャゼさんを見ても何も言わなかった。
「お呼びでしょうか」
口を開いたのはヤンさんだ。何やら難しい顔をしている。
「フォルゲンで戦闘が発生しました。第十三艦隊と帝国艦隊が遭遇。つい一時間程前の事です」
「状況はどうなのです」
「第一報によると帝国軍は約六千隻との事です。戦力的にはアッテンボローが有利ですが、短時間で攻撃を切り上げて後退している様です」
ヤンさんはアッテンボローを買っている、だけど心配そうだ…もう直接の部下じゃないからな…それはともかくヤンさんはここで何をしているんだろう?
「ああ、私はビュコック長官に呼ばれて再出兵の作戦案を練り直しているんですよ。総参謀長に是非にと言われましてね」
成程、そういう事ね。パン屋も優秀だけど、そこに更にヤンさんが加わるのなら何の心配もいらないな。どんな作戦なのか気になるけど、今はそれどころじゃない。
「そうだったのですね。それで、カイタルのビロライネン中将は、どの様な指示を」
今のアムリッツァ方面軍のトップはビロライネン中将だった。司令官代理として暫定的な指揮を執っている。
「フォルゲンとボーデンにそれぞれ一個艦隊を派遣するとの事です」
チュン総参謀長が答えた。長官の指示だろう、常識的な判断だ。だけど…。
「司令長官は帝国軍の意図をどうお考えですか」
「今のところ現れたのはその六千隻程の艦隊のみらしい。後続の増援が無ければ、戦闘を打ち切っても構わんと思っておるよ。じゃが…敵は何を考えておるのじゃろうな。捕虜交換の予備交渉中だというのに」
そう、帝国は…帝国軍は何を考えているのだろう?

 ヤンさんに聞いてみよう。
「ヤン提督はどう思います?」
「うーん、此方の反応を確かめているのだと思います。捕虜交換を本当に行う気があるのかどうか」
成程。おそらくヤンさんの言う通りだろう。敢えて戦端を開く事で捕虜交換に対する此方の本気度を確認しているのだ。ヤンさんは続けた。
「帝国軍にとって、我々がフォルゲン、ボーデンに増援と抑止の為の兵力を派出するのは想定内でしょう。その兵力規模によって、我々が捕虜交換をどの様に考えているか判断するのだと思います。増援規模が小さい、又は帝国の想定内なら、我々の捕虜交換の交渉は本気だと考えるんじゃないでしょうか」
ビュコック長官とパン屋、そしてキャゼさんが深く頷いている。
「帝国の思惑がヤン提督の仰る通りなら、これ以上の増援派出は止めた方がいい、という事ですね。長官、ビロライネン中将にはその様に指示を出します」
ビュコック長官が再び深く頷くのを確認すると、パン屋はそう言って執務室を出て行った。パン屋を目で追いながら、再びヤンが口を開く。
「副司令長官、捕虜交換の方はどうなのです?」
「実務において想定される事はほぼ終了しています。後は捕虜の移動と全権代表が決まればいつでも実施出来ますよ。キャゼルヌ少将のお陰です。来て貰った甲斐がありました」
「それはよかった。で、全権代表はどなたになりそうですか?」
「サンフォード議長かトリューニヒト委員長だと思うのですが、互いに譲らないのですよ。捕虜交換を成功させたら、その政治的功績は大きいですからね。帝国も似た様な状況と聞いています。まあ帝国の場合は面子の問題の様ですけどね」
「同盟側は次の選挙を見据えて代表者が決まらず、帝国側は流亡の政治犯など交渉の余地はない、という事ですか。どっちもどっちですね」
ヤンがため息を吐く。ビュコック長官もどうしようもないという風に首を振る…戦争をしている以上、対外政策が国内政治に直結するのは理解できるけど、もう少し何とかならんもんかねえ…。
「ビュコック長官、アムリッツァが侵されない限りは現状維持でお願いいたします」
「解っておるよ。前線のせいで捕虜交換が有耶無耶になったら、帝国に囚われている者達の家族に恨まれるでな」
「ありがとうございます。ちょっと国防委員会に行ってきます。ビュコック長官の方からトリューニヒト委員長にアポを取って貰えませんか…そうだ、ヤンさんも来てください」
俺がそう言うとヤンさんは少し嫌そうな顔をしたけど、諦めたのだろう、肩をがっくり落とした。


19:45
ハイネセンポリス近郊、トリューニヒト別邸
ヤン・ウェンリー

 アポイントメントの結果、トリューニヒト氏はこの別邸にいる、という事だった。ウィンチェスターは何度か来た事がある様で、慣れた感じで用意されていたコーヒーポットからカップにコーヒーを注いでいる。ポットはもう一つあった。香りが混ざってしまっているが、紅茶らしい。
「ちゃんと紅茶も用意して貰いましたよ」
「…君は私が紅茶さえ飲んでいれば機嫌がいいと思ってないか?」
「…違うんですか?」
全く…それにしても、まさかトリューニヒトの所に来る羽目になるとはね…これまでも、奴の為人についてはウィンチェスターから聞いていたが、どうも好きにはなれない。トリューニヒトのシンパになって貰う必要はない、嫌いな奴のいう事を聞かなきゃいけないというのは非常にストレスを感じるだろう、委員長を間近で見れば少しは印象も変わりますよ、トリューニヒトだって本音と建前は違う…と、ウィンチェスターは言うのだが…。
「コーヒーの匂いが無ければ最高なんだけどね」

 私達のやりとりを黙って聞いていたトリューニヒトが笑い出した。
「君達は仲がいいんだね。流石はエル・ファシル以来の仲と言うべきか」
奴の、こういう芝居かかった言い回しが鼻につくんだ…。
「頼りになる人ですよ。ですがヤン提督は閣下の事が嫌いな様でして。いい機会だと思って連れてきました」
なんて事言い出すんだ、いくら嫌いだからって面と向かってそう言える訳ないだろう…。
「ほう…ヤン提督、本当かね」
「いえ、そういう訳では…」
「後方から戦争を賛美し兵士を死地に追いやるエセ愛国者…ウィンチェスター提督から君が私の事をそう評していると前に聞いた事があるよ」
「そんな事は…いえ、一言一句同じとは言いませんが、そう発言した事があるのは事実です」
「人は立場によって物の見方が変わる。君から見た私はまさしくそうなのだろう。以前にウィンチェスター提督にも話した事があるが、私の発言は建前に過ぎない。職責上仕方がないのだ。これは決して自己弁護ではないよ」
どう聞いても自己弁護にしか聞こえない、そう思っているのが顔に出ていたのだろう、私を見てウィンチェスターが苦笑していた。
「まあそれはいい。ウィンチェスター提督、ヤン提督を連れて来たのは正確な現状認識の為かね?」
意外にもトリューニヒトは抗弁しなかった。自分がどう思われているかなどどうでもいいのかもしれない。
「そうですね、捕虜交換の結果は再出兵に関わって来ますから。委員長、そろそろサンフォード議長との腹の探り合いは止めて下さい」
「そうは言うがね…捕虜交換にしても再出兵にしても、結局軍が関わっているからな。議長は自分の影響力が限定されると考えているんだ」
そう、どっちにしても実行者は軍だ。サンフォード議長本人がどれだけ気負っても、トリューニヒト抜きでは実行は無理なのだ。再出兵が決定した経緯を聞く限り、サンフォード議長は長期政権の維持とトリューニヒトの鼻を明かす為にムーア提督達の提案を飲んだとしか思えない。軍が政治利用されているこの状況を、トリューニヒトはともかく、ウィンチェスターは何とも思わないのだろうか。
「いっその事、再出兵は議長の専管にして、委員長は捕虜交換に専念したらどうですか。捕虜交換は失敗する可能性が少ないですし、失敗したらしたで帝国のせいに出来ます。再出兵はリスクが多すぎる。動員兵力だけ見れば成功させるのは容易いと思うかも知れませんが、成功すれば得点王ですが、失敗したら下野は確実ですよ」
トリューニヒトとウィンチェスターが私を見る。再出兵計画について話せという事だろう…。
「シャンタウまでの進出はかなり難しいと言わざるを得ません。ミューゼル大将率いる五個艦隊を上手く撃破出来ればいいですが、そうなれば必ずオーディンに残るミュッケンベルガー元帥が出てくるでしょう。流石に十個艦隊全てを連れて来る事はないでしょうが、それでも充分に危険です。最悪の場合、ミューゼル軍と対峙している間に十個艦隊に後背を衝かれ挟撃される恐れがあります。それだけではありません、アムリッツァを直接衝かれる可能性もあります。そうなったら再進攻どころではありません」
「発案のあの三提督は自信満々だったがね」
「軍事的に正しくても実行出来るとは限りません、委員長」
「それはそうだ、ヤン提督の言う通りだ。解った、再出兵に関しては議長の専管とする方向で調整する。話を聞く限り、その方が私へのダメージは少なくて済みそうだからね」
「進言を採り上げて頂いてありがとうございます…ヤン提督、ビュコック長官にここでの会話を全て伝えて下さい。再出兵自体は決定事項ですから、なるべく犠牲の出ない作戦案を、と」
聞いていて、この場に居る事が腹立たしくなると同時に情けなくなってきた。軍の政治利用どころか、ウィンチェスターは自ら進んでそれに加担している…。

 夕食は、と聞かれ、折角だから頂いて帰りましょう、とウィンチェスターが言うのでそれに従ったものの、早く帰りたくて仕方なかった。家ではユリアンの作ったアイリッシュシチューとシェパーズパイが待っているのだ、私にとってはどんな贅沢な食事と高級なワインよりも、ユリアンの作った夕食の方がありがたいのだ。食事中の会話も、既に報告を受けていた事もあるだろうがフォルゲンでの戦況に僅かに触れたくらいで、後はどこそこの評議員が某にディベートを渡しているとか聞くに耐えない話ばかりだった。腹が立ったのでつい言ってしまった。
「委員長ご自身はどうなのです?」
「どう…というと?」
「委員長ご自身はそういった進物を受け取った事があるのかなと思いまして」
ズバリ言いましたね、と横でウィンチェスターが茶化したが、言ってしまった以上聞きたくなったのだ。
「あるよ。だが勘違いしないで欲しいのは、私から要求した事はない、という事だ」
「…受け取っている以上、ご自身から…などという事は関係ないのではないですか」

 トリューニヒトは使用人を呼ぶと、皆の食べ終わった食器を下げさせ、ブランデーを用意させた。ウィンチェスターが三人のグラスに氷とブランデーを注いでいる。
「ヤン提督」
「はい」
「君は人に物を頼む時、お礼はしないのかな?」
「謝礼、という事ですか?」
「そうだ。親しい友人や知人なら、ありがとうの一言で済む。だが私に進物を…ディベートと言いたければそれでもいいが、それを持って来る者達は、私の友人ではない。持って来る彼等にしても私の事を友人とは思っていないだろう。その場合、そういう立場の人間に何かを頼む時、形に見える形での謝意を示すのは至極当たり前だと思うのだが」
「詭弁ではないのですか、それは」
「詭弁かね、だが事実だよ。本当に親しい人間同士、友人同士ならディベートなど無くとも親身になって動く筈だし、むしろ形のある物など要らないだろう?ただ、それほど親しくない者同士だから形のある物で謝意を示すのだ。ホールの給仕係やホテルのボーイにチップを渡すのと何ら変わりはないと思うがね」
「それはそうです。ですが公職にある立場の人間がそれを認めてしまったら、それは腐敗政治の一歩ではないのですか」
私の横でウィンチェスターが苦笑いを浮かべていた。もう止めろという事だろう、だがトリューニヒト本人と話す機会などそうある訳でもない、全て聞いてしまいたかった。
「…例えばだが、民衆の望む改革が一部の反対派によって為されなかったとしよう。最後の手段として改革派はその一部の反対派をディベートをもって取り込んだ。その結果、民衆のの望む改革が達成された…これでも腐敗政治と言えるかね?」
「…それこそ詭弁ではありませんか。極論ですよそれは」
「政治とは民衆の、私の立場なら同盟市民の幸福の為に行うものだ。その為には搦手だって私は使う。それはこれからも変わる事はないだろう…ヤン提督、君は腐敗政治の一歩だというかも知れないが、腐敗政治と政治家個人の腐敗を混同していないかね?賄賂が蔓延り、政治家個人が私腹を肥やす事を目的としてその権力を行使する…そしてそれが常態化してその事実を誰も指摘しようとしなくなった状態を政治の腐敗と言うのだと私は思う。私は自分の私腹を肥やす為にその権力を行使した事は無いし、またその為に何かを受け取ったりした事はないよ」
「…委員長ご自身は腐敗してはいないと仰るのですね」
「そうだ。私腹を肥やすのが目的なら、一評議員時代にとっくにやっているよ……ヤン提督、有意義な話は尽きる事がないが今日はここまでにしよう。ウィンチェスター君、そしてヤン提督、今日は訪ねて来てくれてありがとう。楽しかったよ」


21:30
 ウィンチェスターはトリューニヒトににこやかに謝意を伝え、憮然としたままの私を連れて迎えの地上車に乗り込んだ。私がため息を吐くと、ウィンチェスターもまた大きな息を吐いて、口を開いた。
「どうでしたか、余人を交えないで話してみて」
「傲慢な男だと思ったよ。つい熱くなってしまった。ウィンチェスター、君は平気なのか?というか君は進んで軍を政争に巻き込もうとしている様に見えるんだが」
「うーん…巻き込もうとしている訳ではないんです。巻き込まれて当然、と私は思っているんです」
「巻き込まれて当然だって?軍人は政治に関わってはいけないと私は考えているんだが」
「選挙権の行使はどうなります?軍人は選挙権を行使してはいけないと?」
「それは違うだろう、それは軍人という前に同盟市民として果たさなくてはならない義務だよ」
「でしょう?という事は軍人かどうかに関わらず政治に関与しているんです。そして我々が選んだ政治家…評議員の一部がそれぞれの委員会、委員長として政府を運営している」
「…そうだね」
「そして軍もまた政府の一部です。巻き込まれて当然じゃないですか」
「であればこそ、きちんとけじめをつけなくてはいけないと思うんだけどね」
「それはそうです。ですが、好むと好まざるに関係なくトリューニヒト氏とは関わっていかなくてはなりません」
「…何故だい?出来る事なら関わりたくないんだけどね」
「上司だからですよ」
「そんな事は分かっているさ」
「本当ですか?」
そう言ってウィンチェスターは笑った。本当ですかという訊き方が可笑しくて、釣られて笑ってしまった。
「本当だよ」

 ウィンチェスターは個人携帯端末(スマートフォン)を取り出すと、奥方に連絡を取り出した。

『ちょっとね、ヤンさん家に寄ってから帰るから…うん、うん、そう。先に寝てても構わないよ。じゃあね』

「本部ビルに戻るんじゃないのかい?」
「戻りませんよ。とっくにビュコック長官もパン屋も帰宅していると思いますよ」
「それはそうだろうけど、キャゼルヌ先輩は」
「…あ」
二人とも大笑いしてしまった。


22:30
シルバーブリッジ二十四番街、ヤン・ウェンリー邸

 「おかえりなさい、ヤン提……ウィンチェスター副司令長官!いらっしゃいませ!」
帰りが遅くなる事は前もって伝えておいたが、驚かせてやろうと思ってウィンチェスターが来る事は言わなかった。ユリアンはウィンチェスターに憧れているからな…。
「敬礼する事はないだろう、ユリアン君」
「え、いや、つい…申し訳ありません」
「謝る事はないだろう、ユリアン君」
「あ…はい。申し訳ありません」
ウィンチェスターは笑いながらユリアンの肩を叩くと、勝手に居間に向かって行った……何やら話し声が聞こえる、何で居るんですか、だって?
「おいおい、何で居るんですかじゃないだろう、勝手に帰りやがって」
…キャゼルヌ先輩だった。だけど、何で居るんだ?
「先輩、何でウチに居るんですか?いや、居て困る事は無いんですが」
「お前さんの後輩から何の連絡もないもんでな。あ奴等はおそらく直帰だろう、もう帰っていいぞってビュコック長官に言われたんだよ」
「それは分かるんですが…」
「お前さんの帰宅がこんなに遅くなるなんて珍しいからな。ユリアンが心配してるだろうと思って様子を見に来たんだ」
「それも分かるんですが…何故ブランデーを飲んでいるんです?ツマミまで用意してるじゃないですか」
「うるさい、早く着替えろ…おいウィンチェスター、注げ!」


23:45
ヤン・ウェンリー邸
ユリアン・ミンツ

 三人が揃って飲むのは久しぶりらしい。ヤン提督もウィンチェスター副司令長官も、有無を言わさずキャゼルヌ少将に付き合わされている。お邪魔だなと思って寝ようとすると、ユリアンはアップルジュースで乾杯だ、と言われて参加する事になった。僕が言うのもなんだけど、三人を見ていると前線で大軍を率いる軍人というより…上級生に無理矢理付き合わされている下級生…という構図にしか見えない。でも一つ分かった事がある。僕はこの空気が好きだ、という事だ。軍人になりたい。そしてヤン提督やウィンチェスター副司令長官の為に働きたい。まだヤン提督には許可を貰えていないけど、必ず実現させる…。
「どうした、ユリアン」
「いえ、何でもありません」
ヤン提督が心配そうな眼差しで僕を見ている。そんなに思い詰めた顔をしていたんだろうか、僕は…。
「ヤンさん、ユリアン君は軍人になりたいんですよ。そうじゃないのかい?ユリアン君」
「は…はい!軍人になって皆さんのお力になりたいんです」
ウィンチェスター副司令長官はどうして分かったのだろう、でもいい機会かも知れない。お願いしてみよう…。
「ヤン提督、許可をいただけますか?お願いします!」
そう言うと、ヤン提督は困ったような顔をした。駄目なのだろうか…。
「ユリアン、何も軍人という職業だけがお前の将来って訳じゃない。焦る事はないよ」
「でも…」
「そうだユリアン。優秀な若者の将来を軍人なんかで擂り潰すなんてもったいないぞ」
「ありがとうございますキャゼルヌ少将。でも僕が軍人にならなかったら、ヤン提督は養育費を返還しなくてはなりませんし」
そう言うと、三人が一斉に笑いだした。
「同盟軍の艦隊司令官をバカにするなよ?それぐらいの余裕はあるさ、心配いらないよ。でも…そんなに軍人になりたいのかい?」
「はい。ヤン提督や皆さんのお側で、もっとお役に立ちたいんです」
「充分役に立っているさ…いや、役に立つとか立たないの問題じゃなくて…」
ヤン提督は言葉に詰まってしまった。キャゼルヌ少将とウィンチェスター副司令長官は何も言わずに提督と僕を見ている。すると、ふうっと提督は息を吐いた。
「…解ったよ、ユリアン。いいですか、キャゼルヌ先輩」
「ユリアンがこの家に来る様に手を回したのは俺だが、別に俺の許可は要らんさ。お前さん達二人が決める事だ。よかったな、ユリアン」
「はい!ありがとうございます!」
改めて四人で乾杯した。見るとウィンチェスター副司令長官が何度も深く頷いている。どうしたのだろう…キャゼルヌ少将が訝しげに口を開いた。
「ウィンチェスター、お前さんやけに嬉しそうじゃないか」
「いえね、とても微笑ましいなと思いまして、なんと言うか、懐かしいというか…キャゼルヌさんもヤンさんもいい友人同士だなと」
「今はお前さんもその仲に入っているんだぞ」
「とてもありがたい事です。そうだ、改めてお祝いをしないといけませんね。エリカに言っておきます、ガストホーフ・キンスキーでお祝いしましょう」
ガストホーフ・キンスキー!とても有名なホテルだ、副司令長官の奥さん、エリカさんの実家でもある。
「ウィンチェスター、何もそこまでしなくても」
「何言ってるんですかヤンさん、ユリアン君の人生の新たな門出ですよ。こんなむさい三人だけでそれを祝うなんて勿体ないじゃないですか。アッテンボロー先輩が居ないのは残念ですが、オットーやマイクも呼んで、パーッとやりましょう」
「ありがとう、ウィンチェスター」
「水くさいですよ…おめでとう、ユリアン君」
何だかとんでもない事になってしまった。本当にいいんだろうか…ヤン提督を見ると、提督は笑って深く頷いた。
「ありがとうございます、ウィンチェスター副司令長官!」



 
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