翌日の早朝。
ボクはレイドパーティのリーダーからのメッセージによる呼び出しによって起こされた。
「…………うぅ~……まだ、こんな時間なのに……これから、もうクエスト出発だって……?」
未だに重くて眠い目を擦る。
いつものクエスト開始時間を、4時間も前倒しにしている。
それも朝日が少しだけ覗く、まだ微かに暗さの残るほどの朝。プレイヤーどころか、村のNPCすらまだ起きていない時間帯である。
「みんな……昨日の事があったから、張り切ってんのかなぁ……」
その気持ちも分かる。
恐らくは、クエストついでに我も続いて気心を許してくれるモンスターに出会いビーストテイマーに、と意気込んでいるのだろう。
ただでさえモンスターのテイミングは気が遠くなるほどに低確率のレアイベントと聞く。ボクもまさか……こんな嬉しい結果が待ってくれているとは全く思っていなかった。
チラリと横を見れば、ボクの隣で眠っていたルビーも、もぞもぞと横たえた体を起こしてシーツに浅い蹄の跡を残しながらベットから這い出て、ふるる、と首の鬣と尻尾を揺らした。
「村長さん、起きてればいいんだけど……ふわぁぁああ……」
ボクは大きなあくびをしながら、木のフローリングに足を降ろし、着替えるべく装備ウィンドウを操作し始めたのだった。
◆
「……うわっ、もしかしてもう全員集まってる!?」
毎朝通例のパーティの集合場所である村の門前には、すでに恐らくボクとルビー以外のメンバーが揃っていた。
さして広くない村をきょろきょろと見渡すが、目の前の一団とボクら以外にはプレイヤーは居ない。
よって決定、ボクがドベである。
「み、みんな……張り切りすぎだよー……」
ボクはため息を一つ吐いて、その一団に混じるべく駆け足で門前へと向かう。
すると……ボクの接近に気づいた彼らは、一斉にボクらに振り返り……
「…………っ!?」
その……異様な威圧感に、つい駆けさせていた足を止めてしまった。
なに……その目は……?
彼らは一言も言葉を介さなければ、その顔には、何も読めぬ表情だけが張り付いている。
ボクらに届けられたのは、プレッシャーにも似た……正直、不快な視線だった。
「ど、どうしたの、みんな……?」
ボクはどうしても恐る恐るになってしまう歩調で彼らに近づく。ルビーはボクの背から離れようとしない。
「あのね、みんな……ボクが偶然ビーストテイマーになれたからってさ、なにもそんなに張り切らなくても――――」
その時だった。
突如、パーティの全員が一斉に動き出した。
まるで事前に打ち合わせしていたかのような機械的な動きで……ボクとルビーの周囲をズラリと隙間無く取り囲み、可能な限り狭く閉じ込めた。
……このゲーム、この世界ではいわゆる《ボックス》と呼ばれる、相手プレイヤーの移動の自由を奪う、立派なノンマナー行為である。
「な、なにっ? なんのつもりっ……!?」
思わず背の斧の柄に右手をやりながらボクは身近の彼らを見上げ…………そして背筋が凍った。
……みんな、なんて顔をしているのだろうか。
みながみな、今のボクの語彙ではなんとも言えぬ……冷たすぎる無表情だった。
例えるならば、そう……
――これから屠殺する家畜を見るかのような、目。視線。気配。
それらは、単に冷たいだけではない。これから得られる肉のご馳走を前に、熱狂的な興奮を抑えている息遣いすら感じる、『冷酷』という二文字だけでは説明のつかない、そんな悪意ある顔が……何十人分も立ち並んでいる。
……それが、人のする顔なのだろうか。
……そしてボクは恐ろしいことに気づいた。
彼らは……
ボクを見ていなかった。
その全ての視線は、ボクの背後の足元……ミストユニコーン、ルビーにのみ注がれていた。
凄まじいまでの嫌な予感が全身に駆け巡った。
同時に、背の巨斧を一気に引き抜いた。
「これは一体なんのマネ――
ぃ痛っ!?」
しかし、それは遅すぎた。
再びボクの言葉が終わる前に、真横の壁の一部が一斉に動き出し……不意を突かれたボクはその壁の波に強く弾かれ、前方にズザァッと倒された。手からガランガラァン、と派手な音を立てて斧が地に転がる。
それと同時に背から消える――温かな気配。
「ル、ルビーッ!?」
倒れる体の土埃に塗れながら急いで振り返ると……ボクとルビーを隔絶する形で、さらなる人の壁が出来ていた。その並ぶ足の隙間から、かろうじで純白の体が垣間見れた。
「ルビーッ!! ……うぐっ、どいてっ! どいてよっ!?」
ボクはすぐさま起き上がり、人の壁の隙間に体を突っ込んで突き破ろうとする。しかし……彼らは地に足をしっかりと踏ませ、かつ互いの腕を組ませる形で強く結束していて、ボクの小さな体はそれ以上、一センチたりともその体を押しのけられない。
プレイヤーは座標システムによって補足・移動・固定されている。ノンマナー・ハラスメント行為防止の為、こうしてしっかりとした体勢で立たれては、同じプレイヤーであるボクは、彼らの座標を動かして押しのけることが出来なかったのだ。
ルビーは大勢に取り囲まれ、いくつもの手でその場に押し倒されていた。そしてその中の一人がストレージから《
担架》アイテムを取り出し、無理やりその上にユニコーンを運ぶ。
ルビーも大きく暴れるも、この人数相手ではまるで効果が無かった。
『――~~ッ!! ~~っ!!』
という、ルビーの声無き悲鳴が聞こえる。
「待って!! ルビーをどこに連れてくつもりなんだよっ!?」
その叫びの問いに、誰も吐息一つ答えない。彼らは黙々とルビーを抑えつけるか、突っ立っているだけだった。
この場で声を荒げているのは、ボクだけだった。
彼らはユニコーンを……すぐ目の前の、門の外へと運び出そうとしているようだった。
ユニコーンを担ぐ集団に続き、ボクの視界の左右からも、ゾロゾロとプレイヤー達がその集団に合流すべく歩き出している。
気づけば、ボクを閉じ込めるプレイヤーはたった数人、必要最低限の人数になっていた。それ以外の全てのプレイヤーが門の外で、ルビーを中心におびだたしいまでに集まっていた。
「ルビーッ!! 逃げてっ!!」
ボクは叫ぶ。
「ボクのことは気にしなくていいからっ、どこでもいいから、ずっと上の層に今すぐにワープして逃げてっ!!」
ボクの声が届いたのか、プレイヤーの集団の中央から、仄かに青い光が集まり始めた。
しかし。
その声が合図だったかのように。
……プレイヤー達が全員、一斉に音を立てて武器を抜いた。
――先程以上の悪い予感が頭を貫いた。
「やめてっ……やめてよっ!!」
しかし、その嘆願は叶わなかった。まるで聞こえていないかのように、さも当然そうに。
筋力値の全てにものを言わせて肉の壁を押しても体当たりをしても、体は一歩も前に進まなかった。
ボクを閉じ込める人数が減ったところで、システム的保護を受けている彼らの強度は何も変わらないのだ。
「このっ!! このぉっ……!!」
あと、あともう少しで手が届くのに……!!
目の前に、ルビーが助けを求めているのに……!!
これから……これからボク達の物語が、はじまるというところなのにっ……!!
「そこをどけっ、どけよっ!! どけぇぇぇぇええっ!!!!」
今までの人生でかつて無いほどの叫びをあげて、伸ばしきって震える手を、それでも力の限りに伸ばす。
「ルビー……!!」
あと、少しっ……!!
「ルビーッ……!! ルビーッ!!!! ル――――――」
が。
事は一瞬だった。
ボクは見た。
数重もの武器が一斉に振り下ろされるのを。
その小さな、純白の体が、一瞬で、突き立てられた武器の束で……貫かれるのを。
その穢れない体の殆どが、武器の重苦しい色でズタズタに塗り潰され……次の瞬間、悲鳴も無くポリゴンに散ったのを。
ボクは聞いた。
バァン、という、ルビーの体の破砕音を。
それと同時に鳴り響く、幾重にも重ねられて大音響になった、プレイヤー達のレベルアップのファンファーレを。
「―――――――――――――」
息が、出来なかった。
何が起きたのか、頭で理解できなかった。
ドサ、両足が力なくその場で崩れ落ちた。
……そして巻き起こったのは、
――ワァァァァアアアッ!!
という、パーティ員達の、
晴れやかな歓声だった。
まるで、最前線のボスモンスターが撃破された時の、攻略組の人達のような喝采だった。
あるものは高らかに笑いあい、あるものは互いに肩を組んで健闘を称えあっている。
ボクを取り囲んでいたプレイヤー達も、それぞれガッツポーズを決めた後、笑い声を上げながら前方の集団に戻っていった。
……その数秒後、ルビーが散ったその場所に、種類問わずのレアアイテムの山がゴロゴロと湧出するかのようにドロップした。
すると彼らは一斉に目の色を変え……全員が我先にその山に顔から突っ込んだ。
まるで、餌を与えられて食欲のままに群がる、養豚場の豚達を見ているようだった。
とても、滑稽な光景だった。
そんな彼らに……ルビーの清らかさを、汚されているようだった。
怒りは……不思議と沸いてこなかった。
それすら……今のボクには考えられなかったから。
「――…………なんで……?」
ボクはポツリと呟いた。
その声は……ボクに背を向けている彼らには届かなかった。宝の山に顔から突っ込んで貪っては奇声を上げ、中には罵倒の怒声を吐いてアイテムを奪い合っている輩もいる。
ただ、ボクはその場で、その光景を眺めることしかできなかった。
……そして数分後。
リーダーが、ドロップ品の中にあったらしい《回廊結晶》を、豪勢なことに躊躇いも無く使い、
回廊を召喚した。
するとパーティ員たちは未だ愉快気に笑い声を上げながら、続々と回廊へ足を運び、どこかへと転移していっていた。
彼らはボクを一瞥する事も無く、次々に姿を消していく。
そして……その残り人数が数人となったとき、
「なんでっ……?」
と、動かない喉からようやく、先程よりもほんの少しだけ大きい声を出すことが出来た。
その声は彼らに届き……回廊を目前としていた残り数人が全員、こちらを振り向いた。
「―――――――」
そしてボクは二度目の、頭が真っ白になる衝撃を味わされた。
……ボクはきっと、その顔を忘れられないであろう。
揃って浮かべた、その見下ろす表情。
それこそ、豚を見るかのような……
悪意。
嫉妬。
嫌悪。
冷笑。
そして嗜虐したことによる、ある種の快感。
それら全てが織り交じった、ボクを冷酷に見下ろす、嘲りの微笑みを。
最後にボクを鼻で笑い、今度こそこちらに背を向けて姿を消す、その無慈悲さを。
そしてこの場には、ボクだけが取り残され……回廊が音も無く消滅した。
「…………………」
それを見せ付けられても、ボクは声も上げれず、どんな顔をすればいいか分からないまま……
腰が抜けたように動かなくなった足を引きずり、手で地を掴みながら、ルビーが散った場所へと体を運んだ。
つい先程まで山ほどアイテムがあったその場所には、売れ残りのように、たった二つの物が残されていた。
一つは、まるで汚物の如く忌み嫌われてその場に放置された……一振りの、黒い《大鎌》だった。
そしてもう一つは……土埃を被ってしまった、一本のねじれた――白銀の小さな角だった。
「あ、あ……」
ボクはその角を拾い、指先で土を払う。すると、その角は僅かに青く発光しているようだった。
それを指先でタップしてみる。
《ルビーの心》。
そう表示された、恐らく主人以外は拾得不可だったのであろうアイテムの表記を、じっと見つめる。
それは、使い魔が……死んだという《宣告》だった。
「…………あっ、ああぁっ……」
今になって、ボクは声を喘がせる。
体が震え、嗚咽にも似た勢いで、悲しみが胸から喉へとせりあがって来た。
「――――あ、あぁっ……ぁあああっ、あ、ぁあぁあああぁぁああああっ…………!!」
そして、ボクはようやく自覚する。
――ボクの大切な友達が、出会ってたった一日で、目の前で殺された事を。