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星々の世界に生まれて~銀河英雄伝説異伝~

作者:椎根津彦
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激闘編
  第八十三話 鳴動

帝国暦486年5月6日14:00
フェザーン星系、惑星フェザーン、フェザーン自治領、自治領主府、
アドリアン・ルビンスキー

 目の前には補佐官のボルテックが神妙な面持ちで立っている。
「閣下、少しばかり重要なご報告がございます」
「何かな」
「帝国に対する貸付残高…国債でございますが、ニ十兆帝国マルクを越えました。また新たな国債の買い付けの打診がありました」
「ニ十兆…中々穏やかな額ではないな」
「はい。そのうち償還期限を越えた物が二兆帝国マルクに達します」
「返済期限の過ぎた借金があるのに更に借金の申し込みか。返してから申し込むのが筋だろう。償還要請はしているのかな」
「全額はとても無理でしょう、利息の支払いだけで手一杯の様です。それについても期限延長の打診がありました」
「まあそうだろうな。報告は以上かな?」
「いえ。続いて同盟ですが、彼等の言う新領土及び解放宙域の開発が順調の様です。帝国とはうって変わって、我々に対する国債の償還を再開しました。まあ再開したと申しましても償還期限の過ぎた国債の償還で、額も僅かずつではありますが…償還期限の過ぎた国債の総額は約三千五百億ディナール、国債総額では七兆五千億ディナールに達します」
「どちらも借金してまで戦争をしておるだから始末に悪い。相手の事など気にせず国家運営に専念すればよいものを」
「両国としてはそうもいかぬのでしょう。今や不倶戴天の敵同士でございます」
「人類全てが同じ政治体制でなければならぬ訳ではないだろう。他者への寛容を忘れた結果だな…まあそうであるからこそ我等の計画も進む訳だが」
「仰る通りでございます」
「帝国に対しては国債の償還期限延長に応じてやれ。新たな国債の買い付けに引き受けてもよいと伝えるのだ」
「よろしいのですか」
「構わん。それより同盟の方が気になる」
「借金を返済する余裕がある…財政が健全化している結果でございますからな」
「そうだ。同盟の方が人口は少ないが、その分社会インフラの成熟度は高い。財政さえまともなら簡単に生産性を上げる事が出来るのだ。それに対し帝国は貴族領として地方自治を貴族どもに任せている。その分国全体には統一性がなく画一的な社会インフラという面では同盟より劣っている。言わば帝国は帝国政府と貴族領の連合王国のような物だ。全体では同盟を上回るが、ほとんどの貴族達は何ら帝国に貢献していない。国の運営も同盟との戦争も、帝国政府だけが行っている様な有様なのだから帝国の為政者達も頭が痛い事だろうな」
「はい。ですが、なればこそ我等は深く食い込む事が出来ます」
「うむ。それでだ、同盟が優勢な今、両国同時に勢力を浸透させるよりは帝国に力を入れた方がよいと思うが、補佐官はどう思うかな」
「閣下がそうお考えであれば、私には異存はございませんがその…よろしいのですか、例のご老人達のご意向は」
「構わん。今までの方針に一部修正を加えるだけだ。当初の方針に固執すると計画全体が上手くいかなくなる場合もある。あの方々には私から説明する」
「了解いたしました。早速修正案の検討に入ります」




5月15日09:00
ヴァルハラ星系、首都星オーディン、銀河帝国、新無憂宮、南苑
クラウス・フォン・リヒテンラーデ

 「フェザーンが了承したというのか?有難い話ではあるな」
「御意にございます。また新規発行の国債があるのであればそれについても考慮してもいいと。新規発行分の総額についてはこちらの資料をご覧下さい」
「ふむ…これについてはあまり歓迎出来る事ではないな」
カストロプ財務尚書…十年以上も財務尚書の職にあって、公務の数倍私腹を肥やす事に努力を続けて来た男…国債償還期限の延長をフェザーンが了承?それは有難いとしても新規国債の引き受け?それはフェザーンの都合ではないか、それをさも自分の功績の様にまくし立てるとは…そもそもこの様な大事は高等弁務官府から前もって報告がある筈だ、自治領主補佐官と財務尚書のやり取りだけで済む話ではない。それに国債の発行額が過大すぎる。国債で賄っているのは追加予算…主に戦費だが、軍は不要な基地を統廃合し、不必要な支出の削減を図り艦隊の再建費用を捻出している。また、イゼルローン要塞の維持費が無くなった事で浮いた予算も艦隊の再建に充てていると聞いている。国債を新たに発行しても国内向けの物だけでよい筈だが…。
「国債の発行額については再考が必要であろう、もう一度検討してみてくれぬか」
「そう…でございますな。では再検討して新しい報告書をお持ち致します」
 
 ふん、不満を隠そうともせなんだわ…。
「ワイツ、隣で待っておるルーゲ伯を呼んでくれぬか」
「かしこまりました」
ルーゲ伯爵…司法尚書でもありカストロプの行状に憤りを感じている一人でもある。
「待たせて済まぬ。話は聞こえておったか」
「はい。まさか国債に関しても私腹を肥やすのに利用していたとは…」
国債を発行する。帝国から国債を買えと言われればフェザーンは買うしかない。国債には当然利息がつく。フェザーンに買わせた国債の利息の一部をダミー会社を何社も経由して顧問料の名の下にマージンとして受けとる。フェザーンの商人や企業が帝国との交易を行うには帝国財務省の許可が必要である。許可を受けた者達はカストロプを自社の名誉顧問とする。いつの間にかそれが通例になっていた。奴はそれを悪用しているのだ。
「交易の許可を与えたフェザーンの商人や企業にダミー会社を作らせる。そのダミー会社に更に交易の許可を与え、そこを受け皿として賄賂を取る…一応戦時中とあって我が国の国債は高金利ですからな。フェザーンが受けとる利息はかなりの額です。そこからカストロプ公に袖の下を渡したとしても痛くもない。フェザーンは必要経費くらいにしか考えていないでしょう」
国内での収賄ならまだ目を瞑る事も出来るが、国を跨ぐとなると話は別だ。フェザーンは自治領として帝国の一部とはいえ、内実は独立国に近い。フェザーンに対してあまりあこぎな事をすると心情的にも物質的にも叛乱軍に追いやりかねない。しかも金の蛇口に手を掛けられて…だ。
「だが伯爵、よく調べたな」
「密告があったのです。金の流れを押さえた詳細な資料と共に」
「ほう」
「密告者は帝国とフェザーンの友人と名乗りました。帝国への協力は惜しまないが、それは一部政府閣僚の私腹を肥やす為に行っているのではない、多少なら目も瞑るが、あまり派手にやって貰うのは困る。何とかしていただきたい…と。おそらくフェザーン自治領主府の紐付きと思われます」
「身勝手な言い種だな。本当に迷惑なら初期の段階で申し出ればよかろう…新たな財務尚書の選定を急がねばならんな。陛下にもご報告せねばならん、頭の痛い事じゃ」
「ご心痛、お察しします。新たな財務尚書が決まりましたらお教えください。その時点でカストロプ公の拘禁に踏み切ります」
「うむ。宜しく頼む」
頭を深く下げてルーゲが出て行く…皆あの様な誠心誠意仕えてくれる者ばかりならのう…役得もよいが身をわきまえて欲しいものじゃて。
「ワイツ、聞いての通りじゃ。解って居ろうが、他言は無用じゃぞ」
「承知して居ります。それで人選についてでございますが、ゲルラッハ子爵では如何でございましょう」
「おお、ゲルラッハか。あの者なら誠心誠意務めるであろう、午後でよいから此方に来るように伝えてくれ」


5月16日13:30
オーディン、軍務省、軍務尚書公室、
グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー

 この部屋に来る時は、ろくでもない報せがある時、と相場が決まっている。
「麾下の艦隊の状況はどうかな、司令長官」
「やっと十個艦隊の錬成が終わったところだ。そして、報告した通り更に四個艦隊を編制中である」
「卿一人で統御出来るのか?副司令長官を置いた方がよいのではないか?どうだ、本部長」
「統帥本部としては指揮権の分与は望ましくないと考えているが、確かに十四個艦隊ともなると統制に難がある事は認めざるを得ない。尚書の御意見は尤もである」
「儂が無能と言っているのかな、二人とも」
「そうではないぞ司令長官。円滑で適切な兵力運用の為に副司令長官職が必要ではないか、と言っておるのだ。なあ本部長」
「尚書の御意見は尤もであるが、司令長官が兵力の統帥に疑問を感じていない以上、無理に勧める物ではないと思う」
「…まあよい。今日二人に来てもらったのは…ちと少々厄介な事が起きそうでな。特に司令長官、卿の力を借りねばならん」
やはりな、この無意味な言葉の応酬から始まる時はろくでもない事がある場合だ。
「この無能者の力を借りねばならん事態とは…難事かな」
「そう皮肉を申されるな長官…近日中にとある政府閣僚が退任なされる。リヒテンラーデ公が…その際何事か起きるやも知れぬ、軍の力を借りねばならぬかも知れぬと仰られてな」
「…反乱が起きる、と?」
「その可能性が高い、という事よ。一個艦隊、いや二個は必要かも知れぬ。それと擲弾兵も必要じゃろう」
「擲弾兵…オフレッサーには伝えてあるのか」
「いや、まだだ。まだ訳知りは少ない方が良いと思うての。本部長、惑星制圧には二個師団も居ればよいだろうか」
「そうですな…惑星全土ではなく一部の都市機能の制圧のみなら二個あれば充分でしょう。どうですかな、長官」
「本部長と同意見だ。都市を制圧して反乱の首魁を捕らえるだけなら、二個あれば充分だろう。いつ出撃させればよいのだ?」
「待て待て、反乱が起きたら、の話じゃ」
「艦隊級演習として出撃させればよいと思うが。本部長、命令書の用意を頼む。オフレッサーには私から伝えよう」
「了解した…尚書、それで宜しいかな」
「構わん…いや、出動待機命令に変えてくれ。では二人ともご苦労だった」

 公室を出ると、統帥本部長が歩み寄って来た。
「カストロプ公だよ。リヒテンラーデ公に退任を勧告されたらしい。拒否する場合は陛下の勅を頂いた上で立件して逮捕に踏み切るという事だ」
やはりあの男か…。今まで退任させられないのが不思議なくらいだったが…。
「よく知っているな」
「なあに、統帥本部には口さがないのがたくさん居るからな。卿の所でもそろそろ騒ぎ出す奴が出てくるだろうよ。儂も知ったのは一昨日だ」
カストロプ公はブラウンシュヴァイク一門やリッテンハイム一門とも等しく距離を置いている、両派閥と利害調整をせずに済むのはありがたい事だ。誰を討伐に向かわせるかだが…。



5月17日14:00
オーディン、ミュッケンベルガー元帥府、ミューゼル艦隊司令部事務室、
ラインハルト・フォン・ミューゼル

 「カストロプ公が反乱を起こすと仰るのですか」
「可能性の話だ、ミュラー。国務尚書から退任勧告されるとなれば、体のいい罷免だからな」
「今まで蓄財に励んでおられた方が辞職を勧告されたからといって、金のかかる反乱など起こすとは思えないのですが…」
「今まで溜め込んだ不正な金をむしり取られるとしたら?卿ならどうする、ワーレン」
「小官ですか?小官は不正な蓄財などしておりませんが……まあ」
ワーレンのいささか憮然とした答えに皆が微笑む。
「まあ…そうですな、どうせ没収されるなら…と考えるかもしれません」
「そうだな、奥方にへそくりを取られるくらいなら使ってしまった方がいいよな、ワーレン」
「たまに卿が羨ましくなるよ、ロイエンタール准将」
再び皆が笑った。ロイエンタールとワーレンは士官学校の同期だという。在学中は特段親しいという訳ではなかったらしい。同期生か…後でチェックしてみよう。一人くらいはめぼしい奴がいるかもしれん…。そのまま皆が談笑していると、参謀長のケスラーが入ってきた。誰か此方へ寄越せというのでミュッケンベルガーの下へ行かせていたのだが、何かあったのだろうか。
「閣下、お耳を」

「…了解した。皆聞いてくれ。カストロプ公が亡くなられた。領地へ戻る途中の事故、だそうだ。噂をすれば、だな。何時出撃となるか分からない、後は卿等でよく話合う様に。解散」
皆一様にざわめきつつ事務室を後にしていく。事故死だと?そう都合よく人が死ぬものか…いや、この帝国では都合よく人が死んだり居なくなったりする事がよくある。
「ラインハルト様、これは…」
「殺されたのだろうな。カストロプ公が捕まると都合の悪い人間が居るのだろう」
「なのでしょうね…艦隊ですが、一両日中には出撃準備が整う予定です」
「了解した」
「本当にラインハルト様はお出にならないのですか?」
「ミュッケンベルガーにはそう掛け合ってある。若しカストロプ領に出撃する場合は部下達を出すとな。彼等の力量をミュッケンベルガーに認めさせるいい機会だ。キルヒアイス、お前もだぞ」
「有難い話なのですが…」
「なんだ、自信がないのか?」
「そうではありません、留守中のラインハルト様が心配なのです」
「大丈夫さ。お前のいない間に羽を伸ばすとするよ」
「やはり俺も行けばよかった…とか、後から仰らないで下さいね」



14:30
ミュッケンベルガー元帥府、第二会議室
ジークフリード・キルヒアイス

 「閣下も太っ腹だな、我々に功績を立てる機会を下さるとは。ヒルデスハイム艦隊に配属された頃から思っていたのだが…キルヒアイス大佐、ミューゼル閣下は何故我等に目をかけて下さるのだ?」
「小官も詳しくは聞いていないのですが、以前から皆さんの経歴を調べていた様です、ワーレン大佐」
「…不遇をかこっていると?」
「はい。能力に比して場を得られていない、平民や下級貴族であるというだけで正しく評価されていない…閣下は軍の最高位を目指しておいでです。その時に自分を支える事の出来る有能な部下が欲しいと常々仰っています。まあ、先に皆さんがミューゼル閣下を追い抜く事があるかもしれませんが」
「その時は?」
「再び追い抜けばよい、と」
「はは…顔に似合わず豪気なお方だな。ロイエンタール准将、キルヒアイス大佐を除けば卿やミッターマイヤー准将が我等の中で一番近くでミューゼル閣下を見てきた筈だ。実際、どんなお方なのだ」
「まあ、若いな。若いが苦労人だ。能力も高い。高いが今までは参謀という立位置に居られたから、その能力を発揮できていたかといわれたら難しいだろう」
「ほう…では艦隊司令官としてはどうなのだ?自らが意志決定者の地位に就いたなら」
「閣下の部下である事を誇りに思う日が来るだろう。俺はそう思っている」
「卿がそこまで評価する軍人は…隣にいらっしゃるミッターマイヤー准将の他は見たことがない。最上級という事だな」
「ああ。若さ故の失敗はあるかもしれない。だがそれは目の前の獲物が大き過ぎる時だ。そんな時は俺達だって人の事は言えんだろう」
「…そうだな。というか、俺達だってまだ充分に若い方だろう」
「そういえば、そうだな」

 私は普段ラインハルト様と一緒に居るから、こうやって皆と行動する事などほぼ無いに等しい。ラインハルト様が推挙した方々がラインハルト様に対してどんな気持ちを抱いているのか、確認出来るまたとない機会だ。確かに見ず知らずの人間が自分を評価して推挙したのだから、ラインハルト様の為人は気になるところだろう。
「いかんな卿等。自分の直属の上官を評価するなど」
「常識人ぶらないで貰いたいなメックリンガー。卿だって気になるだろう?」
「私は知り合いから閣下の事は聞いていたよ。推挙されなくても自ら進んで馳せ参じるつもりでいたんだ」
メックリンガー准将…確かヴェストパーレ男爵夫人の知人だ。軍人ながら芸術家としても名が知られているという…そうか、男爵夫人からラインハルト様の事を聞いていたのか…。
「卿等、そろそろ本題に入ろう。どうやら時間はあまり無さそうだ」
豪胆で実直、軍人というよりは少壮の弁護士といった風貌のケスラー参謀長が場を引き締める。
「キルヒアイス大佐、卿が一番ミューゼル閣下と親しい。閣下ならどうお考えか理解出来るとおもうのだが…参謀長に任じられているとはいえ、この様なケースは初めてでな」
「確かにそうですね…ミューゼル閣下は皆さんがそれぞれの力を発揮される事をお望みです。参謀長がそのまま全体の指揮と統括を、右翼と左翼はミッターマイヤー提督とロイエンタール提督が、中央後方にメックリンガー提督…で宜しいのではないでしょうか」
「攻守の均衡に優れる二人を前衛、中央後方から前を見渡す位置にメックリンガー提督という事か。適材適所だな」
「はい」
「よし、この編制で一度シミュレーションをしてみよう。相手は…そうだな、キルヒアイス大佐、頼む」
ミッターマイヤー准将、ロイエンタール准将の二人が意味有りげに微笑するのが見えた。私は…そうだ、試されているのだ。お前に、俺達に着いてくる資格はあるのかと……皆から見れば私は、ラインハルト様の幼なじみ、付属品としか見られていないのだろう……自分の力を正しく知るいい機会かもしれない。
「…了解しました。お手柔らかにお願いいたします」



5月18日19:00
オーディン、ミッターマイヤー邸
ウォルフガング・ミッターマイヤー

 「じゃあなミッターマイヤー。また明日」
「たまには寄っていかないか。まあ、家で誰か待っているのなら無理にとは言わんが」
「奥方との団欒の邪魔ではないか?」
「いや、エヴァに言われたんだ。たまには夕食にでも誘ったら、って」
「そうか…では御相伴にあずかるとしようか」
  勤務中を除けば、ロイエンタールと飯を食うなんて結婚前まで遡らないと記憶にない。オーディンにいる時は、俺はほとんど真っ直ぐ家に帰るし、ロイエンタールもいろんな女の相手で忙しいから、プライベートで二人で会うなんて機会は今ではほとんど無いに等しい。
「ようこそいらっしゃいました、ロイエンタールさん」
「お邪魔致します、フラウ・ミッターマイヤー」
「そんなかしこまらないで下さいな。エヴァ、とお呼び下さいね」
おいおい…エヴァの奴、気安くないか?

 「フラウ、ご馳走になりました、いや、とても美味しかった…卿は幸せ者だぞミッターマイヤー。軍人など辞めて家業を継いだらどうだ」
「花屋をか?駄目だ駄目だ、俺は花屋の跡取りとしては失格だ。なにせ花言葉の一つも知らんのだ…いや一つは解るか…おい、笑うなよエヴァ」
「黄色い薔薇、か?」
「そうだ。後から知った時は顔から火が出る思いだったよ」
「卿は花言葉に限らずその手の話にはとんと疎いからな」
「卿とは違って、か?……エヴァ、後はこっちでやるから、休んでいなさい。さあロイエンタール、乾杯しよう」
「ああ。乾杯」
自然と話題は昨日行ったシミュレーションの話になった。ケスラーを艦隊指揮官として、俺、ロイエンタール、そしてメックリンガーの四人のチームと対戦したのは赤毛ののっぽ…キルヒアイスだった。指名したのはケスラーだった。赤毛ののっぽは付属品…今まではそれで良かった。だが今回の様な、ミューゼル…司令官の下を離れ独力で戦わねばならないケース─地位が上がれば益々増えていくであろうケース─を考えれば、赤毛ののっぽとて友軍として考えなければならない状況が出てくる。そうなった時、本当にただの赤毛ののっぽでした、では話にならないのだ。
「…強かったな、赤毛の奴。シミュレーションとはいえ、『ロイエンタール分艦隊、四割ノ損失』…聞いた時は耳を疑ったぞ」
「キルヒアイスか…そうだな、奴は強かった。卿も三割の損失という判定だったな」
「うむ…自惚れている訳ではないが、卿と俺が一緒に戦って勝てない相手が居るとはな」
「メックリンガーもあの状況では手を出せまい…まあ負けなかったのだ。それに、味方に勝つ事より敵に勝つ事を考えようではないか」
「敵?叛乱軍か?反乱者か?」
「どちらもだ」
「叛乱軍と言えば、あの男は今頃何をしているだろうか。アッシュビーの再来…」
「ヤマト・ウィンチェスターか」
「そうだ。昨年はまんまと手玉に取られてしまった」
「生きて還れたのが不思議なくらいだ。あれで昨年の運は使い果たしてしまった様なものだ」
「奴等の侵攻はアムリッツァで止まっているものの、近隣の星系は叛乱軍の庭の様になっているからな。帝国軍がこれ程外敵の圧に弱いとはな…」
「それほどイゼルローンの存在が大きかったって事だ…しかし、叛乱軍は何故アムリッツァで停止しているのだ?アムリッツァを確保するのは解る。あれによって我軍は受動的な立場に置かれてしまった。主導権は奴等が握っているのだぞ」
…今にして思えば、それこそが叛乱軍の思惑だったのかもしれない。戦いの主導権が移った、と此方に思い込ませ、焦燥感を煽る…二十年以上も動かなかった戦局が動いたのだ、政府、軍首脳部の受けた衝撃は相当なものだったろう。俺やロイエンタールとてこれはまずいと思わされたものだ。それが一昨年の中途半端な奪還作戦を行う羽目になり、昨年の無様な包囲殲滅戦に繋がった…。
「思えば、アムリッツァ自体が餌なのだ。奴等はアムリッツァから動かない事で我等の戦力の漸減を狙っているのだ。ミッターマイヤー、だとすれば奴等は勢いに乗るだけではない、相当長期的な戦略を立てているぞ」
「おそらくウィンチェスターが絡んでいるのだろうな」
「そうだろう。厄介な相手だ」




宇宙暦795年5月18日21:00

バーラト星系、首都星ハイネセン、自由惑星同盟、ハイネセンポリス、三月兎亭(マーチ・ラビット)、ヤン・ウェンリー

 「改めておめでとう、ラップ、ジェシカ」
今日はラップとジェシカの結婚式だった。今は二次会も終わって一段落、といったところだ。
「次はお前の番だぞ、ヤン」
「そんな事言われてもなあ。肝心の相手が居ないよ」
「あら。エル・ファシルの英雄はおモテになるのではなくて?貴方の立場なら選り取り見取りじゃないの?」
「本当にそうだったら今頃二人に紹介しているさ」
「お前の副官のグリーンヒル少尉はどうだ?ウィンチェスター閣下のところのローザス大尉って手もあるな」
「やめてくれよ。どっちにしても仕事がやりづらくなるよ」
「カヴァッリ大佐って線もあるな」
「…彼女はリンチ少将の身内だ。私は敬遠している訳じゃないが、マスコミや周りに何を言われる事か」
「あ…そうだったな」
「ヤン、周りの目を気にする様な人だった?貴方」
「そういう訳じゃない。リンチ少将をだしにして私は助かった様なものなんだ。結果として多くの民間人を救う事は出来たが、少将を見殺しにした事には違いない。表向きはどうあれカヴァッリ大佐はそれを快く思う事はないと思うよ」
「そういう物かなあ」
「それに大佐は結構モテるんだ。私なんか相手にされないよ」


同時刻、シルバーブリッジ三番街、ウィンチェスター邸、
ヤマト・ウィンチェスター

 目の前にはオットーとパオラ姐さんがニコニコ顔で座っている。
「もと鞘に収まった訳か。おめでとう、よかったよかった」
「有難いお言葉ですけど…なんか適当ですね、閣下」
「い、いやそんな事は無いよ」
「エル・ファシルで出会った頃は可愛かったのになあ…やっぱ地位は人を変えるんですねー」
「だからそんな事はないですってば」
「意外性がないのは解る。だけどそうおざなりにする事はないんじゃないか?友達だろ?」
オットーさあ…また任地がバラバラになったら別れたりしないだろうな?恒星間長距離恋愛…この世界の人は普通なんだろうが、それが普通って事は別れる事も多々あるって事だぞ?まあ、基本的にはめでたいからよしとするか…。
「だからよかったって言ってるじゃねえか!全然おざなりじゃありません!ほら、乾杯!」
忙しいけれど、こうやって人と人の営みは続いていく……なんてキー○ン山田さんのナレーションみたいな事を言ってる場合じゃないんだよなあ。帝国の動きが全く見えない。アニメだと都合よく何か起きてくれるんだけど、フェザーン経由でも何も聞こえて来ない。フェザーンからすら何も聞こえないってのは困る。何か起きて情報を遮断しているのか、駐在の高等弁務官府が無能なのか……まあヘンスローが高等弁務官だからな、動きが鈍いのも解るけども、めぼしい情報すらないって事は無いだろう……あ、だったら…。
「エリカ、ちょっと二人の相手しててくれ。シトレ閣下に用事を思い出した。すぐ戻る。オットー、二人共泊まっていくだろ?」
「ん?ああ」
「済まないが少し待っててくれ」

 電話、電話、と…。
「もしもし…ああ、ユリアンかい?ヤン提督は居るかな……なるぼど、分かった分かった。君から連絡を居れといてくれないか?今から迎えに行くって…うん、うん、大事な用って言っといてくれ。よろしくな」
ヤンさんは三月兎亭か。ラップとジェシカ…ああ、結婚したんだな。こうやって人と人の営みは続いていく……。


22:00

 「まさかまだここに残っていらっしゃるとは思いませんでしたよ」
「君達が思っている程暇ではないのでな…しかしどうした、二人揃って」
「いえ、一つお願いをと思いまして」
シトレ親父はまだ本部長執務室に居た。机の上をチラ見するとサイン待ちの書類が溜まっている。指揮官になってみて分かったが。サインするのも大変なのだ。書類を提出する側は『サインだけ呉れたらいいんだよ』と考えるけど、サインする側はそうはいかない。隅々までチェックしないと後から大変な事になりかねない。パラパラめくってハイOK、という訳にはいかないのだ。親父は書類に目を通すのを止め、こちらに目をやった。
「はい、ミルクだけでいいんですよね…ヤン少将、勝手にやって下さい。私もそうしてますから…ああ、茶菓子はそこの開き戸にあります」
「中将はこの部屋にお詳しいですね」
「よく呼ばれるので自然とね…閣下、どうぞ」
「ありがとう。で、頼みというのは」
「情報部にバグダッシュ大尉という男がいます。その男をフェザーンに送りたいのです」
「そういう事なら、情報部に依頼すればいいだろう」
「いえ、こちらに…第九か第十三艦隊に転属させた上でです。情報部所属のままだと、彼等のフィルターを通した情報しか上がってこなくなる。それでは意味がありません」
「生の情報が欲しいという訳だな……分かった、第九、第十三どちらがいいか、そこは改めて二人で詰めたまえ」
「はい。ありがとうございます」

 
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