| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

ドリトル先生とラーメン

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第二幕その十

「何か文句を言うことがいいって考えている人がね」
「いるね」
「うん、批判精神とかいうのかな」
 王子はここでこの言葉を出しました。
「何かに対して間違っていることがわかって言える」
「それが出来る自分は凄いとかね」
「偉いとかね」
「思い込んでいる人がいるね」
「そうだよね」
「歴史でも政治でも文化でもでね」 
 批判対象はというのです。
「間違いを言える、それも堂々と」
「それが出来る自分は頭がよくて凄くてね」
「偉いってね」
 その様にというのです。
「思う人がね」
「世の中いるね」
「うん、他にもね」
 先生は王子に言いました。
「何て書いてあるかわからない難しい文章があるね」
「あるね、日本語にも」
「やたら造語やカタカナの文字を使ってね」
「妙な言い回しでね」
「そんな文章を書いて」 
 そうしてというのです。
「何を言いたいのかね」
「わからない文章を書く人だね」
「それでその文章を読んで」
 そうしてというのです。
「もう無理にでも理解っていうかね」
「理解したつもりかな」
「そうなってね」 
 それでというのです。
「この文章を理解出来た自分凄いってね」
「難しい文章を」
「頭いいって思って」
「ああ、自分を誤解して」
「その文章を書いた人も凄いってね」
「思い込むんだね」
「こんなこともあるよ、けれどこれもね」
 こうしたこともというのです。
「実はね」
「違うんだね」
「それは錯覚だよ」
 先生は断言しました。
「心のね」
「実は頭がいいとか凄いとかないんだね」
「難しい文章を理解したつもりになってもね」
「そして物事に批判したと思っても」
「そうだよ、文句は何とでも言えるし」
 批判のことをこう言うのでした。
「言い掛かりなんて言おうと思えばね」
「その時はだね」
「そう、何とでもね」
「だから偉くないね」
「そして難しい文章なんてね」 
 そうしたものはといいますと。
「実は中身はね」
「ないんだね」
「真理はいつも明解だよ」
 そうしたものだというのです。 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧