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冥王来訪

作者:雄渾
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第二部 1978年
迫る危機
  慮外 その2

 
前書き
 なんでマブラヴ世界ではチェコスロバキアの航空機産業が注目されないのだろうか……
今も、第三世界ではチェコのL39の系譜を引く練習機は売れてるんですけどね…… 

 
 季節はすでに12月だった。
1978年も残すところ、あと一月を切っていた。
 今日の物語の舞台は、チェコスロバキアのアエロ・ヴォドホディ社。
同社は戦前から続くチェコスロバキアの航空機メーカーであった。
 アエロ・ヴォドホディ社で有名なのは練習機L29であろう。
この複座のジェット練習機は、1961年にソ連のyak-38を抑えてワルシャワ条約機構で採用され、その後、共産圏や第三世界を中心に販路を広げた。
 生産数3600機を誇った練習機は、もともと戦闘用ではないが、いくつかの戦争に投入された。
1967年のビアフラ紛争において、L29は求められる以上の役割を果たす。
東側の支援を受けたナイジェリア政府軍は12機のL29をもってして、ビアフラ側の攻勢を押しとどめた。
 では、1973年にBETA戦争が起きた異世界のアエロ・ヴォドホディ社はどうしたであろうか。
この未曽有の危機に対して、同社の反応は素早かった。 
 初の戦術機F-4ファントムの存在が発表された、1974年の段階から練習用戦術機の開発に乗り出した。
 既にソ連で開発されていたMIGー21の計器類を転用し、練習機T38を基に開発した世界初の複座練習機を完成させる。
 1977年のパリ航空ショーで西側に公開されるも、販路は既になかった。
全世界の練習用戦術機のシェアは、ノースロップ社のT-38の独占状態。
 東側諸国は、ソ連が1976年のハバロフスク移転前に転売したF4-Rであふれかえっていた。
新型練習戦術機L-39を買ってくれる国は、どこにもない状態。
アエロ・ヴォドホディ社は、創業以来の危機に瀕していた。 
  
 誰もが見捨てた会社に、近いづいた人物がいた。
天のゼオライマーのパイロット兼設計者である、木原マサキである。
 彼は、アエロ・ヴォドホディ本社を訪れ、新型推進機の生産を提案したのだった。
  
「これが、新型の後付けエンジンですか……」
新型の推進装置の図面を手に入れたチェコスロバキアの技術陣は、感嘆するばかりであった 
 マサキが設計した戦術機用の新型推進装置(スラスター)の外観は、四角い箱だった。
戦術機の背中に増設し、背嚢にどことなく似ていたことから、ランドセルと称された。
 ジェット燃料の増槽を兼ねた、この大型推進機の生産計画は一度、富嶽重工にマサキが持ち込んだものであった。
だが、生産ラインの都合とライセンス契約で頓挫してしまう。
特に生存性の向上を考え、予備エンジンとしてソ連製のイーフチェンコ設計局製のロケットエンジンのコピーを乗せるという案に、富嶽重工側が難色を示したのが大きかった。
 またマサキが提案した、八卦ロボ共通の背面スラスターに使われている大型ブースターも、鬼門の一つだった。
もともと50メートル超の機体を安全に操縦するために、大量の燃料を消費するため、戦術機の燃料タンクでは不十分だったのだ。
 マサキは、八卦ロボの動力を早くから異次元から無尽蔵にエネルギーを取り出す次元連結システムに変えていた為に問題にはならなかった。
だが、この異世界での戦術機の動力は、全く異なった。
ジェット燃料とその爆発から取り出したエネルギーを充電するリチウムイオン蓄電池、マグネシウム燃料電池の混合(ハイブリット)方式であった。
 その為に、どこのメーカーでも嫌がられる存在であった。

「ジェット燃料の事を考えて、大型の推進装置にはそれ自体に増槽の機能が追加してある。
約5300リットル、1400ガロン相当のジェット燃料が入るようにした。
これはちょうどF104戦闘機と同じ容量だ。
油の比重を考えれば1.26トン、軽量な戦術機も影響は受けまい」
(現実のF15J戦闘機には、600ガロン増槽を3個、2271.25リットルを装備している)
「戦術機の背面に追加するんですよね」
「そうだ」
「兵装担架が使えなくなってしまうではありませんか」
 戦術機には乱戦に備えて、突撃砲の搭載を前提とし、背面射撃が可能な補助椀が付いていた。
そしてこの補助椀には、破損した武器を交換する兵装担架としての役割も付与されていた。
「そんなものなくとも、肩にロケットランチャーを装備して、装甲を厚くすれば十分だ。
現にサンダーボルトA10には、そんな邪道なものはついていない」
マサキは一旦言葉を切って、たばこに火をつける。 
「なんならフェイアチルド・リムパリックに頼んで、サンダーボルトに搭載予定の機関砲でも融通してもらうか。
30ミリのアヴェンジャー・ガトリング砲だったら、BETAでも戦術機でも一撃だぞ」
「でも弾薬の事を計算したら、最大離陸重量が30トンを超えませんか。
あのファントムですら、28トンが限界ですよ……」
「だったら、余計な刀を外すんだな」
「近接短刀は、衛士の最後の心のよりどころです。
外せと言われても、衛士たちが簡単に外さないでしょう」
「自前で軽量な30ミリ機関砲でも作れとしか、俺は言えんぞ……
銃器は、俺の専門外だ」

 ここに、マサキとこの世界の人間の考えの差が、如実に表れた。
マサキは、サンダーボルトa10の大火力をもってして、BETAを、他の戦術機を圧倒すればよい。
その様に考えていた。
それは、天のゼオライマーや月のローズ・セラヴィー、山のバーストンなどの、大火力を誇るロボットを設計した経験から導き出された答えであった。 
 一方、この世界の戦術機は、光線級吶喊(レーザーヤークト)、つまり浸透突破と呼ばれる戦術を重点に置いていた。
軽量な装甲で高速機動をし、刀剣で格闘をすることが出来るという事を何よりも重視していたのだ。
故に、マサキとチェコスロバキアの技師たちの意見は平行線をたどってしまったのだ。

「木原博士、貴方の言う新型推進機は、わが社で研究させていただきます。
一応、特許申請を出しておきますので、ここにサインを頂ければ……」
「国際特許だろうな。
機密扱いにして国内特許にすると、輸出先で分解されてコピーされるからな……」
 チェコスロバキアの新型拳銃CZ75は、設計者フランティシェク・コウツキー博士の意志とは別に国内特許とされた。
チェコスロバキア軍での採用のために重大機密とするためであったが、このためにイタリアやスペインで複製品が出回る結果になってしまった。
そしてイタリアのフラテリ・タンフォリオから、改良版のTA90を勝手に発売されてしまう事態となった。
マサキはそのことを知っていたので、チェコ側にくぎを刺したのだ。

 サインをしながら、マサキは西側の特許取得に関して不安を感じた。
チェコで特許を取ったものが、西ヨーロッパや北米で有益とは思えない。
 一応、EC加盟国である西ドイツで特許申請をして置くか。
西ドイツ軍人であるキルケに連絡を取れば、祖父のシュタインホフ将軍の手引きもあって申請も早いはず。
そう考えながら、英文とロシア語で書かれた契約書をアエロ・ヴォドホディ社の担当者に渡した。


 チェコスロバキアから帰った、マサキの行動は早かった。
その日のうちにキルケに電話を入れると、なんと彼女の方でも役場に行くのを待っていたという。
 翌日、マサキは以前言われた通り、戸籍謄本とパスポートのコピー、住民票をもって行った。
戸籍役場に行った後、ボンの特許庁まで案内してくれることとなったのだ。
 特許の国際申請は、二種類あった。
一つは各国への直接出願で、特許出願をする国の形式に合わせた書類で、対象国の特許管理機関に出願する方式である。
 この時代のチェコスロバキアは、国際特許を保護するパリ条約に加盟していなかった。
正式な加盟が行われたのは、チョコスロバキア解体後の1993年1月1日であった。
 パリ条約とは、正式名称を工業所有権の保護に関する1883年3月20日のパリ条約といい、工業製品特許の保護に関する国際条約である。
我が国日本は、1899年7月15日にパリ条約に、1978年10月1日に特許協力条約(PCT)へ加盟している。 
 マサキは、特許協力条約を知ってはいたがドイツの加盟状況に関しては知らなかった。
だから直接、ドイツ特許庁(今日のドイツ特許商標庁)に提出しに行くことにしたのだ。
 煩雑な手続きは、シュタインホフ将軍が準備してくれた代理人が手伝ってくれた。
事前に、書類を準備していたこともあろう。
順調なまでに、思うように事が運んで、あとは実態審査を待つばかりであった。
かくて、昼前からの役所巡りは、半日にして解決した。
 ちょうど、カフェテリアの前を通りかかった時である。
「ドクトル木原、ちょっと」
キルケは、カフェテリアに寄りたいようだった。
「何だ、何か用か」
 マサキは、役所詣でが終わったら、すぐに帰るつもりだった。
予定を狂わされて、不機嫌にいう。
「お茶でもしていかない?」
「わかったよ」
 マサキは渋々、カフェテリアのテラス席に座った。
そっと、キルケの側へ座って、彼女の顔をさしのぞいた。  
夕闇のせいか、キルケの顔は、宝石のように奇麗である。
「悪いけど、あと少し付き合ってもらえる」
キルケの申し出に、マサキは不思議に思いながらも、
「構わないが、一体どこに行くのだ」  
「ここ、ボンの市街地からキロほど南に行った、ハルトベルク。
そこにある、おじいさまの自宅よ」 
「ハルトベルク? お前の祖父の家だと?」
マサキは、キルケの言葉に思わず目を見張ってしまった。
「貴方と天のゼオライマーの活躍で、欧州はBETAの恐怖から救われたわ。
そのことについての……、今までの埋め合わせをしたくてね……」
そういったキルケの目に、邪悪な光が一瞬浮かび、直ぐに困惑したような表情を浮かんだ。


 ボンの夜を行くには、懐中電灯は要らなかった。
歳暮のせいか、町の灯は様々な色彩をもち、家々の灯は赤く道を染めて、ざわめきを靄々(あいあい)と煌めかせていた。
冬の空には、一粒一粒に、星が浮かんでいた。
「何やら、騒々しいがどうした」
 シュタインホフ将軍の用意した車に乗りながら、マサキは、運転手に話しかけた。
運転手がそれに答えて、
「もうすぐクリスマスです。
BETAもいなくなったことですし、5年ぶりの静かなクリスマスを楽しんでいるのでしょう」
――なるほど、市街地にかかると、賑やかな雑踏の中には、かならず人の姿が見えた。
もう12月、そんな時期なのかと、マサキは、一人心の中で今までの事を振り返っていた。
 シュタインホフ将軍はその夜、彼が帰国の暇乞(いとまご)いに来るというので、心待ちに待ちわびていたらしい。
屋敷中のの灯りは、マサキを迎えた。
 主客、夜食を共にした。
また西ドイツの高官から、贈り物の連絡などあった。
「ご進物は、明朝、御出発までに、ホテルへお届けます」
 マサキは、その内容だけを聞いた。
ゾーリンゲンの指揮刀や、ニンフェンブルクの陶器などである。
「鄭重な扱い、痛み入る」
 マサキはありがたさの余り、感激するばかりであった。
そして(いとま)を告げかけると、
「いや待ちたまえ。
君とは、まだ申し交わした約束が残っておる」
といって、老将軍は、マサキをうながして屋敷の奥へともなった。
「木原博士、さあ、お入りなさい」
 シュタインホフ将軍は、一室を開かせた。
驚くべき人間が、そこの扉を開いたのである。
薄絹のベールを被り、白無垢の花嫁衣裳を(まと)い、首飾りや耳環で飾っているキルケだった。
 しかしキルケの姿については、マサキはそう瞠目(どうもく)しなかった。
彼女の態度からうすうす感じ取っていたし、また彩峰あたりが熱心に薦めたものということも知っていたからである。
 けれど、老将軍について、一歩室内へ入ると、思わず、ああという声が出た。
寝室とリビングが続きになったスイートルーム仕様で、あわせて50坪ほどな広さはあろう。
キングサイズのベットがあり、天井、装飾、床、敷物にいたるまでことごとくが、白の色彩と調度品で揃えられていた。
「明朝まで、お休みになられませ」
 老将軍は、そういうと外からカギをかけて、帰ってしまった。
この俺に、キルケを差し出したという事か……
 たしかに、周囲に邪魔する者もいない。
ある意味、理想的な環境だ。
 その間にも、しきりと鼻を襲ってくるのは、まだかつて嗅いだことのない執拗(しつよう)な香料の匂いであった。
そうした視覚、嗅覚、あらゆる官能から異様な刺激をうけて、マサキはやや呆れ顔をしていた。
 あまりに珍奇な世界へいきなり連れて来ると、人は側の他人も忘れて口をきかなくなる。
そんなふうなマサキであった。
 キルケは、それを見て、ひそかに楽しんでいた。
どうだ、といわないばかりな顔して。

 この夜。
マサキとキルケは、壁を前にしたまま、ずいぶん長いこと、黙然と坐りこんでいた。
黙想に耽っていた。
 何を語りあったろうか。
 それは、その壁しか聞いていたものはない。
けれど、結論において、ふたりの理想が合致していたことは確かだ。
 なぜならば、やがて夜が更けて、再び(いとま)を告げて別れるに際しての時である。
二人の間には、これまでにない、もっともっと深い誓いともいえるものが、あきらかに双方の心にたたえられていたからである。 
 

 
後書き
 長かった1978年が終わりました。
1年10か月かかってしまった。
次回以降は1979年になります。

 11月3日は休日投稿を久しぶりにする予定です。
お楽しみにお待ちください。

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