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冥王来訪

作者:雄渾
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第二部 1978年
歪んだ冷戦構造
  シュタージの資金源 その7

 
前書き
 ドレスデン日帰り観光の巻。 

 
 マサキは、その夜ドレスデンに泊まった。
本当ならば、日帰りでベルリンに帰るつもりであったが、夜10時を過ぎてしまったので急遽泊まることにしたのだ。
 ホテルの一室は、シャワーと簡単なベッドだけ。
ルームサービスも台所もない簡単な宿泊施設で、冷蔵庫すらないのには驚いた。
ただ、シュトラハヴィッツ将軍が無理を言ってくれたおかげで、市内で一番高層を誇るホテルに宿をとれたのだ。

  コーラの入ったグラスを片手に、地方都市の夜景を眺め、次の方策を一頻り思案していた。
おもむろに立ち上がると、念入りに部屋中を見て回った。
 ソ連をはじめとする東側諸国では、外人用ホテルに盗聴はつきものであった。
 いや、同国人であっても、監視の目を緩めない。
硬直したスターリン主義の支配制度の中にある、東ドイツでは、より顕著であった。
 マサキは、ベッドわきにあるラジオや室内電話、電球などをくまなく調べる。
ソ連では、マイクロ波を用いた優れた音響装置による盗聴器があるためだ。
衛星国であった東ドイツで使わない理由はない。
 そして、このドレスデンの町は、KGBの秘密基地があった場所である。
何事も、用心して足りぬことはない。
 
 そうこうするうちに、壁掛け時計の中に怪しげな部品を認めた。 
『やはり、シュタージは腐ってもシュタージなのだな……』
そっと壁時計を戻した後、次元連結システムの子機を取り出して、起動する。
 あらゆる電波や熱線を遮断するバリア体を、部屋中に張り巡らせた。
これで、ひとまずは安心だろう。
そう考えながら、鞄の中から、ある道具を取り出した。
 それは、携帯式の通信機器である。
テーブルの上に置かれた機材の形状はノートパソコンに似ており、受話器がついていた。
折りたたむと、縦幅21センチ、横幅30センチ強で、A4判ほどの大きさだった。
 
 マサキは、通信機を起動させるなる。
画面に映る美久に向かって、静かに、
「美久。今からデーターをゼオライマーに送る」
美久は、画面越しに部屋中の様子をうかがっている風だった。
「はい」
「映像と音声は、カセットテープとビデオに焼き直しておいてくれ」
 そういうと記録装置の端子をつないだ。
情報量にして、500ギガバイト。
次元連結システムのちょっとした応用で、一時間もあれば、すべて送り終わるであろう。
 懐中より煙草を取り出して、火をつける。
悠々と紫煙を燻らせながら、
「あと、キルケに連絡を入れてくれ。
西ドイツのメディアと接触を図りたい。
なるべく早く、と言ってな」
 そういって通信を切ると、ベットに横たわる。
「あとは、この木原マサキの意志と覚悟だけか……」 
そう意味ありげに呟き、愛用の回転拳銃を抱えたまま、眠りに就いた。


 マサキ一行は、翌日もドレスデンにいた。
午前中はシュトラハヴィッツ将軍たちと別れて、市街に出る。
半径2キロほどの小さい町なので、観光するのに4時間もあれば十分だろうと、徒歩で出かけた。
 東ドイツ有数の地方都市という割には、活気がなく、汚い建物ばかり。
教会も、オペラ座前広場も、ツヴィンガー宮殿も、どれも爆撃の後で、薄く煤けているばかり。
 驚くべきことに、道路にはまったく車が走っていなかった。
ポーランド方面に行くのは深緑の塗装をした軍用車両ばかり。
時折、薄汚れたトラバントやトラクターを見かける程度である。
 もっとも、路面電車がかなりの本数で走っているので、車は必要なさそうだったが。
社会主義国で成功した東ドイツでこれなのだから、隣国ポーランドはもっと貧しいのだろうか。
 マサキは、力なくため息をついた。
アイリスを、日本に連れ出したら苦労しそうだと一人思案していた。

 ドレスデンは、東ドイツの端で、外人が少ないせいもあろう。
マサキたちは非常に目立った存在だった。
 またこの町が、KGBとシュタージの秘密拠点であったこともあろう。
監視の目も、異様なほど、多いことに気が付いた。
 それとなく様子を見るつもりで、ぶらぶらとドレスデンの町の中を歩いた。
彼は至る所で町中の目という目が、己に注がれている。
マサキは、そのような気がして、妙に背筋に薄ら寒さを感じた。
 
 ホテルには台所もなく、ルームサービスもなかった。
その為、わざわざ朝食を市内に買いに行くしかなかった。
 近くの国営商店(ハーオー)に寄った際、店内を探索して、気になる点があった。
値段はかなり格安で、補助金等の政府による価格調整の影響もうかがえる。
 ライ麦パン、1キログラム34ペニヒ、ブレートヒェン、1個5ペニヒなど……
ドレスデン名産の菓子、アイアシェッケ (Eierschecke)も85センチ四方で 1マルク25ペニヒ。
驚くべき安さだった。
(ペニヒとはドイツマルクの補助通貨単位である。100ペニヒ=1マルク。
この貨幣単位は、東西ドイツとも同じである)
 目についたのは、青果類などの青物が少なく、ビールなどは逆に30種類以上あるの事。
社会主義特有の需要と供給を無視した、発注ゆえだろうか……

 店員の話によると、これでもBETA戦争での物不足は解消した方だという。
その話を聞いて、東ドイツに住む主婦やパートタイマーの職業婦人は大変であろう。
 朝から商店に並んでも、お目当ての品物がかえないという馬鹿げたことになるのだから……
マサキは、不思議と、そんな事ばかりを考えていた。

 
 市中のパン屋に寄り、アイアシェッケという、ドレスデン地方発祥のチーズケーキを買った。
その際、店員は、動物にエサを渡すがごとく、パンを投げてきた。
店員の愛想の悪さと、乱暴な対応が、非常に気になった。
 東洋人の事を、見慣れぬのもあろう。
だが、カシュガルハイヴの構築を許してしまった支那に、よからぬ感情を持っている。
その様なことも、今回の態度の一因ではなかろうか。
もっとも、社会主義国特有のサービス精神の欠如もあろう。
 ここで、ドレスデン名産のひとつである、バームクーヘンを買い求めた。
だが、卵や牛乳の供給量の関係で、週に1度しか作れないと聞いたとき、マサキはあきれていた。
仮に売っていたとしても、朝から行列ができて、昼には売り切れてしまうほどだという。
 そしてバームクーヘンは、東ドイツでは高級菓子の部類であった。
クリスマスや、慶事での贈答品の習慣が根強かった。
西ドイツへの贈答品として売られて、ほとんど東ドイツ人は食べないと言う事だった。


 さて。
午後、マサキはシュトラハヴィッツ達の下に出向いていた。
彼等と共に、今後の事を話し合っていると、不意にザンデルリングが現れた。
 何やら重たげに、箱を抱えてきて部屋に入ってきた。
いきなり段ボール箱を置くと、そのまま帰ってしまった。
不思議な行為をするものだと、マサキは訝しんだ。

 ザンデルリングの持ってきたものは、資料だった。
ロシア語とドイツ語からなり、A4判の300枚入りのファイルで、25冊。
 一番古いものは1957年からの物で、最新のは1977年だった。

 資料を手に取ったハイムは思わず、
「完璧だ……完璧に資金の流れが解明できる。
この資料だけでも、毎年、2億マルクの金がシュタージを通して、KGBの手に渡っている」
(1978年の1ドイツマルク=115円)
さっきとは打って変わった熱心さで資料を見入るシュトラハヴィッツは、やや興奮気味に答えた。
「それにしても、ザンデルリングは見事なものだ。
この資料から完全に名前を消している」

 マサキは、ちょっと考えて。
「問題はそこだ……」
「というと……」
「この資料を西ドイツなり、米国に持ち込んだにしろ、どこから出たかが問われる。
ザンデルリングが名乗るわけがない。
この資料から名前を消したように、一切自分に関わりのないと、否定するのは目に見えている」
と、マサキは語尾に力をこめて、もう一度、
「はっきりとした出所が分からなければ、根も葉もない怪文書として切り捨てられる」
 五分間ばかり、沈黙の時間が続いた。
互いの胸の鼓動が聞こえるのではないかと思えるぐらい、静かな一刻(いっとき)であった。

 そのうち、マサキの監視役として来ていたゾーネが入ってきた。
灰色の開襟制服に、ベルトにマカロフ拳銃という厳めしい巡察の格好で来て、
「アクスマン少佐の遺品から出て来たことにすればいい」
と、やがて、彼はしずかに、
「少佐は、西ドイツに調略をかける中央偵察総局の将校。
出所としては文句はないでしょう」

 それは、まんざらのでたらめでもなさそうな話し具合だった。
だが、ゾーネはシュタージの現役将校。
それは、余程割引きして聞かねばならない。
 ハイム達は、その話を聞いた瞬間、
「シュミットと同じ、シュタージのくせに何を寝ぼけたことを」
と、いう言葉が、のどまで出かかっていた。

 シュトラハヴィッツのしずかな眼は、やがてしげしげとゾーネの面を見まもっていた。
さて、別に言う事もないような無感動をそのまま置いて。
「いいのか……。
それをしたら、お前さんの派閥の長は……この闇資金の流れを知って、関与していたことになる」
「そうだぞ、ゾーネ少尉。アクスマン少佐の名前に傷がつくことになる」
 しかし、ゾーネはあくまでも、懸命だった。
ハイムの問いに答えて、
「構いません」
と、息をつめた。
「KGBと刺し違えるのなら、アクスマン少佐も本望でしょう」

その話を聞き終わると、シュトラハヴィッツは不意に椅子から立って、
「西ドイツにヴァルトハイムという俺の知り合いがいる……。
その男に、ドイツ連邦検察庁の特捜部の検事を紹介してもらう」
 彼らの顔に、さっと一脈の生色が浮かんだ。
それは力強い、全身全霊をかけて頼れる存在だった。
「よし、その線で行こう」

 マサキは、話が一段落すると、市中に再び出かけた。
再び、バウムクーヘンを買うためである。
 ドレスデン土産にバームクーヘンを買おうをしていたマサキは、納得がいかなかった。
色々思案した末に、護衛役の私服警察官に聞いて、別な店に行って買うことにした。
 別な店では、外人と言う事で無理をして、バームクーヘンを用意してくれた。
出されたバームクーヘンは、4段リングで、1キロ50マルクほどだった。
 店主によれば、数時間かけて、わざわざ焼いてくれたという。
なので、東ドイツマルクの代わりに、西ドイツマルクで支払い、買って帰った。
 店主は、マサキの差し出した西ドイツマルクにひどく驚くも、喜んで受け取ってくれた。


 夕方、薄暗くなってから戻ると、やっと話は終わったようだった。
ドレスデンの空港からベルリンに戻るべく、ヘリコプターを準備していた時である。
シュトラハヴィッツは、見送りに来たゾーネを認めると、
「おもわず時を過ごしたぞ。
同志ゾーネ。これから一人で帰るのも面倒であろう。俺が連れて行ってやるよ」

 ゾーネは、あわてて、ヘリへ飛び乗った。
少し先には、ハイムとヘンペル少尉が、なお用心ぶかく、物蔭からじっとにらんでいた。

「シュトラハヴィッツ、本当にふしぎな男だ」
 シュトラハヴィッツは、ただただ、解らない男、この一語につきる。
 本心、シュタージを敵とみるならば、そのシュタージの正規職員であり監視役でもある自分を、どうしてこう寛大にして帰すのか。
 手ぶらで送り返さぬまでも、重要な情報源として、これを拷問のすえ、敵状を知る手懸りとする。
そういうは、KGBやCIAなどの秘密警察、情報員の常識といってよい。
「それなのに……」
ゾーネは、疑いながらも、その怪しみに引かれて、ついつい犬の子の如く、シュトラハヴィッツのあとについて行った。
シュトラハヴィッツもまた、ゾーネを、野良犬ほども、気に止めていない風だった。

 しかし、マサキはシュトラハヴィッツの対応に気乗りしない感じだった。
「これは……」
彼は、シュトラハヴィッツに、ある種の不安を感じた。
 シュトラハヴィッツは、どうして、シュタージの現役将校と共にここにいるのか。
これは解らない方がもっともだった。
 およそ、わが身を狙う間者といえば、これを銃殺にしても問題ないのが当然なのに……
シュトラハヴィッツは、かつて自分を狙ったことも明確な下手人を、こうも許すのか。
 まさか、ゾーネとかいうシュタージ将校に、貸しでも作っているつもりなのだろうか。
マサキは、あきれるほかなかった。 
 

 
後書き
 今も東欧やロシアの地方都市にあるホテルでは、食事の出ないホテルが一般的です。
旧東ドイツ地域、東欧だと宿泊者は外食する前提で、冷蔵庫すらありません。
またロシアのホテルだと、宿泊者自身が食材を用意し、共用の台所で自炊する必要があります。

ご意見、ご感想お待ちしております。 
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