ソードアート・オンライン 穹色の風
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アインクラッド編
揺れ出した心
前書き
やってしまった……
約一万字ですよ、一万字。二つに分ければよかったとは思いますが、分けられるポイントが偏りすぎていて……スミマセン。
後、そろそろ不定期更新に入ります。重ね重ねスミマセン。
こんなんですが、もしよろしければ今後も読んでやってください。
「……やれやレ。こいつは面倒なことになっちまったナ~」
マサキに示された先でこちらを睨むオオカミを見て、アルゴは困ったように首を振った。が、それでもすぐに武器を装備する辺り、流石と言うべきだろう。相変わらず口調は軽いが、表情は引き締まっている。
「あのオオカミ、名前は《シャドーハントウルフ》。HPバーが二つあることから分かるとおり、フィールドボス扱いダ。攻撃方法は《ナイトウルフ》と変わらないが、素早いからレベル2じゃあ逃げるのは厳しいナ」
再びマサキが数メートル先のオオカミを見据えると、それに反応したように、オオカミも喉を唸らせて威嚇してくる。するとその時、マサキの眼前にパーティー申請のウインドウが出現した。申請者はアルゴだ。
「後から経験値やアイテムドロップで揉めるのはご免だからナ。パーティーなら経験値は均等に入るからいいとして、アイテムはドロップした奴の者ってことでどうダ?」
「構わない」
「分かった」
「……それじゃ、オイラが《シャドーハントウルフ》のタゲを取るから、二人は《ナイトウルフ》を相手してくレ」
言い終わるか終わらないかのところで、答えは訊いていないとでも言わんばかりにアルゴは右手に持ったピックを投げた。
ヒュッと風を切る音を立てながらピックはオオカミの前足に突き刺さり、それを合図にしたかのように《シャドーハントウルフ》がアルゴに向かって土を蹴る。それと同時にアルゴが右へダッシュし、《ナイトウルフ》の包囲網からの脱出を試みる。《ナイトウルフ》もそれに反応して正面の一体がアルゴに飛びかかるが、そこにマサキが割り込み、《ライトネス》でそれを阻止。その隙にアルゴが包囲網の外へ飛び出し、そのまま走り去る。
《シャドーハントウルフ》もその後を追い、後には五体の《ナイトウルフ》とマサキ、トウマが残された。
マサキが一度周囲をぐるりと見回すと、先ほど包囲網に開けた穴は埋められていて、再び五体のオオカミがマサキたちを全方位から睨んでいた。
「……マサキ、どうする? さすがに五方向から同時攻撃されたらまずいぞ」
「俺が捌く。お前は一度目の攻撃の隙に外側に出て、後ろから攻撃してくれ」
「全方位攻撃を一人で捌くなんて、そんなこと……」
出来るはずがない、と言おうとしたが、トウマはその言葉を飲み込んだ。マサキの目には、不安や恐怖の色が全くなかったのだ。それどころか、自信に満ちているようにさえ感じられる。
その自信が一体何処から来るのか、トウマには分からなかったが、《ナイトウルフ》の連携攻撃を初見で見切って見せたマサキのセンスに懸けてみることにした。
黙って頷き、マサキから数歩遠ざかる。その分一体のオオカミとは距離が近くなってしまったが、その一体は、否、今二人を取り囲んでいる五体のオオカミは、トウマではなくマサキを目標にしているらしく、特別な動きを見せることはなかった。
数秒後、マサキの真後ろに位置していた一体が、突如マサキに飛びかかった。それを見て、周りのオオカミも数瞬の時間差を付けつつ走り出す。が、マサキは後ろを振り返ろうともしない。
もし最初の一撃を喰らってしまえば、絶妙な時間差で繰り出される連携攻撃をかわすことが出来なくなり、結果、全ての攻撃がマサキのHPを無情にも奪っていくことになる。そして、マサキの今のHPは、連続攻撃を全て受けてしまった場合、0になるかならないかギリギリのラインだった。
トウマは迷った。ここで自分が出て行けば、全て回避、とはいかなくとも、マサキを助けるくらいは出来るだろう。だがその場合、マサキは間違いなく自分の秘密に気付いてしまう。そして、トウマはそれが怖かった。デスゲームのプレッシャーでパニックになり、出来るはずのないログアウトを出来ると信じ込んで自殺しようとしていた自分を助けてくれた彼から、どんな冷ややかな目で見られることになるかを想像しただけで、足が動かなかった。そしてその結果、最初に飛びかかった一体の爪がマサキの右わき腹を引き裂こうとして――
空を切った。マサキが攻撃を受ける寸前、半歩だけ左に跳んだのだ。そして驚くことに、マサキは 次々と飛びかかって来るオオカミの攻撃を全て、見向きもせずに回避して見せた。何度か爪や牙の先端が掠ることはあったが、それでもマサキの総HPは一割程度しか減っておらず、オオカミの数から考えれば少なすぎると言っていいだろう。
実はマサキは、先ほど周囲を見回した際にオオカミの方向、距離を頭にインプットし、その距離と今までに見た攻撃のスピードをもとに移動開始から攻撃までの時間を算出、その情報を全て、脳内で自分を中心とした座標にプロットしていた。そして、ダッシュの音の方向から、どの敵が攻撃を仕掛けてきたのかを判断し、最低限の動きで次々と襲い来る攻撃を全てかわしきったのだ。
全ての敵の位置を正確に読み取る洞察力と、それを記憶する記憶力、瞬時に位置情報から攻撃までの時間を割り出す計算力、それらの情報から脳内で座標を作り上げる想像力、音の方向を正確に聞き分ける判断力、そして、そこから最適の行動を導き出す情報処理能力の全てにおいて、常人を遥かに凌駕しているマサキだからこそ取ることが出来た戦法だった。
「すげぇ……」
トウマは眼前でマサキが見せた光景に目を見開いたが、すぐに気を引き締め、自分の役目を遂行するべく走り出した。
最後に攻撃したがために未だ態勢が整っていない一体に詰め寄り、片手直剣用斜め《スラント》を発動。右上から左下に重さの乗った剣を振り下ろし、HPを六割ほど削り取り、オオカミが盛大に吹っ飛んだ。
たまたま攻撃が最後になったために狙われたのだから、このオオカミはかなり不運だったと言える。だが、このオオカミの不運はこれで終わらなかった。
トウマの攻撃を察知したマサキが攻撃の威力と方向から吹っ飛ばされる方向と距離を算出し、予測地点に先回りしていたのだ。マサキとの距離が一メートルを切った時点でオオカミもその存在に気付くが、その時にはもうマサキの握る柳葉刀が黄色い光を帯びていた。マサキはそのまま《ライトネス》で転がるオオカミを切り裂き、ポリゴン片に変える。
この一連の動きにオオカミも多少取り乱した様子を見せたが、何とか体勢を整えると、今度はトウマに向かって飛びかかった。
合計で四体のオオカミが時間差を付けてトウマに襲い掛かるが、今度は全方位からではない。トウマは三体を左右に跳んでかわすと、四体目を剣で弾き、転がったところを《バーチカル》で攻撃する。先ほどアルゴが包囲網を抜ける際にマサキが斬り飛ばした個体であったため、一撃でHPバーを消滅させることに成功する。
技後硬直が切れると同時にトウマは動き出し、残り三体のうち最前列の一体に肉薄、そのまま《バーチカル》で切り裂くが、その瞬間に両隣の二体が硬直中のトウマに反撃の牙を剥く。しかし、いつの間にかトウマの隣にポジションを取っていたマサキがさっと飛び出した。マサキはそのままトウマとオオカミの間に割り込み、目の前の一体を柳葉刀の柄で殴りつけ、勢いを失ったところで瞬時に体を仰け反らせると、オーバーヘッドの状態で蹴り飛ばし、もう一体に衝突させた。
マサキは手を頭の後ろに突いてバク転、空中で味方と体当たりすることになってしまった二体のオオカミを尻目に、先ほどトウマに斬り飛ばされた一体へと加速し、《リーバー》で弱点の頭を切り裂いた。
ここでようやく絡み合ったまま転がっていた二体が立ち上がり、半ばやけのような――もちろんAIにそんなものがあるはずはないのだが――攻撃を繰り出す。が、トウマがこれをしっかりとパリィし、防ぎきったところを二人がかりで仕留める。野性の本能なのか、それともシステムの命令なのか、それでも最後の一体が攻撃を仕掛ける。しかし、こうなった以上は所詮一体の雑魚モンスター。二人に敵う訳もなく、あっけなく体を淡い光の破片へと変え、草原に散らした。
「ようやく片付いたか」
マサキがポーションを呷りながら言うと、トウマも頷きながらポーションのビンの蓋を開け、中の液体を口に含んだ。苦味と酸味のあまり美味とは言いがたいハーモニーを舌の上で聞き終え、ビンが役目を果たして消滅すると、二人は黙って走り出した。
今頃は奴らの親玉を一人で相手取っているはずの、怪しい情報屋の許へ。
数分後、マサキたちが五体のオオカミと対峙していた場所から三百メートルほど離れた場所で、二人は巨大なオオカミとそれに立ち向かう小柄なプレイヤーを発見した。オオカミのHPバーは既に一本目が消失していて、二本目の残りは七割ほどだ。二人が駆け寄ると、アルゴもそれを察知したようで、飛びかかった《シャドーハントウルフ》を左に跳んで避けると、二人の許へと走り寄って言った。
「思ったより早かったナ~。やっぱり、オイラが見込んだだけのことはあるナ。……それじゃあ、オイラがまず前衛になるから、二人はオイラがパリィしたらスイッチしてくレ。……さっきも言ったけど、あいつの動きは《ナイトウルフ》とは比べ物にならないくらい速いから、注意してくレ」
アルゴの口調が若干堅くなり、空気も緊張感を漂わせる。
が、その雰囲気をマサキが粉々に打ち砕いた。
「ところで、そのスイッチって、何だ?」
「……はァ!?」
今まで敵から目を離さなかったアルゴが、まるでUFOでも見たかのような目をして、素っ頓狂な声を周囲に漏らした。
「……まさか、スイッチも知らないのカ?」
「ああ。だからそう言ってるだろ」
マサキがさも当然そうに返すと、アルゴはがっくりと項垂れて首を振った。
「……スイッチってのは、誰かが重攻撃とかで敵の隙を作って、その間に前衛と後衛を入れ替え、後衛に下がったプレイヤーが回復する、というのを順番に行っていくものダ」
「なるほど。ローテーションで回復と攻撃を回す訳か」
呆れながらのアルゴの解説にマサキが頷くと、アルゴが「情報料取り忘れタ!!」と思い出したように叫び、それがさらに場の空気をぶち壊していく。しかし、二人はすぐ敵に集中しなおすと、宣言どおり、アルゴがオオカミに向かって飛び出した。
それに反応してオオカミもアルゴに飛び掛るが、襲い来る牙をアルゴは鉤爪で弾き返し、
「スイッチ!」
と甲高い声で言った。すぐさまマサキが反応し、オレンジ色の剣閃でオオカミを貫き、HPの一割ほどを奪い去る。負けじとオオカミも反撃の牙を剥こうとするが、それよりも早くマサキが「スイッチ!」と叫び、同時にトウマが間に割り込む。鋭い牙での一撃を《バーチカル》で受け止めると、今度はアルゴがスイッチを宣言し、さらに追撃を行う。一気に攻撃力が増した三人によって、《シャドーハントウルフ》のHPは残り三割強まで削られていた。
アルゴが攻撃をいなした隙を突き、マサキが《ライトネス》の黄色いエフェクトでオオカミを切り裂く。すると、その攻撃によってHPが三割を割り込んだオオカミが、これまでにないほどの声量で雄たけびを上げた。
「これであいつは暴走状態に入り、素早さと攻撃力が倍増すル。これまでとは全く違うと考えた方がいイ」
「最後の足掻きって訳か」
「…………」
トウマが話に全く参加しようとしないことをマサキは少々訝ったが、すぐにその考えを頭から追い出す。マサキと言えど、このレベルのモンスター相手に油断した場合、万が一ということがある。これまでよりも強いと言われれば、なおさらだ。
そんなマサキをよそに、ローテーションであるトウマが一歩前に出て、敵の攻撃を受け止めようと構えを取る。素早い攻撃に備え、後は手を振るだけの状態だ。
しかし、オオカミの攻撃は予想よりも数段速かった。数メートル先にいたはずのオオカミが一瞬でトウマに肉薄し、鋭く光る爪を突き立てようとする。トウマはこの攻撃を受けるのは無理だと判断して回避を試みるが、それには敵が近付き過ぎていた。左足の爪がトウマの右肩を切り裂き、HPを二割ほど減少させる。トウマはそのことに動揺してしまい、後ろに跳んで体勢の立て直しを図るまでに僅かな時間を作ってしまう。その隙にオオカミが再度トウマに飛びかかり、さらにHPを三割ほど削り取った。
「ぐっ……!」
トウマが苦しそうに顔を歪ませ、動きが鈍る。オオカミの攻撃によって行動遅延が発生してしまったためだ。しかし、オオカミはさらに反転、三度トウマを襲う。トウマはこれを回避できず、既にイエローゾーンに入っていたHPがレッドゾーンに差し掛かる。トウマも何とか逃げようと懸命に体を動かすが、ディレイが解けていないために体が言うことを聞かない。ならばと腰のポーチからポーションを取り出そうとするが、恐怖から指が震え、あろうことかビンを掴み損ねてしまう。
「待ってロ! 今行ク!!」
アルゴが間に割り込んで攻撃を逸らそうと試みるが、逆にアルゴが吹き飛ばされ、HPバーを黄色く染める。オオカミはアルゴなど意に介さず、瀕死のトウマに飛びかかる。そして、トウマの顔が死を意識して凍りついたとき――、
トウマの世界が急にブレた。視界が九十度回転し、オオカミの腹がすぐ左を通り抜ける。マサキがトウマに飛びつき、難を逃れたのだ。そのままマサキは腰からポーションを取り出し、まだ呆気に取られているトウマの口元に押し当てる。トウマは我に返ったように回復ポーションを口に含むが、その顔は明らかに動揺していた。
ここでも、マサキは訝った。単にトウマがオオカミの速さに戸惑っただけと考えるには、一撃目を受けた後のトウマの動揺が大きすぎると感じたのだ。その証拠に、トウマの顔に浮かんでいたのは単なる動揺ではなく、まるで正解に違いないと思い込んでいた回答がバツをもらってしまったような、目の前で起こった現象が信じられないと言うようなものだった。そしてそれはアルゴも同じで、本当ならマサキがしたようにまずトウマを安全圏へ退避させるのが最善策のはずなのに、なぜか彼女はオオカミへ向かっていった。まるで、何かを確かめるかのように。
「……どうすル? このままじゃあジリ貧だゾ。あいつの体力がなくなるのが先か……」
「こちらのポーションがなくなるのが先か」とアルゴが言おうとしたところで、マサキが前に出た。
「俺が隙を作る。その間に攻撃してくれ。あのHPなら、一回仕掛けられれば削りきれるだろ。……悪いが、アルゴ。ピックを一本貸してくれ」
「なっ……本気で言ってるのカ!?」
「ああ」
アルゴはマサキの口から出てくる言葉に目を見張るが、一番驚いたのは、マサキの表情に対してだった。彼には、トウマやアルゴが拭いきれていない死への恐怖や不安が全く感じられないのだ。まるで、自分だけは絶対に死なないという確信を持っているかのように。
「…………」
アルゴはマサキの表情を不審に感じながらも、右の腰にぶら下がっているピックを一本、マサキに投げた。マサキはそちらに目をやることもなく片手でそれをキャッチし、さらに一歩前に出て、オオカミと一体一で対峙した。右手にピックを、左手に柳葉刀を持っているが、その手は両方ともだらりと下がったままだ。
――考えろ。想像しろ。あのオオカミの一挙手一投足を。
マサキの脳が超高速で回転を始め、脳内でオオカミの攻撃までの道筋がシミュレートされる。オオカミの脳内で命令が電気信号としてシナプスの間を駆け巡り、運動神経に到達。それに従って筋肉が動き、獲物に飛びかかる。
その時、オオカミの毛並みと同じ闇色に染まった草原を一陣の風が吹き抜けた。それを合図にオオカミがマサキめがけて土を蹴り、突進を開始し、マサキは微動だにせずそれを待ち構える。数瞬後、マサキに肉薄したオオカミがマサキの頭を食いちぎらんと飛び上がる。
しかし、マサキはそれを待ち望んでいたかのように頭を一個分だけ左にスライドさせた。オオカミの牙がマサキの顔の右側すれすれを貫き、マサキの頭はオオカミの右肩部分に滑り込む。それだけではオオカミのタックルを喰らい、追撃を受けてしまうが、マサキはオオカミの右前足を掴むと同時に右腕をその後ろ頭に回し、突進と同じ速度で体を仰け反らせ、後ろに倒れこみながら回した右腕でオオカミを上から押さえ込んだ。オオカミは思わぬ方向からの圧力に対処することが出来ず、着地に失敗して草の上に巨体を投げ出してしまう。マサキはオオカミの後ろ頭に回してあった右手に握られているピックを振り下ろし、オオカミの頭を草原に縫いつけた。
オオカミがダメージを嫌がるように鳴き声を上げ、縫いつけられた頭を自由にしようと懸命にもがく。しかし、それが一瞬の、そして最大の隙となった。アルゴとトウマが一気に飛び出し、ライトエフェクトを纏いながら武器を振るい、オオカミのHPを確実に削り取る。が、それでも数ドットが残ってしまい、その間にオオカミが頭を地面から隔離してしまう。
しかし、マサキがオオカミの下から抜け出すには、その時間は十分すぎた。マサキは《リベーザ》のモーションを起こすと、ようやく頭が自由になったオオカミを深々と切り裂いた。同時にオオカミが断末魔を残し、青い欠片となって四散した。
「ああ、剣士様。ありがとうございます。……これでこの村は救われます」
《シャドーハントウルフ》との戦いに勝利し、アルゴと別れた二人は、宿を確保するべく《イニジア》の村に戻ってきていた。村長の涙ながらの感謝を面倒に感じながら聞き終え、報酬を受け取って家を出る。ちなみに、事のついでで村長に宿の場所を訊いたところ、なんと代金を割り引くように手配してくれるとのことで、このクエスト、二人が思っていたよりもお得なものだった。
「えーと……、あ、あった、ここだ」
宿の場所が書かれた冊子を険しい顔で眺めていたトウマが顔を上げ、他の家よりも僅かだけ立派な目の前の建物に視線を投げる。ドアの上の“INN”と書かれた看板がその建物が宿であることを示していた。
二人が中に入ると、物腰の柔らかな青年が恭しく頭を下げて出迎えた。
「いらっしゃいませ。村長から話は伺っております。……これがお部屋の鍵になります」
二人は青年から鍵を受け取る。すると、いかにも古い民宿の鍵、といった風だったオブジェクトが、淡い光を放って消えた。無論、破壊されたわけではなく、鍵の機能が二人のIDに追加されたに過ぎない。つまり、この鍵を受け取った時点でその人物のプレイヤーIDが鍵となるため、宿を借りている期間中はその部屋の扉を開ける事ができるのは本人だけとなるのだ。――もちろん、施錠していなければ話は別だが。
二人は青年が「ごゆっくり」ともう一度頭を深々と下げるのを尻目にそれぞれの部屋へと向かう。そして、マサキがドアノブを回そうとしたところで、トウマが唐突に言った。
「なぁ、マサキ。少し話さないか? ……その、これからのこととか、さ」
マサキは迷った。別に自分がトウマに付き合う理由もないし、マサキから話すことも、特に無い。が、マサキはここで付き合えば、トウマの見せた不可解な行動の理由を推測する材料になるかもしれないと考え、ドアノブから手を離すと、了承の意を伝えた。トウマがドアを開けて入った後に、マサキも続く。部屋の中には粗末なベッドと木製の古ぼけた机、それに付随した丸椅子があるのみで、造りはお世辞にも綺麗とは言えないが、この村にそこまでを求めるのも酷というものだろう。トウマは金属のフレームが露になったベッドに、マサキは丸椅子に腰掛けた。途端に、圧力に対してベッドと椅子がギシギシと抗議の声を上げる。数秒間ほどの沈黙の後、トウマが口を開いた。
「それで、これからなんだけど……、マサキはどうするつもりなんだ?」
「レベリングと装備の強化を続ける。で、第一層のボス攻略部隊が編成されたら、そこに参加する」
「でも、もしその部隊が編成されなかったらどうするんだ? プレイヤー全員が《はじまりの街》から出ないかも知れないじゃないか」
「いや、それはないだろう。圏内コードに対する不安、生活費の不安に駆られたプレイヤーは、遅かれ早かれフィールドに出てくる。……まぁ、そいつらは危険なボス攻略なんて絶対にご免だろうから、残るは後一つだがな」
「……その、後一つって言うのは?」
トウマが恐る恐る先を促す。
「元βテスター、あるいは、他のMMORPGで腕に覚えがある連中さ。ネットゲーマとしてのレベルアップへの執着や、他のプレイヤーたちよりも上にいるという優越感を味わいたい奴らが、きっといるはずだ」
“βテスター”という単語が出た時、トウマの表情が一瞬強張った。そして、少しの間何かに迷うような素振りを見せた後、今までよりも数段小さな声で言った。
「……そのβテスターなんだけどさ。……マサキはどう思ってる?」
「どうって、特に何も」
その答えに、トウマは驚いたような表情を浮かべ、畳み掛けるように質問を続ける。
「本当に? 何も?」
「ああ。……質問の意味がよく分からないんだが」
何故かヒートアップしていたトウマが我に返り、再び小さな声で話し始める。
「……βテスターたちは他のプレイヤー達を見捨てて情報を独占してるだろ? もし彼らが情報を提供していれば、とか、思わないのか?」
「思わないな。大体、MMORPGというジャンル自体が、限られたリソースを奪い合うことを前提にして作られたものだ。その基本法則を無視すれば、その分だけ代償を支払う必要がある。攻略も遅れるだろうし――」
マサキは一度そこで区切ると、ポーチから一冊の冊子を取り出した。アルゴから貰った攻略本で、マップデータや出現するモンスターなどの情報が記されている。先ほど、トウマが宿屋を探す際にもっていたのもこれだ。
「それに、こいつがある。無料配布ってことは、情報は既に誰でも得られるんだよ。どう考えても、この時間に配られるってことはβテスト時の情報だ。つまり、βテスターは情報を公開している。それ以上を求めようとするのは、全ての情報を独り占めしようとするのと同じくらい身勝手だと、俺は思うがな」
「そうか……」
トウマが少しだけ安堵の色を浮かべるが、再び苦しい表情になる。
「……それで、一応確認なんだけど……、これからも、俺とパーティー組んでくれる……よな?」
「構わない」
マサキはそこまでトウマを気に入っているわけではないが、彼に抱いた気まぐれの原因が知りたくなったマサキはトウマの問いを即答した。すると、再び、トウマの顔にさっきよりも濃い安堵の色が浮かぶ。マサキはそれを確認すると、トウマに別れを告げて自室へと戻った。
「…………」
中に石でも入っているのではないかとさえ思わせる堅いベッドの上で、トウマは不思議なパーティーメンバーのことを考えていた。自殺を思いとどまらせてくれた上、《シャドーハントウルフ》との戦いでは窮地を救ってくれた恩人で、自分の感情を見せず、どこか乾いた印象を受ける性格。戦闘で見せた驚くべきセンス。そして、何処から来るのかは分からないが、トウマのそれを遥かに上回る絶対的な自信。それらは今までにトウマが見てきた人種とは何かが違っていて、トウマはこの短期間に、彼に強い関心を抱いていた。
――そして、それと同時に、強い恐怖も。
しかし、一番の違いは、彼の後半の言葉だった。その言葉に、トウマの心は確かに揺れ動いたのだ。
「……あいつなら……」
その感情は、同じく揺れ出した視界と絡み合いながらまどろみの中へと消えていった。
後書き
ご意見、ご感想など募集しております。
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