星々の世界に生まれて~銀河英雄伝説異伝~
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第六十三話 クロプシュトック事件 Ⅰ
帝国暦484年5月23日18:45
ヴァルハラ星系、オーディン、銀河帝国、ブラウンシュヴァイク公爵邸
ラインハルト・フォン・ミューゼル
園遊会は中止される事なく開始される事になった。貴族というのは体面を酷く気にするからだ。しかし、ブラウンシュヴァイク公のせいではないが、たとえ中止されなくとも公の面目は丸潰れだった。既に不意に備えて公爵家の使用人達が目立たぬ様に警護に立ち出していた。
「まさかこんな事になるとはな。しかし本当に爆発させるのか。危険だろう」
シューマッハ参謀長が納得がいかない、という様に天を仰いだ。
「まあクロプシュトック侯に成功したと思わせる為には必要ですから」
「しかしだな…策を立てたのはフェルナー大尉と言ったな。面白がってやっているんじゃないか」
参謀長は肩をすくめた。
俺の話を聞いた公の激怒っぷりはひどいものだった。すぐにでもクロプシュトック侯の屋敷に手勢を連れて乗り込みかねない勢いだったのだ。下手をすれば公自身が疑われかねない。事情を聞かされた来賓達からも侯を討伐すべき、との声があがっている。まあ気持ちは分かるが…。公の意を受け、フェルナー大尉が一計を案じた。
「ただ騒ぎ立てては犯人を利するのみです。それに現状では推測だけで、クロプシュトック侯が犯人という証拠はありません」
「ではどうすればよいと申すのだ、フェルナー!」
「園遊会そのものは中止しません。まず、来賓の方々には事情を説明しいつでも避難出来る様にしていただきます。クロプシュトック侯からの献上品は予定通り搬入させます。ミューゼル大佐が仰った様に、もし侯がまことに陛下の暗殺を企んだとすれば、運搬に携わった者がおそらく現場の実行犯でしょう。彼等を捕らえ、自白に追い込みます」
「…それで」
「搬入される物は暗殺の確実性を高める為に爆発物である可能性が高いと思われます。それを、周囲の安全を確認した上で敢えて爆発させます。予定通り爆発が起これば暗殺は成功した、と犯人どもに思わせる事が出来ます。クロプシュトック侯が犯人という事になれば侯の屋敷や宇宙港に動きがある筈です。実はつい先程、警察を動かす為に内務省に連絡し協力を仰ぎました」
公は直前まで激怒していたのが嘘の様に上気した表情をしている。
「おお!手回しがよいではないか…だが宮内省には陛下の行幸を中止あそばす様連絡を入れさせてしまったが…」
「宮内省にも小官が再度連絡しました。既に陛下とグリューネワルト伯爵夫人は新無憂宮に戻られております。行幸の車列のみをこちらに向かわせて貰いました。これで確実に証拠をつかむ事が出来ます…」
こちらに捕縛された献上品の運搬作業員達は全てを自白した。爆弾を運び入れる際に起爆タイマーを起動させる手筈だったという。これを受けてフェルナー大尉は手勢を引き連れクロプシュトック侯の屋敷に向けて出発した。同様に宇宙港とクロプシュトック侯爵邸までの主要幹線にて警察が非常線が引き、検問が行われる運びになっている。
「三、二、一、起爆!」
使用人達がカウントと共に爆弾を起爆した。爆弾など見るのも珍しいのだろう、屋敷内に避難した来賓達から歓声が上がる…一歩間違えば自分達が死んでいた、という事はもうどうでもいい様だ。
爆弾は秘蔵の名画とやらの額の内部に仕込まれていた。どうやら軍用のプラスチック爆弾だったらしい。量に比して爆発の威力が大きい事がその事実を裏付けていた。
「さあ、連絡しろ」
アンスバッハ准将に急き立てられて、捕縛された運搬作業員が携帯端末を操作しているのが見える…クロプシュトック侯の件はこれで終わりだろう。いや、終わりではないだろうが、この騒動のせいで霞んでしまったあの書簡の方が俺にとっては重大事だ。ブラウンシュヴァイク公は何故此処に、そして誰が送って来たか、それが問題だ、と言っていた。ベーネミュンデ侯爵夫人が姉上の事を嫌っているのは宮中でも知らない者はいない程の話だ。それをわざわざ害意があるなどという手紙を送りつけて来た、というのは、明白な殺意の様なものが働いているに違いない。そしてそれを知る事の出来る人間となると、宮中ではなく直接侯爵夫人に仕えている者ではないのか…通用口から参謀長がこちらに来るのが見える。また何かあったのだろうか…。
「伯から先に艦隊に戻っていてよい、との事だ。戻ろうか」
「はっ。アントン閣下達は…」
「つい先程、先に戻ったよ。まあここに居ても、もう我々に手伝える事はないからな。伯はブラウンシュヴァイク公とまだ話があるようだ。行こうか」
キルヒアイスに声を掛け、地上車に乗り込む……誰が書簡を送って来たか、調べてみる必要がありそうだ。しかし、どうやって調べたものか…。
5月23日20:30
銀河帝国、オーディン、軍宇宙港、ヒルデスハイム艦隊泊地、旗艦ノイエンドルフ、艦隊司令部
ラインハルト・フォン・ミューゼル
ノイエンドルフに戻ると、ブラウンシュヴァイク公爵家のフェルナー大尉から連絡があった、と舷門の当番兵が教えてくれた。折り返し連絡が欲しいという。艦隊の業務ではないだろう、自室から電話をする事にした。
“もしもし…ああ、ミューゼル大佐、フェルナーであります。先程はどうも”
「連絡を貰った、と聞いた。先程の件に関する事かな?」
“それもあります。興味がお有りではありませんか?”
「…そうだな。何か分かったのか?」
“出来れば直接お会いしてお話が出来たら、と思うのですが…大佐はこの後ご予定はお有りですか”
「いや、司令官の帰りを此処で待つだけだが…司令官はまだそちらにいらっしゃるのだろう?」
“ああ、本日はこちらにお泊まりになられるとの事です。まだ公爵閣下と何やらお話し中です”
「そうか。ではこちらから司令官に改めて連絡しよう…二二〇〇時に私の自宅でどうだろうか」
“お邪魔しても宜しいのですか”
「わざわざ連絡して来た位だ、余人には聞かれたくない話なのだろう?」
“ご配慮、ありがとうございます。では二二〇〇時に”
自宅の住所を教えて電話を切った。改めて伯爵に連絡するとするか…。
5月23日22:00
リルベルク・シュトラーゼ、
ラインハルト・フォン・ミューゼル
「金髪さん、赤毛さん、お客さんですよ」
「はいはい、ただいま」
「こんな時間に来客だなんて。若いのに偉くなるのも大変よねえ、死んだうちの人とは大違いだわ」
クーリヒ夫人、フーバー夫人…この二人には頭が上がらない。さっきいただいたフリカッセ、まだ余ってるだろうか…。
「お邪魔しても?」
フェルナー大尉は時間通りに現れた。
「ああ、上がってくれ。キルヒアイス少佐も一緒だが、宜しいかな?」
「お二人で下宿されているのですか。仲がよろしくて羨ましい限りです、ええ、構いません」
キルヒアイスがコーヒーの支度にかかる。
「クロプシュトック侯はどうなったのかな?」
フェルナー大尉はブラックが好みの様だ。香りを楽しむと、一口、一口と少しずつ啜る。
「駄目でした。小官が侯爵邸に到着した時は、既に屋敷は火に包まれていたのです」
そこまで言うと、大尉は一気にコーヒーを飲み干した。
「大尉、おかわりは」
「ありがとうございます…同様に宇宙港も駄目でした」
「屋敷は火に、宇宙港も駄目…逃げ足の早い御仁だな」
「はい。行方が全くつかめません。既に自領に向かっていたのではないか…その様な気がします」
「しかしブラウンシュヴァイク公爵邸にクロプシュトック侯が現れてからそれほどの時間的余裕は無かったはずだが…」
二杯目のコーヒーにはたっぷりと砂糖とミルクを入れた大尉は、大事そうに両手でマグカップを抱えている。
「替え玉ではないかと…」
「替え玉??」
「はい。表舞台から遠ざかって約三十年、誰も現在のクロプシュトック侯を見たことが無いのです。変装用の精巧なマスクを被ってしまえば替え玉であったとしてもバレはしませんよ」
替え玉か…そんなものを用意していたとしたら計画自体がかなり用意周到なものと言わざるを得ない。しかも自領に戻っていたとしてもいずれ捜査の手は及ぶのだ。となると自領に戻って何をするか……。
「侯爵は反乱でも考えているのか?とても成功するとは思えないが」
「現在の時期に反乱…辺境の一部は既に叛乱軍が押さえ、帝国政府への信頼が揺らいでいる…成功するしないに関わらず、帝国を揺るがす事態だと思いますよ。かつての政敵として帝国政府、皇帝陛下に与えるダメージはあると思いますが」
言われてみるとそうだ。こんな時期に貴族が反乱を起こすとなると帝国政府は震えあがるだろう。しかもあの男のかつての政敵だ、妥協の余地はない。叛乱軍…自由惑星同盟と結びつく事は無いだろうが、それだけに個別に対処せねばならなくなる……
「そしてあの書簡です。書簡の内容が事実だとしても、今日の件といい時期的に都合が良すぎます。何者かが混乱を狙っているとしか思えません」
体制の混乱、宮中の混乱…。確かに都合が良すぎる。書簡の送り主は何かを知っているのだろうか。
「ラインハルト様」
ずっと大尉の話を黙って聞いていたキルヒアイスが口を開いた。
「調査が必要です。私とフェルナー大尉とで事の背景を調べてみようと思います。お手伝い願えるだろうか、大尉」
「望む所です。小官の主君にも関わりのある事ですから」
しかし既に出撃準備も整い、後は命令が出る日をを待つのみ…という今、キルヒアイスに調査をして貰うという事になると、下手をするとキルヒアイスはオーディンに残留しなくてはならないかもしれない…。
「アンネローゼ様の身を守らねばなりません、事が起きた時に我々二人ともオーディンに居ない、というのは拙いのではないですか」
「…そうだな、その通りだ。俺と離れる事になるが大丈夫か?」
「はは、そのお言葉、そのままお返ししますよ、ラインハルト様」
キルヒアイスに笑顔で返す。初めての別行動がこんな形でやって来るとは…。命令で離れ離れになる事もあると思えば、まだマシと思わねばならないが…。
「となると辞令が必要だな。キルヒアイス少佐の件は私から明日ヒルデスハイム伯にお願いするとしよう」
「はい。では少官からも公に言上申し上げます。いろいろと手回しも必要でしょうから」
フェルナー大尉か…優秀な男の様だ。アンスバッハやシュトライト…あの二人からも特段悪い印象は受けなかった。大尉も含め彼等の様な人物がブラウンシュヴァイク公の下にいるとなると、公もただの強突張りの御仁ではない、という事か。
5月24日09:00
オーディン軍宇宙港、ヒルデスハイム艦隊泊地、ヒルデスハイム艦隊、旗艦ノイエンドルフ、艦隊司令部、
ジークフリード・キルヒアイス
「了解した。構わないだろうか、参謀長」
「はっ。閣下の御意向に異存はありません。慣れない任務…任務とは言えないかも知れないが頑張ってくれ、少佐」
「はっ、ありがとうございます。状況はその都度報告致します」
ラインハルト様が少し寂しそうな顔をなさっている…心配ありませんよラインハルト様。アンネローゼ様は私にとっても大事な方です、誠心誠意勤めます…。
舷門に向かうと、舷門当番兵がフェルナー大尉が到着している旨を教えてくれた。開かれている搬入ハッチをみると、地上車の脇に所在無げに佇んでいる大尉の姿があった。
「お待たせしてすまない、大尉」
「いえ。では参りましょうか」
お互い泊地を離れるまでは無言、泊地を出るとフェルナー大尉は意外な事を口にした。
「つかぬ事をお聞きしますが、少佐はミューゼル大佐の家臣でいらっしゃいますか?」
「は…」
どうなのだろう?私はラインハルト様の家臣なのだろうか?隣人、幼なじみ、しかも大それた野望を持つ幼なじみ…気がついたらラインハルト様と同じ道を歩んでいた。アンネローゼ様を助ける為、あのお方をお守りする為…。
「そう、見えますか?」
「いえ、友人…同志、かけがえのない知己…なんといっていいか分かりませんが、その様に見えます」
「なるほど。まあ、その様な物ですが、家臣と思われても一向に差し支えありませんよ」
「そうですか。となると少佐にとってもグリューネワルト伯爵夫人は大切な方なのでしょうな、いや失礼」
大尉の声色には楽しむ様な、こちらを試す様な響きがあった。
「…これからどちらへ向かうのです?」
「宮内省です。ベーネミュンデ侯爵夫人の内情を調べます。皇帝陛下の寵姫ともなると、勝手に使用人等を雇い入れる事は出来ないのです。暗殺を防ぐ為ですな。宮内省にはその使用人のリストがあるのですよ。それを見れば使用人だけでなく夫人の下に出入りしている業者なども分かります」
「正攻法ですね」
「ええ、まずは正面から。搦手はその後でいい」
そうか。我々が宮内省に出向いて調べる事自体が書簡の発信者への合図になるという事か。宮中はコネだらけの世界だ。こういう行動は秘匿しない限り各所に伝わる。それは当然侯爵家にも伝わる…。
「侯爵夫人は警戒するのではないですか?」
「害意があるとすれば、ですね。なければ無いで何の為の調査かと思われるでしょう。どちらにしてもこちらに目は向きます、その間はグリューネワルト伯爵夫人の身は安全です」
「大尉は中々の策士の様だ」
「まさか。小官ごときが策士なら宮中は策士だらけですよ。魑魅魍魎、百鬼夜行の世界かもしれませんが」
私は冗談のつもりだったが、大尉の目は笑っていなかった。大尉は軍人とはいってもブラウンシュヴァイク公の直臣にあたる。今回の様な宮廷内の騒動なども目にしてきたのだろう、冗談とは思えないのかも知れない。
「…少佐はあの書簡についてどうお考えですか?」
「女性の妬心というのは恐ろしいと感じました。ましてや皇帝陛下の寵を受けていた方です、周囲にそれを…」
周囲、周囲にこそ目を向けるべきではないのか。
「…分かっています。それを探る為にもまずは宮内省に向かいましょう」
5月27日10:30
オーディン、ミュッケンベルガー元帥府、
ラインハルト・フォン・ミューゼル
ミュッケンベルガー元帥を待つヒルデスハイム伯爵の顔色は冴えない。理由は想像がつく。おそらくクロプシュトック侯の件だろう。先日の園遊会以来、彼の姿を見た者は居ない。屋敷は廃墟と化しているし、非常線にも引っ掛かる事はなかったから、フェルナー大尉が推察した通りブラウンシュヴァイク公爵邸に現れたのは替え玉で、侯本人は既に自領に戻り反乱の準備を進めているのだろう、と予想されていた。
「お待たせして申し訳ない。御前会議の結果、クロプシュトック侯爵は大逆罪の罪人として討伐される事が決定した」
執務室に入るなりミュッケンベルガーはそう言った。奴の顔にも深い憂慮が見てとれた。
「大逆罪、ですか。何ら証拠は…申してもせんなき事ですな、で、どなたが討伐に当たるのですかな」
「当初、グリンメルスハウゼン侯とブラウンシュヴァイク公、リッテンハイム侯が手を挙げられた。グリンメルスハウゼン侯は陛下の盟友と言っても過言ではないお方、ブラウンシュヴァイク公は面子を潰されておられる、リッテンハイム侯はブラウンシュヴァイク公への対抗心から…予想はしていた。だが、リヒテンラーデ侯がそれを抑えた。伯には何故かお分かりかな」
「反乱の波及を恐れているのでしょうな。グリンメルスハウゼン侯がもし敗れでもしたら、陛下は二重に恥をかく。それは陛下の治世を揺るがし兼ねません。ブラウンシュヴァイク公やリッテンハイム侯が敗れてもそれは同様…両巨頭が抑えているからこそ貴族達は静かにしていますが、ブラウンシュヴァイク公、リッテンハイム侯のお二人が頼むべき人では無い、と貴族達に思われでもしたら…その混乱は目も当てられぬ物になるでしょう。反乱とは言わぬまでも、似た状況があちこちで生起しかねない。軍としてはどうなのです?」
ミュッケンベルガーも伯も、手を挙げた連中が勝つと言わないのが内心おかしかった。
「最初に手を挙げられたグリンメルスハウゼン侯は元々遠征軍に組み込まれておりますからな。その点からも侯の討伐軍参加には反対した。まず軍としてはイゼルローン方面に対処しなくてはなりません」
「それは理解できるが…」
「それに遠征軍に組み込んでおきながらこんな事を言うのも何だが、グリンメルスハウゼン侯は軍事上の才能は余りお持ちではない。言わば皇帝陛下の名代、という位置付けなのです。その点から見ても、討伐軍参加は拙い。ブラウンシュヴァイク公も名目上、上級大将の地位に居られるが、あくまでも名誉階級。討伐軍の指揮を執れるとは思えない」
「では…」
「折衷案として、軍、貴族の両方の代表として伯に討伐軍の指揮を執っていただく。リッテンハイム一門からも援軍が派出される。伯の艦隊、一万五千隻とリッテンハイム一門のどなたか…になるが、五千隻、合わせて二万隻。伯は一時的に遠征軍から外れる事になる。リッテンハイム侯は人選と準備に猶予を欲しいとの事だったので作戦開始は六月五日…宜しいな」
「了解致しました」
「十日にはイゼルローン遠征軍も進発する事となった。伯の艦隊はクロプシュトック領討伐後、イゼルローン…アムリッツァに向かって貰う」
「…時間的余裕が余りありませんな」
「苦肉の策です。クロプシュトック領も放っては置けないが、アムリッツァ、イゼルローンはそれ以上に放置出来ない。苦労をおかけするが宜しく頼みますぞ」
「はっ。では命令を」
「…大逆の叛徒、ウィルヘルム・クロプシュトックに対し皇帝陛下の御名を以て懲罰を与えよ」
「謹んで拝命致します」
「…明日、黒真珠の間にて皇帝陛下が改めて御下命下さる。頼みましたぞ」
「はっ」
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