ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~
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第68話 おかわり
前書き
まぁ、同じような話をグダグダ書いているようですみません。
ホントすみません。
イゼルローン攻略部隊が遅いのがいけないんです。
そしてブライトウェル嬢もJrに勝るとも劣らぬマヌケぶり。
宇宙歴七八九年 五月二八日 エル=ファシル星域エル=ファシル星系 惑星エル=ファシル地上
『ご覧ください! 敵の要塞は我が軍の攻撃によって爆発炎上し、我々は侵略者の邪悪な意図を挫くのに成功ししました! エル=ファシルはまさに今、帝国軍の魔の手から解放されたのです!』
火炎を吐いて絶賛崩壊中のボーデヴィヒ要塞を背景に絶叫する広報担当下士官の映像を横目に、第四四高速機動集団司令部の面々は、少しばかり白けた表情でブライトウェル嬢が淹れたコーヒーを傾けていた。
「キャンプファイヤーとしては、史上最高額でしょうな」
三次元投影機を挟んで向かい側に座るカステル中佐が、かなりの量のミルクが入ったカップをかき混ぜながらつぶやくように言った。
「ボロディン少佐。アレの後始末、本当に地上軍がやってくれるんだろうな?」
「ジャワフ少佐は確約しております。その代わり捕虜の移送についてはご協力願いたいと」
「そちらは目途がついている。輸送艦が少ないので第三五一独立機動部隊が引き取って、エルゴン星域軍管区まで運ぶことになっている。代わりに再編成を終えた第五四四独立機動部隊が、第一一戦略輸送艦隊の分遣隊と一緒にエル=ファシルに戻ってくる」
「え? 戦略輸送艦隊が分遣隊を?」
戦略輸送艦隊は複数艦隊規模の移動時や各星域管区の主補給基地への物資輸送などを主任務とする。特徴的なのはその中心艦艇である巨大輸送艦だ。全長二四八〇メートル。総じて(帝国軍と比べて)小型の同盟軍の中でも異様なまでにデカい。積載量は膨大でその戦略性は極めて高価値なものだが、艦艇としては装甲も自衛装備も戦闘艦とは比べ物にならなく、機動性などないに等しい。
そんな動く的のような巨大輸送艦で構成される戦略輸送艦隊が、エル=ファシルに分遣隊を差し向けてくるのはいささか拙速だ。いずれエル=ファシルに星域管区司令部が再建されるであろうけれど、星域管区下にある幾つかの無人星系は戦力が激減したといはいえ、未だ帝国軍の支配領域もある。
エル=ファシル奪還作戦の現状であれば、本来機動性の高い中型輸送艦や輸送力はあって損害コスパの良い無人球形コンテナ船、あるいは民間チャーターの輸送船がその任につくはずなのだが。俺が小さく首を傾げるとカステル中佐は眉間に皺を寄せて解説してくれた。
「……どこかのバカが二月末、大規模な前線基地を作るつもりで、手を付けられるところ全てに手を出していただろう」
「……余ったんですね」
「『あっち』の後方主任参謀はトーシロだな。作戦の進行が前後するボロボロな不運もあるだろうが、なまじ規模がデカいだけに始末に負えない」
キャゼルヌが評価するほどに優秀なカステル中佐が、苦虫を噛むのも無理はない。戦地にあって通信状況が万全ではないはずのエル=ファシルではあるが、いろいろな幸運もあって電撃的に星系制圧に成功した為、後方との連絡線は今のところ充分に確保されている。
一方でイゼルローン攻略作戦側は、準備期間が想定より長かったこと、複数の艦隊が出動することで情報が漏洩し帝国軍側が防備を整えていること、故に作戦の進行状況が遅れていることなどから、補給順序がめちゃくちゃになり、後方の大規模輸送艦部隊がエルゴン星域で足止めされてしまっている。
時間に余裕のある作戦であれば、ダゴン星域を足掛かりにアスターテ星域とヴァンフリート星域を制圧し、パランティア星域に威嚇戦力を並べた上で、ティアマト・ヴァンフリート両星域に根拠地を築いて腰を据えてイゼルローンを攻略すればいい。
だがシトレ・ロボス両中将の頭角もあってか、イゼルローン攻略作戦を指揮する現宇宙艦隊司令長官アクバル=リーブロンド元帥の改選に向けた焦りがそうしたのか、司令部は辛うじて支配圏優位を保っているティアマト星域から一気にイゼルローンへ強行突破する作戦を立てた。ティアマト星域の各星系における地上戦は相当激しく、空間戦闘は小戦力による強行偵察や補給線妨害程度でほとんどない。逆にアスターテ星域を策源地として補給路破壊が行われているらしく、ダゴン星域にまともな前線基地を作ることができていない。
故に機動性の優れた中型輸送艦部隊は重宝し、まったくない戦略輸送艦隊の一部は暇になった。前任が戦略輸送艦隊であったカステル中佐にイゼルローン攻略部隊側の泣きが入ったのかもしれないが。
「それでも主力はイゼルローン星域までは到達できるだろう。攻略が成功するかどうかは分からないが」
モンシャルマン参謀長は、ブライトウェル嬢が作ったガーリックトマトのラスクをポリポリ齧りながら言った。だがここで、呟いた参謀長本人も、片手間に端末を弄っていたモンティージャ中佐も、隠すことなく書類処理をしているカステル中佐も、目を瞑って舟を漕ぎそうになった爺様も、その横でブライトウェル嬢にお代わりを貰っていたファイフェルですら手が止まった
「あっ、あの……」
一瞬で白けつつも長閑だった司令部の空気が変貌したのを感じ、グラスポットを持ったままのブライトウェル嬢の視線が司令部全員に動き、最終的には俺に行きついた。それを感じ取った爺様が『嬢ちゃんに説明してやれ』と言わんばかりの視線を無言で俺に寄越す。
「まずグラスポットを置いてくれ、ブライトウェル」
そのままだと中身がファイフェルの手を赤く染めるようなヤバい傾きだったので指示すると、ブライトウェル嬢はワゴンにグラスポットを戻し、両手を腿に重ね直立不動の姿勢をとった。父親譲りの野趣溢れる鋭い視線が俺に向けられる。
「エル=ファシル星域攻略作戦は、定を大きく下回る期日と損害の無さで作戦目的の第二段階を達成した。若干の星系が未だ帝国軍の手にあるが、少なくとも一〇〇隻を超えるような部隊を維持できるような基地がある星系はない。星域内掃討作戦はまず補給と休養の後実施される、我々は『高をくくっていた』」
しかし主攻方面である第四次イゼルローン攻略作戦の進捗は思わしくない。諸々の要因はあるが、主要因である補給妨害の除去を考えれば、攻略部隊の後方を扼するアスターテ星域駐留の帝国艦隊に対する予防攻勢がどうやら必要になる。
本来であればアスターテ星域の帝国戦力は、助攻であるエル=ファシル星域へ向かうと想定していた。事前にドーリア星域の駐留部隊が牽制を行っていたとはいえ、エル=ファシルに駐留する三〇〇〇隻以上の駐留部隊を『見殺し』にするとは考えづらいからだ。
しかし二四時間もせずしてエル=ファシル星系に駐留する帝国艦隊は壊滅した。『一万隻を超える大艦隊による攻勢』という救援要請が発せられた段階で、アスターテ星域駐留の帝国艦隊首脳部はエル=ファシル星系に同盟軍の大兵力がいると判断し、再々奪回を諦めたと思われる。
故に詐術のような『エル=ファシルの霧』作戦が実施可能だったわけだが、同時にアスターテの現帝国戦力に『イゼルローン攻略部隊への妨害』という戦略方向性を確立させてしまった。
「君は覚えているかな。リンチ司令官が率いていた頃のエル=ファシル防衛艦隊の艦艇数はどのくらいだった?」
「……一〇〇〇隻前後、だったと思います。官舎で父がそう話していた記憶があります」
「今、このエル=ファシル星系に同盟軍戦闘艦艇は何隻いる?」
「正確にはわかりませんが、四〇〇〇隻前後かと」
「そこに正規艦隊の補給を行えるような巨大輸送艦が後方から分派されてきた。これは本来イゼルローン攻略作戦の為に確保されていた部隊だ」
「……つまり私達がエル=ファシル星系だけでなく、アスターテ星域まで攻略せよと命じられる、という事でしょうか?」
「確実ではなく可能性が高いというだけ。規模は攻略ではなく牽制程度になるだろう。上手く行き過ぎた故に得たくもない苦労を背負うことになってしまった、ということだろうね」
泥縄という言葉よりひどい話だ。もしかしたらイゼルローン攻略部隊の参謀達は、こちらの作戦が『上手く行き過ぎた』ことを相当恨んでいるかもしれない。筋違いもいいところだ。
「エル=ファシル星域にある帝国軍の残存戦力掃討日程を進める必要があります。第八七〇九哨戒隊は乗員の移乗が終了次第、索敵哨戒に出動させましょう。苦労をかける事になりますが、彼ら以上の適任はいない」
モンシャルマン参謀長はナプキンで丁寧に口を拭きながら言った。
「アスターテ星域の地理情報と現勢力情報を早急に入手する必要があります。ドーリア星域管区に問い合わせる必要もあるでしょう。司令官閣下、巡航艦小戦隊を複数、アスターテ星域へ向けて偵察哨戒に出すことを具申いたします」
マグカップにあった残りの珈琲を一気飲みして、モンティージャ中佐が言った。
「掃討作戦の補給計画については万全を期しますが、アスターテ星域への戦闘哨戒については、補給物資の到着を待ってからの行動となります。当部隊だけでなく、他の独立部隊も絡みますので、まず早急に作戦規模をご検討いただきたい」
まだ残っている珈琲入りミルクを混ぜながら、爺様に視線を向けてカステル中佐は言った。
「ジュニア。儂は現在の作戦進行状況を鑑み、貴官の連絡将校任務は終了したと判断する」
そして三人の参謀達からの視線を集めた爺様の視線は、俺に向けられている。
「エル=ファシル星系の索敵哨戒・掃討作戦の立案指揮はモンシャルマンに任せ、貴官はアスターテ星域における戦闘哨戒作戦の大筋を纏めておくように。期日は……カステル中佐どうじゃ?」
「一週間。到着する物資のリストは、早急に報告させます」
「というわけだ。ジュニア。とり越し苦労になるやもしれんが、各部隊幕僚・参謀を集めた合同参謀会議の前までに立案せよ。まず素案を四日でやれ」
「承知いたしました」
異議のある命令ではない。実戦指揮官でない参謀の役割とは、指揮官の判断リソースを増やす為、無駄になろうとも順序立てて考えて考えて考え抜くことにある。
「よし。では各々仕事をしようかの」
そう言うと、爺様は腰を上げる。俺達はそれより早くそれぞれの席から立ち上がり敬礼すると、爺様はゆっくりと答礼した。年齢を思わせぬ背筋のピシッとした爺様の答礼に、一〇年後のチェン少将に支えられた爺様の丸い背中を思い起さずにはいられなかった。
そして参謀全員が会議室を出る時、再び席に着いた爺様のそばに、ブライトウェル嬢が立っていたのが周辺視野の片隅に入った。その時は各自の容器の片づけだろうと思っていたのだが……
「申告します。ビュコック司令官閣下より、ファイフェル中尉に代わってボロディン少佐のお手伝いをするよう、拝命いたしました」
十数分後、職務用として司令部用会議室を使って構わないという命令と共に、ブライトウェル嬢が踵を高く鳴らし、寸分の隙もない敬礼を俺に見せるのだった。
◆
頭を抱える余裕があるわけではないが、極めて不本意な雑音と言うのは音量が小さくても耳に入りやすい。老練で先の戦いでも味方を完勝に導いた自分達の司令部が、若い未成年の女性軍属を会議室で長時間拘束監禁しているという噂は、俺が自分の個室と司令部用会議室の往復の間の僅かな歩行時間ですら聞こえてくる。
誰が流したというわけでもない。普段なら司令部艦橋、司令官個室、給糧室、通信室、情報分析室などを忙しく動き回っている赤毛の美少女が、課業開始時間のかなり前に会議室へ出頭し、それから数えるほどしか部屋を出ることなく、深夜日付が変わるギリギリのところで疲れた顔をして女性用兵員室に戻ってくるのを見れば、怪しむのは当然だ。
そして課業時間の殆どを司令部会議室で過ごしているのが、若い作戦参謀の少佐殿とくれば話の方向はおのずと二つに集約されるはずのだが……
「同室の女性兵長から、セクハラ・パワハラには黙っていてはダメよ、と言われました」
拘束三日目。疲れているはずなのに、まったく辛くなさそうな、不思議な表情でブライトウェル嬢は、無精髭の生えている俺に言った。
「給糧室の運用長も、司令部通信オペレーターの准尉殿も、何か少佐に対して勘違いされているみたいで……」
「あぁ……悪いね……」
そうだろうなぁと、俺は右手を右目に伏し当てて溜息をついた。噂で憲兵が飛んでくるような事態ではないとは思うが、エル=ファシル星系における空間戦闘の大部分がすでに終了し、偽装工作の演習すら終わって話題も乏しく、乗組員の緊張感がほぐれているというのだろうか。それ自体が悪い話ではないのだが、噂の中心になるようなのは勘弁してほしい。
それに戦場の恋とかそういう方向ならともかく、どうにも俺がブライトウェル嬢に『パワハラかます悪役』という形で纏まっているらしい。艦内の女性将兵につらく当たったことなどないどころか接点すら乏しいのにそうなるのは、恐らくはエレキシュガル星系における事前演習で、虎の威を借りる狐よろしく傍若無人に振舞ったのが遠因だろう。まぁ現実はそんな生易しいものではない。
アスターテ星域内の各星系の詳細、ドーリア星域管区司令部が収集している情報、ダゴン星域における被害状況、それにエル=ファシル星域の支配圏確認。ケリム星域でドールトン准尉と一緒に仕事をした時に比べて、仕事量は単純に四倍。補佐役というべきブライトウェル嬢はあくまで軍属の従卒であって、参謀教育どころか軍人としての教育も殆ど受けていない。
初日は彼女に資料の取り出し方や三次元投影装置の使い方を仕込み、つたないながらも一通り使いこなせるようにしてからは、ひたすらそれを使っての資料集積と俺の口頭指示による文書作成を行わせている。確かに見る者によってはパワハラそのものだ。だが、ブライトウェル嬢は不満どころか嬉々としてこの作業に従事している。
もしかしたら彼女が俺に好意を持って尽くしてくれているということだろうが、それは些か思い上がりも甚だしい。どうでもいいが面倒な空気の中、だいたいの構想がまとまった三日目の夕刻。温めた戦闘糧食を持ってきたブライトウェル嬢が、唐突に俺に告げた。
「この作戦が終了し戦死することがなければ、自分は正式に軍人になろうと思っています」
アントニナと同じ学年で、つい四ケ月前に同じような事態に遭遇した俺は、口元まで運んだ珈琲をかろうじて噴き出すことなく、ゆっくりとコップごと会議室の机の上に戻すと、天井に向かって大きく息を吐いてからブライトウェル嬢を見つめた。
高級軍人の娘でありながら、トラバース法にもかかりそうな人生。ちょうどアントニナとユリアンの中間と言った身の上か。彼女を軍属としたのは統合作戦本部人事部の意図で、軍人になることを彼女に強制したわけではない。するようには仕向けているが。
「ブライトウェル兵長、なんで正式な軍人になりたいんだ?」
アントニナの時と同様、軽い口調で言うと、疲労感の隠せていないブライトウェル嬢の顔が引き締まる。
「君もだいたい察しているだろうが、君が軍属であるのは、君自身の保護を兼ねている。また軍属であれば戦場に出る義務はないし、不参加申請もできる。それを捨ててまで正式な軍人になる理由はなんだ?」
「私の父は軍人でした。しかし民主主義国家の軍人として、もっとも恥ずべき行動をしでかしました」
そういう彼女の両手はきつく握られる。
「少佐はそれが私の背負うべき罪ではないと言っていただけました。少佐のご信念とお心遣いに正直、私は気持ちが震えました。ですが私個人としてそれに甘えることも、自分の体に流れる血の半分が不名誉の下にあることも、潔しとはしておりません」
「ブライトウェル兵長」
「私は、ジェイニー=B=リンチ、です。私はその名前から逃げたくありません」
それはまんま統合作戦本部人事部、いや軍全体を覆う悪しき精神主義・軍事マッチョイズム・伝統保守の精神汚染に他ならない。彼女がそれに染まったわけではないのは、一番近いところにいたからわかる。少なくとも彼女がリンチの娘だと知っている司令部において、彼女に『軍人になって父の不名誉を濯げ』とかアホなことを言う人間はいないはずだ。
では司令部以外の誰かが、彼女にそう吹き込んだのか。同室の女性兵員か、それとも補給部の人間か……いや、まさか……
「イェレ=フィンク中佐とモディボ=ユタン少佐か?」
「違います!」
「ブライトウェル兵長」
「違います! 私個人の考えです!」
首から下は直立不動、しかし声を上げ首だけは激しく左右に揺らして否定する。だがその行動は、俺の考えを肯定しているも同然だった。これはもう後で二人にはハッキリと釘を刺さなければならない。自己犠牲は美徳であるかもしれないが、それを他人に強要するのは害悪であると。
俺は席から腰を上げ、彼女の正面に立つと彼女の両肩に両手を乗せた。一八〇センチの俺と、一七〇センチと一六歳の少女としてはやや背の高い彼女。しかし背は高くとも心も体もまだ子供だ。しかも一度、世間から拒絶された経験を持つ。現に俺の両手は、彼女の肩の震えを感じている。
「フィンク中佐が君に何を言ったか、君に問うつもりはない」
フィンク中佐にしてもユタン少佐にしても、『お前の親父のせいで俺達は逃亡者の汚名を着せられたんだ』などと責め立てるようなことを言うような、ある意味ではまっとうな神経の持ち主ではない。むしろヤン達と一緒に脱出した自分の家族から責め立てられても、同様に世間から卑怯者の娘と白い目で見られる彼女を、保護者として守ろうとしている。そしてはっきりと部外者であるレッペンシュテット准将にですら感じるほどの『過剰な忠誠心』を俺に向けている。
「だが君の人生は君自身のものだ。少なくとも君以外の誰のものでもない。だから君が軍人になろうという意思を俺は否定するつもりはない」
「……」
「勘違いだったら嘲ってくれて構わないが、君が軍人になることで『私』に対して何らかの義理を果たそうというのであれば、それは明確に拒絶する」
自分でも随分と思いあがったことを言っているなと思ったが、拒絶という言葉を聞いた瞬間、彼女の体に緊張が走ったのがわかった。俺に裏切られたと思ったかもしれない。だがこれでもう中佐達が彼女に何を言ったかは、はっきりとわかる。だからこそ彼女が軍人になるというのであれば、理解してもらわねばならない。
「前にハイネセンの司令部で君に言ったことを覚えているか?」
「……父の、ことでしょうか」
「そうだ。その時、俺は君に言ったはずだ。自由惑星同盟の軍人は国家と民主主義の精神によって立つ市民を守るために武力を行使する存在であると」
「……はい」
「個人への忠誠心ゆえに戦うのは民主主義国家の軍人ではなくただの私兵に過ぎない。民主主義の思想と精神と制度に対する忠誠の為に、戦うべきなんだ。軍人の本質は人殺しだ。個人への忠誠の為に振るうのであればそれはマフィアの手先の殺し屋と何ら変わらない」
これはヤンがユリアンに常に抱いていた矛盾だろう。良いか悪いかはともかく、ヤン・ファミリーは大なり小なりヤンに対する感情と忠誠心によって固められていたと言っていい。ヤンに対して忠誠より友情の比重が大きかったのは、恐らくはキャゼルヌぐらいだろう。『ファミリー』とはよく言ったものだ。
人に感情がある以上、人は人に従うのであって理念に従うわけではない。それはわかる。わかるが……
「以前言ったように、君がリンチ少将閣下の家族であるからと言ってその罪を背負う必要はない。同じ意味でそれを庇っているように見える俺や司令部の行動に対する義理も背負う必要はない。君や中佐達の好意はうれしいが、俺も司令部も君達に忠誠や自己犠牲も求めて行動したわけではないんだ。どうか、それを分かって欲しい」
「はい……」
「それと軍人になると言っても、君に下士官や兵士は無理だろう」
「……そうでしょうか」
「君に原因があるわけではない」
一瞬、彼女の表情がアントニナとダブったが、彼女はすぐに表情を消した。感情と行動を年齢不相応に制御できるブライトウェル嬢は、アントニナよりも遥かに軍人としての適性がある。間違いなく優秀な下士官にも、優秀な兵士にもなれるだろう。彼女の父親が『アーサー=リンチ』でなければ。
「軍隊とは命令と服従によって成立する。そうでなければ公的機関としての暴力組織の秩序が保てないのだが、構成するのは人間で、人間には感情があり、軍隊はその感情に多大な負荷を負わせ、人格を容易に歪ませる」
温厚でよき夫よき父よき息子である将兵が、戦地において強姦・暴行・略奪の化身となるのは、いつの世も変わらない。殺し殺される戦場だけではなく、後背地においても命令と服従は、人の心を傲慢に狂暴にそして卑屈にしてしまう。
軍人として優秀で、しかも均整の取れた体格と美貌の持ち主である彼女は、直ぐに組織内でも注目を浴びることになるだろう。それは彼女の立場を強化するかもしれないが、同時に嫉妬を招く。そして早晩、伏せられた彼女の父親の名前に行きつくことだろう。
「残念ながら我が軍には四〇〇〇万もの人間がいて、ろくでもない奴もそれなりに存在する。君の父親の話を持ち出し、君に理不尽な要求を突きつけるような輩だ。七人前の昼食を作れ、なんてレベルではない。時には地位をちらつかせて暴行すら容認するだろう。だが少なくとも士官になれば、君に暴行を働こうとする人間の数の桁は一つ減る」
「……」
「だから君が軍人を志望するのであれば、士官になることを勧める。専科学校を経由する必要はない。君ならば普通に士官学校を受験すべきだと思う。出来る事なら俺も手伝ってあげたいが、済まない……」
「……なんでしょうか?」
長々と柄にもない説教で困惑と焦燥と疲労に押しつぶされつつも、父親そっくりのダークグレーの瞳はしっかりと俺の平凡な顔に向けられている。俺は一度唇を噛み締め、それから壁に飾られている時計を確認し、再び彼女を真正面から見下ろして言った。
「今日は六月一日なんだ……」
なお数次にわたる自由惑星同盟軍士官学校の最終受験願書提出日は、五月三一日である……魔術師は本当に運がよかったんだなと、最後の気力が抜けて床に崩れ落ちそうになった、線の細いブライトウェル嬢の体を両腕で支えつつ俺は噛み締めるのだった。
後書き
2022.06.18 更新
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