夢幻水滸伝
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第二百四十三話 一つの省だけでなくその十四
「そやからな、まあ西門慶か」
「ああ、金瓶梅の」
「あの主人公ですね」
「元々は水滸伝に出ていた」
「あいつやとな」
好色なだけでなく悪辣で知られるがここでは好色さのみを話した。
「大丈夫やろうが」
「西門慶位でないと無理ですか」
「そこまででないと」
「そうなのですね」
「起きた世界ではゲーム、電脳の遊びがあるが」
起きた世界の話もした。
「日本はそうした方面のゲームもあってな」
「それは面白そうですね」
「言うなら自分が西門慶になれるのですね」
「そうして遊べるのですね」
「そや、言うならな」
まさにというのだ。
「そうした感じや、そうしたゲームの主人公やとな」
「碧様のお相手も出来ますか」
「そこまでの精力がありますか」
「そうなのですね」
「ああ、しかしゲームは創作やからな」
その分野のものでというのだ。
「現実でそこまでの精力ある奴はそうそうはや」
「いませんね」
「やはり」
「どうしても」
「ほんま十代は特別やねんな」
この年代の男のそちらへの興味と体力はというのだ、何でも手の平の指で十代から五十代までのそれが表現されているらしい。
「滅茶苦茶強いねんな」
「はい、そうです」
「私達も十代の頃はそうでした」
「かなりのものでした」
「今はとてもそこまではですが」
「そうなるねんな、自分は十代やからな」
起きた世界ではとだ、施はまたこう言った。
「自分等の言うことはまだな」
「おわかりになられないですね」
「それは仕方ないです」
「我々も十代の頃はそうでした」
「ここまで衰えるとは思いませんでした」
「そやねんな、よく六十七十でも毎日って爺さんの話があるが」
特にそうした漫画やビデオではよくある話だ。
「ないか」
「ないです」
六十代の人魚の男が言って来た。
「とても」
「やはりそうか」
「もう我々の歳になりますと」
それこそというのだ。
「枯れます」
「そうなるか」
「毎日なぞとてもです」
「無理か」
「もう滅多にです、妻ともです」
「そういうことか」
「若しそうした者がいれば」
六十代七十代でも毎日はというのだ。
「信じられません」
「そやねんな」
「はい、他の分野では若さを保てても」
それでもというのだ。
「そちらはです」
「難しいんやな」
「左様です」
「そうか、そういえば豊臣秀吉さんも信じられんって言われたらしいな」
日本の一介の百姓から天下人になった彼はというのだ。
「五十過ぎて子供が出来てな」
「五十過ぎでもそうはないですね」
「子供が出来ることは」
「実際にそうですね」
「そうした欲が減るからやな」
事実秀吉の子は二人いるがどちらも当時から彼の本当の子供かどうか疑問の声が起こっていたという。
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