ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~
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第52話 軍と家族
前書き
久しぶりにウィッティ君とアントニナの登場回です。
軍事・戦闘描写は一切ありません。本当は箇条書きで書きたいくらいなのに。
宇宙歴七八九年 一月末 ハイネセン 宇宙艦隊司令部
爺様の執務室を出てすぐ隣の司令部幕僚オフィスの自分の席に戻った俺は、地球時代とそれほど変わらない座り心地の事務椅子に腰を落ち着かせると、椅子が許す最大のリクライニングにして天井を見上げた。
オフィス全体での三次元投影ができるよう、天井全体に張り詰められたスクリーンは艦橋に使われるものと同じ製品で、大きさが違うだけだ。今はただの照明としてぼんやりと温白色の明かりを映しているだけで、首を折って見上げる俺の目には、何も映らない。
爺様は原作でも言われているように愛想が悪く頑固で短気な人物なのは間違いないが、きちんと筋を通していれば普通の『おっかない親父さん』なのだ。そんなおっかない親父さんが、あぁも俺をこっぴどく叱ったのも、俺に驕りを見て取ったからだろう。俺にそのつもりはなかったが、マーロヴィア以降大きな失敗をせずに任務をこなしていた故に、いつの間にか見えない線を踏み越えていたわけだ。
自分が白刃の道を歩いていることを改めて思い出しつつ目を閉じていると、机上の呼び出しチャイムが鳴った。モンティージャ中佐もカステル中佐も席を外していることを知っている彼女が鳴らしている以上、俺に用事があるということだろう。応答のボタンを押すと机上に小さな画面が現れ、ブライトウェル嬢が敬礼しているのが映る。リクライニングを元に戻しその画面に向かって敬礼すると、手を下ろすのもそこそこに、彼女は口を開いた。
「少佐殿。少佐殿にご面会を求めている方がいらっしゃいましたが、いかがいたしますか?」
リクライニングから戻った俺の顔に何か異変を感じたのか、それともただ単に俺の態度が気に障ったのか、ブライトウェル嬢の眉間に僅かな皺が寄っていたが、俺は気にせず応える。
「面会希望者? 私に?」
「はい。統合作戦本部戦略部第四課のフョードル=ウィッティ大尉とお名前を窺っております」
アポなしなんで追い返しますか? と言わんばかりな氷河期な彼女の口調に、俺は力なく苦笑すると肩と首を落とした。
「士官学校の同期なんだ、ミス・ブライトウェル。通してあげてくれ。それにコーヒーを二つ」
「承知しました」
……それから数秒後、実物のブライトウェル嬢とともに、士官学校卒業時より少しだけ顔に苦労が出てきた懐かしい顔が司令部幕僚オフィスに入ってきた。ブライトウェル嬢が踵を鳴らしてキッチンへと消えていくのを見届けると、俺はウィッティと向き合って敬礼もそこそこに右手を伸ばした。それに対してウィッティは一瞬首を傾げた後、人の悪い笑顔を浮かべて俺の手をがっちりと握りしめ……
「お久しぶりであります。ヴィクトール=ボロディン少佐殿!」
ウィッティは実にわざとらしく肩を逸らせ、顎をしゃくり上げて、力を込めて俺に向かって声を投げつけた。
「マーロヴィアでのご活躍は統合作戦本部戦略部でも高く評判で、少佐殿のお噂はかねがね耳に親しんでおります!」
「やめて!」
「フェザーンでの一件についてもぜひ詳細をお伺いいたしたく、フョードル=ウィッティ大尉、本日まかり越しました!」
「いい加減、やめろよ!」
俺が気恥ずかしさからたまらず声を上げると、ウィッティは笑って手を放し、拳を握りしめて伸ばしてきたので、俺も同じように伸ばして拳をこつんと突き合せた。
「なんか相変わらず元気そうで何よりだ。我が高級副官殿」
「人事に行った同期から、お前がフェザーンからマーロヴィアに飛ばされたって話が流れて、同期みんな真っ青だったぜ。期の首席の本部長昇格が絶望的だから、うちらの代は冷や飯喰いになるかもってな」
「そいつは、皆に悪いことしたな……」
「それでもハイネセンに戻ってこれたんだからもう大丈夫さ。でもすぐに出るんだろ?」
「さぁな」
「作戦の出どころが統合作戦本部戦略部だから機密は気にしなくていい。もっとも戦略的には添え物扱いの作戦ではあるけどな」
チラッと横目でコーヒーを持ってきたブライトウェル嬢を見て小さく肩を竦め、応接の机の上に並べられる間だけ口を閉じ、彼女がキッチンに消えると皿ごと手に取って、コーヒーの芳香に鼻を向ける。
「あの子、噂じゃこの司令部で随分と大事にしてもらっているそうじゃないか」
「俺がケリムの第七七警備艦隊にいた三年前、彼女にはずいぶんと世話になったからね」
俺がそう答えると、ウィッティの眉間に小さく皺が寄る。
「ヴィクはホントに女を見る目がないな。フェザーンの一件も女がらみって聞いてるぞ」
「そんなことまで知りたがるとは戦略部も相当暇なんだな」
「まさか。相変わらず間抜けでお人よしかどうか確認しに来たんだよ。成長してないって言うべきかな?」
そう言うとウィッティは俺の目の前で一気にコーヒーを喉へと流し込んだ。その顔には七割の安堵と二割の好奇心と……一割の警戒感が浮かんでいる。おそらく戦略部の何処かが余計な心配をして、同室同期であるウィッティに探りに行かせた、というところだろうか。
「心配しなくていい。司令部内の士気は高い。そう心配性の人に伝えておいてくれ」
「わかった。出動は四月頭って聞いている。時間があればそれまでに同期連中集めて飯でも食べようや」
「時間ね。どこかに売ってないもんかな」
「わかる。わかるぞ、ヴィク。キャゼルヌ先輩の結婚式の招待状、お前のところにも来たか? なんで二月下旬にするかな。戦略部が糞忙しくなる時期を見計らってるとしか思えない」
「おそらく糞忙しくなるから、だ」
キャゼルヌは皮肉っぽいが優れた軍政家であり、その情報網も情報部ほどではないにしろ後方に張り巡らされている。俺がハイネセンに帰ってきた時点で正式に発表されたわけでもない(おそらく第四次)イゼルローン攻略戦とエル・ファシル奪還作戦の動員兵力を殆ど正確に推測しているのだから、準備期間として二月下旬が忙しくなるのは誰でもない後方勤務である彼が一番よく知っている。
そのタイミングで結婚式を入れるというのは、そうでもしなければ休暇が取れない人間が多いと分かっている故に、気を利かせたということだろう。二度と会えなくなるかもしれないわけだから……
「それより戦略部はどうなんだ、ウィッティ。貧乏司令部とは違って忙しくてもやりがいはあるんじゃないか?」
「士官学校と変わらないさ。先輩が上司になったってだけで、いい奴と気に入らない奴が半々だ」
肩を竦めるウィッティの顔には皮肉が浮かんでいる。
「幸いウィレム坊やとは違う部署だが、時々顔を見るくらいの距離にはいる。最近はいたくご機嫌斜めだ」
「『エル・ファシルの英雄』か」
視線で頷くウィッティに、俺は鼻で笑った。
ホーランドは首席、翻ってヤンは中の上から中。四つ年下の凡才と階級が並んだばかりか、軍内外の知名度で大きく差を付けられた。奴はブルース=アッシュビーの再来を目している以上、実戦部隊配備前のスタートラインで強力な年下のライバルにさぞかしヤキモキしていることだろう。
「奴は実戦部隊への異動でも考えているのかな?」
「出動予定の各艦隊の予備参謀か『機動集団の幕僚』の席ならねじ込められるらしいが、本人は上級司令部の幕僚か戦艦分隊の指揮官を望んでいるみたいでな」
「何をアホなことを」
「功績亡者も露骨すぎるものだから、一部から相当煙たがわれてる。優秀なのは間違いないし、ロボス中将の受けも悪くないから、今回は見送りだろう。出番があるなら『第五次』だな」
ウィッティの自嘲気味の返答に、俺は溜息をついた。今回の作戦における戦略部の意気込みとは裏腹に、ウィッティ自身の目算では相当に良くないらしい。直接的な言葉でないだけに、主進攻口ではないにしても出動する側の俺としては胃が重くなる。それを察したのか、ウィッティはカップを皿に戻してから、俺をまっすぐ見据えた。恐らく次に話す言葉が、ウィッティがこの司令部に来た本当の理由だ。
「ヴィク。悪いがそちらの作戦で『増援』は計算に入れないでくれ」
「アスターテから帝国軍が出てこないだけでまずは十分だ。そこまで気にしないでくれウィッティ」
「ビュコック少将閣下にも『力不足で申し訳ない』と伝えてほしい。これは俺の上司のクブルスリー少将閣下からだ」
情報分析にも定評がある戦略研究科の若手であるウィッティは、直接には言いづらい伝言を頼まれるほどにクブルスリーから信頼されている。故にクブルスリーが思ったより早く統合作戦本部長に就任した時、ウィッティを高級副官に任命したのだろう。フォークの凶刃さえ防げていれば、原作でも指折りのキャラになっていただろうが、それは今言うべきことではない。俺はしばらく無言で何も映っていない天井を見つめた後、少しばかりの諦めを含めてウィッティに言った。
「いい上官か? クブルスリー少将閣下は」
「そうだな。ヴィクが歳を取れば、ああいうふうになるんだろうなと考えるくらいには、いい上官だと思うよ」
俺の問いに、ウィッティは照れくさそうに肩を竦めて応えてくれた。
◆
ウィッティが司令部から作戦本部へ帰って行ったあと、殆ど入れ違いで戻ってきた爺様に俺はクブルスリー少将からの伝言を告げた。果たして爺様はオフィスチェアにどっかりと腰を下ろすと、司令官室内に響き渡るような大きな溜息をついて
「言い訳だけでも伝えてくれるんじゃから、まぁクブルスリーにしては上出来じゃな」
などと皮肉ぽく呟いた後、不在としている者も含め司令部全員に今日は早上がりするように、と命じた。司令官室から退出する際、こっそりと振り返ると爺様は座ったまま腕を組んで額にしわを寄せたまま天井を見つめていた。
いずれにしても許可ある早上がりは滅多にないので、ファイフェルには充分睡眠をとっておけよと伝え、俺はグレゴリー叔父の官舎へと向かった。自分の官舎……というよりは中級幹部向けの、前世時代におけるやや広めのマンションの一室に帰ったところで寝るだけなので、たまには家族の顔を見たくなっただけであって、決して夕食をご馳走になろうと思ったわけではないのだが……
「ヴィク兄ちゃんに私の士官学校受験について、お父さんやお母さんの説得を手伝ってほしいんだけど」
今年一二歳のイロナと九歳のラリサの即席家庭教師をした挙句、レーナ叔母さんには強制的に夕飯の席に付けさせられ、一五歳になったアントニナから夕食後『学校生活の面で』相談があると言われて、ノコノコとガレージの裏側についていったら、それが罠だった。
「……」
「一月の早期卒業は認めてくれなかった。軍籍に入ることをお母さんは絶対反対。お父さんも直接は言わないけれど反対してるんだ」
確かに原作でもユリアンが早期卒業制度の話をヤンにしてたような気がする。アントニナはユリアンとは違い家庭的にも財産的にも恵まれている。少なくとも将来を軍に担保しなければならないような状況ではない。ボロディン家は同盟開闢とは言わないまでも、長く続く軍人家系として世間ではそれなりに知られている。ボロディン家に生まれた男子の七割以上が軍人になっているし、女性の軍人も少なくない。そして戦死者・戦傷者・行方不明者もそれなりにいる。
「お母さんは自分だって軍人だったのに、僕には軍人になってはいけないって言うなんて、矛盾してておかしいと思うんだけど」
「う~ん」
「だからお願い。手を貸して」
別に仏教徒でもないアントニナが、手を合わせて拝んでくるのを見て、俺は一度雲一つなく輝くハイネセンの夜空を見上げた。ヤンがユリアンから軍人になりたいと最初に相談されたのは二九歳のころか。今の俺は二五歳だが、前世の年齢も含めれば五〇を超えている。独り身で子供が当然いないのはヤンも同じだが、アントニナからの相談に対するアドバイスではヘイゼルの瞳の一件を上げるまでもなく俺には向いていないように思える。つまるところ俺は精神的にこちらの世界の年齢以上に成長していないのかもしれない。
だがアントニナにとってみれば俺はこの一件においては縋れる唯一の家族だろう。レーナ叔母さんもいろいろ考えた上で反対していると推測できるが、詳しくその理由を話していないのかもしれない。贔屓目抜きにしてもアントニナは運動神経が抜群で頭もよく回る子だが、軍人となるには致命的な欠点もある。そこを言うのはやはり正確には『家族ではない』俺の仕事なのだろう。俺はアントニナをガレージに待たせ、一度母屋に戻ってレーナ叔母さんにアントニナと散歩に出かける旨伝えると、再びガレージに戻ってゴールデンブリッジ街の歩道を二人で歩き始めた。
「アントニナ、なんで軍人なんかになりたいんだ?」
無言で一〇数分歩いた後、俺は軽い口調でアントニナに言った。
「言うまでもなく軍人は国家公務員の殺し屋だ。いくら御大層な題目を述べたところで、やっていることは人殺し以外のなにものでもない。そして殺しにかかる以上、こちらが殺されることも当然ある」
「うん。でも僕はボロディン家の人間だし」
「親の稼業を継がなきゃいけないなんて法律はないさ。軍人家系なんて言い方を変えれば代々殺し屋の一族と名乗っているようなものさ。あまり褒められたものじゃないだろう?」
「……じゃあ、なんでヴィク兄ちゃんは軍人になったの?」
「どうしてもやらなくてはならないことがあった。なす為には政治家になるか、軍人になるか、官僚になるか、そのいずれかしか道はなかった。そして一番確実だったのが軍人だった」
自由惑星同盟を金髪の孺子の侵略から救う為には、孺子を確実に自分の手で殺せる軍人一択しかないのだが、敢えて方法論としてはほかにも道はある。だがそのどれもが不確実であり、スタートラインにつく前にゴールしてしまうシナリオしか思いつかなかった。
自分がこの世界の未来を知っているなどと、口が裂けても言えない。それはアントニナにですらもだ。現時点でほぼほぼ原作通りに物語は進んでいるが、確実に一一年後、自由惑星同盟が新銀河帝国に併呑されるかとは言い切れない。言い切れない故に、俺は軍人になるしかなかった。
「ヴィク兄ちゃんのやらなくてはならないことってなに?」
「それはアントニナにも言えない。だがその為には自分の自由を犠牲にすることを厭わない。そういうものさ」
「それは……うん。僕にもある」
アントニナは何となくではあるが自信げに頷いた。
「僕自身にも軍人になる目的というのはある。勿論、兄ちゃんには言えないけど」
「だがアントニナは明らかに性格が軍人向きじゃない。本音を言えば無理だ、と思えるくらいの致命的な欠点だ」
「なにがさ!」
急に歩みを止め、両拳を地面に伸ばし、俺を見上げるきめ細かい褐色の端正な顔には、今まで見たこともないような鋭い殺気と反抗心の籠ったグレーの瞳があり、俺を突き刺す。まさに飼い主に裏切られて野生化した犬のような瞳。その瞳に映る振り向いたままの俺の顔は、何の感情もない冷たいものだ。
「軍は組織で、軍人は組織の一部品として動く。たとえ納得できない事態があっても納得しなければならない。そうでなければ組織は十全にその能力を発揮することができず、結果として市民と国家に重大な損害をもたらすことになる」
「……」
「どのような組織でも大なり小なりそれはある。だが軍は人間の命が天秤にかかっている。故にどんな理不尽な命令であろうと、軍規に即している限りにおいては従わなくてはならない。わかるか?」
「……」
「仮に今の応答を軍でやってみろ。悪ければお前は抗命罪に問われ、問われればほぼ間違いなく軍から追放される。軍とはそういう理不尽極まりない組織なんだ」
「……」
「筋を通し納得がいかないことにはとことん噛みついてくる、アントニナの性格は人間としては誇れるべきものだ。だが軍という組織はアントニナの誇るべき性格を真っ向から否定し潰すだろう」
「……」
「士官学校入学試験を受けるのは自由だ。だが軍人になるというのは、少なくとも基本的人権が否定されることもあるということをはっきりと理解すべきだ。それを理解した上で、もう一度ゆっくりと考えてから結論を出せばいい。幸い願書の提出期限はまだ先だ。ただ、これだけは言っておくぞ、アントニナ」
「……」
「士官学校に合格できなかったら、軍への志願は止めるべきだ。士官ならまだしも、下士官や兵士はアントニナには務まらない」
殺気の半分が困惑に代わったアントニナの視線と、左肩越しにそれを見返す俺の視線が、両者の中間でぶつかる。火花が散るかと思えるほど鋭く、実時間では短い無言のやり取りは、俺のほうから切り上げた。いつもよりゆっくりと。半分の歩幅で歩きだす俺の後ろを、アントニナは一〇歩離れてついてくる。 家に着くまでずっと無言のまま行進は続き、俺は玄関でレーナ叔母さんにアントニナを引き渡した。叔母さんもアントニナの様子からなにか悟ったみたいではあったが、何も言わずに敬礼とお辞儀だけして別れた。
それから無人タクシーを呼ぶことなく俺はゴールデンブリッジの街路を歩き続けた。これでまたしばらく俺はこの家には帰れないだろうなぁと、頭を掻きながら。
後書き
2020.11.03 更新
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