ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~
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第49話 オルタンス邸
前書き
ほんの少しだけですが、減速運転で進めていきます。
オルタンス邸で1話使うとは。
宇宙歴七八九年一月一八日 ハイネセン星域 ハイネセンポリス イリジウム四番街区
軍人になって初めて受ける待命指示というのは、それまで月月火水木金金だったのもあってかなんとなく手持無沙汰な感じがして、正直あまり気分がよくない。
長期休暇であれば給与は全額保証され、勤務地(今の俺はハイネセンになる)から旅程三日の距離であれば、人事部に申告せずともよく、それ以上の距離でも申請して承認されれば旅行に行っても構わない。短期休暇の場合は勤務地に一日内、公定休日(週一)の場合は半日内の旅行が許可される。
しかし待命指示というのはいつでも命令を受けたら速やかに出頭することが義務とされるもの。しかも給与は八割支給という存外ケチ。そして待命が二年に及んだ場合は自動的に予備役編入となる。そうそう簡単には働かなくても食っていけるというご身分になることはできない。
モンシャルマン大佐の言う通りなら直ぐにでも爺様からの呼び出しがあるものと思っていたが、どうやらそうでもなく俺は三日ほど暇を持て余し、結局グレゴリー叔父の家に居候して、妹達の面倒を見ることになった。キャゼルヌから自身の官舎に夕刻呼び出しを受けたのは、実にそんな微妙なタイミングだった。
軍服に着替えデパートに立ち寄った後、指定された住所を無人タクシーに入力して乗り込むこと二〇分で到着。意外と近いのは統合作戦本部勤務中級幹部用の独立家屋型官舎だからだろう。将来を嘱望される佐官クラスの既婚者向け故に、補佐する相手(つまり将官)の傍に居を構えるのは効率的に悪いことではない。歩くと少し時間はかかるが、たしかこの近くにコナリー大佐の家もあったはずだ。
「よう。元気そうで何よりだ」
玄関のベルを鳴らして出てきたキャゼルヌは、ニヤニヤと変な笑みを浮かべながら俺と右手で握手し、左腕に抱えているブランデーの箱を見て言った。
「そういう気を廻すところは相変わらず如才ないな。六年物か?」
「五年物のカルヴァドスですよ。媚びを売るなら実力者に売りたいですからね」
「ハンッ、よく言う」
キャゼルヌはそう言うと、俺から受け取ったカルヴァドスの箱に書かれた銘柄を一瞥した後、手招きで俺を家の中に導いた。通い妻から正式な婚約者、来月にはキャゼルヌ夫人になるオルタンスさんのキャゼルヌ宅への侵略状況は極めて深刻で、フェザーンに行く前イロナとお邪魔した時(この時は独身者向けの借家だったけど)には男の家に隠れてます状態だったが、今ではもうキャゼルヌの方が『週末の異邦人』に見えるようになっていた。そしてその実力者は、以前はリビングだったが今度はダイニングで、ディナーの準備を整えていた。
「いらっしゃい、ボロディンさん。妹さんはお元気?」
「お久しぶりです。オルタンスさん。さっきまで家庭教師をしてまして。散々な目に遭いましたよ」
オルタンスさんに軽く敬礼すると、俺はテーブルの上に並べられ芳香を漂わせる料理へと視線を向ける。鶏肉とベーコンのワイン煮込みがメインで、ライスサラダにキャロットラぺ。そしてクッペが二つずつ。ボロディン家は両親の血統からロシア系とポリネシア系の料理が主体だが、オルタンスさんはフランス系のオーソドックスな洋食が得意なのかもしれない。
「ボロディン家のお料理に比べれば、まだまだかもしれませんけど」
「とんでもない。この不肖の後輩に、これほどの手料理をふるまっていただけるなんて、正直感動しております」
「そうだぞ、オルタンス。コイツはフェザーンで美女と美食に溺れて失敗して、辺境に流されたクチd……ッツ」
「まぁ! これ『クール・ド・レオパルド』じゃありませんこと。あなた、ちゃんとボロディンさんにお礼したんですの?」
「……気が利くな、不肖の後輩」
「いえいえ」
鼻で笑おうとしたキャゼルヌの背中を、カルヴァドスを抱えたオルタンスさんが小さく抓ったのを、俺は見逃さなかった。オルタンスさんが俺に気を使ってくれたこと、そして言いたいことが分かるだけに、キャゼルヌも不承不承俺に礼を言った。やはり精神性では五歳年上のキャゼルヌも二歳年上の俺も、オルタンスさんに頭が上がらない。
そしてオルタンスさん特製のコックオーヴァンは、しっかりとした煮込み具合と、とろみ付けが絶品だった。恐らく来週あたりヤンとアッテンボローがここに来て食べる雉肉のシチューの美味さが明確に予感できて、たぶんキャゼルヌがいろいろ配慮してその場にいないことが分かるだけに、残念でならなかった。
食後、ダイニングからリビングに移動し、俺とキャゼルヌにコーヒーが供され、オルタンスさんはキッチンへと引き返していった。皿を流れる水の音を確認してから、キャゼルヌは俺の方へと視線を移した。
「さっきは悪かったな」
「事実ですから仕方ありません」
俺が苦笑して肩を竦めると、キャゼルヌは罰が悪そうに小さく頭を下げ、コーヒーを一口してから、真剣な表情で俺に向き合った。
「マーロヴィアでの活躍は後方勤務本部にいる同期から聞いている。エル・ファシルの英雄騒ぎで最近ではほとんど話題になっていないが、査閲部と法務部と憲兵隊の連中が色めき立っているらしい」
「法務部ですか。厄介ですね」
法務部から今後襲い掛かってくるであろう注文内容に思いをはせていると、キャゼルヌは首をかしげて俺を見て言った。
「査閲部の方が厄介じゃないのか?」
「私の初任地は査閲部ですので、なんで色めき立っているかはだいたいわかります」
「なるほどな。ではお前さんの今後について国防委員会と宇宙艦隊司令部が喧嘩を始めたというのは知ってるか?」
国防委員会ということはトリューニヒトが関わっている可能性が高い。国防委員会は軍政、統合作戦本部は軍令、宇宙艦隊司令部は実働をそれぞれ取り仕切る組織だ。マーロヴィア以来唾を付けたがっているトリューニヒトが国防委員会参事部に引き抜こうとして、早急にエル・ファシルを取り戻すための独立機動集団を編成したい宇宙艦隊司令部および統合作戦本部戦略部とぶつかったということか。この場合、国防委員会側の大将がトリューニヒトで、宇宙艦隊司令部側の大将がシトレであるのは容易に想像がつくし、キャゼルヌに喋ったのも腹黒親父なんだろう。だが
「喧嘩をするほど、私の価値が高いとは思わないんですがね?」
「シトレ中将閣下のお気に入りであるのは誰の目にも明らかなはずだと思うが?」
「それにトリューニヒト氏が手を伸ばしてきた、ということでしょう?」
「なんだ、わかってるんじゃないか」
「問題は正面切って宇宙艦隊司令部と喧嘩するできるほど、現在のトリューニヒト氏に権力というか影響力があるのかということです」
「……なるほど、お前さんが問題にしているのはそこか」
キャゼルヌはようやく納得したという表情で、腕を組んで頷いていた。
マーロヴィアにコクラン大尉を派遣するに際し、ロックウェル少将を説得する程度ならまだわかる。物資調達の為に後方勤務本部を動かしたり、軍部と検察の間を取り持つような口利きをするのも、能動的でタフな元警察出身の、国防委員の行動としては十分理解できる。
だが軍の、それも恐らくはシトレを中心とする宇宙艦隊司令部の半分と、エル・ファシルを早期に奪回したい統合作戦本部が、タッグを組んで作ろうとしている独立機動集団の内部人事に口を挟めるほどの権力をトリューニヒトが手にしているとは思えない。二・三年後には最高評議会の閣僚の席を手に入れるだろうとはいえ。
「そうか。マーロヴィアみたいなド田舎では、奴の最近の増長ぶりというか、羽振りの良さは実感できないか」
キャゼルヌの口調はプライベートの中だから口が緩くなったのか、清々しいまでにトリューニヒトに対する軽蔑で満ちていた。
「マーロヴィアでお前さんたちがブラックバートの親玉を捕まえただろう? あれが不味かった。」
トリューニヒトの仕切る記者会見はマーロヴィアの司令部で見ていた。確かに物事の裏を知らずあれだけ見ればトリューニヒトが『主導ないし中核的なフィクサーとなって』バーゾンズ元准将を拘束した、と誤解してもおかしくはない。
「ブラックバートに煮え湯を飲まされた連中は軍民問わず山ほどいる。それこそお前さんの叔父さんも含めてな。特に星間物流企業だ。奴自身繋がりがある軍需関連と近いし、資本力と影響力は同盟でも抜きんでている。奴はその力を吸収し自分の為に利用しようとしているんだ」
「……」
「軍もマーロヴィアの治安に問題を抱えているのはわかっていて、老練なビュコック准将を送り込んだ。准将が切り開いた道を別の人材で舗装すれば、時間がかかっても治安回復は可能だと見込んでいた。早急な司令部内の綱紀粛正を見れば、軍の構想は間違いではなかったんだが……」
司令部内の汚職で空いてしまった穴を、軍は早急に埋めることができなかった。情報部のフォローもあって提出された「草刈り」作戦において、軍は奴に付け入る隙を与えてしまった。そしてブラックバートの撃滅という明らかな大戦果。治安組織の長が拘束されたということも、行政の不始末というより綱紀粛正が適切に働いたと理解され、それはあの滑らかな弁舌によってトリューニヒトの功績と誤解された。
「軍内部にも奴の尻馬に乗りたい奴が大勢いる。特に後方や支援、軍政といった、実戦部隊側から軽く見られていた分野の連中に多い。かくいう俺も後方勤務側の人間だから、連中の気持ちも分からんでもない」
「……」
「あとはエル・ファシルの一件だ。ヤンの行動はもちろん賞されるべきだが、それでも駐留軍が民間人を見捨てて逃亡したことは間違いない。実際のところ民間人の軍に対する信用度は低下している」
「民間人からの信用度は、民主国家における権力の基盤、ということですか」
「お前さんやヤンが悪いというわけではない。だが残念なことに一議員の跳梁跋扈を許すほど、軍の体面は傷がついているし、積極性と影響力は低下してしまった。それでまぁ、お前さんの今後にケチが付いたってわけだ」
軍が行動に積極的になる、というのはあまりいい傾向ではない。今回のことも、帝国との開戦以来、そしておそらくイゼルローン要塞の築城以降攻撃選択権が帝国側に握られ、対応するために組織を巨大化してきた同盟軍の、新陳代謝能力の低下が顕著になってきたということだろう。
そして事は軍部の問題だけではない。原作で同盟側登場人物の多くが危惧している、民主政治全体の活力が低下していることの証左でもある。
「それで私の待命期間が延びているわけですね」
「たぶん今回は押し切れるだろう。ビュコック司令官も少将に昇進されたし、トリューニヒトの厚顔を苦々しく思っている軍人は統合作戦本部にも宇宙艦隊司令部にも多い。なにしろエル・ファシルに恒久的軍事基地を築かれる前に対処の必要があるからな」
「それなんですが、エル・ファシルへの制式艦隊の出動は考えていないのですか?」
「数が足りないんだ」
「……そうですか」
キャゼルヌの口調が一瞬変わったのは、俺に言えないことを知っているからだろう。
現在同盟に艦艇一万三〇〇〇隻を基準とする制式艦隊は第一から第一〇までの一〇個艦隊が整備されている。今のところ欠番がないのは、ここ一・二年で艦隊が消滅するような大敗を喫したことがないおかげだ。そして現在この一〇個艦隊を、前線配備・移動・整備・休養・移動の五つのローテーションで運用している。だいたい二個艦隊でペアを組んで運用するパターンだ。
エル・ファシル星系の帝国軍支配が長期化すれば、キャゼルヌの言う通り恒久的軍事基地が建設され、帝国軍の前線はより同盟側に深く切り込んでくることになる。それは国家の安全保障としては危険な状態だ。本来なら速やかに奪回に動く必要がある。エル・ファシルを襲った帝国艦隊は約四〇〇〇隻と言われているから、前線配備の二個艦隊二万六〇〇〇隻を動かせれば、奪回はそれほど難しい話とも思えない。
敢えてビュコックを少将に昇進させ、独立機動集団を編成させて奪回に動くというのは、効率が悪いことこの上ない。第一三艦隊誕生時のような制式艦隊三個がいっぺんに壊滅してしまうような大惨事があったわけでもないのに、あえて二〇〇〇隻ないし三〇〇〇隻の部隊を新編成するのはどういう意味か。つまりは制式艦隊を複数投入せざるを得ない大規模な作戦が計画されているということ。フェザーンから帝国軍出師の噂がない以上、そんな大それた作戦が展開される目的地は一つしかない。
「ビュコック司令官以外に、エル・ファシルに投入される戦力は決まっているんですか?」
俺の質問が微妙なところに突っ込んでくるものでなかったのが意外だったのか、キャゼルヌはカップに口を付けたまま片眉を上げて俺を見つめる。
「おそらく決まっているだろう。直接は聞いていないが、複数の独立部隊が編成されるらしい」
「五つか、六つ」
「まぁ、そんなところだろうな」
基本的に独立部隊とは、宇宙艦隊司令部直属で准将を司令官とし、戦力としては一〇〇〇隻以下の小集団を指す。制式艦隊の解散や再編の為に書類上編成されるものから、耐用年数が近く損傷もあって部隊運用として困難な艦艇の終の棲家というモノまで、存在する理由も経歴も部隊によって様々だ。
エル・ファシル星系はともかく、複数の星系を傘下に収める星域全体を支配するには最低でも二万隻は必要というのが常識だ。帝国軍はエル・ファシル星系と、後方のアスターテ星域との連絡線は確保しているようだが、エル・ファシル星域全体の制圧には取り掛かっていないらしい。まだ同盟側の勢力圏内にあるエル・ファシル星域の諸星系からの強行偵察によって、約三〇〇〇隻の帝国艦隊がエル・ファシル星系に駐留していることがそれを証明している。
そうなると奪回には少なくとも五〇〇〇隻は必要と考えられる。爺様の機動集団が基軸部隊となり、幾つかの独立部隊を巻き込んで臨時の小艦隊を編成するわけになる。俺の役割は作戦参謀というよりは他の独立部隊との協調・統制に関することが主体になる、かもしれない。
俺がそこまで考えているうちに、オルタンスさんが部屋に入ってきて、俺とキャゼルヌのコーヒーを入れなおしてくれる。会話が途切れたタイミングを見計らってきてくれるとしたら、流石としか言いようがない。頭が勝手に糖分を渇望しているのか、オルタンスさんが部屋から見えなくなってから、俺の手はコーヒーシュガーへと伸びていく。
「あんまり砂糖を入れすぎると、肥満の原因になるぞ」
最初から腹の中同様、ブラックを飲み続けるキャゼルヌは、溜息をつきながら俺に言った。
「結婚するなりして、生活面を管理された方がいいかもしれんな。仕事熱心なのは知っているが、どうにも仕事関係以外の面には疎いように見える」
「来月でしたっけ、先輩の結婚式」
「話を逸らすな。真面目に聞け」
余計なおせっかいだと言っているキャゼルヌですら分かってはいるのだろうが、言う口ぶりも、顔つきも真剣だ。俺自身、自分の隙の多さについては指摘されるまでもなく理解している……つもりだ。
「お前さんにはどうにも自身の価値というモノを理解したうえで、敢えて目を逸らそうとする節があるな」
「高級軍人の息子で、士官学校首席卒業者ということですか?」
「お前。俺のことをバカにしてるのか?」
明らかにキャゼルヌの口調に危険なものが加わったので、俺は混ぜっ返すことはなく眉を寄せたキャゼルヌの顔を正面から見つめる。それでキャゼルヌは理解してくれたようで、新しいコーヒーに口を付ける。
「……そのつもりは毛頭ありませんよ」
「喧嘩を売る相手は気を付けて選べよ。保身に対する無関心さはトリューニヒトの例を挙げるまでもなく外部にいらぬ迷惑をもたらすことになる」
「まぁ、なるべき気を付けるようにします」
「その口調はヤンそっくりだな……いやヤンがお前に似ているのか」
そう言うとキャゼルヌは顔に手を当て、大きく溜息をつくのだった。
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