八条学園騒動記
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第五百六十四話 脚本その一
脚本
舞台の脚本は菅が書いていた、だが。
菅は図書館で書きながら一緒にいるマルティに話した。
「歌劇の方に近付けようか」
「ヴェルディのかな」
「そう、そっちに」
こう言うのだった。
「近付けようか」
「あらすじは同じだよね」
マルティは菅にこのことを尋ねた。
「そうだよね」
「うん、もう殆ど全部ね」
菅はマルティのその問いにすぐに答えた。
「同じだよ」
「そうだよね」
「そして登場人物もね」
フォルスタッフを代表とする彼等もというのだ。
「そちらもね」
「同じだね」
「英語とイタリア語位の違いで」
その名前の呼び方がだ。
「フォルスタッフがファルスタッフになっていて」
「その他の人の名前も」
「英語とイタリア語の違いがあるけれど」
「キャラクターは同じだね」
「そして歌劇の方がね」
ヴェルディのこちらの作品の方がというのだ。
「フォルスタッフ、歌劇だとファルスタッフだね」
「前から思っていたけれど殆ど違いないね」
「うん、そしてそのキャラが」
そのファルスタッフがというのだ。
「歌劇の方が賢者なんだよね」
「そういえばそうだね」
マルティもその歌劇の知識は知っていてその通りだと頷く、この歌劇は人気があり学園の歌劇場でもよく上演されるのだ。
「原作よりもね」
「多分これはね」
菅はマルティに話した。
「原作者の知性に」
「シェークスピアの」
「そこに作曲者のヴェルディ、歌劇の脚本を書いたボーイトのね」」
「三人の知性が合わさったから」
「だから歌劇のファルスタッフの方が賢者なんだ」
「ウィンザーの陽気な女房のフォルスタッフよりも」
「フォルスタッフも結構な賢者だけれど」
確かに酒好きで女好きで図々しく無反省であってもだ。
「あれで憎めないだけじゃなくて」
「そういいえば頭は悪くないね」
マルティもフォルスタッフについてこう述べた。
「あの人は」
「そうだね」
「オセローやリア王と違って」
「その人達ははっきり言って愚かだけれど」
そしてその愚かさが悲劇を招くのだ、シェークスピアの悲劇は言うならば人間の愚かさが招くものであるのだ。
「それでもね」
「フォルスタッフは賢者で」
「歌劇の方はさらにだから」
「そっちに合わせたいんだ」
「僕はそう思うけれど」
「そうだね」
マルティは菅のその言葉を受けて言った。
「どっちにしてもあらすじは同じだし」
「それならだね」
「別に歌劇の方にしても」
「いいと思うね」
「うん、そう思うよ」
「じゃあそちらにするね」
菅はマルティにあらためて述べた。
「脚本は」
「それじゃあね」
「そして」
さらにだ、菅は話した。
「細部は変えないから」
「歌劇の方にしても」
「スペードの女王みたいにはしないから」
「ああ、プーシキンの」
「これプーシキンの原作と歌劇じゃ全然違うからね」
同じ作品の筈だが、というのだ。
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