八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
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第二百五十四話 歌の後でその九
「運命だったんだろうね」
「神様のお導きね」
「そう思うよ」
「私カトリックなのよ」
フィリピンではキリスト教のこの宗派の勢力が強い、これはスペインの植民地だったことからである。
「じゃあ神様にも聖人の方にも」
「感謝だね」
「そうさせてもらうわ」
こう笑顔で話した。
「本当にね」
「いいことだね」
「やっぱり神様はおられるから」
「僕もそう思うよ」
理屈じゃない、特に人と人の出会いを見て思うことだ。偶然とは思えないまでの出会いがあったりするからだ。
「そのことはね」
「義和は天理教よね」
「とはいってお寺にもお参りするし」
「神社にもよね」
「キリスト教の教会にもね」
こちらにもだ。
「行くことがあるよ」
「その辺り日本人ね」
「神仏は共に敬うだから」
聖徳太子の教えそのままだ。
「だからね」
「それでなのね」
「そう、だから」
「天理教の教会にもお参りして」
「お寺や神社にもでね」
「キリスト教の教会にも」
「カトリックだけでなくて」
さらにだ。
「プロテスタントの方もね」
「モスクも行くとか」
「この学園にもあるし」
ちゃんと法学者の人もいる。
「行ったことがあるよ」
「そうなのね」
「うん、誰が行ってもね」
「モスクもいいのね」
「法学者の人も言わないよ」
モスクにいるこの人もだ、ついでに言えばモスクの管理人さんでもあってお家もこちらにあったりする。
「キリスト教の人でも」
「寛容なのね」
「うん、だからね」
それでだ。
「テレサさんもね」
「行っていいのね」
「それでイスラムのお話を聞いても」
僕も聞いたことがある、それでイスラムの知識も備えた。
「面白いよ」
「それも勉強のうちね」
「悪い教えじゃないし」
「それはね」
テレサさんもわかっているという返事だった。
「今時ね、異教を許さないとか」
「そうした考えもないよね」
「ましてやそれで殺し合いとか」
「ないからね」
「そうした考えは私もね」
「駄目だよね」
「間違ってるってね」
その様にというのだ。
「思うわ」
「そうだよね」
「そんなね」
「宗教が違うだけで殺し合うとか」
「そんなことして平和にならないから」
むしろその逆だ。
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