八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
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第二百五十三話 隅田川その二
「アレンジもね」
「難しいよね」
「だってね、ソプラノで」
つまり女性の高音の曲でだ。
「男の子は歌いにくいから」
「そのせいでね」
「合唱にアレンジしても」
「あの曲のよさを忠実に出すことは」
「難しいから」
そのせいでだ。
「出せなくて」
「それでだね」
「部長さんもね」
「残念にだね」
「思われてるのよ」
「仕方ないけれどね」
僕もこう言うしかなかった。
「そこは」
「合唱曲がないことは」
「うん、あの歌もアレンジしにくいし」
ある晴れた日、この歌はだ。
「だからね」
「どうしようもないのね」
「というかね」
ここで僕はダオさんにこうも話した。
「プッチーニって案外合唱はね」
「あるけれど?」
「作品によっては弱いんだよね」
「そうなの?」
「うん、蝶々夫人でもね」
「というか蝶々夫人って」
ダオさんもこう言った。
「あまりね」
「合唱のイメージないよね」
「ダオもね」
「ソプラノが強くてね」
「プリマドンナの作品よね」
「こちらの代表作だね」
劇で言うとヒロインに極めて重点を置いた作品だ、蝶々夫人はとにかくソプラノの存在感が強い作品なのだ。
「完全に」
「だから合唱も」
「もっと言えば蝶々さん以外の役も」
相手のピンカートン中尉も蝶々さんを助けるスズキも蝶々さんを気遣っている領事のシャープレスもだ。
「あまりね」
「重点が置かれてないわね」
「最初ピンカートン中尉も」
相手役のこの人もだ。
「アリアがなかったから」
「そうだったの」
「第二幕であるそれがね」
蝶々さんにしたことを後悔して歌う曲だけれどだ。
「なかったっていうんだ」
「じゃあもう」
「歌劇としてはね」
「存在感のないキャラだったのね」
「悪い面ばかり目立つね」
軽薄なそれがだ。
「そんなキャラだったんだ」
「そうだったのね」
「それでとにかく合唱は」
蝶々夫人という作品ではだ。
「あったかなっていう位だね」
「実際にそうよね」
「これがヴェルディやワーグナーだと」
この作曲家達だとどうかというと。
「かなりの高確率でいい曲あるけれどね」
「あっ、ヴェルディだとナブッコね」
ダオさんはすぐにこの作品を挙げてきた。
「うちの合唱部この作品の歌よく歌うのよ」
「行け、金色の翼をだね」
「そう、この曲ね」
「この曲有名だしね」
「名曲よね」
「イタリアでは第二の国歌にされている位ね」
日本で言うと海ゆかばだ、僕はさくらさくらかと思っていたけれどこちらが日本の第二の国歌なのだ。
「有名な曲でね」
「よく歌われていて」
「名曲でもあってね」
それでなのだ。
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