緋弾のアリア ──落花流水の二重奏《ビキニウム》──
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最高に最低な──救われなかった少女 Ⅱ
前書き
少し短くなってしまった。
「理子のことを──好きになってくれますか?」
その想いの吐露は、締め付けられた声帯を無理にでも震わせるような、それほどなまでに、確固たる断案の意が込められていた。
そう、それでいいのだ。聞きたかったのは、その言葉だ──。
「……理子。君は、本当に──」
そうして伸ばした腕を、彼女の頭に乗せる。肩が僅かに跳ね、嗚咽ともつかない喘声が漏れ出た。水晶体に浮かぶ湖の湖面は、揺れる水面そのものだ。その縁から水滴が一筋、ツゥ、と零れ落ち、音を立てて滴下した。
「──強がりさん、だね」
小さく笑み、親指の腹で、その涙を拭いとってやる。
これはまさに、峰理子という人間が零した、衷心そのものなのだ。大部分が悲哀に満ち満ちた、今という今まで、誰にも告げることが出来なかった──少女の、弱さの根幹だ。
「……どういう、こと?」
そう言って小首を傾げる理子は、どうやらこの発言の真意を、理解出来ていないらしい。本心か、はたまたこの後に及んでお得意の演技なのか、は分からないけれど……。
いやはや、面白いね。自分からソレを欲してきたにも関わらず、この発言の裏が読めていないのだから。
「だから、字の如くだよ。いつまでそんなに強がってるんだい? もうそろそろ、楽になってもいいんだよ。隠し通す必要なんてない。……そうだろう?」
全て知っているからね──。そんな意図を込めながら、先程の言葉は、一語一句に想いを乗せて告げた。
理子という少女の何を知っているのか。その答えは実に簡単だ。ただしそれは、《物語》と冠した今までの《日々》が無ければ、まったく気がつけなかったことになる。
あの日。ハイジャックの日から──理子の言に従えば、二重奏を奏でたあの日から──その伏線は幾つか張られていたのだろう。
今になって思えば、理子が《イ・ウー》の一員であることも、初代リュパンを越えようとしたことも、司法取引で有意な情報を提示してくれたことも、今に至る想いの吐露の、伏線だったのだ。
そして、それが結び付ける先は、たった1つだけ──。
◇
嗚咽ともとれぬ声が、リビングに響き渡る。悲哀と孤独が形骸化したような、今の今まで秘めていた、峰理子という少女の弱さそのもの──それが身を知る雨となって、零れ落ちた。
自分は何をしているのだろう。……そんなことは分かりきっている。駄々を捏ねた子供のように、如月彩斗の腕に抱きついて、あまつさえそれに抱かれたまま、泣き腫らしているのだ。
もはや自分自身に投げつける、呪詛にも近い言葉だった。
「……辛かったろう。いいんだよ、泣いても。恐らく今、君をいちばん分かってやれるのは、俺だけだろうからね。ようやく気付けた。少しばかり遅れてしまって、悪かったね」
蠱惑にも近い、甘美な声。腕に抱かれながら頭を撫でられている感覚に心地良さを覚える暇すらなく、理子は嗚咽を吐き続ける。
どうしてそんなに、如月彩斗は自分のような劣等種を見捨てずに、手を差し伸べてくれるのだろうか。
いや、劣等種であるからこそ──それが見るに耐えなくて、拾い上げてくれたのだろうか。そんな憶測が理子の脳裏を過ぎる。
「っぐ、なんでぇっ……なんで、理子なんかっ……」
とめどなく溢れ出てゆく涙を抑えようと、必死に目頭を拭うのに──いわば蛇口を締めたにも関わらず──それは漏れ出てくる。
もう、自分も彼も、分かっているのだ。どれほど自分が我慢をしていたのか。自分を変えるために、努力をしてきたのか。そして、認めてもらいたかったことを。居場所が欲しかったことを言えないまま過ごしてきた、幻想に塗れたあの日々を。
「……なんで? ふふっ、愚問だね」
「ぐも、ん……?」
そう、愚問。そう彼は言った。
「理子のことを、認めているからだよ。努力家で、一途で、自分が苦しいことを誰にも話せなくて、それでもなお、自分を変えようとする君のことを──見捨ててはおけないから」
紛うことなき本音だよ、とでも言うようだった。
つい数分前まで、ふざけて如月彩斗の腕に抱きついていた自分が、今は抱きしめてもらう側に回っている。暖かな温もりは、果たして幾年ぶりに感じただろうか、と理子は一考した。
羞恥心なんて感情は既にかなぐり捨てている。この身体を満たしているのは、言い知れぬ感情の暴力だ。彼から告げられる一語一句に込められた意思が、余すことなく彼女の心臓を穿ってゆく。
そして、治癒されていくのだ。元通り──否、それ以上に。
「……目標は、時として重荷にすらなる。覚えておいてね。諦めろとは言わないけれど、休息も必要だよ。もっと言えば、今がその時じゃないのかな。一時の空白に何が起きるかで、その先にある運命は変えられる。そこに賭けてみようとは、思わない?」
言い、彼は理子の顔を覗き込んだ。
「賭け、る……?」
そう、賭け。その優しい笑みが、酷く印象的で。
「だから、乗ろうが乗るまいが、理子の自由だよ」
目尻に溜まった涙を指で拭いながら、理子は問い掛けた。
あれだけ泣き腫らしていたにも関わらず、溢れ出てゆく感情の渦を止めることが出来なかったにも関わらず、その『賭け』という言葉だけで──あたかも魔術に魅せられてしまったかのように、ピタリと止んでしまった。
実に厭らしい人間だろう。都合の良い時だけに他人に頼りきって、都合の良いことだけに興味を示して。
それでも自分は、変わりたいのだ。
居場所が欲しいのだ。
認めて欲しいのだ。
誰に──?
そんなのは誰にだっていい。
ただ、今は。今だけは、こう言いたい。
貴方にだけ、認めてもらえればいいんだ。
「居場所が無ければ、造ればいいだけ。簡単な事だよ。自分で無理なら、他人が。俺が、造ってあげるからさ。……そうだろう? なんたって君は──最高に最低な、救われなかった存在なんだから」
嗚呼、だから自分は──彼のことが、好きなのだ。
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