夢から醒めた夢
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Ⅲ
カップラーメンを食べ終えてしまうと、そこから先は退屈との戦いだ。
とはいえ、感情が抜け落ちている今のりあむにとって、それはそこまで困難なことでもない。ただ大の字になって、時折聞こえる家鳴りの音や、外から聞こえてくる車の通り過ぎる音、子供の笑い声などに意識を向けておけばそれだけで一日が終わった。他にすることといえば、腹が減った時に湯を沸かしてカップラーメンを食べるか、時計を確認しようとスマホを探して電源を切ったことを思い出すか、精々それくらいだ。天井の木目を数えていると、思考未満の様々な現実のことが浮かび上がってくるが、それが形を成す前に、りあむはそれを虚無の中に沈めていた。
世界から隔離された、という感覚。
孤独感すらない一人の世界。
ここにいる限りあらゆる現実はりあむの傍にはやって来なかったし、心の内が踏み荒らされることもなかった。平穏──と呼ぶには充足感のようなものは皆無だったが、文字通り無事ではあった。
蜂蜜のような濃度の時間の中で、りあむはたった一人だった。
ただ胸の内に虚無を抱えて眠るだけ。
薄手のカーテン越しにぼんやりとした光が入ってくる。宙をゆっくりと舞う埃がやたら綺麗に見える。外は明るいが、この部屋は日の出から日の入りまでずっと薄暗い。ぼくはこのまま影にとけていって、忘れ去られて消えるんだろうな──そんなことばかり考える。今ぼくを知っている人間は、この世界で、いつものコンビニの店員さんだけ。でもあの人だって、仮にぼくが消えたって、最近あのピンク頭見ないな、くらいにしか思わないんだろうな。でもなんでだろう、全然悲しくないんだ。寂しくもない。ぼく、どうしてあんなに炎上したかったんだっけ。どうしてあんなに目立ちたかったんだっけ。どうしてあんなに必要とされたかったんだっけ。
どうしてあんなに、愛されたかったんだっけ。
……分からないや。
喉が乾いて最寄りの自販機までお茶を買いに行くと、このアパートの大家に会った。
「あら、この間の……! えぇっと、何だったかしら……」
大家は少し考えて、
「そう、夢見さん」
とりあむを指差した。
大家は気の良いおばさんだった。入居手続きの済む前からりあむを置いてくれたし、初めて会った時には何か訳ありそうなりあむに何も聞かず飴玉を渡してくれた。何となく勿体なくて、りあむはまだそれを食べずに取っておいている。
りあむは大家に「どうも、こんにちは」と返した。──否、返そうとした。
しかし実際に出たのは、ヒュ、という息の音のみだった。
そこで初めてりあむは、不動産屋と話して以来誰かと会話をしていないことに気付いた。
大家は、
「あらあら、風邪? お大事にね」
と笑った。風邪でも何でもないのは一目瞭然だろうに、大家の気遣いが今のりあむには何かとても悲しく、情けなかった。
「これ、あげるわ。じゃあ、またね」
俯くりあむに、大家は飴玉を握らせる。そして、さっさとアパートの方に帰って行った。
──大家さん、優しかったなぁ。あんなふうに気遣いができるなんてすごいや。それなのに、ぼくは……。
空虚だったりあむの心を、インクを一滴垂らしたような、少しの自己嫌悪が侵食した。
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