八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
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第二百四十三話 古典であるものその五
「あとサッカーもあるしね」
「やっぱりサッカーだすね」
「アルゼンチンも盛んだからね」
「そう、ブラジルといつも競り合ってるよ」
「そうだよね」
「ちなみに言葉は通じるけれど」
クーラ君はこうも言った。
「アルゼンチンとブラジルは」
「スペイン語とポルトガル語は方言位の違いだから」
「イタリア語ともね、けれど」
それでもというのだ。
「仲はね」
「あまりだよね」
「よくないんだよね」
「これがね」
どうにもという口調での返事だった。
「実は」
「結構ライバル意識あるんだよね」
「そう、チリも入れて三国お互いにね」
南米の三国でだ。
「よく中南米のABCって言われて」
「中南米の大国同士で」
「それでね」
その関係でだ。
「結構あるんだよね、あとアメリカとも」
「色々あるよね」
「うん、結構反発してるから」
同じアメリカ大陸の国でもだ。
「第二次世界大戦でもね」
「あの時もだったね」
「最後まで旗色明らかにしなかったから」
「アメリカが声をかけてもだったね」
「アメリカはもうアメリカ大陸の国全てがね」
もうそれこそだ。
「連合国に入る様にね」
「声をかけていたんだね」
「半分以上強制だったけれどね」
「絶対に枢軸につくなってだね」
「そう、そしてね」
そのうえでというのだ。
「アメリカ大陸の国が次々にアメリカに従う形で」
「連合国についていって」
「それでもその中でも」
それでもというのだ。
「アルゼンチン、そしてチリはね」
「この二国は」
「最後のの最後までね」
「立場をはっきりさせなかったんだね」
「遠いから、アメリカから見て」
アルゼンチンそしてチリはというのだ。
「むしろ欧州よりも遠いから」
「それでなんだ」
「そう、それでね」
「アメリカ支持もだね」
「言わなくてアメリカもかなり苛立っていたんだ、それで」
クーラ君は僕にさらに話してくれた。
「あの頃アメリカ日系人迫害してたね」
「日系人の強制収容だね」
「あれアメリカ自分の国では西海岸でしたけれど」
カルフォルニア等で行った、ハワイやワシントンでは行わなかったけれど十万以上の人が強制収容所送りになった。
「あれ中南米の国々にもやる様に言って」
「ブラジルとかでもあったんだよね」
「そうだったんだ、けれど」
それがというのだ。
「アルゼンチンはしなかったんだ」
「それ今知ったけれど」
「うん、アメリカの言うことに逆らって」
そうしてというのだ。
「日系人を収容しなかったんだ」
「それはいいことだね」
「当時のアルゼンチンの政権が結句枢軸諸国に好意的で」
「日系人にもなんだ」
「その政権、ペタン政権に協力的だったし」
このこともあってというのだ。
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