八条学園騒動記
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第五百十九話 中華ファンタジーのゲームをその十
「それでね」
「ゲームの出来はっていうのね」
「クソゲーだったりするんだ」
「成程ね、しかしあんたクソゲーって言葉好きね」
パレアナも気付いたことだ。
「随分と」
「よく使ってるっていうんだね」
「ええ、さっきから何十回言ったか」
それこそというのだ。
「わからない位だし」
「そう言われると好きだね」
「やっぱりそうなのね」
「クソゲーマニアだから」
そもそもというのだ。
「だからね」
「それでなのね」
「うん、好きだね」
「自分で認めるのね」
「そこはね、他の呼び方も知らないし」
「そうしたゲームについて」
「クソゲー以外にね」
ジミーはパレアナに笑って話した。
「そうだよ」
「そういうことね、じゃあ」
「これからもクソゲー楽しんでいくから」
「動画はあげる?」
「今はあまり考えてないけれど」
「それでもなのね」
「まあ先はわからないから」
これからどうするかはというのだ。
「気が向いたらね」
「その時はね」
まさにというのだ。
「動画アップしてみるよ」
「それでそっちで生きるの」
「いや、動画あげて生きることは」
かつてはユーチューバーがそうであった、この時代でもこれを職業としている人が存在しているのだ。
「結構大変だしね」
「才能が大事よね」
「それも一日一回はね」
「あげないといけないわね」
「こうしたものも消費だから」
資本主義社会の鉄則である。
「だからね」
「それでよね」
「そう、そこはね」
まさにというのだ。
「もうそれだけで生きていくことは」
「難しいわね、現実として」
「だからね」
「そこは考えてないのね」
「だってね」
それこそという口調での返事だった。
「動画アップしてる人は多いけれど」
「星の数位ね」
「一日一万の視聴とか」
一つの動画がだ。
「そうなるって相当だよ」
「そうそうないことね」
「大抵はアップしても」
その動画をだ。
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