緋弾のアリア ──落花流水の二重奏《ビキニウム》──
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緋が奏でし二重奏 Ⅱ
「……どうして、それを」
咽喉から飛び出した声が掠れていたのは、自分がいちばん分かっていた。狼狽そのものであるということも、分かり切っていた。それでも呟かずにはいられなかったのだろう。
理子のたった一言で、如月彩斗という人間を狼狽させるには充分すぎた。遠山キンジの兄、今は亡き遠山金一と峰理子とが、何らかの接点を持っていたこと──そうして彼が、自分の素性を知っていること。この2つが新たな疑懼として、自分の脳髄に浸透していった。
如月彩斗が38代目安倍晴明だということ。これを自分の口から告白した相手は、遠山キンジと神崎・H・アリアを除けば絶無である。後者の可能性もまた、絶無だ。それならば、前者──キンジが兄にその情報を流したことになってしまう。それでは、何のために……? 口を滑らせたとかいう馬鹿馬鹿しい理由ならまだしも、それが意図的なら、関係の再考も必要になるだろう。
アリアでもキンジでもないとすれば──それこそ本当の謎になってしまう。遠山金一とこちらの本家とに、接点は無いはずだ。彼がアリアのように独自で調査したというのならまだ有り得る。しかしそれも、理由の説明がつかないのだ。彼が内容を理子に伝えたことも、また。
……しても、理子に知られてるとなれば、色々と面倒だ。峰理子は《イ・ウー》の一員だろう。遠山金一から理子に情報が流れたならば、そこから《イ・ウー》諸氏にも拡散している可能性も大いにある。自分とアリアが仮に理子を逮捕したらば、《イ・ウー》から敵対視されることは間違いない。自分たちにだけ向いていた矛が、本家にも及びかねないのだ──。
「……君を逮捕する理由が増えて何よりだ」
「くふふっ、気になるでしょっ。何で理子がそれを知ってるのか、キーくんのお兄さんと接点があるのか──っていうことかな? あっくんたちが勝ったら教えてあげる」
「おや、物分りがいいね。それなら心置きなく逮捕させてもらうよ」
「……それって、アリアのために?」
大東京の往来の真ん中で抱いたあの感情と、理子の問いの答えとは全くの同一だ。アリアの境遇を知ったことから芽生えた同情心、自分のお人好しな気質──それに相まって、自分と彼女との間にあるパートナー関係。それらが綯い交ぜになって想起されたのが、あの感情に過ぎない。その向く先が誰のためかというのは、勿論、彼女自身のために他ならないわけだ。
そんなことを思いながら、アリアを一瞥する。彼女もこちらに一瞥をくれていた。どう答えるのかが気になるのだろう。……無論、期待外れのことを言うつもりはないのだけれど。
「まぁ、そうだね。そこに利己心の介入の余地は無いよ」
「ふぅん……。ほんっとーにお人好しだね」
「ふふっ、お人好しで結構だよ」
そうして自分と理子とは2人して笑みを零す。その余韻のある程度が失せてから、何がなしに《緋想》を構えた。アリアも銃のリロードを済ませている。そのタイミングが一致していたのは、恐らくは無意識的に直感していたからだろう。ここからが本番なのだということを。
理子を挟んで向こう側──アリアに「君は後衛に回っておくれ」と視線を送る。彼女もそれに背くと、理子から僅かに距離をとった。理子の興味は自分に向いている。そこを利用するのだ。
「……今度はあっくんが相手?」
「アリアばかりにさせるわけにも、いかないからね」
「そっかぁー」
間延びしたような調子で理子は呟くと、彼女は手にしていたUZIを仕舞った。代わりに、タクティカルナイフをその華奢な両手に握らせている。「銃弾は通じないって分かったしね」
そう笑う理子の判断は、正しかった。《明鏡止水》の自分に、銃弾は効かない。ナイフなら、尚更──というわけでも、実はないのだ。《明鏡止水》は局所的なスローモーション化で成り立っている。自分の直感と意図とを引き金に発動させているのだ。常にそうした状態だと、体力的な面で身体に影響を及ぼす。《明鏡止水》自体も、長くて数時間ほどしか保たない能力だ。
とはいっても、ナイフと日本刀では小回りの利くナイフの方に分があるのは明々白々だろう。仕方なしに《緋想》を収め、取り出した2本のマニアゴナイフを逆手に握る。ナイフを実戦に運用するのは久しぶりな気がする、が──刀剣類に関しては、ある程度の自信を持っているからね。《明鏡止水》の恩恵を受けなくても、並の人間以上には戦えるはずだ。
「……さぁ、来るなら来なさいな」
言い終えるが早いか、理子は瞬時に肉薄してきた。小柄な身軀を屈めて間合いを詰めてくる。頬を狙った横薙ぎの刀身をマニアゴナイフで軽く受け流しながら、それがブラフであることを直感した。途端に床を蹴って彼女から距離をおく。刹那に鋭敏な風切り音が響いた。一瞥してみると、つい今まで自分の腹部があった虚空が、綺麗にそのまま穿たれていたのだ。
しかし避けたからといって安堵している暇はない。着地するタイミングを見計らって放たれたナイフは、目許のあたりを僅かに掠めていった。掠めた程度で済んで僥倖だったと言う他には無い。もしも切れていたら、流血で片目の視界を失っていたところだろう。……油断ならないね。
背のあたりが震懾させられた──それを気取られないようにしながら、嘆息する。そうして瞬時に体勢を整え直し、縮地法で理子に肉薄していく。現在の彼女の武装は単一のナイフだけだ。銃も隠匿しているとはいえ、《境界》で対処は出来る。戦力ならこちらに分があるだろう。
手首や目蓋を狙う刀身はことごとく防がれていく。それでも、反撃の余地を与えずに追随していった。照明が刀身に反射する度に、鈍色が視界の端を爛々と突っついていく。
咄嗟の足払いを後退して躱しながら、反撃を試みる彼女の挙止動作を観察していた。一瞬間の隙に手に握らせたのは──UZI。銃を手にする時間が欲しかったのだろう。
マニアゴナイフを2本とも理子の目許に向けて投擲しながら、その軌道にも傾注しつつ《緋想》とベレッタを抜く。片方は避けられたが、もう片方は掠めた程度だった。これでも充分だ。
そうして《明鏡止水》を発動させ、UZIとナイフを手に間合いを詰めてくる理子を迎え撃つ。距離は僅か数メートル。この距離なら──確実に当たる。そう確信した。
彼女がどんな動作で肉薄してくるのか、その予備動作、虚空に靡く微細な髪に至るまで、《明鏡止水》の眼は捉えている。理子が構えたUZIが、発砲の瞬間に固定されるその一刹那──それさえも手に取る以上に分かり切っていた。べレッタの照準越しにUZIを覗きながら、逡巡せず引き金を引く。それでも脈搏は、いつもよりも上をいっていただろう。
マズルフラッシュが焚かれると同時に、銃弾は右螺旋回転を維持して飛来していく。虚空を穿つように回転していくその軌道、果ては何処に行き当たるのか──それは自分にとって明々白々のことなのだ。バレルの周囲、この僅かな隙間だけを頼りにして、反撃をしただけのこと。
そうして狙い通り、銃弾は着弾した。漆黒のUZIに──照明を映射させた鈍色を、この一帯に振り撒きながら、華奢な理子の掌から弾き失せていく。金属音が、遅れて聴こえた。
「さぁて──本番の開幕だ」
憫笑し、腕を掲げて指を鳴らす。刹那の異変に茫然としていた理子が目を見張ったのは、その時だった。紡と彼女の四方を取り囲むようにしたのは、虚空に顕現された《境界》。
前方には如月彩斗が、後方には神崎・ H・アリアが、頭上四方を《境界》が包囲している。文字通りの四面楚歌の渦中に置かれてもなお、彼女は焦燥していた。同時に躍起になっていた。
「これだけの数、全てを対処しきれるかな?」
掲げた腕を振り下ろした一刹那に、四方の《境界》は銃弾を吐き出していく。この春時雨は雅懐を抱くには程遠いものの、卯の花腐しの役割を果たしてくれる程度にはなるだろう。
「──穿て」
掲げた腕を、振りかぶった。
◇
我ながら、零した声は冷淡であったように思う。それでも今だけは構わなかった。
端々に前髪の掛かる《明鏡止水》の眼で捉えた数十発の銃弾は、虚空に螺旋を描いている。それらが彼女の肉叢──四肢のみを穿つかと見えたところの一刹那の異変すらもまた、捉えていた。
理子が華奢な身軀から横溢させているのは、瑠色の光靄である。彼女を護持するかのように刻一刻と蓊鬱たり、同時に層一層の只中に、嘲謔を置いていた。
同時に、自分の咽喉が嗚咽を洩らすのが聴こえた。この感情は、紛れもなく畏怖だろう。何しろ彼女の髪が──幻視ではなく、その微細な毛先までも傀儡のようにして、虚空に浮き上がらせていたのだから。瑠色の光靄とその光景とが相まって、どうにも彼女が人間だとは思えなかった。その風采から、ギリシア神話に著名な怪物──メデューサを想起させられてしまうほどには。
「っ──」
《明鏡止水》の眼は、なおも捉えていた。理子の四肢を全方位から奇襲した銃弾を、彼女は傀儡にしたその髪で、いとも容易く軌道を変えさせてしまった──ということを。
冷や汗が頬のあたりに流れていったのを、手の甲で拭い取る。張り付いた髪を解き払うことも忘れたまま、今度はこちらが茫然とさせられてしまった。理子が髪を自在に操作した──超能力めいたその事実にも内心で驚愕こそすれ、武偵校でも超能力者は稀有ではない。問題は、単なる髪であるはずのそれが、銃弾の軌道を逸らしたことだった。現に彼女は、無傷なのだから。
「……その程度か? 陰陽師」
睥睨の眼差しを、理子は自分に向けている。悄然と仄かな歓喜を綯い交ぜにして。
「……ふふっ、まさかね」胸中を気取られないように、磊落に笑みを零す。
「だから──容赦はしないよ。自分は護りたいもののために、そうして、その者の目的を達成するために動いているんだからね。君は言うなれば通過点だ。……分かっているはずだけれど」
「お前たちにとっては通過点でも、あたしにとっては千載一遇の大舞台だ。だから妥協もしない。《イ・ウー》で研鑽したこの能力でもって、本気で倒しにかかる」
──二重奏を、あたしに奏でろ。
後書き
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