緋弾のアリア ──落花流水の二重奏《ビキニウム》──
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武の論立者
アリアに行った推論の論説から、その翌日を迎えていた。自分はキッチンに立って朝食を作りながら、アリアはいつものように珈琲を飲みながら、めいめいに朝を過ごしている。キンジはまだ寝ているらしく、起きてきてはいなかった。休日だからというのもあるだろう。
そんなところでアリアと自分とは、キンジに昨日の論説を伝えるべきか──或いは伏しておくべきか、その選択肢の狭間で煩悶していた。そうして前者を執るべきだと、決意してもいた。
自分も含めてキンジもまた、峰理子と面識がある。彼女を武偵殺しとして仮定した以上は、彼女の前で下手なことは出来ないのだ。それを防ぐためにも、理子との付き合いは考えなければならない。無論、彼女が武偵殺しでないと判明した時に、支障が出ない程度には。
取り敢えずキンジを待ちながら、片手間に朝食を盛り付けていった。それを殆ど終えたあたりになってようやく、リビングの扉が開かれる。寝間着を羽織ったまま、寝癖を手櫛で梳かしながら、人差し指で腹部を掻きながら「……おはよう」とだけ声を洩らしていた。
「うん、おはよう。随分とお寝坊さんなところで早々に悪いんだけれど、少し話があるんだ」
「……何だよ、朝っぱらから。重大事でも起きたのか」
「まぁね。取り敢えず、朝食の前に話しておこうと思って。ほら、座って」
そのままキンジをダイニングテーブルの椅子に誘導すると、向かいに座っていたアリアも佇まいを改めさせた。俺も準備の手を止めて、自然に話せる距離にまで足を進めておく。
「昨日、彩斗が武偵殺しに関しての独自の推論をしたの。それで……まだ、まだ仮なんだけど、真犯人っぽいのが誰か分かっちゃったわけ。今からそれを順序立てて伝えるわ。本当はキンジに伝えようか迷ってたんだけど、彩斗と話し合って決めた。だから、よく聞きなさい」
そう言って、アリアはその赤紫色の瞳をこちらに向けた。論説しろという魂胆だろう。
「……それじゃあ、説明するね。昨日アリアに説明したことと同じ流れでいくよ。まず、キンジと俺は武偵殺しの被害者になっちゃったわけだ。君は、自分が武偵殺しの被害者になったことをどういう風に捉える? 難しく考える必要は皆無だよ」
「そりゃあ、武偵殺しの犯行は無差別なんだろ? 運が悪かっただけだ」
「うん、そう考えるのが最も自然でしょうね。……けれど、そうであるならば何故、武偵殺しは──俺たちが当日に自転車登校をするということを見越せたのかな? それ以外の可能性がある中で、ピンポイントに武偵殺しは、自転車に爆弾を仕掛けていた」
「それだって、無差別じゃないのか」キンジは重ね重ねで言う。「じゃあ、自分たちの登校する時の手段を、多用する順番に並べてみよう」そう返した。アリアにもそうしたように。
「彩斗の陰陽術、バス、自転車……か?」
「正解。圧倒的に使用頻度は《境界》の方が多いよね。けれども武偵殺しは、自転車に
爆弾を取り付けていた。けれども、俺たちが自転車に乗らなければ、武偵殺しの計画は空振ることになる。それは彼の者の手順としては似つかわしくないよね。武偵殺しは奇襲的に行動を起こすんだから、計画そのものが空振りを迎えてしまっては、どうにもならない」
「それじゃ、武偵殺しは事前にそれが分かってたってことに──」
「なるんだよねぇ、この仮説だと。それと同時に、恣意的な犯行であることも、また」
「武偵殺しとしての体裁を維持するのなら」そう続ける。
「《境界》で登校をしても、下校時に例のセグウェイで奇襲を仕掛ければいい。下校は、ほら。だいたい徒歩でしょ? バスに乗ったとしても、先日のように……キンジは知ってるかな。スポーツカーにUZIを載せて、それをバスに併走させてたんだ。そうすればいい。むしろ、いま挙げた双方は、事前立案としても如何にも武偵殺しらしい手口になるよね」
言い、キンジの様子を窺う。彼は小さく頷いた。そうして、「それならどうして、武偵殺しは俺たちの行動パターンが読めたんだ? 盗聴してるわけでもあるまいし」
「そのまさか、かもよ。逆にどうして、盗聴されていないと思えるの?」キンジは文字通り閉口していた。推論に固定観念を織り込むことが如何に危険か、それを理解しただろう。
「今日の昼間、鑑識科をここに手配するつもりでいるよ。そこで盗聴器とかそういう類のものが出たら、武偵殺しが隠密行動を図っていたことの証左になるね。これが、仮定の1つとしてのキーワードになるんだ。隠密行動、工作活動が得意な人間──ということに」
「なるほど……。まずはそこの結果待ちか」
「そうだね。でも、また疑問が出てくる。何故、武偵殺しが俺たちを標的にしたのか。盗聴器を仮定の視野に入れた時点で、無差別的な犯行ではなくなってしまったね。恣意的な犯行になってしまっている。彼の者が、如月彩斗と遠山キンジを狙う理由があるのでしょう」
しかし、この理由に関してはアリアにも説明していない。否、説明していないのではなくて、分からなかったのだ。武偵殺しが自分たちを狙う理由というのが。それでも、何とかして答えを捻り出したところに、まさかアリアが関係しているだろうということは意外だった。
キンジから、その向かいに腰掛けている少女へと視線を移す。
「如月彩斗と神崎・H・アリアとは、武偵活動のパートナーになった──その候補の中に、如月彩斗の他に遠山キンジをも含めていた。このことは、少し前にキンジにも話したよね。ところで、 2人の情報を、既にアリアは始業式の前から収集していたろう? どうだい?」
「えっ……うん。教務科とか、強襲科とか、前のクラスの人にも聞いたりしてたけど」
「やっぱりね。それだよ。その動きが、武偵殺しに露呈していたんだ。それと同時に、武偵殺しが俺たちやアリアとを監視できる、身近な存在であると言えるね」
口端が緩むのを、自分自身で自覚している。同時にアリアは、その目付きを鋭敏にしていた。この論説の詳細を知っている2人だからこそ、こうして納得しているものの──現在進行形で説明されている当の本人は、「どうして神崎と俺たちと武偵殺しが関係あるんだ」と洩らしている。
「端的に言うと、武偵殺しの狙いはアリアだよ。俺たちは、それを誘き出すための絶好の撒き餌だったってわけだ。見る限り、アリアは何らかの理由で武偵殺しを追っている。そこに戦力増強のためのパートナーを求めていたんだろう。その候補が俺たち2人だったから、アリアにとっては影響の大きい人員だろうしね。それだけ餌としての質も高い。そうして同時に、武偵殺しも、アリアを誘き出すために活動をしていると類推できる。その発端は、2008年の12月」
その年月を口にしただけで、キンジの表情がはっきりと曇った。無理もないだろう。胸の内、奥底に仕舞ったはずの記憶が──つい今しがた、眼前にその全貌を突き付けられたのだから。それでも武偵殺しを語る以上は、この事件の話は避けて通れないのだ。
「『アンベリール号沈没事件』と題されたこの事件以来、武偵殺しは姿を秘していた。そうして本当の意味で活発化し始めたのが、始業式の日。アリアが転校してきた年度で、俺やキンジと接触する確率が多分に増加した日のことだね。事実、その通りになった。そうして、模倣犯ではないことも確信したわけだ。例のセグウェイも、鑑識科から出た鑑定結果を見れば、ところどころ高価な部品が使われていたし……ルノーといえば高級車だ。それに、確実に人を殺せるC4爆弾もそこには仕掛けられていたでしょう。財力的に模倣犯はここまで出来ない」
「ここまでをまとめてみると──」言い、4本指を掲げる。
「この一連の騒動は、武偵殺し本人によるものである。武偵殺しは、ある程度の財力を持っている。武偵殺しは、工作活動が得意である。武偵殺しは、身近な存在である。……ねぇ、誰だか思い当たる節は、無いわけではないよね。そうして君は、それを信じ切れないでいる」
キンジは大きな溜息を1つ吐きながら、額に手を添えた。そうして、頷いた。この論説によって生み出された煩悶と懊悩を、一挙に晴らそうと躍起になっているのだろうか。それでももう、この靄は、自分自身でさえ、なかなか晴らそうにも晴らすことが出来ないのだ。
「武偵殺しは──峰理子だろうと、仮定している」
休日の朝には似つかわしくない雰囲気が、この部屋一帯に広まっていた。
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