緋弾のアリア ──落花流水の二重奏《ビキニウム》──
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標的は──?
『──預金金額を指定の後、お金を入れて下さい』
淡々とした機械音声を耳に入れながら、封筒の中にある札束を取り出した。およそ10万円と少しの額を指先で摘んでから、温風を吐き出しているATMの紙幣投入口に入れてやる。これらは先日のバスジャック解決者に給与されたもので──いわば、依頼の解決金。それが教務科から現金郵送されてきたのだ。恐らくはアリアやレキのみならず、車輌科や鑑識科も同様だろう。
そうして預金を済ませてから、通帳の明細を確認した。今しがた預金した10万円弱の他に、100万円が振り込まれている。何処から流れてきたのか──と訝しむのも、一瞬だった。
始業式の日に電話をしてきた、彼の者──教授と名乗っただけで、それ以外は知らない。自分に対してアリアを守って欲しい、と、そう要求してきたのみなのだ。依頼金に100万円を寄越して、如月彩斗という一武偵を利用している。何がしたいのやら……。
──まぁ、成すべきことを成すだけ、だろう。
◇
リビングの扉を後ろ手に閉める。ソファーに腰掛けながら、アリアは優雅に珈琲を飲んでいた。彼女の他には自分以外に誰も居ない。俺が帰宅したことに気が付いたらしいのか、彼女はすぐにティーカップから手を離した。「おかえりなさい。何処かに寄り道でもしてたの?」
「うん。先日の事件の解決金をね、ちょっと口座に振り込んできた」
「ふぅーん……。あっ、そういえば理子が来てるわよ。キンジと一緒に部屋で何かしてる」
「そっちの方が話するのに都合がいいかもね。特に、理子は」
「……なんで?」
「まぁ、まずは武偵殺しの件について話そうか」そう前置きをしてから、アリアの隣の席に腰掛ける。武偵殺しと聞いただけでも彼女は、いつもより強い関心を見せていた。
アリアが自分をパートナーにしたこと。そうして会話の端々から滲み出ている、武偵殺しへの追求。これら2つを重ねると、武偵殺しを逮捕するために如月彩斗をパートナーとして、戦力の増強を図っているのではないか──今の段階では、そう仮定している。
「……ところで、おかしいと思わないかい」
「何が?」
「武偵殺しが、俺やキンジの自転車に爆弾を仕掛けることができたという点、だね」
「でも、武偵殺しの犯行は無差別じゃない。偶然っていう可能性も──」
「勿論、あるだろうね。しかし、その説はいったん置いておこう」
武偵殺しが、恣意的に2人を狙ったとするならば。まずはこの仮説が重要になる。
「登校する際の俺とキンジの移動手段は、3つある。《境界》と、バスと、自転車だ。多用する順番に並べてみたよ。その3つの中で見事に自転車と判断できたのは……何故だろうね? 決してあの朝に奇襲をしなければいけないわけじゃないから、仮に《境界》で登校しようと、下校時に奇襲すればいいわけだ。俺は、下校時は徒歩で帰ることが多いからね。バスで登校するならば、先日の時みたくルノーにUZIでも載せればいい。そちらの方が武偵殺しらしいかな。自転車で登校するとなれば、それもまた、今回のように奇襲が掛けられる」
バスジャックの犯行がいちばん無差別的な武偵殺しらしい、とは言えど──それが自分とキンジを狙う理由にはなりはしないのだ。そもそも武偵殺しの標的は、自分たちではない。
そんな意図を言葉の裡面に潜ませながら、これらを総合して俯瞰するべく二の句を次いだ。
「しかし、どうであれ──武偵校まで《境界》で行くのか、バスで行くのか、自転車で行くのか。それらを把握するには、何かしらの工作を行わなければ不可能だよね。盗聴、ハッキングといった類がもっとも分かりやすいかな。……生憎、今はそれらの有無は分からないけど、仮定の1つとしてのキーワードを作り出せること、そこから実行犯を探し出せることには変わりないだろうね。重要なのは、武偵殺しの狙いだよ。この話の本質は、そこにあるの」
「……武偵殺しの、狙い? だってさっき、犯行は無差別の可能性もあるって言ったじゃない」
「うん、確かに言ったよ。ただ、武偵殺しが恣意的に2人を狙ったのか、或いは無差別に狙ったのか、どちらにせよ、武偵殺しの意を解することは出来る」
武偵殺しが動機の仮面に無差別という名を着けて、様々な武偵を狙ってはいるのは、恐らくは本質である彼女を狙うことを悟られないようにするためだろう。武偵殺しの標的は、武偵殺しそのものにとって撒き餌の餌でしかない。彼女を誘き出すための、餌でしか。
「これだけは分かっておいて。狙いは……アリアでしょうね」
「……えっ。アタシ?」
人差し指で自分自身を指さしながら、アリアは呆然とも唖然ともとれる表情を見せた。それもそうだろう。敵を追い続けているはずの自分が、まさか敵の撒き餌に食い付いて、その敵の残した幻影を追い続けているとは夢にも思うまい。だからこそ、今までが危険だったのだ。
「いちばん初めに武偵殺しが動いたのが……いつだったかな。まぁ、代表例としても──数ヶ月前の、アンベリール号だろうね。覚えてる? メディアにも大々的に報道されたやつだよ」
2008年12月、豪華客船アンベリール号が沈没したという報道が地上波を駆け巡った。沈没の原因は不明であり、救出された一部の乗客によって爆発があったことが、その後に明らかとなったとはいえ、それが人為的に起こされたものか、或いは船体そのものの異変によって引き起こされたかものなのかまでは、とうとう誰も分からなかったらしい。このアンベリール号沈没事件は、とある一人の武偵を除いては乗船していた全員が無事だったのだ。
そのとある一人の名を、遠山金一という。遠山キンジの兄だ。沈没事件から生還した者曰く、行方不明者となった彼は、乗客員が動乱に塗れるなかで自主的に避難誘導を行い、自らの危険を顧みずに次々と救助していったという。如何にもドキュメンタリー番組にありそうな展開だった。
しかし現実はそんな生易しい話ではなかった。生還者の証言があるにも関わらず、どこをどう間違えたのか、メディアは遠山金一に大々的な批難を押し付けたのだ。
『同じ船に乗り合わせていながら、事件を未然に防げなかった無能な武偵』と。その矛先は彼のみならず、遠山家にまで及ぶようになった。キンジも、その被害者だった。
「それ以降に姿を現さなかった武偵殺しが再度確認されたのが、始業式の日のチャリジャックになるね。セグウェイに、UZIに──あのセグウェイも、備品はただのセグウェイじゃなかったよ。模倣犯にしては手が込みすぎてるし、確実に殺す為の兵装を整えてた。チャリジャックの際にアリアが救出に来てからというもの、武偵殺しは活発化したね。バスジャックも早めの行動が功を奏したものの、車体に仕掛けられていたC4も、確実に人を殺すためのものだろう?」
ここから分かるのは──。そう切り出す。
「武偵殺しがアリアを誘き出し、罠に嵌めたということ。罠と形容するからには、君自身に何かがあるはずだよ。武偵殺しを逮捕しなければならないほどの、重大な事案がね」
実に武偵殺しは聡明な人間だろう。自らの動機を、糊付けした仮面で綺麗に隠せていたのだから。それでいて動機を遂行するために、誘き出すための絶好の餌を、自分自身で用意できていたのだから。それでも過去を辿ると、小さい綻びを生んでしまっていた。
そうして、自分の中で武偵殺しが誰だか、仮定ではあるものの予想が付いてしまっていた。だから、その名を厳粛に告げる。直感混じりの推理にしても、納得のいってしまうその名を。自分たちの身近な存在で、かつ、工作活動が得意な人間ともなれば──思い当たるのは、1人。
とはいっても、まだ曖昧なのだ。酷く曖昧で、不鮮明で、パズルのピースにも成り得ない。
それでも、仮定としては十分すぎるのだから──暫くは、泳がせてみるかな。
「武偵殺しは、探偵科の峰理子。あの子だと思うんだ」
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