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八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる

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第二百二十六話 マダム=バタフライその十二

「それじゃあ」
「いや、史実とは違いだ」
「今度もですか」
「ハッピーエンドだ」
「そうなんですか」
「ハリスとお吉さんが結ばれてな」
「全然違いますね」
「蝶々夫人を思わせることは事実だが」
 というかそのままだ、アメリカ人の男性と日本人の女性の組み合わせは。そしてお吉が蝶々さんとどうしても重なる。
「しかしだ」
「それでもですか」
「結末は全く違う」
「蝶々夫人とも史実ともですね」
「ハッピーエンドだ」
 そうなるというのだ。
「幸せに結ばれてな」
「それはいいですね」
「それを意識して作られた作品かも知れない」
「史実のお吉さんとですね」
「実際ハリス公使とお吉さんの間には何もなかったらしい」
 色々言われてだ、それでお吉さんはああなったけれどだ。
「しかしその作品ではな」
「ハッピーエンドなんですね」
「そうだ、歌劇ならいいだろう」
「史実と違っても」
「史実を基にしても展開が違うことは常だ」
 これは創作全体に言えることだ、そして時には創作の方が史実以上に有名になることもある。三国志はそのいい例だろう。
「それならだ」
「その黒船もですね」
「幸せになるならだ」 
 それならばというのだ。
「それではいいと思う、私はな」
「史実は絶対じゃないですね」
「そうだ、史実が絶対とするならだ」
 ここで井上さんはこうも言った。
「世の中は実に味気ない」
「史実が絶対なら」
「そうだ、そこから逸脱しての創作は許されないとなると」
 そう言う人もいるみたいだ、所謂史実原理主義か。
「創作、歴史を基にしたそれはな」
「味気なくなりますね」
「そこに創作者のセンスが入ってこそな」
「面白くなりますね」
「そうだ、だから黒船もだ」
 この作品もというのだ。
「幸せな結末でいい、お吉さんは常に不幸でないといけないか」
「それはですね」
「そう言える人がいたならだ」
 井上さんはその目に否定の色を見せて話した。
「私はその人はどうかと思う」
「不幸な目に遭った人は絶対に不幸でなければならない」
「そう思うなら創作の意味もないしその人の人間性もだ」
「どうかと思われますか」
「なら自分はどうか」
 言っている本人はというのだ。
「いつも不幸でいたいのか」
「そう言われますと」
「違うな」
「大抵の人は幸福でいたいですね」
 不幸な自分がいいという人も稀にいるがだ、これはマゾヒズム的欲求の一つであろうか。自分が駄目だと思いたい様な。
「やっぱり」
「それなのにだ」
「常に不幸でなければならないとかですか」
「史実でそうであってもな」
「そう言える人はな」
「井上さんとしては」
「どうかと思う」
 また言った。
「本当にな」
「そうですね、何ていうか」
「他人の痛みがわからないのかとさえ思う」
「だからお吉さんもですね」
「創作でもな」
 黒船という歌劇でもというのだ。 
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