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八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる

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第二百二十六話 マダム=バタフライその七

「何か変な演出も多いみたいですね」
「それでか」
「変な風になっていたりしますね」
「これは違うとか」
「日本人から見ると。何か中尉が最後の場面で」
 一旦逃げたけれど戻ってきてだ、蝶々さんがこと切れた場面に来るのだ。ここで蝶々夫人は終わる。
「お子さんに刃を向けられているとか」
「蝶々さんが自害したその刀でな」
「そんなのもあるそうですね」
「復讐か」
「お母さんへのことに」
「その演出はな」
 どうかとだ、井上さんもその話を聞いて述べた。
「どうかと思う、私もな」
「やっぱりそうですか」
「蝶々さんは死んだが」
「それでもですね」
「お子さんには幸せになって欲しい」
「復讐を考えるよりですか」
「それは憎悪だ」
 復讐、それを考えることはというのだ。
「憎悪は人の心を歪ませてしまう」
「そうした感情に支配されていると」
「幸せな筈がない」
 人を憎んでばかりの人が幸福か、幾らお金を持っていてもそうした人が幸せと思える人が少ないだろう。
「ヒーローでも正統派ではないな」
「ダークヒーローですね」
 憎しみに心を囚われているとだ、その時点でそうなってしまう。
「まさに」
「そうだ、そしてダークヒーローはな」
「幸せじゃないですね」
「そうだ、だからだ」
 それでというのだ。
「蝶々さんのお子さんにはな」
「憎しみに心を支配されて」
「復讐は考えて欲しくない」
 絶対にという言葉だった。
「それはな」
「そうですか」
「うむ、中尉もだ」
「お子さんを確かに育てられれば」
「そこから何かがわかる筈だしな」
「お子さんを見る度に苦しんで」
「それでもだ」
 そこからというのだ。
「何かをだ」
「つかめますか」
「若しかするとな、そしてだ」
「そこからですか」
「お子さんを大事に育てられるかも知れない」
「そうなればいいですね」
「私はプッチーニは良心的な人だと思っている」
 井上さんは作曲者のこの人の話もした。
「ヒロインは悲しい結末が多いが」
「プッチーニの作品は基本そうですよね」
「幸せになれたのはミニーやトゥーランドッドにだ」
「あとはジャンニ=スキッキの」
「主人公の娘位だが」
「それでもですよね」
「その結末には何処かな」
 それでもというのだ。
「救いがある」
「トスカは」
 この作品ではヒロインは最後は身投げをする、恋人を殺されて追い詰められてそのうえでサン=タンジェロ城の屋上からティベレ川にそうするのだ。
「どうでしょうか」
「あの作品ですらな」
「救いがありますか」
「私はそう思う、音楽を聴くとだ」
 歌劇の最も重要な要素のそれをというのだ。
「救いを感じるが」
「あの最後の」
「そうだ、最後に何が残ったか」
 ヒロインまで死んでだ。 
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