八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第二百十一話 紅葉が見えてその六
「一体」
「ヴィオレッタのことは忘れないだろうけれど」
僕は大場君のその疑問に考えながら答えた。
「それでもまだ若いから」
「また新しい恋に生きるか」
「そうなるだろうね」
「そうか」
「ヴィオレッタはずっと覚えていてもね」
「じゃあ蝶々さんはどうなるだろうな」
大場君は今度は蝶々夫人のことを聞いてきた。
「あのアメリカ軍の士官も子供も」
「どうだろうね」
僕はその質問にはまずは口ごもった、ピンカートンは蝶々さんのことを聞いて自分の軽薄さに後悔して一度は逃げていく。そこで本来の奥さんを連れていて蝶々さんとの間の子供を引き取ろうとしていたけれどだ。
「あの士官の人夫婦になってたし子供も引き取るけれど」
「その後はな」
「うん、夫婦の暮らしに暗いもの落とすだろうね」
「そうだろうな」
「しかもあの後ね」
僕は歴史のことも考えて大場君に話した。
「子供さん最近出た続編だと」
「続編あったんだな」
「日本で作られてね」
音楽も脚本もだ、プッチーニ作曲でないことは当然だ。
「ジュニア=バタフライって作品で出てるよ」
「あの子供が主人公か」
「アメリカ軍の情報部員になって日本にいて」
そうしてだ。
「戦争が起こって捕まって恋人は長崎で被爆するんだ」
「何か因果を感じるな」
「それで恋人と長崎で再会出来たけれど」
「被爆してるからか」
「そこで死んでしまうんだよね」
「二代で因縁でか」
「悲しい別れを経験するみたいだよ」
せめて息子さんは幸せになって欲しかった、ただ思うことは確か蝶々夫人は明治維新の頃の話だったのであの息子さんは何歳になるだろうか。この人の孫なら第二次世界大戦の頃に現役の海軍士官でも問題はないと思うにしても。そうなると日系四世それもクォーターどころか八分の一で血はかなり薄い。もっとも血で何かが決まる訳ではないけれど。
「どうもね」
「幸せになって欲しいがな」
「その物語ではね」
「なっていないんだな」
「うん、まあ子孫の人はね」
蝶々夫人が明治維新の話ならもう今は七世か八世か。
「幸せになっていたらね」
「いいな」
「そうだよね」
こんなことを話してだ、僕達は体育館に入ってそれぞれの部活に入った。部活でかく汗は昨日よりも少なかった。昨日以上に涼しくてだ。
それで八条荘に帰って夕食を食べてお風呂に入って予習と復習をして十二時近くに書斎で蝶々夫人についての本を借りてだった。
食堂でその本を読みながらワインを飲んでいるとそこにイタワッチさんが来て僕にこう聞いてきた。
「何読んでるの?」
「歌劇の本だよ」
「歌劇の」
「蝶々夫人のね」
「ああ、日本を舞台にした」
イタワッチさんは蝶々夫人と聞いて僕にこう言ってきた。
「あれね」
「うん、長崎に行った時も考えたけれど」
「あそこが舞台だしね」
「どうしても思うけれど」
「今もなの」
「考えてるけれど」
僕は自分の前の席に座ったイタワッチさんにさらに話した、イタワッチさんはビールを出してきていた。つまみは冷蔵庫にあった枝豆だ。
「終わりが悲しいけれど」
「その終わった後ね」
「本当にどうなったのかな、続編あるけれど」
イタワッチさんにこの話もした。
「違うかも知れないしね」
「その続編は」
「うん、実際はどうなるのかな」
あの士官の夫婦と子供さんがだ。
ページ上へ戻る