八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
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第二百八話 不運のチームその一
第二百八話 不運のチーム
僕は夕食の時最後に阪神タイガースの話をしたのでそれで自然と気になってお風呂と予習の後で書斎に入った。
そのうえで阪神タイガースの歴史を週刊ベースボールマガジン社や宝島社の本から調べていてあらためて思った。
本当に運がない、そのことを痛感していると部屋にモンセラさんが来て僕が読んでいる阪神の本を見て言った。
「今年優勝するから見てるの?」
「いや、夕食の時のね」
「テレサとのお話でなの」
「うん、思ったんだ」
「それで読んでるのね」
「うん、それで読んでみたら」
モンセラさんにその感想を話した。
「実際にね」
「運がないのね」
「何か憑いてるよ」
「甲子園の魔物とかよね」
「それにね」
「ケンタッキーのおじさんね」
「あと高校球児達の血と汗と涙が育てた怨念かな」
高校野球の聖地だけあってだ。
「そういったものがね」
「阪神に不運を招いているのね」
「そう思えるよ、甲子園には魔物がいるとは言われていたけれど」
「それでもなのね」
「いや、日本一になった時に」
昭和六十年、一九八五年のことだ。
「ケンタッキーのおじさんも憑いて」
「道頓堀に放り込んだのよね」
「優勝した時の恒例行事やってね」
この時からはじまっている、道頓堀への飛び込みは。
「おじさんがバースに似てるとか言って」
「道頓堀に一緒に入れて」
「浮かんでこなくてね」
「その怨念だって言われてるのね」
「あれかな」
僕が思うにだ。
「あのおじさんがここぞって時にね」
「働いてるのね」
「阪神の選手のホームランを押し返して」
それで外野フライにしてだ。
「相手チームのホームランをね」
「スタンドに引き寄せてるの」
「阪神って伝統的にチーム防御率はいいから」
つまり投手陣はいいのだ、阪神の長い歴史で投手陣に困ったことは実は少ない。先発もそうだけれど中継ぎ抑えは充実している。
「けれどここぞって時にね」
「相手チームのホームランとか」
「出てるから」
まさにというのだ。
「それでね」
「負ける」
「うん、それが決勝点になってね」
相手から見てここぞという時に出る、阪神にとってはよりによってという時にだ。
「負けるから」
「決してピッチャーが打たれまくるんじゃないのね」
「抑えてはいるんだよ」
大抵はだ。
「けれど肝心の時にね」
「打たれてなのね」
「チーム防御率はよくても」
それでもなのだ。
「悪い様に感じるんだ」
「ピッチャーが打たれてるって」
「その風にね、しかもね」
「打たないのね」
「もう打つことは」
これまたチームの伝統だ。
「大抵からっきしで」
「最悪の時に打たれても打ち返せない」
「チャンスに凡打や三振だから」
もうこの展開がどれだけあったか、伝統的に得点圏での打率は相当に悪いチームだと思う。残念ながら。
「点が入らなくて」
「負けるのね」
「阪神はねえ」
「何か嫌な感じね」
「実際に嫌になるよ」
僕もこう答えた。
「昔の阪神のことは」
「肝心な時にこそなのね」
「打たれて打てないから」
例えそれまで抑えてて打っていてもだ。
「ここぞって時にこそね」
「それがずっとってことは」
「そこから思うんだね」
「阪神は憑かれてるのよ」
「やっぱりそうだよね」
「何か戦力以前に」
阪神の場合はだ。
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