銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~
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閑話:帰りを待つもの
マウア・マクワイルドは、いわゆる平凡な天才であった。
子供のころから物覚えも良く、運動も勉強も等しく優秀な成績をとっていた。
超一流とは言わなくても、どこにも一人はいるような当たり前の神童といったものだった。とはいえ、同学年に――あるいは少し上級生であっても、負けたことがないという環境はともすれば性格に歪みが生じる可能性が多分にあっただろう。あるいは、いつか本当の天才と出会い挫折を知ることで、普通の人間となっていったか。
だが、彼女は一切の歪みもなく――良くも悪くも、真っ直ぐに育つことになった。
原因は簡単だ。
彼女の兄――アレス・マクワイルドが原因によるところだ。
彼女の身近には、より優秀な人間がいたのである。
それが本来の意味で優秀かどうかは、わからない。
そもそも幼少時から前世の記憶を持っているということは反則であったのかもしれないが、当のマウアがそれを知るわけもない。
ただ常に彼女の前には優秀と呼ばれる兄が立ちはだかっていたのだ。
もっとも、彼女が記憶している兄との生活は、わずか一年ばかりでしかなかった。
両親の離婚により別れたことで、暮らしていたのは生まれてからの数年。
記憶に残っているのは一年だけであっただろう。
だが、その後もたびたび会う兄は優しくもあり、マウアは大好きだった。
だからこそ、周囲から褒められたとしても、彼女はそこで妥協することなく、まだまだだと頑張れたし、自分より優秀な人間に出会っても、諦めなかった。
それは、兄譲りの負けず嫌いだったのかもしれない。
そう父親から兄に似ていると言われた時は、とても嬉しかった。
だから、兄と離れるのは非常に悲しかった。
なぜ両親が離婚したのかは、幼いマウアは知らない。
幼いながらに聞いてはいけないことだと、感じていたのだ。
しかし幼いながらに、月に一度マウアとともに一緒に会う両親は決して仲が悪いということはないと思う。
一緒にいて、二人がいまだ楽しそうにする様子は、友人たちの両親に比べても遥かに仲が良いように見えた。
未だに母が元の性ではなく、マクワイルドの性を名乗ることが証明だと思う。
ならば、なぜ別れることを選択したのか。
誰にも聞くこともできず、でも子供というのは理由をつけたがるものだ。
幼いながらも、マウアは一人ずっと考えて、そして結論をだした。
きっと自分が馬鹿だからなのだろうと。
自分が一緒にいては兄の足を引っ張ることになるため、あえて二人は別れるという選択をしたのだと。
だからこそ。
マウアは思っていた。
自分が賢くなれば、きっと兄は帰ってくるのだと。
そうすれば、また家族四人で暮らすことができる。
それはとても、とても幸せで。
両親も嬉しいし、何よりもマウアも嬉しい。
そのために、マウアは満足しない。
兄が戻ってくる――その日まで。
+ + +
「今回の試験は少し難しかったですか。けれど、勉強をさぼっちゃだめですよ。皆さんはこれから立派な人間になって、憎き帝国を打ち破らなくてはならないのですから」
教壇の上で、きつい瞳をした三十代の女性が問いかけるように話をしている。
勉強しないと、帝国の悪い奴らに殺されると――口癖のように呟く教師のセリフは、まだ初等科の生徒に教えるにはいささか厳しい言葉だった。
性格もきつく、時にはヒステリックに声を荒げることから、生徒たちには悲しいことに鬼婆と呼ばれている。
最も教師たる彼女がそれほどまでに帝国を憎む理由は、婚約者を帝国軍によって失うことになったという噂もあったが、まだ十歳ほどの子供たちが、真実かどうかなど分かるはずもない。
ただそれでも子供ながらに理解できるのは、戦争で婚約者が亡くしたという噂は、決して珍しいものではないということ。
そして、件の教師が四十に近づいても、いまだ独身であるという真実だけだった。
「では、テストを取りに来てもらいます。アイラ・オーウェン――」
五月も半ばの、最初の試験。
まだ小学生では試験という事にも、それほどまでの絶望はないかもしれないが、彼女の受け持つ教室では意見は大きく変わるだろう。
立ち上がって受け取りに来たポニーテールの少女が来れば、
「41点――初等科一年の教科書をもう一度読んできなさい」
冷たい言葉とともに発表される点数とお説教。
もしここにアレスがいたら、まさかのじゃがいもと口にしたであろうし、アッテンボローであったならば、彼女を間違いなくヒステリックにさせる余計な言葉を呟いたことであろう。
もっとも、呼び出される初等科の生徒ができる抵抗といえば、謝ることか落ち込むだけでしかない。
返却された答案を受け取って、厳しい言葉を受けた少女は素直に反省したように、自席に戻った。
「次、アリス……」
呼ばれる名前は、Aから始まる数字だ。
次々に呼ばれる名前に、教師の評価は一切ぶれない。
八十点以上の好成績であれば、褒め、下回れば容赦ない指導が口にされる。
それはいつものことで、彼女が受け持つクラスの伝統ともいえた。
自分の名前が呼び出される順番を待ちながら、教壇の前で一喜一憂する同級生の姿を見送る。
「次、マウア・マクワイルド」
「はい」
声を出し、マウアは立ち上がった。
毛先を首元で整えたショートボブの髪型は、アレス同様に金色だ。
気が強そうな力強い瞳が印象的な容姿であるが、兄が与えるような目つきの悪い印象は、女性ともなると意思の強さとなるらしい。
はっきりと整った顔立ちに、初等科の学生服をきっちりと着こなし、歩く様子をみれば、教壇上で教師がにこやかにほほ笑んだ。
「九十五点。さすがね――綴り間違いの小さなミスがなければ、百点も狙えたわよ」
「ありがとうございます」
と、頭を下げて答案を受け取れば、振り返った視線が隣席の友人を捉えた。
アイラ・オーウェンだ。
先ほどまでの落ち込んでいた様子はどこかへと消えており、自分だけに見えるように、やったねと手を振っている。
そんな彼女はつい先ほど41点の最下位をたたき出し、いまだ継続更新中であるのだが。
席に着くと、身を少し乗り出して、隣席の友人は感心したように話しかけた。
「凄いね、マウアちゃん」
自らの成績はどこかへとおいやりながら、友人が素直に感心を言葉にできるのは彼女の良いところだ。
照れたようにマウアは小さく苦笑を浮かべた。
「ちょっと間違えちゃった」
「ちょっとならいいじゃない。私なんて綴り以前の間違いだよ?」
そう言って見せられたテストは、バツ印が並んでいた。
その中央で、一際大きい罰がある――建国の国父に似た名前だ。
アーレイ・ハイネセンと。
それは、誰なのか。
「ええ……」
さすがのミスに、答案を二度ほど見てから、友人の顔を見る。
あっけらとした二つの瞳が、マウアを見ていた。
「さすがにまずいと、思うよ?」
むしろ、あの教師があの説教だけで良く終わったなと思う。
だが、勉強よりも、運動が大好き、それ以上に遊びはもっと大好きな彼女のことだ。
今まで怒られ過ぎて、さしもの教師のお説教レパートリーも品切れだったのかもしれないと、マウアは思った。
「いいんだもん。ここは自由の国だから。帝国と違って、間違えたくらいで殺されることなんてないもん」
「殺されることはなくても、お説教はあるかもです」
そっと背後からかかった声は、後方にいた友人のものだ。
忠告するようなささやき声に、二人は視線を前に向ける。
鬼がいた。
彼女たちの声は、少しばかり大きかったらしい。
答案の返却の途中で、教師が睨むようにアイラとマウアを見ていて、慌てて、姿勢をもとへと戻した。
おそらくは怒声が飛ばなかったのは、優等生であるマウアが一緒にいたからだろう。
「62点……ね。授業中は真面目に聞いておくこと。次」
そのお説教は誰に向けられたものなのか。
怒りを押し殺した声をだせば、しわが付いた答案を渡して、教師は次の名前を呼んだ。
「ユリアン・ミンツ」
「はい」
と――立ち上がったのは亜麻色の髪をした少年だ。
まだ幼い顔立ちは、ともすれば女性にも見える穏やかな表情。
ブラウンの瞳が一度瞬きをすると、立ち上がって教壇の前に行く。
「七十八点です。集中力に欠いているようですね、試験以前の問題です」
一瞬、教室の中が騒めいた。
平均点を考えれば、優秀ともいえる点数であったが、彼にしては悪いともいえたからだ。
二年前に急遽転校してきたこの少年は――学年でもマウアとトップを争うほどに優秀で、少なくとも今までに教師のお説教の餌食になったことはない。
今までに周囲を圧倒していたマウアにとっては、初めてのライバルともいえる少年だ。
「珍しいこともあるもんだね。でも、良かったねマウア。トップになれて」
「うーん。本調子じゃなかったみたいだから、それで勝っても嬉しくはないかなぁ」
「おお、上からの意見。一度でいいから行ってみたい」
「アイラちゃん。また怒られるよ?」
「はーい」
冗談めかして返事をしてアイラは、姿勢を元に戻した。
今度は教師に見られずに、すんだようだ。
でもと、マウアは教壇の方を見ながら、アイラの言葉の言った珍しいとの言葉を思い返した。
確かにユリアンが、このような成績をとるのは珍しいことだった。
転校してきてから二年、成績も運動も常に上位で――さらには中性的な顔立ちを持つ少年は、女子の中でも大人気で、好きだという子も少なくはない。
見れば、周囲の女生徒には心配するような視線が送られている。
教師から返された答案を、少年が謝罪の言葉とともに手にする様子に、相変わらず人気だなと、他人事の様にマウアは思った。
+ + +
授業は午後に入って一時間ほどで終了した。
まだ明るい街を、友人たちと一緒に帰っていく。
大きな鞄を背負いながら、試験について語る姿はいつの時代もかわらないのだろう。
だが、内容自体はいささか時代によって変わるのかもしれない。
「それでね、ママが、パパにいったの。戦争でいない間、ちゃんと掃除してた? って。だから、今度の休みはパパと大掃除なんだよ」
手を広げながら大げさに話すのは、アイラ・オーウェンだ。
いつも話題を振るのは、彼女が最初だった。
明るく、元気な様子には、マウアも助けられている。
そんな彼女の母親の仕事は、同盟軍の軍人であり――アイラが語るには、つい最近まで遠い場所で戦っていたらしい。
そんな彼女の母から、しばらくぶりに電話が入り、もうすぐ帰るということが伝えられたということを、週末の大掃除を大げさに嘆きながらも、どことなく弾んだような声で話している。
いつもより一段と高いテンションに、マウアは、もう一人の友人であるワン・ファリンと顔を向かい合わせて、小さく笑った。
「アイラちゃんのお母さんはいつ帰ってくるの?」
「それが聞いてよ、マウアちゃん。まだ二週間以上はかかるって」
「それは……アイラちゃんが今週掃除しても、帰ってくるころにはまた汚れちゃいそうだよね」
「そんなに遠くです?」
「うん。凄く遠いみたい。イゼルローン回廊? って、ところ」
やや疑問を浮かべながら、アイラは言葉を口にした。
知っているかと問いかけられて、マウアは頷いた。
「うん、ニュースで見たよ。イゼルローン要塞で、大きな戦いがあったって」
「さすがマウアちゃん。勝ったのかな」
「私も見ました。勝ったっていってたですよ。きっとアイラちゃんとママが活躍したのですよ」
「でも、ママはあんまり嬉しそうじゃなかったなぁ。疲れてるのかな?」
「んー」
マウアはニュースを思い出すように、唇に指をあてて、考えた。
「外壁は破壊したっていってたけど、占領したわけじゃないらしいから。悔しかったのかな」
「あるかも。ママ、完璧主義だから。いつもパパに手加減無用っていってるし」
「アイラちゃんは、間違いなくお母さん似なのですね」
ファリンが納得したように頷けば、三人は楽しそうに笑い合った。
どこにでもあるような普通の光景――だが、そこで語られるのは戦争の話題だ。
アイラの母親が戦場に行くように。彼女たちにとって戦場はまさに身近にあり、幼いながらに口にすることは決して不思議なことではなかった。
誰だって、自分の身近な人の話題が大切なのだ。
「でも、マウアちゃんのお兄ちゃんも軍にいるんだよね。いまどこにいるの?」
「うーん。それがさ」
アイラの言葉に、マウアは眉をさげた。
「お母さんもお父さんもお兄ちゃんが何しているか教えてくれないんだ」
悲しそうに、そして若干の拗ねをマウアは見せた。
心配するからというのが、その理由であったが、マウアにとっては不満が大きい。
兄の活躍を常に知りたいし、危ないというのであれば、なおさら知りたいと思う。
もっとも、それはカプチェランカでアレスの生死が一時分からなくなった時に、マウアがひどく取り乱したからであり、彼女が原因によるところなのだが。
「お兄ちゃんからも最近連絡がないし、どうしてるんだろう」
「ほ、ほら。便りがないのは、良い便りなのですよ」
「そうそう。お兄さんは大丈夫だよ。マウアちゃんが言うくらい賢いんでしょ……あ!」
と、アイラが話題を変えるように、明後日の方向を指さした。
「ど、どうしたのです?」
ファリンが合わせるように視線を向ければ、そこには学校の友人の姿があった。
ユリアン・ミンツだ。
道路の反対側を見知らぬ中年の男性と一緒に歩いている。
スーツ姿に真面目そうな姿は、一見すれば父親にも見えなくはない。
だが、彼の父親は二年前に亡くなっているはずであり、それ以降は彼の祖母と二人で暮らしていたはずだ。
「おじさんとかかな」
アイラが言葉に出すが、それにしては髪の色も瞳の色も似てはいない。
どこかよそよそしい印象もあった。
そんな三人の視線に、ユリアンもこちらに気づいたようだ。
ぺこりと頭を下げた姿は、一瞬で道路を走る地上車の波に消えていった。
姿を消した同級生の姿に、三人が首を傾げた。
「何か変なのです、事件なのです」
「まさか、話をしていたみたいだし――それに、ファリンちゃんならともかく、ミンツ君なら大丈夫じゃないかな」
「なぜ、そこでファリンの名前がでるのです」
「だって、アイラちゃんだったら加害者になるだろうから」
「それはどういうことなのか、な」
頬を膨らませたアイラの姿に、マウアとファリンは笑いあった。
その一週間後――ユリアン・ミンツが転校することを、三人は知るのであった。
後書き
第五次イゼルローン要塞攻防戦の章はこれで終わりとなります。
なお、次話までの間一週間ほど休みとさせていただきます。
帰ってきますので、しばしお待ちいただければと思います。
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