八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
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第百六十三話 秋のはじまりその十二
「生きることへの」
「そう思われますか」
「はい、自分では浅ましいかと」
「浅ましくないと思いますよ」
僕は畑中さんのお話をここまで聞いてこう答えた。
「畑中さんは戦死は怖くなかったですね」
「はい」
「靖国に入られるし当然のことだと」
「今もそう思っています、あの時の日本を思いますと」
「何が何でも生きたいと醜いまでに執着する人は」
それこそ自分だけが生きようとする人はだ、他人をどうしても。
「何とか戦場に行くことから逃げて終わった後で自分は戦争に反対だったと言っている筈ですから」
「そうした人もいました」
「そうしてますから」
何かそうした人は何処までも卑怯なんだと思う、だから戦争が終わって戦争反対の世の中になって言うのだ。
「ですから」
「私はですか」
「浅ましいと思いません、病気を恐れるのは」
このことについても僕は畑中さんにお話した。
「当然ですから」
「病気はですか」
「はい、結核にしても癌にしても」
命を落とす病気を恐れることはだ。
「当然です、むしろ恐れないことは」
「そのことは、ですか」
「間違いだと思います、自殺願望があるならともかく」
もうそうした病気になって死んでも構わないと思うならだ。
「いいですがそうでもないと」
「恐れてならない様にすることもですか」
「当然です」
人ならばだ。
「そう思います」
「病気は怖い」
「そのことは否定出来ないです」
「畑中さんにとっては」
「どうしても」
畑中さんにも怖いものがあるということもここで知った、これだけ強い人でもそうしたものがあるということを。
「ですから気をつけています」
「怖いものに対して」
「そして若い時剣の師に言われましたが」
「何とですか?」
「人は怖いものがあっていいと」
そう言われたというのだ。
「そしてその恐怖を知って」
「そのうえで、ですか」
「人としてどう生きるか」
「そのことが大事なんですね」
「そう言われました」
「そうですか、怖いものを知ることですか」
僕は畑中さんの話を聞いてここでまた考える顔になって言った。
「つまり恐怖をですね」
「そうです、今日を知ることです」
「それは当然のことですか」
「そう言われました」
「恐怖を知ってどうするか」
ここで僕はこの言葉も思い出した。
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